異世界ほのぼのクッキングロード ~元フードコーディネーター、不思議な食材で今日も一皿~

はぶさん

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第52話 帰ってきた天才と、魂を映す一番出汁 (52-2)

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数日後の夜。店の営業を終えた俺の元に、アントワーヌが、やつれた顔でやってきた。
「…日向耕介。私と、もう一度、勝負をしろ」
その声は、震えていた。
「観客も、審査員もいらない。ただ、君と私、二人だけ。互いの、最高だと思うスープを作り、それを味わう。そうでなければ、私は、前に進めない」
彼の、魂の叫び。俺は、静かに、それを受け入れた。

深夜、誰もいなくなった『木漏れ日の食卓亭』の厨房。俺とアントワーヌは、それぞれの調理台に向き合っていた。弟子のレオだけが、固唾をのんで、その光景を見守っている。

アントワーヌが作り始めたのは、**完璧なコンソメ・ドゥーブル**。仔牛の骨と、香味野菜を焼き付け、何時間も煮込み、一度濾したスープを、さらに肉と野菜で煮込み、最後に、卵白で一滴の濁りもなく澄ませる。技術と、時間と、最高級の食材を、幾重にも**「足し算」**していく、フランス料理の叡智の結晶だ。厨房は、濃厚で、複雑で、あまりにも芳醇な香りに満たされていく。

一方、俺が取り出したのは、ありふれた、三つの食材だけ。
一枚の、乾燥した昆布。一掴みの、鰹節に似た干し魚の削り節。そして、この街の、清らかな井戸水。
「師匠…? それだけで、あんな芸術品と戦うのですか…?」
レオの、不安げな声。俺は、静かに、彼に語りかけた。

「レオ。アントワーヌさんのコンソメは、シェフが主役の『足し算の芸術』だ。それは、あまりにも素晴らしい。しかし、俺が今から作るのは、全く逆の哲学から生まれる」
俺は、昆布をそっと水に浸す。
「俺が作る**『一番出汁』**は、素材が主役で、シェフはただ、その魂を邪魔しないように、不純物を、そして、自分自身のエゴさえも、静かに**『引き算』**していく料理だ」
俺は、水が60℃になった瞬間、昆布を取り出す。沸騰直前に火を止め、鰹節を入れ、それが沈んだら、すぐに、布で濾す。
「昆布の『ぬめり』と『えぐみ』を、足さない。鰹節の『酸味』と『雑味』を、足さない。俺の仕事は、最高の味を『創り出す』ことじゃない。彼らが持つ、完璧な味わいを、ただ邪魔しないように、不要なものを、全て、取り除くだけだ」

厨房に満ちる、アントワーヌの、濃厚な香り。
その片隅で、俺の鍋からは、ただ、どこまでも透明で、清らかで、しかし、一本の芯が通った、海の香りが、静かに立ち上っていた。

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