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第69話 砂漠の国のキャラバンと、羊飼いのグヤーシュ (69-1)
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魔法都市アエルソスから帰還して季節は再び巡り、港町には穏やかな初夏の風が吹き始めていた。あの合理主義の楽園で俺たちが持ち帰った「温かい食事」という革命は、今頃、かの大賢者アザリヤの手によって、静かに、しかし確実にあの街を変え始めていることだろう。
『木漏れ日の食卓亭』は、かつてないほどの平穏と成熟した活気に満ちていた。一番弟子のレオは、もはや俺が厨房に立たずとも、若い弟子たちを完璧に束ね、日々の営業を見事に回している。彼の料理には、王都仕込みの技術に、深い哲学と揺ぎない魂が宿り始めていた。
そんな、完璧な平和が永遠に続くかのように思われた、ある日の午後だった。
事件は、空からやってきた。
店のテラスでリリィアがハーブの手入れをしていた時、空の彼方から一つの黒い点が猛烈な速さで近づいてきたのだ。それは革のような翼を持つ、巨大なトカゲのような…砂漠の国にのみ生息するという飛竜(ワイバーン)だった。
その飛竜は明らかに手練れの乗り手によって操られており、『木漏れ日の食卓亭』の上空で一度大きく旋回すると、店の前の広場に、ふわりと、しかし確かな威厳をもって舞い降りた。
飛竜から下りてきたのは、日に焼けた肌に深いシワを刻んだ、一人の老人だった。その歳は六十を超えているだろうか。だが、その背筋は鋼のように真っ直ぐと伸び、その瞳には、千の修羅場を越えてきた者だけが持つ、鋭い光と深い慈愛が同居していた。
彼は店の入り口に立つと、俺の姿を認めるなり、その場に深く、深く、頭を下げた。
「…あなたが、日向耕介殿ですな。お噂は、遠く、砂漠の果てまで届いておりますぞ」
男は、ザドックと名乗った。彼は、この大陸の南方に広がる広大な砂漠を旅する、巨大な商人キャラバンの総隊長なのだという。
俺は、長旅の労をねぎらい、彼を店の中へと招き入れた。一杯の、温かいハーブティーを差し出すと、彼は、その香りを深く吸い込み、ゆっくりと、その乾いた喉を潤した。レオも、この伝説的な商人の佇まいに、息を飲んで、話の成り行きを見守っている。
「…日向殿」
ザドックは、湯呑を置くと、静かに、しかし、その瞳に、切実な光を宿して、語り始めた。
「わしのキャラバンは今、分裂の危機に瀕している。利益を優先する若い者と、安全を第一とする我ら古参。旅の厳しさが、互いの心を、故郷の干し肉のように、固く、バラバラにしてしまった。このままでは、砂漠の 한복판で、犬死にすることになるだろう」
そして、彼は、俺の目を、じっと見つめた。
「なぜ、わしが見ず知らずの、異国の料理人である、あなたを頼って、ここまで来たのか。…それは、わし自身が、四十年前、一杯のスープに、命を、そして、魂を救われた男だからだ」
彼の口から語られたのは、壮絶な、そして、どこまでも温かい、魂の物語だった。
若き日の彼が率いたキャラバンが、仲間割れの果てに、凍てつく砂漠の夜、遭難しかけていたこと。誰もが諦めかけていたその時、一人の老いた羊飼いが、ただ黙って、ありったけの食材を放り込んだ、巨大な鉄鍋を火にかけたこと。
「…我らを救ったのは、伝説の冒険者でも、一攫千金の儲け話でもなかった。ただ、一杯の、温かいスープだったのだ」
彼の言葉を聞きながら、俺は、目の前の、この偉大な隊長の瞳の奥に、四十年前の、無力だった若者の姿を見ていた。そして、レオもまた、彼の話に、深く、心を揺さぶられているのが分かった。師である俺が、何度も、何度も、彼に説いてきた「食事が持つ、本当の力」の物語。その、生きた証が、今、目の前にいるのだ。
ザドックは、静かに、立ち上がった。そして、四十年前の、あの羊飼いがそうしたように、俺に、深く、頭を下げた。
「日向殿。わしは、あなたの噂を聞いた。料理で、ドワーフとエルフの心を繋ぎ、王都の王子を癒し、ゴブリンの里さえも救ったと。ならば、あなたなら、分かるはずだ。食事が持つ、この、言葉を超えた、絆を再生させる力のことを」
「どうか、この老いぼれの、最後の願いを聞き届けてはくれまいか」
「わしの、この、バラバラになったキャラバンを、もう一度、あの一杯のスープのように、温かい、一つの家族へと、戻してはくれまいか…」
その、魂からの願い。
俺に、断る理由など、あろうはずもなかった。
【作者より】
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます!皆さんの感想や、フォロー・お気に入り登録が、何よりの励みになっています。これからも、この物語を一緒に楽しんでいただけたら幸いです。
『木漏れ日の食卓亭』は、かつてないほどの平穏と成熟した活気に満ちていた。一番弟子のレオは、もはや俺が厨房に立たずとも、若い弟子たちを完璧に束ね、日々の営業を見事に回している。彼の料理には、王都仕込みの技術に、深い哲学と揺ぎない魂が宿り始めていた。
そんな、完璧な平和が永遠に続くかのように思われた、ある日の午後だった。
事件は、空からやってきた。
店のテラスでリリィアがハーブの手入れをしていた時、空の彼方から一つの黒い点が猛烈な速さで近づいてきたのだ。それは革のような翼を持つ、巨大なトカゲのような…砂漠の国にのみ生息するという飛竜(ワイバーン)だった。
その飛竜は明らかに手練れの乗り手によって操られており、『木漏れ日の食卓亭』の上空で一度大きく旋回すると、店の前の広場に、ふわりと、しかし確かな威厳をもって舞い降りた。
飛竜から下りてきたのは、日に焼けた肌に深いシワを刻んだ、一人の老人だった。その歳は六十を超えているだろうか。だが、その背筋は鋼のように真っ直ぐと伸び、その瞳には、千の修羅場を越えてきた者だけが持つ、鋭い光と深い慈愛が同居していた。
彼は店の入り口に立つと、俺の姿を認めるなり、その場に深く、深く、頭を下げた。
「…あなたが、日向耕介殿ですな。お噂は、遠く、砂漠の果てまで届いておりますぞ」
男は、ザドックと名乗った。彼は、この大陸の南方に広がる広大な砂漠を旅する、巨大な商人キャラバンの総隊長なのだという。
俺は、長旅の労をねぎらい、彼を店の中へと招き入れた。一杯の、温かいハーブティーを差し出すと、彼は、その香りを深く吸い込み、ゆっくりと、その乾いた喉を潤した。レオも、この伝説的な商人の佇まいに、息を飲んで、話の成り行きを見守っている。
「…日向殿」
ザドックは、湯呑を置くと、静かに、しかし、その瞳に、切実な光を宿して、語り始めた。
「わしのキャラバンは今、分裂の危機に瀕している。利益を優先する若い者と、安全を第一とする我ら古参。旅の厳しさが、互いの心を、故郷の干し肉のように、固く、バラバラにしてしまった。このままでは、砂漠の 한복판で、犬死にすることになるだろう」
そして、彼は、俺の目を、じっと見つめた。
「なぜ、わしが見ず知らずの、異国の料理人である、あなたを頼って、ここまで来たのか。…それは、わし自身が、四十年前、一杯のスープに、命を、そして、魂を救われた男だからだ」
彼の口から語られたのは、壮絶な、そして、どこまでも温かい、魂の物語だった。
若き日の彼が率いたキャラバンが、仲間割れの果てに、凍てつく砂漠の夜、遭難しかけていたこと。誰もが諦めかけていたその時、一人の老いた羊飼いが、ただ黙って、ありったけの食材を放り込んだ、巨大な鉄鍋を火にかけたこと。
「…我らを救ったのは、伝説の冒険者でも、一攫千金の儲け話でもなかった。ただ、一杯の、温かいスープだったのだ」
彼の言葉を聞きながら、俺は、目の前の、この偉大な隊長の瞳の奥に、四十年前の、無力だった若者の姿を見ていた。そして、レオもまた、彼の話に、深く、心を揺さぶられているのが分かった。師である俺が、何度も、何度も、彼に説いてきた「食事が持つ、本当の力」の物語。その、生きた証が、今、目の前にいるのだ。
ザドックは、静かに、立ち上がった。そして、四十年前の、あの羊飼いがそうしたように、俺に、深く、頭を下げた。
「日向殿。わしは、あなたの噂を聞いた。料理で、ドワーフとエルフの心を繋ぎ、王都の王子を癒し、ゴブリンの里さえも救ったと。ならば、あなたなら、分かるはずだ。食事が持つ、この、言葉を超えた、絆を再生させる力のことを」
「どうか、この老いぼれの、最後の願いを聞き届けてはくれまいか」
「わしの、この、バラバラになったキャラバンを、もう一度、あの一杯のスープのように、温かい、一つの家族へと、戻してはくれまいか…」
その、魂からの願い。
俺に、断る理由など、あろうはずもなかった。
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*この作品は「カクヨム」様にも投稿しています。
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