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第73話 師なき厨房と、“故郷の味”の探求 (73-2)
しおりを挟む師である日向耕介が厨房を去った後、俺たち弟子を支配していたのは、途方もないほどの、重い、重い沈黙だった。乗り越えるべき、あまりにも高い壁。その、師の背中が消えた扉を、俺、レオは、ただ、呆然と見つめていた。
「…どうするんだ、レオ…」
若い弟子の一人が、不安げに声を震わせる。その声に、俺は、はっと我に返った。そうだ。俺は、もう、ただ師の指示を待つだけの、一番弟子ではない。この、迷える仲間たちを導く、指揮官なのだ。
「…やるぞ」
俺は、拳を固く握りしめ、仲間たちを鼓舞するように叫んだ。「師匠は、俺たちを信じてくださったんだ。ならば、俺たちは、その信頼に、最高の料理で応えるだけだ!」
その日から、俺たちの、産みの苦しみが始まった。
「俺たちの、港町の味とは、一体何なんだ?」
その、あまりにも根源的で、難しい問い。俺たちは、その答えを見つけるため、これまで師と共に旅してきた、全ての記憶を、調理台の上に広げた。
厨房は、魂のぶつかり合いだった。
「主菜は肉だ!
ドワーフの火の技術で、審査員の度肝を抜く!」
「待て!
我らの故郷は港町だぞ!
魚介を使わずしてどうする!
エルフのハーブこそが武器だ!」
「忘れたのか!?
砂漠のスパイスの複雑な香りを!」
皆が、それぞれの旅で得た、かけがえのない経験を誇らしげに語る。そのどれもが正しく、そして、どれもがバラバラだった。
「…全てだ」
俺は、静かに、しかし力強く言った。
「俺たちの答えは、その全てだ。ドワーフの火も、エルフのハーブも、砂漠のスパイスも、そして、この港町の海の幸も。その全てを、俺たちが、この厨房で、一つの皿の上で、調和させてみせる。それこそが、師匠が俺たちに託した、『俺たちだけの物語』じゃないのか!」
その、あまりにも大胆で無謀とも思える提案に、弟子たちは一瞬息を呑んだが、やがて、その瞳に一つの共通の炎が灯った。
何日もの試行錯誤の末、俺たちはついに一皿の試作品を完成させた。
彼らが作り上げた一皿は、**『大陸漫遊プレート』**とでも名付けるべき、野心作だった。皿の右側には、ドワーフの知恵で完璧に火入れされた、力強いローストポーク。左側には、エルフの哲学で調和させた、繊細なハーブサラダ。そして、その二つの大陸を分断する川のように、中央には、砂漠のスパイスを効かせた、濃厚なソースがかけられていた。一見、豪華絢爛。だが、その実態は、**力強い肉の味と、繊細なサラダの味が、互いの良さを殺し合い、ソースの強い香りが、その両方を無理やりねじ伏せているだけの、美しい不協和音**だった。
「…すごい…。これが、俺たちの力…!」
若い弟子たちが、その、自分たちが生み出した傑作を前に、感嘆の声を上げる。俺自身も、その完成度に、確かな手応えを感じていた。
だが、最高の審査員は、俺たちではなかった。
俺たちは、その自信作の一皿を、味見役のモグモグの前に、そっと差し出した。
「さあ、モグモグ。俺たちの、最高の料理だ。食べてみてくれ」
モグモグは、その素晴らしい香りに誘われて、くんくんと、皿の匂いを嗅いだ。そして、一切れ口に運ぶ…かと思われた、その瞬間。
彼の動きが、ぴたり、と止まった。
そして、ぷいっ、と、顔を背けたのだ。
一口も、食べずに。
彼は、俺たちの顔を順番にじっと見つめると、「きゅううん…」と、今まで聞いたことがないほど、悲しくて、寂しそうな声で、鳴いた。
その声は、何よりも雄弁に、俺たちに語りかけていた。
『これには、魂が、ないよ』と。
その、あまりにも純粋で残酷な審判。それは、どんな厳しい叱責よりも、俺たちの心を深く、深く、抉った。
俺たちは、ただ、技術を、知識を、寄せ集めただけだったのだ。そこに、この街の、俺たちの、本当の「心」は、どこにも存在していなかった。ドワーフの魂も、エルフの魂も、砂漠の魂も、全てが互いに主張しあい、ただの美しいだけの混沌となっている。
俺は、膝から崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。師から与えられた「自立」という課題の、本当の重さを。俺たちは、今、その、あまりにも高い壁の、ほんの一合目に立ったばかりだということを、思い知らされたのだ。
【作者より】
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