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第7話 香草と魚の協奏曲(コンチェルト)~疲れた心を癒す、一皿の処方箋~ (7-3)
しおりを挟む俺は完成した一皿をトレイに乗せ、バルトロメオの部屋の扉を、静かにノックした。
「……誰だ。言ったはずだぞ、食事は不要だと」
中から、不機嫌で、疲れきった声が返ってくる。
「日向と申します。今夜は、どうしてもあなたに味わっていただきたい一皿がございまして。お口に合わなければ、すぐに下げますので」
俺がそう言うと、しばらくの沈黙の後、扉がわずかに開いた。
その隙間から顔を覗かせたバルトロメオは、俺の持つ皿を一瞥すると、眉をひそめた。
「……魚か。ますます食欲が失せるな」
彼が扉を閉めようとした、その瞬間だった。
皿から立ち上る、あの鮮烈な香りが、彼の鼻腔をくすぐった。
「……!?」
バルトロメオの動きが、止まる。
ハーブの爽やかな香りと、果実の目が覚めるような芳香。その抗いがたい魅力に、彼の固く閉ざされていた食欲の扉が、ほんの少しだけ、軋みを立てて開き始めた。
「……中に入れ」
俺は静かに部屋へ入り、テーブルの上に、その一皿を置いた。
バルトロメオは、なおも疑いの目を向けながらも、席に着くと、フォークを手に取った。
彼は、億劫そうに魚の身をひとかけら、口に運んだ。
その刹那。
彼の瞳が、カッと見開かれた。
(な……なんだ、これは……!?)
口の中に広がるのは、衝撃的なほどの、爽やかさの洪水。
パリッと焼き上げられた皮の香ばしさ。ふっくらと、絹のようになめらかな白身の優しい甘み。
そして、それら全てをまとめ上げ、高みへと昇華させているのが、ハーブと果実のソースだった。
一口食べただけで、頭にかかっていた霧が、さあっと晴れていくような感覚。長年の疲労とストレスで錆びついていた五感が、強制的に叩き起こされる。
「……うまい……」
ぽつりと漏れた呟き。
次の瞬間、彼は、我を忘れたように、夢中で魚を口に運び始めた。
止まらなかった食欲が、まるで堰を切ったように溢れ出してくる。
やがて、皿の上が綺麗になった頃。
バルトロメオは、フォークを置くと、大きなため息をついた。だが、それはいつものような、疲労のため息ではなかった。
心の底からの、満足と安らぎのため息だった。
「……不思議な料理だ」
彼は、穏やかな顔で、俺に言った。
「この数ヶ月、何を食べても砂を噛むようだった。仕事の重圧で、食事の楽しみ方など、とうに忘れていた。……だが、今、腹の底から、力が湧いてくるのを感じる」
彼は、テーブルの上の書類に目をやった。その顔には、もう悩みや不安の色はなかった。
「……ありがとう。おかげで、この難局を乗り越える、良いアイデアが浮かびそうだ」
その夜、バルトロメオは、久しぶりにぐっすりと眠ることができた。
そして翌朝、彼は自ら食堂に足を運ぶと、こう注文したという。
「日向殿。今日も、君の『処方箋』を、一皿もらえないだろうか」
食は、時に薬となる。
一人の料理人が作った、香りの協奏曲は、疲れきった商人の心と体を、見事に癒したのであった。
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