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第7話 幕間・商人の一夜
しおりを挟む夜。
「木漏れ日の食卓亭」の一室で、私、バルトロメオは、机の上に広げられた羊皮紙の山を眺めていた。
数時間前まで、この紙の山は、私の頭を締め付ける鉄の枷(かせ)でしかなかった。複雑に絡み合った数字と契約条項は、まるで出口のない迷宮のように思えた。
だが、今は違う。
あれほど混沌として見えた問題の、その中心を貫く一本の「答え」が、なぜか、はっきりと見えている。
(……不思議なこともあるものだ)
私は、空になった皿に目をやった。
そこには、あの若き料理人――日向耕介殿が作った、香草と魚の料理のソースが、わずかに残っている。
あの鮮烈な香りが、まだ鼻腔に残っているようだった。
この数ヶ月というもの、私は仕事の重圧で、食事の味など全く分からなくなっていた。
首都の高級料理店で、金貨を何枚も積んで出される豪華な食事でさえ、まるで砂を噛むようだった。食欲など、とうの昔に忘れてしまった感情。食事は、ただ生命を維持するためだけの、苦痛な作業でしかなかった。
だから、あの料理人が部屋を訪ねてきた時も、最初は追い返すつもりだった。
だが、扉の隙間から流れ込んできた、あの香り。
ハーブの爽やかさと、果実の目が覚めるような芳香。それは、私の分厚い疲労の鎧をいともたやすく貫き、脳の奥深くで眠っていた「食欲」という名の本能を、強制的に叩き起こした。
一口食べた瞬間、衝撃が走った。
ただ美味い、という言葉では足りない。
パリッとした皮、ふっくらとした身、そして、味覚と嗅覚を同時に祝福するようなソースの協奏曲(コンチェルト)。
その一皿は、私の心と体に溜まっていた澱(おり)を、美しい洪水のように洗い流していった。
そして、気づいたのだ。
頭を悩ませていた交易路の問題。その解決策は、複雑な計算の中にあるのではなかった。
あの料理のように、**「最高の素材(主力商品)の良さを、他の要素(販路や宣伝)が殺さず、最大限に引き立てる」**という、ごくごく単純な発想の転換にあったのだと。
あの青年は、ただの料理人ではない。
彼は、物事の本質を見抜き、最高の「調和」を生み出す術を知っている。
彼が作ったのは、単なる魚料理ではない。私の心と頭脳のために、完璧に調合された一皿の**『処方箋』**だったのだ。
私は、羊皮紙を片付けると、ベッドに横になった。
いつもなら、ここから朝まで仕事のことを考え続け、浅い眠りしかできないはずだった。
だが、今夜は違う。
腹の底に残る満足感と、鼻腔をくすぐる爽やかな香りの記憶が、私を穏やかな眠りへと誘ってくれる。
(……明日、起きたら)
まずは、あの日向殿に、心からの礼を言おう。
そして、もう一度、彼の『処方箋』を頼むとしようか。
今度は、あの活気あふれる食堂のテーブルで。
そういえば、あの宿屋の看板は、『木漏れ日の食卓亭』と言ったか。
なるほど、うまい名前をつけたものだ。
今の私には、その意味が、よく分かる。
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