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第8話 美食の女王と、思い出のプリン (8-1)
しおりを挟むその日、「木漏れ日の食卓亭」の扉が、まるで凍てつくような冷気を伴って開かれた。
入ってきたのは、絹のドレスに身を包んだ、銀髪の美しい女性。その背後には、いかにも高価そうな剣を下げた護衛の騎士が二人、控えている。
彼女が歩を進めるたびに、食堂の温かく賑やかだった空気が、水を打ったように静まり返っていく。
「ここが、例の宿屋……? 思っていたよりも、ずいぶんと……そう、庶民的ですのね」
女性は、扇で口元を隠しながら、店の中を値踏みするように見回した。その瞳には、好奇心ではなく、退屈と、ほんの少しの侮蔑の色が浮かんでいる。
「い、いらっしゃいませ……!」
リリィアが緊張した面持ちで駆け寄る。
「あなたが、ここの料理人かしら?」
女性はリリィアを無視し、厨房から顔を出した俺に、まっすぐに視線を向けた。
「私が、『美食の女王』エレオノーラ・フォン・クライスハルトよ。あなたの噂、首都にまで届いておりますわ」
エレオノーラと名乗った女伯爵は、扇を閉じ、挑戦的な笑みを浮かべた。
「聞けば、どんな者の舌をも唸らせる、奇跡の料理を作るそうじゃない。面白いわ。私は、この世のあらゆる珍味・高級食材を食べ尽くしてきた。もはや、私の心を動かす味など、この世には存在しないと思っていたけれど」
彼女は、一歩、俺に近づく。
「もし、本当にあなたに腕があるというのなら、証明して見せなさい。この私を、心の底から『美味しい』と言わせる一皿を。もちろん、私が今まで一度も食べたことのないような、驚きに満ちた料理で、ね」
それは、あまりにも傲慢で、しかし絶対的な自信に裏打ちされた挑戦状だった。
リリィアが息を呑み、食堂にいた常連客たちも、固唾を飲んで俺たちのやり取りを見守っている。
(……なるほどな)
俺は、エレオノーラの瞳の奥にある、深い孤独と渇望を見抜いていた。
彼女は、最高の食材、最高の料理を食べ尽くした果てに、食事の「喜び」そのものを見失ってしまったんだ。彼女が求めているのは、未知の味じゃない。忘れてしまったはずの、純粋な感動だ。
ならば、俺が出すべき一皿は、一つしかない。
「承知いたしました、エレオノーラ様。ですが、一つだけよろしいでしょうか」
「何かしら」
「私が作る料理は、この世で最もシンプルで、ありふれた食材だけで作られています。それでも、よろしいですか?」
俺の言葉に、エレオノーラは一瞬、虚を突かれたような顔をした後、くすりと笑った。
「面白い男。いいわ、あなたのその度胸、買いましょう。存分に、足掻いてみなさいな」
エレオノーラが護衛と共に特別室へと消えた後、リリィアが駆け寄ってきた。
「日向さん! どうするの!? あんな人に、ありふれた食材って……!」
俺は、心配するリリィアの頭を優しく撫でた。
「大丈夫だ。リリィアちゃん、これから作る『プリン』というお菓子の話をしてあげよう」
「ぷりん?」
「ああ。卵と牛乳、そして砂糖。たったそれだけで作る、素朴なお菓子だ。だがね、この料理のルーツは、古代ローマ時代にまで遡る、とてつもなく歴史の古いものなんだ」
「こだい……ろーま?」
「そう。当時の貴族たちも、卵を使ったカスタード料理を愛していた。つまりプリンは、庶民のおやつなんかじゃない。何千年もの間、時の権力者たちの舌を満足させてきた、由緒正しい『高貴な料理』の末裔なんだよ」
俺は、厨房の棚に並んだ、何の変哲もない卵と牛乳を指差す。
「エレオノーラ様は、珍しい食材ばかりを追いかけて、一番大切なことを見失っている。それは、**『最高の料理とは、最高の素材から生まれる』**という真実だ。珍しいとか、高価だとか、そんなものは関係ない。目の前にある、この卵や牛乳が持つ本来の力を、100%引き出してあげること。それこそが、料理人の本当の仕事なんだ。プリンほど、その腕が試される料理はない」
俺の説明に、リリィアはごくりと喉を鳴らした。
「モグモグ、出番だぞ!」
俺が声をかけると、モグモグが真剣な顔で俺の足元に駆け寄ってきた。
「今回は、史上最高のミッションだ。この世界のどこかにいるという、伝説の鳥『太陽鶏(たいようどり)』の卵を探してきてほしい。その卵は、太陽の光を浴びて、幸せな記憶だけを食べて育つと言われている。それさえあれば、俺のプリンは完成する」
「きゅいいいん!」
モグモグは、これまでにないほど力強く鳴くと、一陣の風となって宿屋を飛び出していった。
最強の挑戦者を前に、俺たちの最強のチームが、今、動き出す。
目指すは、美食の女王の心を溶かす、究極の一皿だ。
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