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第12話 頑固な学者と、記憶を呼び覚ますリゾット (12-3)
しおりを挟む米がアルデンテに仕上がった、その瞬間。
俺は火から鍋を下ろし、たっぷりの粉チーズと、炒めた『賢者の目覚め』、そしてバターを加えて、素早く全体を混ぜ合わせた。
米と、チーズと、バターが乳化し、とろりとした、完璧なクリーム状になる。
深皿に、出来立てのリゾットを盛り付け、黒コショウをひと振りして、完成だ。
見た目は、驚くほどにシンプル。
だが、その一皿からは、知識の森のように深く、そして、慈愛に満ちた、優しい香りが立ち上っていた。
俺とリリィアは、その一皿を手に、エルドリン教授の屋敷へと向かった。
分厚い木の扉をノックするが、返事はない。
「教授! リリィアです! 日向さんが、教授のために、美味しいご飯を作ってきてくれました!」
リリィアが、扉に向かって呼びかける。
それでも、中からは何の反応もない。
俺たちは、諦めずに、何度も、何度も、呼びかけ続けた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
諦めて帰ろうとした、その時。
ギィ……と、錆び付いた蝶番(ちょうつがい)が軋むような音を立てて、扉が、ほんの少しだけ開いた。
隙間から、やつれた顔のエルドリン教授が、こちらを睨みつけていた。
「……何の用だ。わしは、誰とも会う気はないと、言ったはずだぞ」
その声は、ひどくかすれて、弱々しかった。
「教授、お願い。一口だけでいいの。これだけ、食べてみて」
リリィアが、涙ながらに懇願する。
俺は、無言で、リゾットの皿を、彼の目の前に差し出した。
扉の隙間から、リゾットの温かい湯気と、キノコの知的な香りが、部屋の中へと流れ込んでいく。
教授の鼻が、ぴくりと動いた。
その瞳が、ほんのわずかに、揺らぐ。
長年、知識の探求に費やしてきた彼の脳が、あの『賢者の目覚め』の香りに、抗うことはできなかった。
「……入れ」
ぽつりと、彼が呟いた。
屋敷の中は、分厚いカーテンが閉められ、昼間なのに薄暗く、時間が止まったかのように、空気が淀んでいた。
俺は、書物が山と積まれたテーブルの上に、リゾットの皿を置いた。
教授は、ゆっくりと椅子に腰掛けると、疑いの目を向けながらも、スプーンを手に取った。
そして、億劫そうに、リゾットを一口、口に運んだ。
その刹那。
彼の、全てを諦めきっていたような瞳が、カッと見開かれた。
(な……なんだ、これは……!?)
口の中に広がるのは、米の優しい甘みと、スープの深いコク。そして、キノコが放つ、森の賢者のような、清冽な香り。
一口、また一口と食べるごとに、淀んでいた頭の中に、澄み切った光が差し込んでくるような感覚。忘れていたはずの、知への探求心が、体の奥底から、むくむくと湧き上がってくる。
「……うまい……」
ぽつりと漏れた呟き。
次の瞬間、彼は、我を忘れたように、夢中でリゾットを口に運び始めた。
それは、空腹を満たすための食事ではなかった。
消えかけていた、自らの情熱の炎に、再び薪をくべるための、神聖な儀式のようだった。
やがて、皿の上が綺麗になった頃。
エルドリン教授は、スプーンを置くと、大きな、大きなため息をついた。
それは、長年、彼を縛り付けていた重い枷が、外れた瞬間の、解放のため息だった。
「……わしは、間違っていたようだ」
彼は、穏やかな顔で、俺たちに言った。
「知識とは、ひけらかすものでも、押し付けるものでもない。ただ、こうして、根気よく、相手が受け取ってくれるのを待ち続ける……。そんな、温かいものだったのかもしれんな」
彼は、ゆっくりと立ち上がると、分厚いカーテンを、勢いよく開いた。
部屋の中に、眩しいほどの、午後の光が差し込んでくる。
「……ありがとう、日向殿。そして、リリィア。おかげで、わしは、もう一度、ペンを握る勇気が湧いてきたよ」
その夜、エルドリン教授の屋敷には、何ヶ月ぶりかに、温かい灯りが灯った。
そして翌日、街の図書館の扉は、再び、子供たちの明るい声を迎え入れるために、ゆっくりと、しかし、確かに開かれたという。
食は、時に、消えかけた情熱の炎を、再び燃え上がらせる。
一人の料理人が、根気と愛情で作り上げた一皿は、一人の老学者の心を、見事に再生させたのだった。
◼️◼️◼️◼️◼️
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