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第1章 久遠村の胎動
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1. 「黄昏の探究者」の出発
湿った初夏の空気は、アスファルトの熱を吸収しきれず、揺らめく陽炎となって車窓の外に張り付いていた。オンボロのワンボックスカー「黄昏号」の車内は、クーラーの効きが悪いのと、積み込まれた大量の機材(三脚、ハンディカム、各種計測器)のせいで、熱気と高揚感が混ざり合っていた。
運転席でハンドルを握るのは、心霊サークル「黄昏の探究者」のリーダー、アサヒだ。彼の名は朝日だが、その性格は徹底した合理主義と懐疑精神でできている。
「幽霊の存在は信じない。だが、未解明の超常現象は解明したい」という、矛盾した探究心が彼の原動力だった。
「おーい、ユキ!本当にここから先、道あんのかよ?」
助手席に座るアサヒの横から、後部座席のタケシが身を乗り出した。サークルのムードメーカー兼、心霊探訪の記録係だ。普段は軽薄だが、こういう場で冗談を言って場の緊張を和ませる役割を自覚している。タケシは、このサークルの中で唯一、心霊現象をエンタメとして楽しんでいる節があった。
「タケシ、地図をよく見て。ここから先は『林道』ではなく『獣道』に近い。ユキが見つけてきた情報によれば、この先に『久遠村(くおんむら)』がある。地図にも載らない、ガチの消滅集落だ」
ユキは、いつも分厚い資料の束に囲まれている、サークルの文献担当だ。その名の通り、雪のように色白で、知性的なレンズの奥で目が鋭く光っている。彼女がネットのディープな掲示板や古地図から廃村の情報を掘り出すと、その信憑性は極めて高い。
「アサヒの言う通りよ。ここは戦後すぐに廃村になった記録があるけど、具体的な場所が特定されず、地籍からも消えた。『久遠村』—…名前からして、何か特別な信仰を持っていた可能性が高いわ」
後部座席の中央で、静かに窓の外の鬱蒼とした森を見つめていたのが、カオリだった。カオリはサークルの紅一点で、霊的な感受性が強い。彼女にとって、心霊探訪は「解明」ではなく「交感」の行為に近い。
「ねぇ、アサヒ。この道、少し息苦しい。村に入る前から、誰かに、歓迎されているような気がする」
カオリの声は、他の三人の議論とは異質な、湿ったトーンを帯びていた。アサヒはバックミラー越しにカオリの不安そうな表情を見て、少し速度を緩めた。
「カオリ、気のせいだ。ただの山道だ。酸素濃度が薄いだけだろう。だが、もし何か感じたらすぐに言えよ。それが俺たちの最大のセンサーだ」
アサヒはそう言いながら、カオリの不安を打ち消そうとした。彼の理論は、カオリが感じる異様な感覚を、論理的な理由で否定することで、彼女の身を守ることだった。
2. 久遠村の鳥居
悪路を進むこと数十分、木々がわずかに途切れた先に、苔むした古い鳥居が立っていた。しかし、その姿は異様だった。
鳥居を支える柱や笠木は風化しているのに、鳥居の真ん中を横切る注連縄(しめなわ)だけが、まるで昨日取り替えられたかのように、まだ真新しい稲の香りを漂わせていた。
「なんだこれ?誰か管理してるのか?」
タケシが戸惑いの声を上げた。
「ありえないわ。消滅集落よ。仮に近くに集落があったとしても、こんな奥地まで来て管理する意味がない」
ユキが資料と現場を照らし合わせ、首を振る。
アサヒは車を止め、鳥居の前で一度深呼吸をした。そこから先は、彼らが「黄昏の探究者」として踏み入れるべき異界の入り口だと直感した。
「よし、機材を下ろすぞ。ユキ、お前が残したネット情報には、この村がどんな神を祀っていたか書かれていたか?」
「曖昧にしか書かれてないわ。ただ、『この村の神は、結びつきを求める』という記述だけが何度も出てきた」
アサヒは小型のハンディカムを手にし、最初の記録を開始した。
「心霊サークル『黄昏の探究者』、久遠村探訪、開始。現在時刻、十時四十分。天候は晴れ。特筆すべき点として、廃村の入り口にある鳥居の注連縄が極めて新しいことを確認。…さあ、行くぞ」
3. 異様な静寂と最初の発見
鳥居をくぐり、徒歩で村の跡地へ入ると、すぐに空気が一変した。
それは単に湿度が上がるという物理的な変化ではなかった。音、光、そして時間の流れまでもが、外の世界と断絶されたような感覚。
鳥の鳴き声がしない。
通常、どんなに奥深い山中でも聞こえるはずの、自然の営みの音が、久遠村には全くなかった。まるで、村全体が巨大な防音ガラスのドームに閉じ込められているかのようだった。
「静かすぎる……」
タケシが小声で呟いた。彼の声が、逆に静寂を際立たせる。
その時、カチッという小さな金属音が響いた。タケシが左手首を見て、顔を顰める。
「え、うそだろ?俺の時計、止まった。時間、合わせといたばっかりなのに」
彼のデジタル腕時計の画面は、不規則な記号を表示した後、完全に沈黙していた。アサヒは自身の時計を確認する。彼のものは無事だったが、このタイミングの故障は不吉だった。
最初に発見したのは、村の最も外れにあった、今にも崩れそうな廃屋だった。
「ここから入ってみるわ」
ユキが冷静に先導する。
廃屋の内部は、長年の雨風と湿気で荒れ果てていた。埃とカビの臭いの中、一行は小さな六畳ほどの部屋に足を踏み入れた。
そこで、ユキが壁の一部を指差した。
「アサヒ、これを見て」
壁紙が剥がれ落ちた土壁の一部に、炭のようなもので描かれた幾何学模様があった。それは円や三角形が規則正しく組み合わされているが、その中心には、まるで螺旋を描くかのように、奇妙によじれた線の束が描かれていた。
「なんだ、このマークは……」
「特定の宗派のシンボルではないわね。だが、これは間違いなく宗教的な意味を持つ図だ。集落の人間が、魔除けか、信仰の対象として描いたものよ」
さらに、部屋の隅の木箱の中には、何十年もの時を経て茶色く変色した和紙の束が見つかった。古い巻物のような形で、墨で文字が書き連ねられている。
アサヒは巻物を慎重に広げ、タケシがライトで照らした。記されているのは、日本の古い文字のようだが、文法や言葉の繋ぎ方が異様に捻じ曲がっていた。しかし、一部だけはっきりとした単語が繰り返されていた。
ムスビ、ムスビ、ムスビ……
久遠の叡智は、ムスビの果てにあり
外のモノは、内とムスバれるべし
カオリは、この文字をじっと見つめ、何かを読み取ろうとしていた。彼女の瞳には、すでに久遠村の持つ狂気の片鱗が映り始めているようだった。
「『ムスビ』……ね」アサヒは巻物を巻き直し、リュックにしまった。探究心を刺激された彼は、この村の宗教的背景を探るという目的に、強く引き込まれていた。
「よし、拠点とする集会所を探す。この村の秘密は、この『ムスビの教え』にあるはずだ。手掛かりは、きっとまだある」
彼らの足取りは、探究心と好奇心に駆り立てられ、さらに村の奥へと進んでいった。誰も、この村に入った瞬間から、自分たちはすでに、逃げられない「儀式」の舞台に上がっていたことに気づいていなかった。
湿った初夏の空気は、アスファルトの熱を吸収しきれず、揺らめく陽炎となって車窓の外に張り付いていた。オンボロのワンボックスカー「黄昏号」の車内は、クーラーの効きが悪いのと、積み込まれた大量の機材(三脚、ハンディカム、各種計測器)のせいで、熱気と高揚感が混ざり合っていた。
運転席でハンドルを握るのは、心霊サークル「黄昏の探究者」のリーダー、アサヒだ。彼の名は朝日だが、その性格は徹底した合理主義と懐疑精神でできている。
「幽霊の存在は信じない。だが、未解明の超常現象は解明したい」という、矛盾した探究心が彼の原動力だった。
「おーい、ユキ!本当にここから先、道あんのかよ?」
助手席に座るアサヒの横から、後部座席のタケシが身を乗り出した。サークルのムードメーカー兼、心霊探訪の記録係だ。普段は軽薄だが、こういう場で冗談を言って場の緊張を和ませる役割を自覚している。タケシは、このサークルの中で唯一、心霊現象をエンタメとして楽しんでいる節があった。
「タケシ、地図をよく見て。ここから先は『林道』ではなく『獣道』に近い。ユキが見つけてきた情報によれば、この先に『久遠村(くおんむら)』がある。地図にも載らない、ガチの消滅集落だ」
ユキは、いつも分厚い資料の束に囲まれている、サークルの文献担当だ。その名の通り、雪のように色白で、知性的なレンズの奥で目が鋭く光っている。彼女がネットのディープな掲示板や古地図から廃村の情報を掘り出すと、その信憑性は極めて高い。
「アサヒの言う通りよ。ここは戦後すぐに廃村になった記録があるけど、具体的な場所が特定されず、地籍からも消えた。『久遠村』—…名前からして、何か特別な信仰を持っていた可能性が高いわ」
後部座席の中央で、静かに窓の外の鬱蒼とした森を見つめていたのが、カオリだった。カオリはサークルの紅一点で、霊的な感受性が強い。彼女にとって、心霊探訪は「解明」ではなく「交感」の行為に近い。
「ねぇ、アサヒ。この道、少し息苦しい。村に入る前から、誰かに、歓迎されているような気がする」
カオリの声は、他の三人の議論とは異質な、湿ったトーンを帯びていた。アサヒはバックミラー越しにカオリの不安そうな表情を見て、少し速度を緩めた。
「カオリ、気のせいだ。ただの山道だ。酸素濃度が薄いだけだろう。だが、もし何か感じたらすぐに言えよ。それが俺たちの最大のセンサーだ」
アサヒはそう言いながら、カオリの不安を打ち消そうとした。彼の理論は、カオリが感じる異様な感覚を、論理的な理由で否定することで、彼女の身を守ることだった。
2. 久遠村の鳥居
悪路を進むこと数十分、木々がわずかに途切れた先に、苔むした古い鳥居が立っていた。しかし、その姿は異様だった。
鳥居を支える柱や笠木は風化しているのに、鳥居の真ん中を横切る注連縄(しめなわ)だけが、まるで昨日取り替えられたかのように、まだ真新しい稲の香りを漂わせていた。
「なんだこれ?誰か管理してるのか?」
タケシが戸惑いの声を上げた。
「ありえないわ。消滅集落よ。仮に近くに集落があったとしても、こんな奥地まで来て管理する意味がない」
ユキが資料と現場を照らし合わせ、首を振る。
アサヒは車を止め、鳥居の前で一度深呼吸をした。そこから先は、彼らが「黄昏の探究者」として踏み入れるべき異界の入り口だと直感した。
「よし、機材を下ろすぞ。ユキ、お前が残したネット情報には、この村がどんな神を祀っていたか書かれていたか?」
「曖昧にしか書かれてないわ。ただ、『この村の神は、結びつきを求める』という記述だけが何度も出てきた」
アサヒは小型のハンディカムを手にし、最初の記録を開始した。
「心霊サークル『黄昏の探究者』、久遠村探訪、開始。現在時刻、十時四十分。天候は晴れ。特筆すべき点として、廃村の入り口にある鳥居の注連縄が極めて新しいことを確認。…さあ、行くぞ」
3. 異様な静寂と最初の発見
鳥居をくぐり、徒歩で村の跡地へ入ると、すぐに空気が一変した。
それは単に湿度が上がるという物理的な変化ではなかった。音、光、そして時間の流れまでもが、外の世界と断絶されたような感覚。
鳥の鳴き声がしない。
通常、どんなに奥深い山中でも聞こえるはずの、自然の営みの音が、久遠村には全くなかった。まるで、村全体が巨大な防音ガラスのドームに閉じ込められているかのようだった。
「静かすぎる……」
タケシが小声で呟いた。彼の声が、逆に静寂を際立たせる。
その時、カチッという小さな金属音が響いた。タケシが左手首を見て、顔を顰める。
「え、うそだろ?俺の時計、止まった。時間、合わせといたばっかりなのに」
彼のデジタル腕時計の画面は、不規則な記号を表示した後、完全に沈黙していた。アサヒは自身の時計を確認する。彼のものは無事だったが、このタイミングの故障は不吉だった。
最初に発見したのは、村の最も外れにあった、今にも崩れそうな廃屋だった。
「ここから入ってみるわ」
ユキが冷静に先導する。
廃屋の内部は、長年の雨風と湿気で荒れ果てていた。埃とカビの臭いの中、一行は小さな六畳ほどの部屋に足を踏み入れた。
そこで、ユキが壁の一部を指差した。
「アサヒ、これを見て」
壁紙が剥がれ落ちた土壁の一部に、炭のようなもので描かれた幾何学模様があった。それは円や三角形が規則正しく組み合わされているが、その中心には、まるで螺旋を描くかのように、奇妙によじれた線の束が描かれていた。
「なんだ、このマークは……」
「特定の宗派のシンボルではないわね。だが、これは間違いなく宗教的な意味を持つ図だ。集落の人間が、魔除けか、信仰の対象として描いたものよ」
さらに、部屋の隅の木箱の中には、何十年もの時を経て茶色く変色した和紙の束が見つかった。古い巻物のような形で、墨で文字が書き連ねられている。
アサヒは巻物を慎重に広げ、タケシがライトで照らした。記されているのは、日本の古い文字のようだが、文法や言葉の繋ぎ方が異様に捻じ曲がっていた。しかし、一部だけはっきりとした単語が繰り返されていた。
ムスビ、ムスビ、ムスビ……
久遠の叡智は、ムスビの果てにあり
外のモノは、内とムスバれるべし
カオリは、この文字をじっと見つめ、何かを読み取ろうとしていた。彼女の瞳には、すでに久遠村の持つ狂気の片鱗が映り始めているようだった。
「『ムスビ』……ね」アサヒは巻物を巻き直し、リュックにしまった。探究心を刺激された彼は、この村の宗教的背景を探るという目的に、強く引き込まれていた。
「よし、拠点とする集会所を探す。この村の秘密は、この『ムスビの教え』にあるはずだ。手掛かりは、きっとまだある」
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