4 / 4
エピローグ:終わらない結び目
しおりを挟む
1. 砕かれた日常
久遠村からの生還から、一ヶ月が過ぎた。
世間的には「登山中の大学生グループが遭難し、集団ヒステリーを起こした」という些細なニュースとして処理され、すぐに忘れ去られた。
しかし、サークル「黄昏の探究者」の日常が元に戻ることはなかった。
アサヒは大学の講義にも身が入らず、自室に引きこもりがちになっていた。目を閉じれば、あの村の湿った空気と、サキの「次は、あなたの番よ」という囁きが脳裏に蘇る。
(あれは幻覚だったのか? だとしたら、なぜ今もあの泥の臭いが鼻を突くんだ?)
アサヒは、自室の机に置かれた小さなジップ袋を見つめた。中には、あの日、自分の靴にこびりついていた「村の土」が入っている。警察は鼻で笑ったが、その土は今も、不気味なほど黒く、生きているかのように湿り気を帯びていた。
2. 浸食される仲間たち
最初に「変化」が訪れたのは、ユキだった。
彼女は「調査資料の整理」と称して、村から持ち出したあの巻物や手記を片時も離さなくなった。
ある日、アサヒが彼女の研究室を訪ねると、そこは異様な光景に変わっていた。
壁一面に、村で見つけたあの幾何学模様が、赤いマジックで執拗に書き殴られている。中央のデスクで、ユキは虚ろな笑みを浮かべながらパソコンのキーボードを叩いていた。
「アサヒ……見て。この模様の計算式を解いたの。これは地図じゃない。『魂の結び方』の設計図だったのよ」
彼女の画面には、久遠村の情報を拡散する匿名掲示板のスレッドが並んでいた。彼女は村の「教え」を現代的な言葉に翻訳し、それを「救済」としてネットの深淵に流し込み続けていたのだ。
「ユキ、もうやめろ! あの村はもうないんだ!」
「ない? 違うわ、アサヒ。村は今、ここ(ネット)を通じて、世界中に結び目を作っているのよ」
ユキの瞳は、あのリョウと同じような、無機質な鋭さを宿していた。
次に連絡が途絶えたのは、タケシだった。
彼はある日突然、大学に退学届を出し、アパートを引き払った。アサヒが最後に受け取ったのは、差出人不明の封筒に入った一枚の写真だった。
そこには、上半身裸のタケシが写っていた。彼の胸元には、ナイフで自ら刻んだと思われる、あの螺旋状の紋章が痛々しく赤く腫れ上がっている。写真の裏には、ただ一言、震える文字で書かれていた。
『俺は、もう結ばれた。』
3. 沼の底の微笑み
アサヒは、最後に残った希望を求めて、カオリの元を訪ねた。
彼女だけは、あの日自分を頼ってくれた彼女だけは、正気でいてほしかった。
カオリのワンルームマンションのドアは、鍵がかかっていなかった。
「カオリ……? 入るぞ」
部屋の中は、驚くほど静かだった。カーテンが締め切られ、わずかな隙間から差し込む光が、部屋の中央に座るカオリを照らしていた。
彼女は、粘土をこねていた。
机の上には、あの地下室で見つけたものと瓜二つの、「目鼻立ちのない、ねじれた木像」が何体も並んでいる。
「カオリ、何をしてるんだ……」
アサヒの声が震える。カオリはゆっくりと顔を上げた。その表情は、かつての彼女からは想像もできないほど、穏やかで、満ち足りたものだった。
「アサヒくん。私ね、ずっと怖かった。自分が自分であること、誰とも繋がれないことが、ずっと寂しかったの」
彼女は、作りかけの木像の胴体をグニャリとねじ曲げた。
「でも、あの日、村が教えてくれた。形を捨てて、ねじれて、溶け合えば、もう寂しくないんだって」
カオリは立ち上がり、アサヒの頬に手を触れた。その指先は、あの日、村の洞窟で感じたのと同じ、氷のような冷たさだった。
「アサヒくんも、こっちへおいで。あの村は、消えたんじゃないわ。私たちの内側で、完成されるのを待っているの」
彼女の背後の棚には、アサヒが捨てたはずの、村で見つけたあの「逆結びの御札」が、バラバラに破かれ、逆に並べ替えられて貼られていた。
4. 結び目の完成
アサヒは逃げるようにカオリの部屋を飛び出し、夜の街を走った。
だが、どこへ行っても、逃げ場はないように感じられた。
街ゆく人々の背中に、ビルの窓に反射する光に、あの幾何学模様が見える気がした。
アサヒは自宅に戻り、洗面所の鏡の前に立った。
激しい動悸の中で、彼は自分の顔を凝視した。
「俺は、俺だ……。あんな村、もう存在しない……」
そう自分に言い聞かせ、鏡の中の自分の瞳を見た、その時。
鏡の中の自分の瞳の奥に、小さな、小さな螺旋状の光が宿っているのが見えた。
アサヒは悲鳴を上げようとした。しかし、口から出たのは言葉ではなく、カチッ、カチッ、という、あの止まったはずの時計が刻むような、乾いた音だった。
彼は、自分の意思とは無関係に、手が動くのを感じた。
机の上に置いてあった「村の土」の袋を開け、その土を口に含んだ。
湿った泥の味が、全身を駆け巡る。
「ああ……」
アサヒは、不気味な恍惚感の中で崩れ落ちた。
彼の身体は、鏡の中でゆっくりと、不自然な方向へとねじれ始めていた。
暗い部屋の中に、四人の笑い声が重なって聞こえた気がした。
久遠村は、消えてなどいない。
彼らという「結び目」を通じて、今、この現実へと溢れ出そうとしていた。
(完)
久遠村からの生還から、一ヶ月が過ぎた。
世間的には「登山中の大学生グループが遭難し、集団ヒステリーを起こした」という些細なニュースとして処理され、すぐに忘れ去られた。
しかし、サークル「黄昏の探究者」の日常が元に戻ることはなかった。
アサヒは大学の講義にも身が入らず、自室に引きこもりがちになっていた。目を閉じれば、あの村の湿った空気と、サキの「次は、あなたの番よ」という囁きが脳裏に蘇る。
(あれは幻覚だったのか? だとしたら、なぜ今もあの泥の臭いが鼻を突くんだ?)
アサヒは、自室の机に置かれた小さなジップ袋を見つめた。中には、あの日、自分の靴にこびりついていた「村の土」が入っている。警察は鼻で笑ったが、その土は今も、不気味なほど黒く、生きているかのように湿り気を帯びていた。
2. 浸食される仲間たち
最初に「変化」が訪れたのは、ユキだった。
彼女は「調査資料の整理」と称して、村から持ち出したあの巻物や手記を片時も離さなくなった。
ある日、アサヒが彼女の研究室を訪ねると、そこは異様な光景に変わっていた。
壁一面に、村で見つけたあの幾何学模様が、赤いマジックで執拗に書き殴られている。中央のデスクで、ユキは虚ろな笑みを浮かべながらパソコンのキーボードを叩いていた。
「アサヒ……見て。この模様の計算式を解いたの。これは地図じゃない。『魂の結び方』の設計図だったのよ」
彼女の画面には、久遠村の情報を拡散する匿名掲示板のスレッドが並んでいた。彼女は村の「教え」を現代的な言葉に翻訳し、それを「救済」としてネットの深淵に流し込み続けていたのだ。
「ユキ、もうやめろ! あの村はもうないんだ!」
「ない? 違うわ、アサヒ。村は今、ここ(ネット)を通じて、世界中に結び目を作っているのよ」
ユキの瞳は、あのリョウと同じような、無機質な鋭さを宿していた。
次に連絡が途絶えたのは、タケシだった。
彼はある日突然、大学に退学届を出し、アパートを引き払った。アサヒが最後に受け取ったのは、差出人不明の封筒に入った一枚の写真だった。
そこには、上半身裸のタケシが写っていた。彼の胸元には、ナイフで自ら刻んだと思われる、あの螺旋状の紋章が痛々しく赤く腫れ上がっている。写真の裏には、ただ一言、震える文字で書かれていた。
『俺は、もう結ばれた。』
3. 沼の底の微笑み
アサヒは、最後に残った希望を求めて、カオリの元を訪ねた。
彼女だけは、あの日自分を頼ってくれた彼女だけは、正気でいてほしかった。
カオリのワンルームマンションのドアは、鍵がかかっていなかった。
「カオリ……? 入るぞ」
部屋の中は、驚くほど静かだった。カーテンが締め切られ、わずかな隙間から差し込む光が、部屋の中央に座るカオリを照らしていた。
彼女は、粘土をこねていた。
机の上には、あの地下室で見つけたものと瓜二つの、「目鼻立ちのない、ねじれた木像」が何体も並んでいる。
「カオリ、何をしてるんだ……」
アサヒの声が震える。カオリはゆっくりと顔を上げた。その表情は、かつての彼女からは想像もできないほど、穏やかで、満ち足りたものだった。
「アサヒくん。私ね、ずっと怖かった。自分が自分であること、誰とも繋がれないことが、ずっと寂しかったの」
彼女は、作りかけの木像の胴体をグニャリとねじ曲げた。
「でも、あの日、村が教えてくれた。形を捨てて、ねじれて、溶け合えば、もう寂しくないんだって」
カオリは立ち上がり、アサヒの頬に手を触れた。その指先は、あの日、村の洞窟で感じたのと同じ、氷のような冷たさだった。
「アサヒくんも、こっちへおいで。あの村は、消えたんじゃないわ。私たちの内側で、完成されるのを待っているの」
彼女の背後の棚には、アサヒが捨てたはずの、村で見つけたあの「逆結びの御札」が、バラバラに破かれ、逆に並べ替えられて貼られていた。
4. 結び目の完成
アサヒは逃げるようにカオリの部屋を飛び出し、夜の街を走った。
だが、どこへ行っても、逃げ場はないように感じられた。
街ゆく人々の背中に、ビルの窓に反射する光に、あの幾何学模様が見える気がした。
アサヒは自宅に戻り、洗面所の鏡の前に立った。
激しい動悸の中で、彼は自分の顔を凝視した。
「俺は、俺だ……。あんな村、もう存在しない……」
そう自分に言い聞かせ、鏡の中の自分の瞳を見た、その時。
鏡の中の自分の瞳の奥に、小さな、小さな螺旋状の光が宿っているのが見えた。
アサヒは悲鳴を上げようとした。しかし、口から出たのは言葉ではなく、カチッ、カチッ、という、あの止まったはずの時計が刻むような、乾いた音だった。
彼は、自分の意思とは無関係に、手が動くのを感じた。
机の上に置いてあった「村の土」の袋を開け、その土を口に含んだ。
湿った泥の味が、全身を駆け巡る。
「ああ……」
アサヒは、不気味な恍惚感の中で崩れ落ちた。
彼の身体は、鏡の中でゆっくりと、不自然な方向へとねじれ始めていた。
暗い部屋の中に、四人の笑い声が重なって聞こえた気がした。
久遠村は、消えてなどいない。
彼らという「結び目」を通じて、今、この現実へと溢れ出そうとしていた。
(完)
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
事故物件
毒島醜女
ホラー
あらすじ:サラリーマンの幹夫は忘れ物を取りにいったん家に戻るが、そこで妻、久恵と鉢合わせになりそうになる。仲の悪い妻と会いたくなかった幹夫はとっさに物置部屋に隠れるが…
※闇芝居さんの妹の部屋をリスペクトした作品となっております。
※表紙はゴリラの素材屋さんから。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヴァルプルギスの夜~ライター月島楓の事件簿
加来 史吾兎
ホラー
K県華月町(かげつちょう)の外れで、白装束を着させられた女子高生の首吊り死体が発見された。
フリーライターの月島楓(つきしまかえで)は、ひょんなことからこの事件の取材を任され、華月町出身で大手出版社の編集者である小野瀬崇彦(おのせたかひこ)と共に、山奥にある華月町へ向かう。
華月町には魔女を信仰するという宗教団体《サバト》の本拠地があり、事件への関与が噂されていたが警察の捜査は難航していた。
そんな矢先、華月町にまつわる伝承を調べていた女子大生が行方不明になってしまう。
そして魔の手は楓の身にも迫っていた──。
果たして楓と小野瀬は小さな町で巻き起こる事件の真相に辿り着くことができるのだろうか。
百物語 厄災
嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。
小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。
洒落にならない怖い話【短編集】
鍵谷端哉
ホラー
その「ゾワッ」は、あなたのすぐ隣にある。
意味が分かると凍りつく話から、理不尽に追い詰められる怪異まで。
隙間時間に読める短編ながら、読後の静寂が怖くなる。 洒落にならない実話風・創作ホラー短編集。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる