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音羽の城戸
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伊賀西端、大和との国境付近。
伊賀音羽の村民およそ三十名が、林の中を懸命に走り逃げている。皆、必死の形相。大半が女子供老人などの非戦闘員か、怪我人または脆弱といった戦闘に不向きな男たちである。
集団から少し遅れた位置で殿をつとめているのは、城戸弥左衛門とその弟分である五郎。
後方から、二騎の騎馬武者を先頭に、五十もの織田勢が猛然と迫ってくる。
弥左衛門と五郎にむかって矢がひっきりなしに飛んでくるが、放つ側も放たれる側も疾走しているせいで狙いが定まらず、命中にはいたらない。弥左衛門は冷静だが、十六歳の若輩である五郎はあからさまに恐怖で震えている。
「五郎、菱じゃ!」
「しょ、承知!」
二人は走りながら腰に下げている竹筒の蓋を外し、逆さに傾ける。中から鉄製の撒き菱がボロボロと落ちてきて、地面にばら撒かれる。
織田勢の先頭集団は、まんまと撒き菱を踏んで痛みでのたうち回る。
弥左衛門はサッと振り返って立ち止まると、すばやく手にしている火縄銃の狙いを定めて発砲する。
馬の片耳が見事に撃ち抜かれ、一方の騎馬武者はいななく馬とともに横倒しとなる。
「天下の織田勢なぞ、かほどのものか!」
弥左衛門は、大声で笑い吠える。
音羽の村民たちの先頭を走っているのは、御歳七十になる長老の才蔵爺である。さすがにゼイゼイと息が苦しそう。
前方に古びた吊り橋が見えてくると、振り返って村民たちに大声で指示する。
「急げ! 橋をわたるんじゃ!」
才蔵爺に続いて、村民たちも次々と吊り橋を駆けわたっていく。下は、深い谷底になっている。
織田勢はすぐそこまで迫っている。
最後尾である弥左衛門は、自分がわたりきるとすぐさま火縄銃を投げすて、腰の脇差を抜いて、吊り橋の縄をバスバスと切り落としていく。五郎はかたわらで、その様子をオロオロと眺めているだけ。
先頭の織田兵は吊り橋の中央近くまで迫っていたが、血相を変えて引き返す。
「よし!」
吊り橋は切断され、谷底にむかって派手に垂れ落ちていく。
先頭の織田兵は間一髪でむこう岸にたどり着き、命を拾う。
これ以上はどうすることもできず、織田勢はむこう岸で指をくわえてこちらを睨んでいるだけ。騎馬武者は部下たちに下知し、すごすごと退却していく。
「さらばじゃ!」
弥左衛門は愉快そうに手を振りながら見送る。
「よくやったぞ、五郎。大働きじゃ」
五郎は力なくうなずく。安堵しすぎて全身から力が抜けてしまっているらしい。
「行くぞ。大和の地はもう目の前じゃ」
五郎はまたうなずき、おぼつかない足取りで林の中の道に駆け入って村民たちの後を追う。
一人になった弥左衛門は、振り返って眼前に広がる光景を見つめる。
崖上にあるこの場所からは伊賀の里全域を眺望できるが、いたるところから黒煙がもうもうと上がっている。そのせいで、空が鉛色に濁るほどに。
「これも時勢か…」
諦観を込めてつぶやく。
伊賀音羽の村民およそ三十名が、林の中を懸命に走り逃げている。皆、必死の形相。大半が女子供老人などの非戦闘員か、怪我人または脆弱といった戦闘に不向きな男たちである。
集団から少し遅れた位置で殿をつとめているのは、城戸弥左衛門とその弟分である五郎。
後方から、二騎の騎馬武者を先頭に、五十もの織田勢が猛然と迫ってくる。
弥左衛門と五郎にむかって矢がひっきりなしに飛んでくるが、放つ側も放たれる側も疾走しているせいで狙いが定まらず、命中にはいたらない。弥左衛門は冷静だが、十六歳の若輩である五郎はあからさまに恐怖で震えている。
「五郎、菱じゃ!」
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二人は走りながら腰に下げている竹筒の蓋を外し、逆さに傾ける。中から鉄製の撒き菱がボロボロと落ちてきて、地面にばら撒かれる。
織田勢の先頭集団は、まんまと撒き菱を踏んで痛みでのたうち回る。
弥左衛門はサッと振り返って立ち止まると、すばやく手にしている火縄銃の狙いを定めて発砲する。
馬の片耳が見事に撃ち抜かれ、一方の騎馬武者はいななく馬とともに横倒しとなる。
「天下の織田勢なぞ、かほどのものか!」
弥左衛門は、大声で笑い吠える。
音羽の村民たちの先頭を走っているのは、御歳七十になる長老の才蔵爺である。さすがにゼイゼイと息が苦しそう。
前方に古びた吊り橋が見えてくると、振り返って村民たちに大声で指示する。
「急げ! 橋をわたるんじゃ!」
才蔵爺に続いて、村民たちも次々と吊り橋を駆けわたっていく。下は、深い谷底になっている。
織田勢はすぐそこまで迫っている。
最後尾である弥左衛門は、自分がわたりきるとすぐさま火縄銃を投げすて、腰の脇差を抜いて、吊り橋の縄をバスバスと切り落としていく。五郎はかたわらで、その様子をオロオロと眺めているだけ。
先頭の織田兵は吊り橋の中央近くまで迫っていたが、血相を変えて引き返す。
「よし!」
吊り橋は切断され、谷底にむかって派手に垂れ落ちていく。
先頭の織田兵は間一髪でむこう岸にたどり着き、命を拾う。
これ以上はどうすることもできず、織田勢はむこう岸で指をくわえてこちらを睨んでいるだけ。騎馬武者は部下たちに下知し、すごすごと退却していく。
「さらばじゃ!」
弥左衛門は愉快そうに手を振りながら見送る。
「よくやったぞ、五郎。大働きじゃ」
五郎は力なくうなずく。安堵しすぎて全身から力が抜けてしまっているらしい。
「行くぞ。大和の地はもう目の前じゃ」
五郎はまたうなずき、おぼつかない足取りで林の中の道に駆け入って村民たちの後を追う。
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崖上にあるこの場所からは伊賀の里全域を眺望できるが、いたるところから黒煙がもうもうと上がっている。そのせいで、空が鉛色に濁るほどに。
「これも時勢か…」
諦観を込めてつぶやく。
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