追放された精霊の愛し子は運命の番をその腕に掻き抱く

濘-NEI-

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(10)さざなみ

 思い掛けず良い医者に診て貰えて、抑制剤も多めに手に入った。これで一安心とパメラはホッとしていたが、アイルーンは頭を抱えていた。

「どうしてそんなに暗い顔をしているの、アイルーン」

「パメラ、あんた医者先生の話をちゃんと聞いてたのかい」

 呆れた顔で声を落とせとアイルーンは釘を刺し、パメラの顔に手を添えると、心配そうに親指を動かして頬を撫でる。

「ええ。ヒートが来る兆候があるって。だから抑制剤を出してくださったんでしょ」

 パメラは袋を掲げて、ヒートが来たら飲めば良いとアイルーンの顔を覗き込む。

「そうじゃない。初めてのヒートは段階的に来ることもあるって、私もすっかり忘れてたよ」

「どういうことなの」

「医者先生が言ったろ。抑制剤は予防薬じゃない。ヒートが来ないと効かないのさ」

 アイルーンは溜め息を吐いて頭を抱える。パメラはアイルーンが頭を抱える理由が分からずに、ヘンゼルが言っていたじゃないかと胸を張る。

「ええ。それはちゃんと聞いていたわ。だからヒートが始まったら飲めばいいんでしょう」

「いや違うんだよ。ヒートが段階的に来るってのはね、どう説明しようかね。海の波は分かるかい?さざなみが何度も打ち寄せた後に、本物の大きな波が来るってことさ」

 海や波がどんなものか分からないパメラは、それでもなんとか理解した様子で、困惑した顔をアイルーンに向けた。

「そよ風に砂塵が舞い始めて、風が徐々に強くなると砂嵐が来るようなものね」

「ああそうさ、あんたはやっぱり頭が良いね。だからこの前みたいな症状が出ても、本格的なヒートが起こらない限り、抑制剤を飲んでも効果がある訳じゃない。嵐にしか効かないのさ」

「つまりそよ風、ヒート以外は抑制剤では抑えられないってことね」

「そういうことさ」

 抑制剤が手に入って安心しきっていたパメラは、新たに降って沸いた問題に頭を抱えた。

「ねえアイルーン。もしかして、発作程度でもアルファには影響を与えてしまうのかしら」

 パメラは咄嗟にアイルーンが言っていた、ナムガルのことが頭をよぎった。

「それが一番心配なのさ。当然刺激されるだろうね」
「そんな」

 ヒートを抑え込むことが出来ても、その前段階の発作が出る度に、パメラは意図せずナムガルを刺激することになる。

「いいかいパメラ。とりあえず、いつヒートが始まってもおかしくないんだ。イミザに居る間、あんたは大人しくこの宿に留まって、体調不良で通した方がいい」

「でもヒートが始まらなかったらどうするの。発作程度でもアルファを刺激するなら、この先一座で私が暮らしていける道はあるのかしら」

「ヒートが上手く起こらないのは最初だけさ。だから先のことは心配しなくていい」

 話はこれで終わりだと、アイルーンは一方的に切り上げて立ち上がる。けれどパメラは不安ばかりが膨らんで、その腕を掴んで困惑した表情を浮かべる。

「だけどアイルーン、私」

「すまないねパメラ。あんたの分まであたしが稼がにゃ、一座に迷惑が掛かるのくらいは分かるだろ。付きっきりの看病も今日までだ。あんたのことは上手く言いくるめてやるから安心しな」

「ええそうね、そうよね。繕い物くらいなら、部屋で出来るから持って帰ってね」

「そんなことしたら嘘がバレちまう。いいかいパメラ。分かってるだろうけど、誰が来たって絶対に入れちゃいけないよ」

「分かってるわ。エッカでも入れちゃいけないのよね」

「ああそうだ。これだけは絶対に約束しておくれ」

「分かったわ」

 パメラに約束させると、アイルーンは仕事に行くと言って部屋を出て外から鍵を掛けた。

 一人になった部屋の中でパメラは寝台に寝転がって天井を見つめ、こんな面倒な体は嫌だと、なぜオメガに生まれてしまったのかと、悔しくてやるせない気持ちになった。

 そしてそのまま声を殺して泣いているうちに、パメラは疲れて眠り込んだ。

 ドンドン、ドンドンドンッ。

 扉を叩く音がどんどん大きくなって、パメラはハッとして目を覚ました。

 窓の外はすっかり暗くなって、夜になっていたのだとそこで初めて気が付いた。

「あのまま寝てしまったのね」

 小さく呟くと、パメラはゆっくりと身を起こす。起き上がると軽い眩暈がした。それに体もなんだか怠い。

 ドンドンッ、ドンドンドンッ。

 音が止んでいたので夢だと思ったら、本当に誰かが扉を叩いている。鳴り止まない扉を殴る激しい音に、パメラは恐怖で体を震わせながら絞り出すように声を出す。

「誰なの。扉が壊れてしまうわ」
「…………」

 返事がないのが酷く不気味で、その気味の悪さにパメラの恐怖が募る。

「誰なの。返事をして!」

「……パメラ、俺だよ。腹が減ってないかい。開けておくれよ」

 聞き覚えのある声は、しかし誰の声だか分からない。くぐもっていて、無理に低くしているのか、どこか苦しそうにも聞こえる。

 パメラは一座に居る男たちの顔を、ゆっくりと思い浮かべようとするが、意識が朦朧とし始めて上手く思い出せない。
 そうしているうちに、また扉を乱暴に殴り付ける音が響く。

 ドンドンドンドンッ、ドンドンドンッ。

「なにをするの!お腹なら減ってないわ、来ないでちょうだい。迷惑よ!」

 なんとか声を張り上げてそう叫ぶと、嫌な汗が噴き出して恐怖から動悸が激しくなり、パメラは肩で息をしながら扉を睨む。

「…………」

 返事はなく、ただ不気味な息遣いが扉の向こうから聞こえ、次の瞬間ガチャガチャと扉をこじ開けようとする音が響くと、パメラはいよいよ大声で叫ぶ。

「誰かぁ!誰か、助けて!誰か!」

 ようやく騒ぎに気付いたのか、バタバタと階段を登る足音が聞こえて、なんの騒ぎだと扉の前が騒がしくなる。さっきの男は居なくなったのか、上手く紛れたのだろうか。

 ガチャガチャ。

 そんな中、扉を開ける音が聞こえて、パメラは震える身を縮めて膝を抱いて小さくなると、扉が空いた瞬間にギラつく視線と目が合って一気に恐怖心が膨れ上がる。

「いやぁあああ!」
「パメラ!パメラ、しっかりしな。あたしだよ、分かるかい」

 アイルーンがすぐさまパメラを抱きしめて、背中をゆっくりさする。

「アイルーン。私、私」

「大丈夫さ。部屋の扉は鍵を閉めてある、よく約束を守ったね。あんたはやっぱり賢い子だよ」

 アイルーンがしばらくそうしてパメラを抱きしめると、ようやくパメラも落ち着いて呼吸が整ってくる。

「体が怠いんじゃないかい」

 アイルーンは一度体を離し、摩擦で着火する仕組みのランプを操作して灯をつけると、水差しから木杯に水を注いでパメラに水を飲ませる。

「ええ、酷く疲れた感じだわ。ねえアイルーン、誰だか分からないけれどお腹が空かないかって、扉を開けろって。私、脅かされて」

「声で誰だか分からなかったのかい」

「違うのよ。私、酷く怠くて頭が朦朧としてたの。あれはなんだかわざと低く絞った声を出していて、声を作ってるみたいだった」

「……ナムガルだ。あの小僧」

「いいえアイルーン。まだナムガルだと決まった訳じゃないでしょう。だってあの子はまた十四よ、それに声だって」

 つい興奮して大きな声が出そうになると、アイルーンはパメラの口を塞ぎ、声を落とせと静かに呟く。

「可愛がってきた弟分だ。あんたの気持ちは分からんでもない。だけどねパメラ、十四でも男は男さ。しかも色事に目覚めて異常に興味を持つ時期だ。大人より扱いづらくて質が悪い」

「だけどアイルーン」

「いいから早くおやすみ。この部屋にはあたし以外、絶対に立ち入らせない。だから安心して休むんだ。そよ風の段階じゃあんたにはどうにも出来ない。嵐になるまで部屋にこもるより他ないんだよ」

 アイルーンはそう言って、パメラを寝台に寝かしつけると、パメラが寝息を立てるまで、そばに付き添って優しく髪を撫で、時には肩をとんとんと叩いて落ち着かせた。
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