初恋は溺愛で。〈一夜だけのはずが、遊び人を卒業して平凡な私と恋をするそうです〉

濘-NEI-

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 昨日はぐっすり寝入ってしまった彼の寝顔を見つめて、現実味がないまま着替えを済ませると、彼を置き去りにする形で明け方にホテルの部屋を出た。
 お互い大人だし、あれはきっとお酒の勢いや雰囲気がそうさせただけのことで、一晩限りの身体の付き合いなんて、自分でも大胆すぎてびっくりしてしまう。
 彼のことが気にならないと言えば嘘になるけど、いつまでも余韻に浸ってる訳にはいかない。
 担当するクラスのタイムシフトを確認しつつ、個別指導している顧客のデータを更新したり、デスクワークをこなすと、ストレッチをするためにフィットネスブースに移動する。
 私が勤めるイナンナスポーツは、関東を中心に十七店舗のジムを展開していて、最近だとパーソナルトレーニングに特化した〈アレス〉が有名かも知れない。
 その中でも私が所属してる〈オーディーンスポーツクラブ〉は、ヨガやボクササイズ、スカッシュにスラックライン、アクアビクスやスイミングスクールのプールも併設された大型施設だ。
 そこでの私の担当は、フィットネスフロアで顧客のサポートをしつつ、スタジオでヨガが2クラスとボクササイズが1クラス、夕方はジュニアクラスのスイミングを担当している。
「あ、香澄ちゃん。お疲れ」
「真理恵さん、お疲れ様です」
 フィットネス専任のインストラクターでもある 原田はらだ 真理恵まりえさんは、私より二個歳上の気さくな姉御肌の美人な先輩で一番の仲良し。
 その彼女が先にストレッチのために、マットを用意しながら話し掛けてきた。
「あれ、なんか元気なくない? ああ。引っ越しのこと、まだ決まってないの」
「そう、ですね」
「なにその反応。違う問題でも浮上したの」
「いや、別にそういう訳じゃないですよ」
「そう? ならそのキスマークは関係ないワケだ」
「え⁉︎」
 ギョッとして首筋に手を当てると、真理恵さんは可笑しそうにお腹を抱えて笑い出す。
「冗談よ。鎌かけただけなのに、必死なんだもん。それじゃすぐバレちゃうわよ」
「ちょっと、真理恵さん」
「ごめんごめん。あぁ、笑った」
「笑い事じゃないですよ」
 ストレッチ用のマットを広げると、真理恵さんの隣に並んで体をほぐし始める。
「そっか。ついに香澄ちゃんにも彼氏が出来たんだ」
「いや、それはその、早計と言いますか」
「ヤダちょっと、まさかここでフランクに出来ない話なの」
「う……」
「だから、香澄ちゃんは色々顔に出過ぎだって」
「痛いですよぉ」
 言い淀んだところに、真理恵さんから強めにデコピンされておでこを押さえ、ついつい恨みがましい目で見つめてしまう。
「ここだと誰が来るか分からないし、場所と時間を改めようか」
「聞いてくれるんですか」
「話したいならね」
「じゃあ、お願いします」
 ストレッチをしながら食事の予定を決めると、早々に個人的な話は切り上げて、仕事の話でひとしきり盛り上がり、そのうちに別のトレーナーたちもやって来て場が賑やかになる。
 正直なところ、一晩を共にしたクセにお互い名乗ることすらなかったのは、やっぱりその場限りの関係だったからだろうし、そう思うと気が重い。
 いくらうちのジムじゃないとはいえ、系列店のパーソナルジムにはヘルプで出勤することもあるから、これから先、彼に一切会うことがないとは言い切れない。
「気まずいよね、そうなると」
 トレーニングマシンの清掃をしながら独り言を呟くと、そんなあるか分からない非現実なことよりも、早く引っ越し先を探さなければいけない現実に向き合うことにする。
 職場に通いやすく、築年数はそんなに経過してなくて、オートロックのついた一人でも家賃が払える物件。
 そんな都合の良い部屋がすぐ見つかるはずもなく、昨日も住宅情報サイトを二時間くらい流し見して時間が溶けた。
「帰りに不動産さん覗いてみようかな」
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