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第十八章
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意識が戻った時には仙台厚生年金病院のICUのベッドの上だった。
幸か不幸か、軽い凍傷と左腕の骨折だけで済んだのだが、私は、暫く止まっていた覚せい剤を再び使用するようになっていった。
橋の上から飛び降りた事もそうなんだけれど、その少し前から私の記憶はなくなっていたり、曖昧だったりする。
精神状態がおかしくなっていたのかも知れない。
自暴自棄になっていたところもあるだろう。
何故そんな事をしたのか、私自身、説明がつかない。
私は、仙台ダルク施設長の勉さんと、スタッフのロックとシュウを半殺しにしてやろうと思って、出入り禁止になっている仙台ダルクに出向いた。
突然、私が来た事に何かを感じたんだろう。
勉さんをはじめ、スタッフも入寮者も、全員、施設に鍵をかけて立てこもってしまった。
「出てこんかい、己ら全員、殺しに来たんじゃ」
どんなに私が騒ぎたてても、誰も出てくる事はなかった。
息をひそめて、施設に立てこもったままだった。
ダルクというのは、薬物依存症者の回復の手助けをする施設であり、どこの誰であろうと受け入れるという事が大前提である筈だった。
だけど、仙台ダルクに関してはそうじゃなかったようだ。
勿論、この時の私はそんな考えを持っていた訳ではない。
ただただ、勉さんとスタッフの事を半殺しにしてやろうと考えていただけだった。
勉さんをはじめ、スタッフは何のお咎めもなしで、被害者であるカジノさんと、仙台ダルクで一番綺麗な回復を見せてくれていたタッちゃんが出入り禁止にされた。
私自身は仕方がないとしても、カジノさんとタッちゃんの事はどうしても納得が出来なかった。
八つ当たりに近い衝動だったのかも知れない。
精神状態がおかしかったという事なんだろう。
この後、私はどうしたのかも記憶にはない。
この頃には体から抜く事もせず、四六時中、覚せい剤を使っている状態だった。
どこをどのようにして、そこへ行ったのかも判らない。
一体どうやって飛行機に乗ったのかも全く記憶にはなかった。
平成十五年二月八日の夜、、、
私は、兵庫県宝塚市の路上で倒れているところを宝塚警察に保護されて、覚せい剤の所持と使用で逮捕された。
逮捕されてから少しずつ意識がしっかりしてきた。
我に返ると情けなくてたまらない思いばかりがつのってきた。
だけど、どこかほっとしたのも事実だった。
「落ち着き次第、戻ります」
姫路少年刑務所を出所してから仙台へ行った時、、、
雄輝連合会の会長と本部長にはそう言ったのに、こんな情けない事になってしまった。
とてもじゃないけれど、恥ずかしくて事務所に連絡する事なんて出来はしない。
猪ちゃんにだけは、覚せい剤で逮捕されて宝塚警察署にいてる事を手紙に書いて出した。
情けなくて、猪ちゃん以外には手紙を書く事も出来なかった。
その猪ちゃんは、私からの手紙を読んで、すぐ、面会に来てくれた。
「猪ちゃん、すんません、、、」
「ほんとだよ、なんでびわこに寄ってくれなかったんだよ」
「すんません、、、」
「俺が情状証人に立ってやるし、引き受けもしてやるから、出たらびわこに来いよ」
「入寮って事ですか?」
「そうだよ、一回やってみろよ」
「そうですね、、、有り難うございます」
猪ちゃんは情状証人としてだけでなく、身元引受人として公判に出廷してくれる事になった。
その代わり、猪ちゃんが施設長を務めるびわこダルクで半年間、入寮生活を送ってみろという話だった。
私は悩む事も、迷う事もなく、その話を受け入れた。
宝塚警察での取り調べが終わると尼崎拘置所に移監されて、伊丹地方裁判所で公判が進められた。
判決は懲役二年だった。
尼崎拘置所には分類がないため、刑が確定すれば神戸拘置所に移送される。
そこで服役先が決まるまで生活する事になる。
神戸拘置所で行われた分類の結果、私の服役先が大阪刑務所と決定された。
そして私は、神戸拘置所から堺市にある大阪刑務所へと移送された。
大阪刑務所は一工場から九工場の一区、十工場から十九工場の二区、二十工場から二十九工場の三区、それから炊助、洗濯、図書、営繕、内装、外装等の一般外工場からなっている。
入所時に二週間行われる新入考査訓練では奥州会津角定一家(当時)の総長と元ベティ主力メンバーだった健一君と一緒になった。
この時、健一君から元ベティ主力メンバーだったモトジ君も大阪刑務所に来ている事を教えて貰った。
新入考査訓練を終えた私は、三区の二十六工場へ配役された。
二十六工場では、赤松組(当時)の濱口さん、関西護国団(当時)の森澤さん、川崎の塚本さんと一緒になって、仲良くしていた。
塚本さんは関東で覚せい剤のシノギをしている人だった。
ジャニーズ事務所に所属している有名なタレントに覚せい剤を売っていた話等を面白おかしく聞かせてくれた。
健一君は内装に配役となって、始めは配食係に配属されていた。
私がいてる部屋には顔づけで、毎日、おかずをてんこ盛りにしてくれていた。
そんな健一君のおかげで、随分、私も気楽に過ごす事が出来ていた。
暫くの間は大きなトラブルも起こさずに平坦な日々を送れていたのだが、ちょっとしたアクシデントで懲罰になってしまった。
それからはおかしな癖がついてしまった。
どこの工場に配役されても、長くもったとしても一週間、早ければ一日で刑務官や他の受刑者と喧嘩しては懲罰になるという事を繰り返すようになってしまった。
三区の工場を全部回った頃、元ベティ主力メンバーだったモトジ君が私の事を引っ張ってくれているという話が耳に入ってきた。
私もモトジ君のいる工場に行けるように刑務官にかけあってはみた。
だけど、懲罰ばかりを繰り返している私は刑務所から嫌われていたので、そんな私の頼みなんかを刑務所が聞いてくれる筈もなかった。
三区の工場を全部回りきった私は、三区ではどこにも行けなくなったので、一区に回された。
一区に移ってからも私の努め方は何も変わらなかった。
配役されては喧嘩して懲罰になる事を繰り返していた。
それでも八工場に配役された時にようやく止まる事が出来た。
入れられた部屋に戸ノ内の横尾さんがいた事もあり、工場には吉村会(当時)の若村さん、泉北のマーチンがいた事が大きかったと思う。
部屋では刑務官と喧嘩になりかける私の事を横尾さんが止めてくれていた。
工場では若村さんやマーチンと仲良くしゃべるようになっていた。
そのおかげで、私は大阪刑務所生活最後の数ヶ月間を八工場で過ごす事が出来た。
平成十七年三月二十三日
私は大阪刑務所を満期出所した。
幸か不幸か、軽い凍傷と左腕の骨折だけで済んだのだが、私は、暫く止まっていた覚せい剤を再び使用するようになっていった。
橋の上から飛び降りた事もそうなんだけれど、その少し前から私の記憶はなくなっていたり、曖昧だったりする。
精神状態がおかしくなっていたのかも知れない。
自暴自棄になっていたところもあるだろう。
何故そんな事をしたのか、私自身、説明がつかない。
私は、仙台ダルク施設長の勉さんと、スタッフのロックとシュウを半殺しにしてやろうと思って、出入り禁止になっている仙台ダルクに出向いた。
突然、私が来た事に何かを感じたんだろう。
勉さんをはじめ、スタッフも入寮者も、全員、施設に鍵をかけて立てこもってしまった。
「出てこんかい、己ら全員、殺しに来たんじゃ」
どんなに私が騒ぎたてても、誰も出てくる事はなかった。
息をひそめて、施設に立てこもったままだった。
ダルクというのは、薬物依存症者の回復の手助けをする施設であり、どこの誰であろうと受け入れるという事が大前提である筈だった。
だけど、仙台ダルクに関してはそうじゃなかったようだ。
勿論、この時の私はそんな考えを持っていた訳ではない。
ただただ、勉さんとスタッフの事を半殺しにしてやろうと考えていただけだった。
勉さんをはじめ、スタッフは何のお咎めもなしで、被害者であるカジノさんと、仙台ダルクで一番綺麗な回復を見せてくれていたタッちゃんが出入り禁止にされた。
私自身は仕方がないとしても、カジノさんとタッちゃんの事はどうしても納得が出来なかった。
八つ当たりに近い衝動だったのかも知れない。
精神状態がおかしかったという事なんだろう。
この後、私はどうしたのかも記憶にはない。
この頃には体から抜く事もせず、四六時中、覚せい剤を使っている状態だった。
どこをどのようにして、そこへ行ったのかも判らない。
一体どうやって飛行機に乗ったのかも全く記憶にはなかった。
平成十五年二月八日の夜、、、
私は、兵庫県宝塚市の路上で倒れているところを宝塚警察に保護されて、覚せい剤の所持と使用で逮捕された。
逮捕されてから少しずつ意識がしっかりしてきた。
我に返ると情けなくてたまらない思いばかりがつのってきた。
だけど、どこかほっとしたのも事実だった。
「落ち着き次第、戻ります」
姫路少年刑務所を出所してから仙台へ行った時、、、
雄輝連合会の会長と本部長にはそう言ったのに、こんな情けない事になってしまった。
とてもじゃないけれど、恥ずかしくて事務所に連絡する事なんて出来はしない。
猪ちゃんにだけは、覚せい剤で逮捕されて宝塚警察署にいてる事を手紙に書いて出した。
情けなくて、猪ちゃん以外には手紙を書く事も出来なかった。
その猪ちゃんは、私からの手紙を読んで、すぐ、面会に来てくれた。
「猪ちゃん、すんません、、、」
「ほんとだよ、なんでびわこに寄ってくれなかったんだよ」
「すんません、、、」
「俺が情状証人に立ってやるし、引き受けもしてやるから、出たらびわこに来いよ」
「入寮って事ですか?」
「そうだよ、一回やってみろよ」
「そうですね、、、有り難うございます」
猪ちゃんは情状証人としてだけでなく、身元引受人として公判に出廷してくれる事になった。
その代わり、猪ちゃんが施設長を務めるびわこダルクで半年間、入寮生活を送ってみろという話だった。
私は悩む事も、迷う事もなく、その話を受け入れた。
宝塚警察での取り調べが終わると尼崎拘置所に移監されて、伊丹地方裁判所で公判が進められた。
判決は懲役二年だった。
尼崎拘置所には分類がないため、刑が確定すれば神戸拘置所に移送される。
そこで服役先が決まるまで生活する事になる。
神戸拘置所で行われた分類の結果、私の服役先が大阪刑務所と決定された。
そして私は、神戸拘置所から堺市にある大阪刑務所へと移送された。
大阪刑務所は一工場から九工場の一区、十工場から十九工場の二区、二十工場から二十九工場の三区、それから炊助、洗濯、図書、営繕、内装、外装等の一般外工場からなっている。
入所時に二週間行われる新入考査訓練では奥州会津角定一家(当時)の総長と元ベティ主力メンバーだった健一君と一緒になった。
この時、健一君から元ベティ主力メンバーだったモトジ君も大阪刑務所に来ている事を教えて貰った。
新入考査訓練を終えた私は、三区の二十六工場へ配役された。
二十六工場では、赤松組(当時)の濱口さん、関西護国団(当時)の森澤さん、川崎の塚本さんと一緒になって、仲良くしていた。
塚本さんは関東で覚せい剤のシノギをしている人だった。
ジャニーズ事務所に所属している有名なタレントに覚せい剤を売っていた話等を面白おかしく聞かせてくれた。
健一君は内装に配役となって、始めは配食係に配属されていた。
私がいてる部屋には顔づけで、毎日、おかずをてんこ盛りにしてくれていた。
そんな健一君のおかげで、随分、私も気楽に過ごす事が出来ていた。
暫くの間は大きなトラブルも起こさずに平坦な日々を送れていたのだが、ちょっとしたアクシデントで懲罰になってしまった。
それからはおかしな癖がついてしまった。
どこの工場に配役されても、長くもったとしても一週間、早ければ一日で刑務官や他の受刑者と喧嘩しては懲罰になるという事を繰り返すようになってしまった。
三区の工場を全部回った頃、元ベティ主力メンバーだったモトジ君が私の事を引っ張ってくれているという話が耳に入ってきた。
私もモトジ君のいる工場に行けるように刑務官にかけあってはみた。
だけど、懲罰ばかりを繰り返している私は刑務所から嫌われていたので、そんな私の頼みなんかを刑務所が聞いてくれる筈もなかった。
三区の工場を全部回りきった私は、三区ではどこにも行けなくなったので、一区に回された。
一区に移ってからも私の努め方は何も変わらなかった。
配役されては喧嘩して懲罰になる事を繰り返していた。
それでも八工場に配役された時にようやく止まる事が出来た。
入れられた部屋に戸ノ内の横尾さんがいた事もあり、工場には吉村会(当時)の若村さん、泉北のマーチンがいた事が大きかったと思う。
部屋では刑務官と喧嘩になりかける私の事を横尾さんが止めてくれていた。
工場では若村さんやマーチンと仲良くしゃべるようになっていた。
そのおかげで、私は大阪刑務所生活最後の数ヶ月間を八工場で過ごす事が出来た。
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