もったいない! ~ある日ゲイの霊に憑かれたら、クラスの物静かな男子がキラキラして見えるようになりました~

藤原 秋

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 ノラオの体調不良はそこから改善することなく、日々悪化の一途をたどっていった。

 ―――何だ、コレ。ただの風邪じゃねぇのか……?

 いっこうに回復の兆しを見せない体調にそんな思いが頭をかすめたものの、バスや電車を使って自力で病院へ行くのはもはや不可能なくらい、体調が悪かった。

 タクシー呼ぶか? ―――いやダメだ、番号が分かんねぇ……。

 普段からあまり物が入っていない冷蔵庫は既に空で、米びつに米だけはあったものの、そもそも食欲も体力もなかったから、自炊しておかゆを作るという気にもなれなかった。

 食欲がなくても食べないとまずいよな……そうは思うものの、身体が辛くて、昨日あたりから水しか飲めずにいる。

 欠勤が丸々一週間に達すると上司から電話がかかってきて、来週も来れないようならやめてもらって構わない、と事実上のクビを通告された。

 ―――こっちだって好き好んで休んでいるわけじゃねぇ! 本当に体調不良なんだと電話の声からも分かるはずなのに、そりゃあちょっと横暴じゃねぇのか―――!

 頭の中でブチ切れながら、そういえばこの上司のお気に入りの女子社員から告白されて断ったことがあったな、と頭の片隅でふと思い出す。

 そこからこの上司の当たりがキツくなった気配はあったが、まさかその仕返しも含まれているんじゃねぇだろうな―――そんな疑惑が胸に湧いたものの、咳込んでろくに喋ることが出来ず、弱り切ったノラオにはそこを詰めるだけの体力も気力もなかった。

 おじいちゃんから聞いた話によると、実はこの時ノラオは風邪ではなくインフルエンザを患っていて、それが肺炎に転じかかっていたのだけれど、医療機関へかかっていない彼がそれに気付くことは出来なかった。

 相当具合が悪い自覚はあったものの、それでもノラオは県外にある実家や、離れて暮らす結婚したばかりの弟を頼る気にはなれなかったのだ。

 その根底には、この状態を父親に知られることは絶対に避けたいという思いがあった。

 それに、他人を煩わせるくらいなら自分が耐え忍べばいいという、幼い頃から培われた長男気質もあった。

 けれど、体調を崩して十日目に入ると、とうとう満足に呼吸も出来なくなり始め、リアルな死の影が彼の脳裏をかすめた。

 さすがにマズい、と思って、最後の選択肢、救急車を呼ぼうと身体を起こしかけたその時―――視界が暗転して、気が付いた時には、床に倒れてしまっていた。

 目の前に電話機が見える、あの受話器を上げて、119をダイヤルしないと―――そこへ必死に腕を伸ばそうとしながら、あの電話が何度も何度も時間を置いて鳴っていたあの光景を思い出した。

 何度も何度も、時間を置いて鳴っていたあの電話。なのに、頑なに受話器を取ろうとしなかった自分―――その時の光景を思い出して、涙が溢れた。

 次の日もまた次の日も、夕方過ぎに何度も何度も鳴っていた電話。

 あれはきっと、エージからの着信だった。

 きっとエージが約束を守れなかったことを詫びようと、寒い中待たせてしまったに違いない自分を心配して、何度も何度もかけてきてくれていた。

 あの時変な意地を張らずに電話に出ていたら、エージの声が聞けたのに。

 ずっとずっと聞けていなかった、エージの声を聞くことが出来ていたはずなのに。

 大好きな、あのエージの声を。

 ―――エージ、エージ……! もう一度、お前に会いたい。

 その想いが、胸に溢れる。

 会って、詫びたい。何度も何度もかけてきてくれたのに、電話に出なくてごめん、と。

 ちょっと拗ねていただけなんだ、会えると思ってスゴく楽しみにしていたのに、会えなかったから、悲しくて、やりきれなくて、拗ねていただけなんだ。

 大人げなくて、ごめん。

 でもそれだけお前に会いたかったんだ、お前のことが大好きで大好きで、たまらなかったんだ。



 ―――エージ、愛している。



 ずっとずっと、お前だけを愛している―――。



 白んでいく視界に電話機を映しながら―――ノラオの意識はゆっくりと遠ざかり、そしてそのまま、彼は二度と目を覚ますことがなかった。



 ある冬の朝。外からは、近くの高校へ登校する生徒達の明るい声が聞こえていた―――。
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