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ノラオの記憶を時に傍観しながら、時に彼に同調しながら、彼とエージが出会い、そして亡くなってしまうまでの一連の流れを目の当たりにしたあたしは、気が付くと、公園のベンチで蓮人くんに膝枕されるようにしながら、とめどない涙を流していた。
「―――陽葵? 気付いた? ……大丈夫?」
気遣わしげにあたしの顔を覗き込んでくる蓮人くんの向こうに見える空は、既に暮れようとしていた。
「蓮人くん……」
あたしの目の下にハンカチを当ててくれているエージそっくりの彼の顔を見やりながら、あたしは切れ切れに言葉を紡いだ。
「蓮人くん、やっぱり、やっぱり蓮人くんのおじいちゃんが―――英一郎さんが、エージだったよ……」
「……! 本当に、祖父が……?」
息を飲む彼に、あたしは泣きながら頷いた。
「蓮人くんに、本当にそっくりだったよ。ノラオとスゴくスゴく、仲が良かった。二人とも、お互いのことをとても大切に、特別に想っていたよ……」
友愛と恋愛の、悲しい行き違いはあったけれど―――。
それからあたしは、自分が目にしたノラオの記憶をつまびらかに蓮人くんに話して聞かせた。
なるべく見たままが伝わるように、二人の真実が伝わるように、ゆっくりと、丁寧に説明した。
―――誰かを真剣に想う誰かの想いが、みんな、みんな叶ったら、みんなが幸せでいられるのに。
でも現実はそうじゃなくて、みんながみんな幸せになれることなんてありはしない。そういう中で、誰もがみんな、必死に生きて恋をしている。
ノラオの想いが、叶ってほしかった。けれどノラオの想いが叶っていたら、蓮人くんのお父さんも、蓮人くんも生まれてくることはなくて、あたしは彼と出会うことが出来なかった―――。
誰かと誰かの幸福な結末が、そして誰かの悲しい結末が、また次の世代の誰かの幸福に繋がっている。
ひとしきりあたしの話に耳を傾けていた蓮人くんは、全てを聞き終えた後、やりきれない表情になった。
「そういうことだったのか……。だから英一郎なのに、『エージ』……。祖父はきっと人知れず、ずっとノラオのことを抱えて生きてきたんだろうね。もしかしたら、未だにそのことで自分を責め続けている部分もあるのかもしれない。祖父自身、まさかノラオとそんな別れ方になるとは思ってもみなかっただろうから……」
そうだよね。ノラオもまさか、あれがエージとの永遠の別れになるなんて、想像もしていなかったんだから。
「英一郎さんは今、施設に入っているんだよね? 認知症が始まっているっていう話だったけど、会ったりすることって出来るのかな……?」
「面会は事前に申請しておけば親族以外でも可能だと思うけど、日によって症状の程度に差があるみたいで……家族のことが分かる日もあれば、よく分からない日もあるみたいなんだ。会話も支離滅裂で通じない時もあるみたいだし……」
「そっか……」
でも、英一郎さん―――エージはそこにいるんだもんね。今もちゃんと生きていて、ノラオに会わせてあげることは可能なんだよね!
「蓮人くん。ノラオ、エージの声だけでも聞きたいって、最後にそう強く願っていた。最後にひと目だけでも会いたいって、会って謝りたいって、心の中で張り裂けそうな声で叫んでた。例えエージがノラオのことをノラオだって認識出来なくても、あたしは、ひと目だけでも会わせてあげることが出来るなら、二人のことを会わせてあげたい」
あたしの懇願を受けた蓮人くんは、静かに、でも力強く頷いた。
「……分かった。信じてもらえないかもしれないけど、祖母にキチンと理由を説明して、祖父に陽葵を―――ノラオを会わせてもらえるように頼んでみる。ノラオの写真、おじいさんの家で撮ってオレに送ってくれたのがあるよね。あれを祖母に見せてもいいかな? さっきの話だと、祖母はノラオに会ったことがあるはずだから―――写真を見せれば、信憑性は増すと思う」
実はあの時、ノラオが見えない蓮人くんがいつでもノラオの顔を確認出来るように、おじいちゃんにお願いして、ノラオの写真をスマホで撮らせてもらったものを蓮人くんのスマホに送っていた。
「うん、もちろん構わないよ。お願い出来るかな?」
「任せて。きっと祖父もノラオのことを心残りに思っているだろうから、オレも出来れば、二人の結末を別のものに変えてあげたい。……今、ノラオはどうしている?」
蓮人くんにそう尋ねられたあたしは、自分の中のノラオに意識を向けて、胸の辺りをそっと押さえた。
「上手く言えないけど―――取り戻したエージの記憶を抱きしめて、泣いているような感じがする」
例え身を切るような切なさを伴った記憶であっても、その中には喜びも感動も、たくさんの大切な思い出達が詰まっている。
悪いことばかりがあったわけじゃない、キラキラ光る幸せな思い出も、たくさん、たくさん二人にはあったはずなんだ。
それを取り戻せて、ノラオは安堵の涙を流している―――そんな感じがした。
その夜、ベッドに入ったあたしに、ノラオがぽつりと話しかけてきた。
『……。オレさー、裁縫とか好きだったんだよな』
……え? お裁縫?
唐突な告白に瞳を瞬かせるあたしへ、ノラオが笑みをこぼす気配が伝わってきた。
『うん。お袋から余った布とかもらってさ、それを繋ぎ合わせて兄弟の服作ったり。どういう服にしようか、デザインとか考えるの楽しかった』
へえ、スゴいじゃん。あたしはどっちかっていうとあんま得意じゃないから、うらやましいな。
『はは、ヒマリ不器用なんだな』
うるさい。
『なんつーか、細々したことをやるのが小さい頃から得意だったんだよな。でもさ、オレが好きなモンとか得意なモンはことごとく親父の不興を買って―――お袋は擁護してくれたけど、男はそんなことをやる必要ねぇって、取り付く島もねーの。理不尽だよな? 蓋を開けてみりゃ、世の中にはそういう職業に就いてる男なんて、山程いるのに。全部親父の独断と偏見の基準で分けられちまって―――……』
ノラオ……。
『だから、オレのやることなすこと、何でもかんでも否定する親父が、昔から大っ嫌いだった。こっちの言い分なんて聞きもせずに、頭ごなしに否定ばかりする親父のことが、まともな対話なんて出来ない親父のことが、大っ嫌いだったんだ。一緒にいると息が詰まって、苦しくて、顔も見たくなくて―――死に直面しても絶対に頼りたくねぇくらい、毛嫌いしていた。向こうも反発ばかりして思い通りにならないオレのことを憎んでいるんだと、そう思っていた、ずっと―――……なのに』
ノラオの声が詰まった。
『なのに―――……名簿は、親父の遺品の中から見つかったんだよな。必要な法要も全部終えて、もう、取っておく必要もないはずのものだったのに……。しかもタケの話だと、綺麗にしまわれてて保存状態も良かったんだろ? ……何かもう、分かんねぇ。オレは愛想を尽かせた放蕩息子のはずなのに、何で―――……』
―――ひいおじいちゃんは多分、スゴくスゴく不器用で、愛情表現が下手クソな人だったんだよ。
あたしは込み上げてくる涙を堪えながら言った。
ひいおじいちゃんも多分途中から、ノラオに対する自分の関わり方が間違っていたんじゃないかって、色々考えて苦しんでいたんだと思う。ボタンの掛け違えが大きくなって、ノラオとの溝がどんどんどんどん深くなっていって、どうにかしようってあせっても、足掻いても、もうそれを取り戻せなくて―――。
でもきっと、ひいおじいちゃんなりにノラオのことを愛していたし、多分ずっと気に掛けていたよ。
ノラオが亡くなった時、こっそり泣いていたって、おじいちゃんが言っていたもん。
愛していなかったら、こんなふうに名簿を取っておいたりしないよ。ノラオとの繋がりを持ち続けたりしないよ。
ひいおじいちゃんが遺してくれた愛情が、ああいう別れ方をしてしまったノラオとエージをもう一度繋いでくれたんだって、あたしはそう思うよ。
それを聞いたノラオが、むせび泣く気配が伝わってきた。
声を押し殺して、喉を詰まらせるようにして泣くその様子に、あたしの涙腺も崩壊する。
あたしは再び大粒の涙をこぼしながら、自分の身体を両手で抱き込むようにして、自分ごと、中にいるノラオのことを抱きしめた。
それから折に触れて、ノラオはあたしに自分のことを話してくれるようになった。
その内容はほんの些細なことだったり、ちょっとしたエピソードに基づくものだったり―――。
いつもながらの軽い口調で、けれど以前にはなかった柔らかさを含んだ声で、あたしにそれを語って聞かせるノラオは、まるで自分という人間がいた証をあたしに残そうとしているかのようで―――日に日に儚くなっていくように感じられる彼の気配も、「その時」が近付いていることを物語っているかのようだった。
そして夏休み前の定期テストを目前に控えたある日曜日―――蓮人くんのおばあちゃんの許可を得て施設に出した面会申請が通り、ノラオとエージは実に半世紀近い時を経て、対面を果たすこととなったのだ―――。
「―――陽葵? 気付いた? ……大丈夫?」
気遣わしげにあたしの顔を覗き込んでくる蓮人くんの向こうに見える空は、既に暮れようとしていた。
「蓮人くん……」
あたしの目の下にハンカチを当ててくれているエージそっくりの彼の顔を見やりながら、あたしは切れ切れに言葉を紡いだ。
「蓮人くん、やっぱり、やっぱり蓮人くんのおじいちゃんが―――英一郎さんが、エージだったよ……」
「……! 本当に、祖父が……?」
息を飲む彼に、あたしは泣きながら頷いた。
「蓮人くんに、本当にそっくりだったよ。ノラオとスゴくスゴく、仲が良かった。二人とも、お互いのことをとても大切に、特別に想っていたよ……」
友愛と恋愛の、悲しい行き違いはあったけれど―――。
それからあたしは、自分が目にしたノラオの記憶をつまびらかに蓮人くんに話して聞かせた。
なるべく見たままが伝わるように、二人の真実が伝わるように、ゆっくりと、丁寧に説明した。
―――誰かを真剣に想う誰かの想いが、みんな、みんな叶ったら、みんなが幸せでいられるのに。
でも現実はそうじゃなくて、みんながみんな幸せになれることなんてありはしない。そういう中で、誰もがみんな、必死に生きて恋をしている。
ノラオの想いが、叶ってほしかった。けれどノラオの想いが叶っていたら、蓮人くんのお父さんも、蓮人くんも生まれてくることはなくて、あたしは彼と出会うことが出来なかった―――。
誰かと誰かの幸福な結末が、そして誰かの悲しい結末が、また次の世代の誰かの幸福に繋がっている。
ひとしきりあたしの話に耳を傾けていた蓮人くんは、全てを聞き終えた後、やりきれない表情になった。
「そういうことだったのか……。だから英一郎なのに、『エージ』……。祖父はきっと人知れず、ずっとノラオのことを抱えて生きてきたんだろうね。もしかしたら、未だにそのことで自分を責め続けている部分もあるのかもしれない。祖父自身、まさかノラオとそんな別れ方になるとは思ってもみなかっただろうから……」
そうだよね。ノラオもまさか、あれがエージとの永遠の別れになるなんて、想像もしていなかったんだから。
「英一郎さんは今、施設に入っているんだよね? 認知症が始まっているっていう話だったけど、会ったりすることって出来るのかな……?」
「面会は事前に申請しておけば親族以外でも可能だと思うけど、日によって症状の程度に差があるみたいで……家族のことが分かる日もあれば、よく分からない日もあるみたいなんだ。会話も支離滅裂で通じない時もあるみたいだし……」
「そっか……」
でも、英一郎さん―――エージはそこにいるんだもんね。今もちゃんと生きていて、ノラオに会わせてあげることは可能なんだよね!
「蓮人くん。ノラオ、エージの声だけでも聞きたいって、最後にそう強く願っていた。最後にひと目だけでも会いたいって、会って謝りたいって、心の中で張り裂けそうな声で叫んでた。例えエージがノラオのことをノラオだって認識出来なくても、あたしは、ひと目だけでも会わせてあげることが出来るなら、二人のことを会わせてあげたい」
あたしの懇願を受けた蓮人くんは、静かに、でも力強く頷いた。
「……分かった。信じてもらえないかもしれないけど、祖母にキチンと理由を説明して、祖父に陽葵を―――ノラオを会わせてもらえるように頼んでみる。ノラオの写真、おじいさんの家で撮ってオレに送ってくれたのがあるよね。あれを祖母に見せてもいいかな? さっきの話だと、祖母はノラオに会ったことがあるはずだから―――写真を見せれば、信憑性は増すと思う」
実はあの時、ノラオが見えない蓮人くんがいつでもノラオの顔を確認出来るように、おじいちゃんにお願いして、ノラオの写真をスマホで撮らせてもらったものを蓮人くんのスマホに送っていた。
「うん、もちろん構わないよ。お願い出来るかな?」
「任せて。きっと祖父もノラオのことを心残りに思っているだろうから、オレも出来れば、二人の結末を別のものに変えてあげたい。……今、ノラオはどうしている?」
蓮人くんにそう尋ねられたあたしは、自分の中のノラオに意識を向けて、胸の辺りをそっと押さえた。
「上手く言えないけど―――取り戻したエージの記憶を抱きしめて、泣いているような感じがする」
例え身を切るような切なさを伴った記憶であっても、その中には喜びも感動も、たくさんの大切な思い出達が詰まっている。
悪いことばかりがあったわけじゃない、キラキラ光る幸せな思い出も、たくさん、たくさん二人にはあったはずなんだ。
それを取り戻せて、ノラオは安堵の涙を流している―――そんな感じがした。
その夜、ベッドに入ったあたしに、ノラオがぽつりと話しかけてきた。
『……。オレさー、裁縫とか好きだったんだよな』
……え? お裁縫?
唐突な告白に瞳を瞬かせるあたしへ、ノラオが笑みをこぼす気配が伝わってきた。
『うん。お袋から余った布とかもらってさ、それを繋ぎ合わせて兄弟の服作ったり。どういう服にしようか、デザインとか考えるの楽しかった』
へえ、スゴいじゃん。あたしはどっちかっていうとあんま得意じゃないから、うらやましいな。
『はは、ヒマリ不器用なんだな』
うるさい。
『なんつーか、細々したことをやるのが小さい頃から得意だったんだよな。でもさ、オレが好きなモンとか得意なモンはことごとく親父の不興を買って―――お袋は擁護してくれたけど、男はそんなことをやる必要ねぇって、取り付く島もねーの。理不尽だよな? 蓋を開けてみりゃ、世の中にはそういう職業に就いてる男なんて、山程いるのに。全部親父の独断と偏見の基準で分けられちまって―――……』
ノラオ……。
『だから、オレのやることなすこと、何でもかんでも否定する親父が、昔から大っ嫌いだった。こっちの言い分なんて聞きもせずに、頭ごなしに否定ばかりする親父のことが、まともな対話なんて出来ない親父のことが、大っ嫌いだったんだ。一緒にいると息が詰まって、苦しくて、顔も見たくなくて―――死に直面しても絶対に頼りたくねぇくらい、毛嫌いしていた。向こうも反発ばかりして思い通りにならないオレのことを憎んでいるんだと、そう思っていた、ずっと―――……なのに』
ノラオの声が詰まった。
『なのに―――……名簿は、親父の遺品の中から見つかったんだよな。必要な法要も全部終えて、もう、取っておく必要もないはずのものだったのに……。しかもタケの話だと、綺麗にしまわれてて保存状態も良かったんだろ? ……何かもう、分かんねぇ。オレは愛想を尽かせた放蕩息子のはずなのに、何で―――……』
―――ひいおじいちゃんは多分、スゴくスゴく不器用で、愛情表現が下手クソな人だったんだよ。
あたしは込み上げてくる涙を堪えながら言った。
ひいおじいちゃんも多分途中から、ノラオに対する自分の関わり方が間違っていたんじゃないかって、色々考えて苦しんでいたんだと思う。ボタンの掛け違えが大きくなって、ノラオとの溝がどんどんどんどん深くなっていって、どうにかしようってあせっても、足掻いても、もうそれを取り戻せなくて―――。
でもきっと、ひいおじいちゃんなりにノラオのことを愛していたし、多分ずっと気に掛けていたよ。
ノラオが亡くなった時、こっそり泣いていたって、おじいちゃんが言っていたもん。
愛していなかったら、こんなふうに名簿を取っておいたりしないよ。ノラオとの繋がりを持ち続けたりしないよ。
ひいおじいちゃんが遺してくれた愛情が、ああいう別れ方をしてしまったノラオとエージをもう一度繋いでくれたんだって、あたしはそう思うよ。
それを聞いたノラオが、むせび泣く気配が伝わってきた。
声を押し殺して、喉を詰まらせるようにして泣くその様子に、あたしの涙腺も崩壊する。
あたしは再び大粒の涙をこぼしながら、自分の身体を両手で抱き込むようにして、自分ごと、中にいるノラオのことを抱きしめた。
それから折に触れて、ノラオはあたしに自分のことを話してくれるようになった。
その内容はほんの些細なことだったり、ちょっとしたエピソードに基づくものだったり―――。
いつもながらの軽い口調で、けれど以前にはなかった柔らかさを含んだ声で、あたしにそれを語って聞かせるノラオは、まるで自分という人間がいた証をあたしに残そうとしているかのようで―――日に日に儚くなっていくように感じられる彼の気配も、「その時」が近付いていることを物語っているかのようだった。
そして夏休み前の定期テストを目前に控えたある日曜日―――蓮人くんのおばあちゃんの許可を得て施設に出した面会申請が通り、ノラオとエージは実に半世紀近い時を経て、対面を果たすこととなったのだ―――。
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