DESTINY!!

藤原 秋

文字の大きさ
8 / 91
旅立ち編

死闘

しおりを挟む
 エシェムと名乗った魔物モンスターの放つ邪悪な波動は、素人のあたしにもハッキリと分かるほどに高まっていく。

「貴様がここへ来た理由が何であれ、我が国の兵士達を手にかけたという事実は明らかだ……許さん!」

 長剣をきつく握りしめるパトロクロスの隣で、アキレウスがあたし達を振り返った。

「ガーネット、オーロラを頼む」
「分かったわ!」

 彼女が頷いたのを確認して、二人はエシェムの元へと駆け出した!

 ガーネットはあたしを自らの背後に回らせると、朗々と呪文を唱え始めた。

「天と地のあまねく精霊達よ、我らが盾となりたまえ! “護法纏ガー・ロン”!」

 彼女の呪文が完成すると同時に、みんなの身体が薄い光のヴェールに包まれた。

「うおぉ―――ッ!」
「はぁぁ―――ッ!」

 気勢を上げ、ほぼ同時に、アキレウスとパトロクロスがエシェムに斬りかかる!

 ぬぢゅん!

「! 何ッ!?」

 その光景に、二人は驚愕の声を上げた―――何と、エシェムの体表を覆う強力な粘液で刃が滑り、こすれるような音と共に弾かれてしまったのだ。

 しかも、二人の剣にはその粘液がべったりとついてしまった。

「くっ……これは!」
「何だ、この異様な粘度は!?」
「く、く……こレで……武器ノ威力、ハ……半減だ……」

 ほの赤い瞳を細め、鋭い牙を剥き出しにして、おぞましい姿の魔物がほくそ笑む。

「死ネ……!」

 エシェムの大きく裂けた口から、凄まじい勢いで半透明の液体が吐き出された。

「……っ!」

 アキレウスとパトロクロスが飛び退すさったその場所にぶちまけられた液体が、じゅうっと嫌な音を立て、硬い岩盤を溶解させる。飛び散ったそのしぶきを受けて、二人の体表から白い煙が立ち昇った。

「強酸……!」

 目を見開くガーネットの後ろで、あたしは悲鳴のような声を上げた。

「アキレウス! パトロクロス!!」
「大丈夫、だ……!」
「ガーネット、助かった……礼を言う!」

 良かった……二人とも無事だ! しぶきは彼らに当たったわけじゃなく、ガーネットの魔法の防護壁に当たり、白い煙を吐き上げたらしい。

「こシャく……な……」

 舌打ちでもしたげな様相で、エシェムがゆらりと上体を揺らす。

「これならどうだ!」

 アキレウスが剣を振りかぶった。

破風剣はふうけん!」

 ゴッ、と凄まじい剣圧が空を斬り裂き、エシェムの胴体部分を薙ぐ!

 ―――やった、これなら効く!

 あたしは両の拳を握りしめた。

「ぬ……ゥ……」

 裂けたエシェムの傷口から白濁の体液が吹き出し、飛び散ったそれを受けた岩肌が、再びじゅうっ、と嫌な音を立てる。しかも、その溶け方が先程よりも凄まじい!

 息を飲むあたしの前で、ガーネットが驚きの声を上げた。

「こいつっ……体液まで強酸なの!?」

 そんな……!

「魔法の加護がなかったら、と思うとゾッとするな。うかつな攻撃を仕掛けると、あれをモロ喰らうってコトか……」
「そういうコトだな……下手な攻撃は出来ない。しかも、こちらは武器の威力が半減してしまっている……大したダメージを与えられていない」

 パトロクロスと会話を交わしながら、アキレウスは溜め息をついた。

「……まいったな。距離をとりながら地道な攻撃を繰り返すしかないのか」
「そうなるな……だが、この場所では私の“地裂斬”は使えない……さて、どうするか―――」

 決め手を欠く人間達をまるで嘲笑うかのように、エシェムが反撃に転じた。

 ぬらりとした青白い腕を頭上にかかげると、その手の中に禍々しい光を放つ黒い球が現れた。その球がみるみる膨れ上がり、凶暴なその輝きを増していく!

「……気を付けて! 重力の球よ!」

 ガーネットが叫び、その場に緊張が走る。

「喰ら……エ……」

 エシェムの手から解き放たれた重力の球が、アキレウスとパトロクロス目がけて襲いかかる!

「くっ!」

 左右に飛んでかわそうとした二人の手前で、それは割れた。

「!?」
「なっ……!」

 二つに分かれた黒い光が、凶暴なその輝きで二人を飲み込む!

「がッ!」
「ぐッ!」

 ドガァァアン!

 大音響と共に岩肌に叩きつけられ、その衝撃に顔を歪める二人の身体を、包み込む黒い光が容赦のない重力で更に圧する!

「ああああ!」
「ぐぅぅっ……!」

 おごそかな壁画の描かれた岩肌に張り付けにされ、うめく二人の背後で、重圧に耐え切れなくなった岩壁が陥没し、無数の亀裂を広げていく!

「ア、アキレウス! パトロクロス!」

 ふ、二人とも死んじゃう!

 青ざめ、口元を押さえるあたしの前で、ガーネットは素早く呪文を唱えた。

「慈愛の女神よ、傷つき倒るる吾子あこを救いたもう奇跡チカラ、我が腕に宿り、光となりて降り注げ!」

 波動の杖の先端が、淡い白色の光を帯びる。

「“慈愛の癒し手ティアー”!」

 ドッ、と杖の先端から魔法力が放出され、崩れ落ちるアキレウスとパトロクロスとを包み込んだ。

「余計……ナ真似……ヲ」

 エシェムがぐるり、と首をこちらへ向ける。

 きゃあっ!

「―――はぁッ!」

 立ちすくむあたしの前で、ガーネットは波動の杖を振りかざした。杖に宿った目に見えぬ力が波動となってほとばしり、エシェムの身体を直撃する!

 ドォンッ!

「……ぬ……ゥ」

 魔物モンスターの身体は少し揺らいだだけで、大きなダメージを与えることは出来なかったようだった。

「くっ……足止め程度か……!」

 ガーネットが歯がみする。

 こちらへ向かおうとするエシェムへ、魔法の力で回復したアキレウス達が再び挑みかかった。

「こっちだ、バケモノ!」


「―――オーロラ……」

 前方をにらみすえたまま、ガーネットが話しかけてきた。

「何?」
「魔法の練習……していたのよね?」
「う、うん」
「どう? 使えそう?」
「―――ううん……一度も成功したこと、ないの」

 うつむくあたしに、ガーネットは小さく頷いた。

「そう……呪文書は、持っている?」
「うん、一応……」
「どんな呪文が載ってるヤツ?」
「“火焔の弾丸ファイフ・ルー”とか、初級のものなんだけど」

 そう言うと、ガーネットはニヤリと笑った。

「“火焔の弾丸ファイフ・ルー”……いいわね。じゃ、出来たらでいいわ。アイツに喰らわせてやってちょうだい。魔法なら、アイツの体液も飛び散らないし、近くに寄らずに確実にダメージを与えることが出来る。アイツの下半身、蛇というよりはナメクジに近い……炎に弱いってあたしはにらんでいるのよね! ダメで元々、やってみましょ!」

 思いがけないその言葉に、あたしは藍玉色アクアマリンの瞳を見開いた。

 杖を構え、あたしを守るようにしてたたずんでいるガーネットの後ろ姿―――その先には、不利な状況下で剣を振るい続けるアキレウスとパトロクロスの姿がある。

「―――う、うん!」

 あたしは頷き、震える指で腰の道具袋を開けた。ローズダウンで神官に手渡された呪文書を引っ張り出し、ぎこちない動きでそれを開く。

 自分が何か手助け出来るかもしれないなんて、考えてもみなかった。

 でも、ガーネットの言う通りだ。ダメで元々、もしかしたら何か奇跡が起こることだってあるかもしれない。

 やれるだけのことは、やるべきだ―――そう、思った。

 え、えーと、魔法はまず、精神を集中させることが何よりも大事だって、教わったよね。集中、集中、意識を集中させて―――……。

 呪文書を持つ手が、ぶるぶると震える。

 集中、集中! 集中しなきゃ……!

 汗だくになってあたしは精神を集中させようとしたけれど、元々魔法なんて使えるわけがないと、神官の指導を真剣に受けたことがなかったから、どうやったら精神をうまく集中させることが出来るのかが分からない。

 それに、目を閉じても聞こえてくる、戦闘の音―――恐ろしいエシェムの姿と、苦戦するみんなの姿とが目の前にチラついて、あせりと恐怖で、普通の精神状態でいることすら困難な状況だ。

「オーロラ、あせらなくていいのよ。深呼吸して―――」

 そんなあたしの気配を感じたのか、ガーネットが声をかけてきた。

「肩の力を抜いて。ダメで元々よ、これは魔法の練習なんだから―――決まったらラッキー、そのくらいの感覚でいきましょ」
「ガーネット……」

 彼女のその言葉は、あたしに少しだけ冷静さを取り戻させた。

 冷たい汗でびっしょりになりながら、あたしは頷き、大きく深呼吸して、再び精神の集中下に入った。

 その間にも、戦闘は激化していく。

「援護を頼む、アキレウス!」

 パトロクロスが叫んだ。

「このままではらちがあかん……! 多少のダメージはいたしかたない……!」
「パトロクロス!?」

 彼の表情を確認したアキレウスは、何かを察したらしい。大きく剣を振りかぶり、技を放った。

「―――破風剣!」

 ドッ、と剣圧が空を切り裂き、異形の魔物へと襲いかかる!

「見切ッた……ぞ……」

 エシェムがゆらりとそれをかわす……その時すでにパトロクロスは宙空に跳んでいた。

「行くぞ、喰らえッ!」

 ハッ、と振り仰いだ魔物の脳天に、渾身こんしんの力を込めた一撃を振り下ろす!

鷹爪壊裂斬ようそうかいれつざん!!」

 全体重を乗せた一撃を上空から叩き込み、返す刃で下から斬り上げる!

「おオォぉォ!」

 エシェムの口から苦痛の声が迸り、大きく裂けた傷口から強酸の体液が吹き出す!

「くッ……!」

 盾でそれを防ぐパトロクロス。意匠の凝らされた金属製の盾がみるみる変形し、彼の全身からしゅうしゅうと白い煙が立ち昇る。

「“慈愛の癒し手ティアー”!」

 すかさずガーネットが回復呪文を唱える。

 その時、あたしを取り巻く環境に変化が起こった。

 今まで通り、周囲の音は聞こえるのに、自分の周りだけが、しん、と静まり返る感覚―――あたしは目を見開き、炎の呪文を口にした。

「炎よ、火球となりて敵を焼き尽くせ!」

 ヴン、と周囲の空気が唸るような微振動を一瞬感じたような気がしたけれど、そこから急速にその気配が薄れていくのを感じて、あたしはあせった。

 今だ、と思ったんだけど、まだ集中力が足りなかった……!?

「“火焔の弾丸ファイフ・ルー”!」

 凛とした自分の声だけが、虚しく洞窟内に響き渡る。

 予想通りのその結果に唇をかみしめつつ、あたしは再び意識を集中させる為瞳を閉じた。

 さっきみたいな感覚は、初めてだった。

 もう一度……もう一度。精神を集中させて―――……。

 しかし、あたしのその試みはエシェムによって阻まれてしまった。

「容……赦、セぬ……!」

 まばらな黒髪がざわざわと波打ち、仄赤い目が怪しく輝く。

 その瞬間、エシェムの頬に浮き出た赤ちゃん達の顔が一斉に苦悶の泣き声を上げ、その凄まじさに、あたしは思わず悲鳴を上げた。

「きゃあぁ!?」

 な、何て声!? 脳天に、直接響いてくる……!

「これ、は……!」
「くっ……頭が……!」

 アキレウスとパトロクロスが耳元を押さえる。

 痛い……! 頭が割れてしまいそう……!

 あたしは立っていられなくなって、膝をついてしまった。

 何、これ……!? 身体に力が入らない……手も、足も、痺れ……て……。

 意識が遠のきかけたあたしの耳に、ガーネットの声がうっすら聞こえてきた。

「浄化の光よ、悪しき穢れを振り払いたまえ! “六根清浄キュアー”!」

 白い光が自分を包み込むのをぼんやりと感じたその直後、五感に確かな感覚が甦ってきた。

「大丈夫、オーロラ!?」
「う……うん。今のは……!? みんなは、ガーネットは大丈夫だったの!?」
「ええ、多分これのおかげね。二人は自力で耐え抜いたみたい」

 そう言って、ガーネットは銀細工の腕輪をあたしに見せた。

 あ、これ……確か、“守護の腕輪ガーディアン・ブレス”とかいう……ゼンおばあさんから譲り受けた、状態異常を防いでくれるという腕輪だ。

「あの声は多分、脳神経を一時的に混乱させて身体を麻痺させるものなんだわ。―――オーロラ、さっきの調子でどんどん魔法を練習してね!」
「……うん!」

 エシェムは既に次の攻撃態勢に入っている。その頭上に再び黒い光の球が現れたのを見て、あたしは身体を固くした。

 また……! しかも、今度のは大きい!

「くそ、またかよ!」

 舌打ちするアキレウスに、パトロクロスが冗談めかした口調で返す。

「あれを喰らうのは、二度とごめんこうむりたいな」

 なおも巨大さを増し続ける禍々しい光の球を油断なく見据えながら、彼はぽつりと呟いた。

「さて、今回は、どう飛んでくる……?」

「死ネ……!」

 エシェムの手から、黒い脅威が放たれた。瞬間、それは三つに分かれ、凄まじい勢いでそれぞれの目指す場所へと向かう! アキレウスとパトロクロス、そしてあたしとガーネットの元へ!

 黒い光の塊が肉薄し、あたしは悲鳴を上げ、思わず目をつぶった。

「きゃあぁーッ!!」
「くッ……!」

 バチィィッ!

 重力の球はガーネットの結界にぶつかり、激しい衝突音を立てた。

「オーロラ、ガーネット!!」

 耳に響く、アキレウス達の声―――目の前で黒と白の光がスパークし、そのまばゆさの中、衝撃に耐えるガーネットの後ろ姿だけが浮かび上がって見えた。

「く……ぅ……!」

 ビリビリと、結界の歪む振動が伝わってくる。

「ガーネット……!」
「くっ……何て凄まじいエネルギーなの……!」

 奥歯をかみしめ、ガーネットが整った顔を歪める。

 まぶしさに慣れ始めた視界の向こうに、剣で黒い光の球を受け止めているアキレウス達の姿が見えた。

「ぐぅぅぅっ……!」
「おぉぉぉっ……!」

 その重圧に耐え切れなくなった地面がひび割れ、陥没し、二人の足元を飲み込んでいく。そこへエシェムが鋭い爪で襲いかかった。

「!」
「しまっ……!」

 側面からの攻撃をもろに受け、アキレウスとパトロクロスは大地に叩きつけられた。

「アキレウス、パトロクロス!!」

 叫んだ瞬間、ガーネットの結界が破れ、その衝撃で、あたし達は勢いよく弾き飛ばされた。

「あうっ!」
「きゃぁっ!」

 ダァンッ!

 岩肌に思い切り叩きつけられ、一瞬息が止まりかける。

 ……ッ……。 いったぁ……。

 ひとつ息を吐き、ゆっくりと呼吸を整えるようにして、あたしはのろのろと顔を上げた。

「生きている、オーロラ?」

 咳こみながらガーネットが尋ねてきた。

「う……ん、何とか……ガーネットは?」
「今のところね……ちょーっと効いたわ」

 立ち上がった彼女の肌はところどころ擦り切れ、唇からは血がにじんでいた。

「……慈愛の女神よ、傷つき倒るる―――」

 回復呪文を唱え始めたガーネットに、エシェムが襲いかかろうとする。その背後から、パトロクロスが斬りかかった。

「させるかぁッ! 鷹爪壊裂斬!!」
「おノ、れ……ちょコまカ……ト……!」

 その隙に、アキレウスがあたし達の前に回りこんだ。

「―――破風剣!」

 パトロクロスの方を向いていたエシェムの首の辺りにまともに入った。

「おォォぉ!」

 これはさすがに効いたらしく、エシェムが苦悶の声を上げる。その中をかいくぐって、パトロクロスもあたし達の元へ合流した。

「“慈愛の癒し手ティアー”!」

 傷ついたあたし達を、優しい癒しの光が包み込む。でも、完全回復というわけにはいかなかった。

 アキレウスもパトロクロスも、満身創痍まんしんそういだ。ガーネットも、かなり疲れている。

 エシェムという魔物の弱点は―――おそらく、炎。

 そして、今、あたしに出来ることは―――それは―――呪文を唱えること……ただそれだけ、だ。

 少しずつ、少しずつ―――あたしの意識の中で、今、何かが変わろうとしていた。







 上半身が人型の女、下半身が蛇という姿をした、巨大な異形の魔物モンスター、エシェム。

 その全身は強力な粘液で覆われ、武器による直接攻撃に対しての高い防御力を誇る。

 青白い皮膚の下を流れる強酸の体液は、直接攻撃をする者に対しての諸刃の剣となり、結果、武器攻撃への抑止力となる。

 重力を自在に操る能力を持ち、口からは岩盤をも溶かす強力な酸を吐き、その頬に浮き出た赤ん坊の顔からは、脳神経に直接作用し、麻痺効果を促す特殊な声が出る―――。

 考えてみれば、これほど剣士との相性の悪い魔物はいないだろう。

 エシェムというこの魔物の弱点は、おそらく炎―――。

 そして、この場にいる者の中で、炎の魔法を使える可能性のある者は―――あたしだけ。

 ドクンッ。

 鼓動が、響く。

 あたししか、いない―――……。

「おノ……レぇェ!」

 エシェムが怒りの咆哮を上げる!

「―――来るぞ!」

 パトロクロスが叫んだ瞬間、赤ちゃん達の顔から、またもやあの声が上がった!

「くっ……!」

 防御が手薄になったところを狙って、間髪いれずしなった尾の一撃が飛んでくる!

「うわぁッ!」

 前衛にいたアキレウスとパトロクロスが弾き飛ばされた!

 仄赤い魔物の目が、守人もりびとを失ったあたしとガーネットに注がれる。

「―――はぁッ!」

 すかさずガーネットが波動の杖を振りかざした。目に見えぬ力が波動となって迸り、エシェムの身体を直撃する!

ドォンッ!

「ぬ……ゥ……」
「はッ! はッ! はぁッ!」

 ガーネットは幾度も杖を振りかざした。この攻撃がこの魔物にとって足止めにしかならないことを、彼女も良く分かっている。

 アキレウス達の反撃の態勢が整うまでの時間稼ぎだ。

 みんなの為に、あたしが今出来ること―――。

 それは。

「呪文を唱えること、だ……」

 アキレウスも、パトロクロスも、ガーネットも。みんな傷だらけで戦っている。きっと、体力も限界に近いところまで来ているはずだ。

 ただ守られているだけだったあたしは、まだ元気だ。

 自分に魔法が使えるなんて、正直、今も思えない。けれど、ほんのわずかでも、可能性があるのなら。

 少しでも、みんなの手助けが出来るかもしれない可能性があるのなら……!

 あたしは深呼吸し、瞳を閉じた。

 あたしに、そんな力が本当にあるのなら。

 “聖女”と呼ばれるような力が本当にあるのなら、今、使いたい。

 今、その力を使いたい……!

 ドクンッ。

 自分の鼓動が静かに全身に響き渡るのを感じながら、あたしは急速に身体の奥が熱を帯びていくのを覚えた。

 しん、と自分の周りが静まり返り、静かな静かな……不思議な気配が、辺りに漂う。

「炎よ、火球となりて敵を焼き尽くせ!」

 唇が呪文を紡いだ瞬間に、その気配が散っていく。

 ……!? 何でッ……!?

「“火焔の弾丸ファイフ・ルー”!」

 差し出した掌から、炎は現れなかった。

 ……もう一度!

 再び瞳を閉じ、呼吸を整える―――不思議な気配が辺りを取り巻き、フォン、とあたしの足元からつむじ風のようなものが巻き起こった。

「炎よ、火球となりて―――……」

 呪文を唱え始めたその瞬間に、またもやその気配が散っていく。

 しかし、今度はそれにビクリとエシェムが反応した。その瞬間を、アキレウスは見逃さなかった!

「破風剣!」

 ゴッ、と剣圧が空気を斬り裂き、エシェムの左目を直撃する!

「ぐぅオぉぉオ!」

 眼球から強酸の体液を吹き上げながら、エシェムは苦痛にのたうちまわった。暴れる魔物の尾が、爪が、岩壁を破壊し、強酸の雨と共に頭上から降り注いでくる。

 あ、危ないっ!

「ガーネット、オーロラ、そこから離れろ!」

 パトロクロスの声に従って、あたし達は急いでその場から退避しようとした。

「あっ……!」

 崩れ落ちてきた岩の破片がガーネットの左肩を直撃する。

「ガーネット!」

 駆け寄ろうとしたあたしの身体を力強い腕が抱き、横に飛び退いた。

「アキレウス!?」

 ゴゥン!!

 直後、エシェムの尾があたしの頭上を通過していった。

 ひんやりとした余韻が、あたしを包む。

「ア、アキレウス! ガーネットが……!」
「パトロクロスが行ったから大丈夫だ」

 よ、良かったぁ……!

「胸をなでおろすのはまだ早いぜ」

 ほっと息をつくあたしにそう言って、アキレウスはキッ、と目の前の魔物をにらみ上げた。パトロクロスの技によって頭部が割れ、顔面はひしゃげ、アキレウスに斬り裂かれた左目からは白濁の体液が止まることなく流れ続けている。

「許……さヌ、ぞ……!」

 残る右目を怒りに燃やし、エシェムは襲いかかってきた!

「ここが踏ん張りどころた! ヤツも疲れている、もうひと押しだぞ!」

 パトロクロスが叫ぶ。

「あぁ、やってやるさ!」

 それに応え、アキレウスが剣を構える。

「今までの分を倍にして返してやらないとね!」

 言いながら、ガーネットが呪文を唱え始める。

「あたしっ……呪文が成功するように頑張る!」

 あたしのその言葉に、みんなの頬がふっと緩んだ。

「期待している!」

 駆け出すアキレウスとパトロクロス。回復呪文を唱えるガーネット。それらを肌に感じながら、あたしは自分の精神を極限にまで高めることに努めた。

 徐々にいいリズムになってきているような気はする。ただ、呪文を唱え始めた時に、どうしてか急速にそのリズムが失われていくのを感じて、あたしはあせっていた。

 それが何故なのか、分からない。いったい、何がいけないのか……どうしたら、いいのか。その壁が破れない限り、きっと呪文が成功することはないんだと思う。

 炎……よ……炎よ……! こちらへ来て……!

 精神世界で、必死にそれに向かって指を伸ばす。

 炎よ……!


 ゴゥッ!


 熱い風が、あたしの周りを取り巻いた。白い外套がいとうを、腰まである長い黄金きんの髪を宙に遊ばせ、熱い氣があたしの中に満ち満ちる!

「すごい魔力……!」

 ガーネットが呟き、目をみはる。

 ―――今度こそ!

 あたしとエシェムの目が合った。エシェムは今まさに、重力の球を造り出さんとしているところだった。

「炎よ、火球となりて敵を焼き尽くせ!」

 呪文を詠唱しながら再び感じたその気配に、あたしは眉をひそめた。

 また……!

 あたしを取り巻く、熱い氣が消えていく。

 何でッ……!?

「“火焔の弾丸ファイフ・ルー”!」

 再びあたしの声だけが、洞窟内に響き渡る。

 またしても不発に終わった、呪文。

 どうして……!?  何がいけないの!?

 エシェムはフンと鼻を鳴らすと、ぎょろりとあたしをにらみつけた。

「!!」

 ―――来るッ……!

 直感した。

「オーロラ!」

 振り返ったアキレウスが、あたしの元へと走る。直後、黒い光の球があたしに向かって放たれた!

 ―――ダメ! 逃げられない!

 身体が恐怖で凍りついた。

「き……きゃあぁーッ!!」

 ぎゅっ、と目をつぶったあたしの前で、黒い光がスパークする!

 バチィィィッ!

 目を開けると、あたしを背に、大剣で重力の球を受け止めるアキレウスの姿がそこにあった。

「―――アキレウス!」
「ぐぅぅぅッ……!」

 ビリビリと、アキレウスの受け止める衝撃が空気を通して伝わってくる。髪が、外套が、激しい風圧でなぶられ、凄まじいエネルギーに耐え切れなくなった地盤が陥没し、あたし達の足元を飲み込んでいく。

「アキレウス! オーロラ!!」

 駆けつけようとするパトロクロスをエシェムは強酸の液で牽制すると、鋭い牙を剥き、あたし達に襲いかかった。ガーネットが何やら呪文を唱え始めている、けど―――。

 ―――間に合わない!!

「う……おぉぉ―――ッ!!」

 息を飲むあたしの前で、アキレウスがえた。

 瞬間、黄金きん色のオーラが彼の内側から溢れ出し、爆発した! オーラは閃光となって黒い光を撃ち破り、今まさに襲いかからんとしていたエシェムの右腕をもぎ取って、魔物の絶叫を辺りに轟かせた。

 パトロクロスが、ガーネットが目を見開く。茫然とするあたしの前で、アキレウスはガクリと膝を折った。

「……アキレウス!」
「くっ……はぁっ……、大丈夫……だ……」

 駆け寄ったあたしに返す声には、疲労が色濃い。

「―――危ない!」

 あせりを含んだガーネットの声が飛んだ。ハッとした時には、エシェムの尾が眼前に迫っていた。

「……ッ!」

 とっさにアキレウスがあたしを抱きかばった。

 直後、身体中の骨が砕けてしまいそうな、凄まじい衝撃―――次の瞬間には嫌というほど壁に叩きつけられ、もんどりうって、あたし達は床に崩れ落ちた。


「アキレウス! オーロラ!!」


 遠くにガーネットの声が聞こえる。


 いっ……たぁ……。


 一瞬、意識を失いかけたらしい。

 身体を動かそうとすると、鈍い痛みが全身に走った。

「うっ……」

 うめいて、起き上がろうとしたあたしの指先に、ぬるりとした感触が触れた。

 えっ……何……? 赤い……。

 急速に意識が覚醒した。

 ―――血!

 あたしの掌を真っ赤に染める、それは―――紛れもなく血だった。

 恐る恐る、自分の全身を触ってみる。

 あたしのじゃ……ない。

 息を飲むあたしの視界に、隣で倒れているアキレウスの姿が映った。

「アキ……レウス?」

 あたしを抱きかばうようにして倒れている彼の頭から、身体から、血が溢れ出し、床に赤い泉を作っていた。

 瞳は固く閉じられていて、ピクリとも動かない。

「アキレウス!」

 あたしは彼の名を呼び、その肩を揺すぶった。

「アキレウス、起きて!」

 ルザーでの出来事が、頭の中でフラッシュバックする。

「しっかりして! ねぇ、起きてよ!!」

 ほとんど涙声になって、あたしは叫んだ。

「アキレウス!!」

 かすかにアキレウスの睫毛が震え、翠緑玉色エメラルドグリーンの瞳がうっすらと開いた。

「……オーロラ」
「アキレウス!」

 良かった、生きていた!

「……? オレ……」

 呟いて身体を起こしかけ、彼は苦痛に顔を歪めた。見ると、右の膝からすねにかけて深い傷がざっくりと裂け、そこからおびただしい血が流れ出している。

「ちっ……。足をやられたか」

 足だけじゃなく、頭から背中から、いたるところから彼は出血していた。無理な体勢で、あたしを抱きかばったせいだ。

「大丈夫!? すぐガーネットに……!」

 そう言ったあたしの声に、ガーネットの悲鳴が重なった。

「―――!?」

 振り返ると、崩れ落ちるようにして倒れるガーネットと、その彼女をかばってエシェムの一撃を喰らうパトロクロスの姿が目に入った。

「ガーネット! パトロクロス!!」

 青ざめるあたし達を、憎悪に燃える仄赤い瞳が射る。

「こ……ロす……殺ス……!」
「……! 逃げろ、オーロラ!」

 アキレウスの言葉に、あたしは耳を疑った。

「え!?」
「逃げるんだ……早く!」
「なっ……何言っているの!? そんなこと……!」

 出来るわけ、ないでしょ!?

 驚くあたしに、アキレウスは言った。

「あの二人のことはオレが何とかする……今はお前を守る余裕がないんだ、だから……逃げろ!」
「バカ言わないで! だってアキレウス、動けないじゃない!!」
「オレのことは心配するな。何とかなる……お前を死なせるわけにはいかないんだ、行け!」

 翠緑玉色エメラルドグリーンの瞳が、強い光を放って、あたしを促す。

 ―――ドクンッ。

 逃げる……?

 あたしだけ?

 パトロクロスを、ガーネットを……アキレウスを―――置いて?


 一人で?


がサぬ……ぞ……」

 ずるり、と手負いのエシェムが近付いてくる。

「逃げろ! オーロラッ!」

 どこか遠くで響く、アキレウスの声。

「逃げろ! 早くッ!!」

 ドクンッ。

 響く、鼓動―――。

 近付いてくる禍々しい魔物の姿が、あたしの瞳には、ひどくゆっくりと、まるでスローモーションのように感じられた―――。 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

アリエッタ幼女、スラムからの華麗なる転身

にゃんすき
ファンタジー
冒頭からいきなり主人公のアリエッタが大きな男に攫われて、前世の記憶を思い出し、逃げる所から物語が始まります。  姉妹で力を合わせて幸せを掴み取るストーリーになる、予定です。

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから

渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。 朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。 「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」 「いや、理不尽!」 初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。 「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」 ※※※ 専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり) ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている

潮海璃月
ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。

大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ

鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。 それが約50年前。 聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。 英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。 俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。 でも…英雄は5人もいらないな。

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

【完結24万pt感謝】子息の廃嫡? そんなことは家でやれ! 国には関係ないぞ!

宇水涼麻
ファンタジー
貴族達が会する場で、四人の青年が高らかに婚約解消を宣った。 そこに国王陛下が登場し、有無を言わさずそれを認めた。 慌てて否定した青年たちの親に、国王陛下は騒ぎを起こした責任として罰金を課した。その金額があまりに高額で、親たちは青年たちの廃嫡することで免れようとする。 貴族家として、これまで後継者として育ててきた者を廃嫡するのは大変な決断である。 しかし、国王陛下はそれを意味なしと袖にした。それは今回の集会に理由がある。 〰️ 〰️ 〰️ 中世ヨーロッパ風の婚約破棄物語です。 完結しました。いつもありがとうございます!

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

処理中です...