DESTINY!!

藤原 秋

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覚醒編

追憶

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 四翼天しよくてんセルジュの襲来から十日―――復興を急ぐ魔法王国ドヴァーフの王都で、あたし達は次の目的地、ガゼ族の村へと向かう準備を進めていた。

 あたしの名前はオーロラ。

 西暦1862年―――マエラという南の国の、とある港町で踊り子として働いていたあたしは、ある日突然、何の因果かローズダウン国の神官達の呪文によって、新暦546年のこの時代に召喚され、今は元の世界へ戻る為、唯一の希望である“大賢者シヴァ”を復活させるべく、三人の仲間と共に旅をしている。

 簡単に、その仲間を紹介するね。



 野性的な翠緑玉色エメラルドグリーンの瞳に、月光を紡いだような不思議な色―――アマス色の髪をした青年はアキレウス。

 有名な魔物モンスターハンターである彼は、あたしに巻き込まれてしまったような形でこの旅に加わっていたんだけど、ローズダウンのいざないの洞窟で、伝説の地図に所有者として認められた。

 所持する大剣ヴァースは伝説の名工と謳われる鍛冶師グレン・カイザーの作品で、元は彼のお父さん、かつて魔法王国ドヴァーフで騎士団長を務めていた鋼の騎士ペーレウスに贈られたものなんだそうだ。お父さんと共に行方不明になったヴァースの兄弟剣ウラノスを彼は探し続けている。

 彼は、あたしがこの世界へ来て最初に出会った人物でもあるんだ。



 長めのサラサラした褐色の髪を後ろでひとつにまとめている、切れ長の淡いブルーの瞳をした青年はパトロクロス。

 彼はローズダウン国の王子で、外套を留める金のボタンには、ローズダウン王家の紋章である、四枚の翼を持つ双頭の鷹が刻印されている。腰の剣帯には愛用の長剣イクシオノス。

 普段は一国の王子様とは思えないくらい気さくで優しくて、とっても穏やか。でも、ここぞという時にはしびれるようなカリスマ性を発揮する。ビシッと決めるところは決める、我がパーティーのリーダー的存在だ。



 顎の辺りでそろえられた漆黒の髪に、勝気に輝く茶色ブラウンの瞳をした少女はガーネット。

 彼女はおばあさんから譲り受けた“波動の杖”と呼ばれる魔法の杖を装備し、腕には“守護の腕輪ガーディアンブレス”と呼ばれる状態異常を防ぐ効果のある綺麗な銀細工の腕輪をはめている。

 元気で明るい白魔導士の彼女は、パトロクロスのことが大好き。女性が苦手なパトロクロスは、そんな彼女に少々(?)手を焼かされている。



 あと、一応自分のことも述べておくね。

 あたしは腰の辺りまである長い黄金きんの髪に、藍玉色アクアマリンの瞳。腰に特殊な銀を用いて造られたという短剣を差し、腕には神の加護が得られるという魔除けのブレスレットをはめている。

 三年前以前の記憶を失っているあたしは、いつかお金を貯めて、本当の自分を探すべく旅に出たいという夢を持っていたんだけど、そんな折、唐突にこの世界へと召喚されてしまった。

 どうにかして元の世界へ戻りたいんだけど、時空を超える魔法は非常に難しいらしく、世界でそれを唯一叶えられそうなのが、大賢者とうたわれるシヴァ。

 何とあたしと同じ西暦の生まれであるという彼は、自己を封印することによって、千年もの時を生き続け、現在、深い眠りの中で目覚めの時を待っているのだという。

 彼の記した“予言の書”により、“聖女”を召喚すべく行われた儀式で呼び出されたのが、何故かあたし。

 “聖女”が求められたのは、今この地を脅かしつつある“邪悪な気配”に危機感を抱いた各国の上層部がシヴァの“予言の書”に白羽の矢を立てた為―――そしてあたしに、『大賢者復活』の任命が下ったのだ。

 勝手に異世界へ召喚された挙句、貧乏くじを引いたような格好になってしまったあたしだったけど、シヴァに会わないことには、元の世界へ戻れない。

 『目的の一致』と言ったらおかしいかもしれないけど、あたしはその任命を請け負うことにした。

 様々な苦難の末たどり着いたドヴァーフであたし達を待ち受けていたのは、人類殲滅を謀る“邪悪な気配”の元凶、ルシフェルの配下四翼天セルジュの襲来と、アキレウスと彼の父ペーレウスにまつわる魔法王国ドヴァーフの闇に葬られた“もうひとつの真実”だった。

 激しい戦闘の最中、アキレウスは父の盟友シェイド・ランカートによって施されていた自身の封印を打ち破り、四翼天セルジュ撃破後、レイドリック王により語られた“もうひとつの真実”によって、彼は父の死の真相を知った。そして―――氷の柩に眠る母の遺体と対面したのだ。

 そんな折、あたし達は思いもよらぬ報告を受け、困った事態に直面する。あたし達はドヴァーフから飛空艇を使ってシヴァの眠る島へ渡る計画を立てていたんだけど、セルジュとの戦闘によって飛空艇が大きく損傷、その計画が頓挫してしまったのだ。

 そこで急遽、“竜使いドラゴンマスター”であるガゼ族の助力を請い、竜に乗って島へ渡れないか、という案が浮上したんだけど……閉鎖的で人間に対し極度の嫌悪感と不信感を抱いている彼らの協力を取り付けるのは相当難しいと予想され、おまけに正確な村の位置も知られていないということで、どうやらその道もまた、相当険しいものになりそうだった。

 でも、どんなに難しかろうが険しかろうが、やるしかないもんね。

 ガゼ族の村へと向かう準備を進めながら、あたしは密かに気を吐いた。

 自分達を信じて前に進むだけ、だな。







 出立の前日、あたしはアキレウスの幼なじみラァムの訪問を受けた。

 王城の客室で丸いテーブルを挟んで向かい合った彼女の顔は青白く、別人のようにやつれていて、その目の周りは赤黒く腫れぼったかった。

「ごめんなさい……オーロラさん」

 か細い声を絞り出すようにして、彼女はあたしに向かい深々と頭を下げた。

 室内にはあたし達の他に立会人のアキレウスがいるだけだ。彼はテーブルから少し離れた場所に立ち、腕を組み壁に背をもたれるようにしてこちらを見つめている。

「あんなことをして……許してもらえるとは、思っていません。でも、今は……心の底から、申し訳ないことをした、と思っています。本当に……ごめんなさい」

 アキレウスを愛し求めるあまり、ラァムは傾倒する占い師シェスナの力を借りて、あたしを消し去ろうとした。けれどそれは結果的にアキレウスの命を危険に晒し、生まれ故郷ドヴァーフを壊滅の危機へと追いやる事態になってしまった。

 時間が経つにつれてラァムは自分の犯した罪の重さを深く実感し、それに押し潰されそうになって毎日泣き腫らしているのだという話をあたしはアキレウスから聞いていた。

 懺悔の涙を流しながら、ごめんなさい、と震える声で謝罪の言葉を繰り返す彼女に、あたしは穏やかな表情になるよう努めながら言った。

「顔を上げて、ラァムさん」

 ビクリと肩を震わせて、おそるおそる、といった風情で、ラァムが強張った面持ちを上げる。

「あたし……正直な気持ちとして、心の底からすぐに貴女を許すことは出来ないし、それには時間がかかる……と思う。だって……あの時はもうこのまま死ぬんだと思ったし、本当に言葉では言い表せないくらい、怖かったから。でも……でもね」

 あたしは意識的に口角を上げながら、ラァムに自分の意思を伝えた。

「わだかまりはすぐには消えて無くならないだろうけれど……でも、いつかは貴女を許したいとあたしは思っているの。それで……いつかは友達になれたらいいなって」
「オーロラさん……」

 張り詰めていたものが途切れたのか、ラァムは口元を両手で覆うようにして泣き崩れた。

「ありがとう……ありがとう、オーロラさん……ごめんなさい、本当にごめんなさい……」

 泣きじゃくり、それきり二の句が継げなくなった彼女の肩をアキレウスがそっと抱き、確認するようにあたしを見つめてくる。そんな彼に、あたしはひとつ頷いた。

「ありがとう……」

 かみしめるようにそう呟いたアキレウスの翠緑玉色エメラルドグリーンの瞳がうっすら潤んでいるように見える。幼なじみの犯した罪に、彼もまた苦しんでいた。

 ラァムの行為は、被害者であるあたしはもちろん、加害者である彼女自身も、ひいては彼女を大切に想う周りの人達をも大きく深く傷付けてしまったのだ。

 それを悟った今の彼女は、これから一生深い罪の意識に苛まれながら生きていくことになるんだろう。それが彼女の背負った咎であり、贖罪しょくざいなのだとあたしは考えた。

 ラァムはそのままアキレウスに肩を抱えられるようにして部屋から出て行った。ドアの向こうで彼女を待っていたグレイスがアキレウスから彼女を受け取り、沈痛な表情であたしに向かって一礼する。あたしも立ち上がって彼女に返礼した。

 緩やかな風がそよぐ窓の外から、街の復興を促すつちの音が聞こえてくる。

 修復されていく街並のように、時の流れと共に、人の心もいつかはきっと癒されていく。

 早く、その時が来るといいな……。

 そう願わずには、いられない。

 全ての傷が癒されることはなくとも、みんなが笑って平穏な日常を過ごせる時が、どうか早く訪れますように……。







 その日の夜、明日の出立に備えて早めにベッドに入ったものの、あたしはなかなか寝付くことが出来なかった。

 明日には、このお城を出るんだ……。

 あまりにもたくさんの出来事があったこの地を後にするのは、ちょっぴり後ろ髪を引かれる思いがした。

 ほんの数日前、世界の王達が集う“国王会議サミット”がここドヴァーフで催されることが決定したこともあって、急ピッチで進む街の復興と併せレイドリック王達は非常に忙しそうだった。

 でも、先日のセルジュとの戦闘以来弟のアルベルトが協力的になったこともあって、比較的スムーズに事は運んでいるらしい。

 詳しい経緯いきさつは分からなかったけど、今回の動乱でアルベルトなりに色々と思うところがあったみたいで、取り巻き達とは距離を置いて、兄であるレイドリック王のサポートに回ることに決めたらしい。

 あたし達の中では最悪の印象しかないアルベルトだったけど、この国の王弟殿下だもんね。彼がレイドリック王を支える立場に立ってくれるのなら、この国の地盤はより磐石で揺るがないものになる。ドヴァーフにとっては喜ばしいことだ。

 連携して国政に取り組む国王と王弟を見守るエレーンとオルティスの瞳は、とても優しかった。上がまとまると自然と城内の空気も調和が取れてくるようで、深い傷を負いながらも、とてもいい雰囲気の中でドヴァーフは再生を始めていた。

 レイドリック王はガゼの村への出立を控えるあたし達に十分な配慮が出来ないことを詫びながら、魔法効果の付与された防具一式と報奨金、そしてドヴァーフ特有の高価な魔法のアイテム類をプレゼントしてくれた。

 あたしは深みのある藍色の短衣チュニックに黒のトレンカ、ガーネットは高貴な白の長衣ローヴ、アキレウスはメタリックホワイトの鎧、パトロクロスはつや消しされた銀に近い金色の全身鎧バトルスーツと、先の戦闘で使い物にならなくなってしまった外套の代わりに上質なえんじ色の外套をもらった。

 アキレウスの鎧はドヴァーフの騎士団長が纏う全身鎧(バトルスーツ)と同じ素材で造られたものだそうで、彼の為にレイドリック王が特別にあつらえてくれたものらしい。それを知ったアキレウスはとても感慨深そうだった。

 あたしとガーネットの衣には魔力増幅効果と状態異常耐性効果、それに高い魔法防御力が備わっていて、アキレウスとパトロクロスの鎧には状態異常耐性効果と高い魔法防御力、それに精霊の加護も付与されているとかで、すごく軽いんだって。身に着けた時、そのあまりの軽さに二人とも驚いていたっけ。

 そうそう、ガーネットの幼なじみフリードも今回の戦いに貢献したとしてレイドリック王から報奨を贈られていたよ。

 そんな彼とガーネット、パトロクロスの間で、あたしが知らないうちに実はひと悶着もふた悶着もあったんだということを後でガーネットから聞いた時は、本当に本当にビックリした。

 まさか、フリードがガーネットにプロポーズしていたなんて!!!

 プロポーズ……プロポーズって求婚だよ、結婚の申し込みだよ!? スゴいよね。

 ラァムに呼び出されたあの時、ガーネットの部屋の前で佇んでいたパトロクロスの微妙な様子から、二人の間に何かあったんだろうなとは思っていたけれど……それがまさかそんな内容だったなんて、夢にも思っていなかった。

 それだけフリードはガーネットのことを本気で想っていたってことなんだろうけど、その行動の速さというか、実行力には舌を巻くなぁ。

 けれどこれまた驚くことに、つい先日、彼は彼女にその取り下げを申し出てきたんだって。

 理由は、今回の戦いで自分の未熟さを痛感したからだとか。

 時機が来たら再び申し込むつもりだと言い置いて、彼は王城を後にしたらしい。その時にちゃっかり、彼女の頬にキスを残していったんだそうだ。

 何ともはや、フリードらしいというか何というか……ガーネットから話を聞いたあたしはただただ驚くばかりだったんだけど、それはお互い様だった。

 はにかみながらアキレウスと両想いになれたことを報告すると、ガーネットは目をまん丸にして一拍置いた後、甲高い声を上げ、興奮した面持ちであたしに詰め寄ったのだった。

「え……ええぇ~っ!? ウソ、ホント!? ちょっとやだっ、いつの間に!? スゴいスゴい、おめでとう!!! ねっ、その顛末てんまつ詳しく聞かせて!!!」

 その日はそれから深夜まで、恋愛談義に花が咲いたっけ。久々に女の子同士盛り上がれて楽しかったなぁ。

 ドヴァーフに入国した時はまさか、この国でアキレウスとの関係がこんなふうに変わるなんて想像もしていなかったらびっくりだ。彼も多分、そうなんじゃないかな。

 あたしとの関係に限らず、ドヴァーフへ来て彼を取り巻く種々の事情は大きな様変わりを見せた。

 『紅焔こうえんの動乱』の裏に隠されたお父さんの死を巡る真相、自身も知らないうちに施されていた封印、それを打ち破り取り戻した記憶とチカラ、そして、氷の柩に眠るお母さんとの対面―――短い間にあまりにもたくさんの出来事が、たった一人のアキレウスに起こった。

 それは、彼にとってどれほどの衝撃だっただろう。

 ひとつひとつの出来事を頭では理解することが出来ても、それを受け入れること、感情の方はなかなか処理が追いつかないんじゃないかな……。

 自分に置き換えて考えてみると、その難しさがよく分かる。

 あたしだったらきっと、強すぎる感情が入り乱れて、頭の中がぐちゃぐちゃになって、精神的に不安定になってしまう。

 アキレウスが涙を見せたのは、レイドリック王からお父さんの真実を聞きお母さんとの対面を果たしたあの日だけで、翌日からは表面上はもういつもの彼に戻っていた。

 アキレウスは、強いな。

 けれど、決して平気なわけじゃない。

 お母さんの亡骸のあるこの場所から旅立つ彼の気持ちは、今、どんなものなんだろう……。

 あたしはベッドの中で左手の小指をかざして、そこに輝く翼をかたどった銀色のリングを眺めた。リングの中央にはアキレウスの瞳の色に似た、鮮やかな緑色のハート型の石が埋め込まれている。

 何だか完全に目が冴えてきてしまった。

 いったん眠ることをあきらめたあたしは、身体を起こして窓辺に歩み寄った。カーテンを開け、何気なくドヴァーフ城の夜景に目を走らせていると、ぼんやりとした魔法の明りに浮かび上がる眼下のバルコニーに見覚えのある人影を見つけた。

 アキレウス……。

 眠れないのか、彼は夜風に当たりながらおぼろげに風景を眺めているようだった。

 あたしはほとんど反射的に上掛けを羽織ると、自分の部屋を後にしていた。







「眠れないの?」

 声をかけると、青白い魔法の明りに浮かび上がる薄暗いバルコニーで夜風に当たっていたアキレウスは振り返ってあたしの姿を認め、ちょっと笑ったようだった。

「ああ……偶然だな、ちょうどオーロラのこと考えていた」
「ホント? 偶然だね、あたしもさっきアキレウスのこと考えていて……何気なく窓の外を見てみたらここにいるのが見えたから、来ちゃった。……邪魔じゃなかった?」
「全然」
「良かった」

 彼の邪魔にはならないんだと分かって、ほっと笑顔がこぼれる。

 あたしはアキレウスの隣に並んで、長身の彼を見上げた。お城で用意された、ゆったりとした長袖の夜着に身を包んだ彼の姿は何だか新鮮だ。

「あたしのことって、何考えてたの?」
「とりとめのないことだよ。そろそろ寝た頃かなー、とか。オーロラこそオレのことって何考えてたんだ?」
「んー……あたしも似たようなことかな」

 言葉を濁しながら、あたしは星の瞬く夜空を仰いだ。

 夜風があたしの長い黄金きん色の髪と、月光を紡いだようなアキレウスのアマス色の髪をわずかに揺らめかせていく。

「明日には、ここを後にするんだね……」
「ああ……」
「何だか嘘みたい……ここに来てからそんなに長居してるわけじゃないんだけど、ちょっと名残惜しいな。すごく色んなことがあって、密度が濃かったからかな……振り返るとあっという間で、けれど中身は凝縮されていて、重たくて」
「オレ的には試練の日々、だったなぁ。密度の濃さは半端なかった……結果的に色んな疑問も解決出来たし、『オレ自身』も取り戻すことが出来たけど」

 アキレウスが半眼を閉じ苦笑する。その瞳はうれいを帯びた光をたたえていた。

 アキレウスのこんな瞳を以前見たことがある。まほろばの森のグレンの小屋で、お父さんにまつわる話を聞いた時のことだ。

 彼は長年の疑問を解決し自分自身を取り戻すことが出来たけれど、その代償にたくさんの残酷な事実とも直面することになってしまった……そしてなお、お父さんの安否は不明のままで、それにまつわる全容は分からないまま―――残された謎も多い。

 あたしは胸が切なくなるのを覚えて、腕を伸ばしそっと彼の髪をなでた。アキレウスは少し驚いたような顔をしてあたしを見た後、精悍なその顔をうっとりするような柔らかい表情へと変化させた。

「オーロラには、伝わるんだな……」

 呟いて、自身の髪をなでるあたしの手に手を重ねる。その重みで、彼の髪に触れていた手が自然とその頬の辺りまで落ちてきた。

「久々に精神安定剤、頼んでもいいかな」

 それは以前、やはりアキレウスがこの瞳をしていた時、胸を突かれたあたしが衝動的に彼を抱きしめてしまった行為を指していた。

 あの時はまだ彼との関係はこういうものじゃなかったし、あたしの中では普通じゃ有り得なかった出来事というか、月光の魔力がもたらした夢のようなひとときとして、心の底に大切にしまいこんでいるものだったんだけれど―――。

 見つめ合う眼差しから、今は彼がどれだけ自分に心を許してくれているのかが分かる。不謹慎だと思いながらも、甘えてもらえる幸福感にとくん、と心臓が脈打った。

 出来れば幼子を抱く母親のように丸ごと彼を包んであげたいと思ったけど、長身の彼をあたしがそんなふうに包めるはずもなく、あたしは出来る限り優しく包み込むようにして、彼を抱きしめた。

 ほんの少しでも、アキレウスが癒されてくれますように。一時いっときでも、彼が安らぎを感じてくれますように……。

「温かいな……」

 アキレウスがあたしの腕の中で瞳を閉じ、吐息をつくのが感じられた。

 不思議だよね。人の体温って、本当に安心する。心が傷付いている時は、なおさらだ。

 あたしも精神的に不安定だった時、アキレウスにこうして抱きしめてもらえたことで何度救われたか分からない。その温かさがどれだけ、冷え切った心に優しく染みこんだことか……。

 どのくらい前からここでこうしていたのか、アキレウスの身体はひんやりと冷たく、彼の夜着はすっかり夜の冷気をはらんでしまっていた。そういえばさっき触れた頬も重ねた手も、とても冷たかったっけ。

「こんなに冷えて……風邪ひくよ……」
「大丈夫。頑丈さには自信あっから」
「それは知ってるけど……やっぱり心配だよ。もっと自分を大事にして」

 言いながら、アキレウスの育ての親グレイスの顔が脳裏をかすめた。彼女も常々、彼にもっと自分を大切にしてほしいと願っていたんだ。

 ついつい息子を案じる母親のような口調になってしまったあたしに、アキレウスは一瞬の沈黙の後、素直にこう答えた。

「分かった……今度から気を付ける」

 気のせいかな? 何だかその声が少しだけ嬉しそうに聞こえた気がした。

 そう思った時だった。

 掻き抱くようにして逆に彼に抱きしめられ、あたしは呼吸を止めた。

「オレは……欲張りなのかな」

 何かをこらえるような口調で、どこか苦しげにアキレウスが囁く。

「温めてもらうと、もっと温めてほしくなる。ぬくもりを感じれば感じるほど、逆にもっと触れていたくなる。優しくされればされるほど、甘えたくなる……」

 その言葉に、あたしはこれまで彼が抱えてきた深い孤独のようなものを感じた。

 両親を失ってから、辛い思いをして過ごしてきた少年時代。やがて支えてくれる親切な人達や慕ってくれる仲間達と出会ってからも、自らを奮い立たせるのに懸命で、これまで特定の誰かと深く心を通わせることがなかった……。

 それは三年前以前の記憶を持たないあたしにも言えることだった。

 アキレウスに出会うまでは、こんなに誰かを恋しいと思ったことがなかった……。

 側にいてほしいと、触れていてほしいと願う、そういう想いを、彼と出会って初めて知った。

 戸惑うような気持ちを吐露する彼のことを、あたしは心底愛しく思った。

「欲張りじゃないと思うよ……それが多分、普通なんだと思う」

 あたしは自分をきつく抱きしめてくる彼を改めて抱き返しながら言った。

「あたしも、そうだから……」

 冷たい空気を纏った、静かな森の緑の香りがする。


 重い宿命を背負った人。


 それに立ち向かう鋼の精神力を受け継いだ、強い人……。


 けれど、完全無欠な人なんていない。


 アキレウスが耳元であたしの名前を囁いた。

 様々な感情を宿して揺れる翠緑玉色エメラルドグリーンの瞳を至近距離で捉え、あたしは淡く微笑んだ。


 どちらからともなく、自然に唇が重なる。


 だから、あたしの前ではありのままのアキレウスでいてほしい。

 弱さも、迷いも、全部見せて。全てをさらけ出して、自然体のあなたでいて。

 あなたがあなたでいられる場所になりたい。あなたがあなたに還れる場所になりたい……。



 あたしにとってのあなたが、そうであるように……。 
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