影王の専属人は、森のひと

藤原 秋

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影王の専属人は、森のひと

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 あの後、苦り切った顔の護衛長から聞かされた話によると、この兄妹の間ではこれまでにも何度かこういった「お使い」のやり取りがなされ、護衛班の間では今後定型業務になっていくだろうと目されている事項ということだった。

 陛下はこの国の現状を学ばせる手段として、こうして時々シルフィール様に街での用事を言いつけ、彼女に国民の暮らしを肌で感じさせているようなのだ。百聞は一見にしかず、ということらしい。

 その際はリアルな日常を体感する為にお忍びの形を取るのだそうで、シルフィール様はこのお使いを非常に楽しみにしているのだとか。お使いから戻った後は陛下に詳細なレポートを上げているそうで、陛下としてもそこから情報を汲み取れるメリットがあるらしい。

 上に立つ人達が国の現状を知ることはとてもいいことだし必要なことだと思うけど、直接政務に関わることがない王妹という立場のシルフィール様にそこまでやらせる必要があるんだろうか……?

 そんな一抹の疑問が脳裏をかすめずにはいられなかった。危険だってないわけではないのに。

 それにしても度々行われていることであるなら、こういうことがあるのだと、事前にそういう情報をわたしにも与えておいてほしかった。もう今更だけれど……。

「陛下はいったいどういうおつもりなのかしら……これまで街へ出向く際は常に二人の護衛がシルフィール様に付く形を取ってきたというのに……あんなふうに従者を指定してきたのは初めて―――。
まあシルフィール様のような貴人がまさかクォルフを伴っているとは誰も思わないでしょうから、目眩めくらましとしては適材と言えるのかもしけないけれど」

 護衛長の言い方はいつもどこか嫌味ったらしい。

「バレンツァを一人で仕留められるほどのあなたの腕なら問題なくシルフィール様をお護り出来ると思いますけれど、くれぐれも気を引き締めて、万が一のことなどないようにお願いしますよ」

 ああ、もう何なの、その奥歯に物が挟まったような言い方は! 逐一癇に障るなぁ!

 万が一のことがあって、あなたの顔に泥を塗るような事態は避けろって言いたいワケ? だったら上長のあなたからも陛下に進言してよ、危険リスク回避の為にもう一人は護衛を伴う必要があると!

「それと、これは厳重注意です。我々の立場から陛下に意見するなどもってのほかですよ。先程は肝が冷えました。今後は陛下のご意向に逆らうような真似は控えるように」

 んなっ……! わたしだって、言いたくて言ったわけじゃない! 色々知らなかったし、何よりシルフィール様を危険な目に遭わせてしまう可能性を出来るだけ排除したかっただけなのに! 精神力ごっそり削り取られて、疲労感半端ないんだから! 

 だいたい、その指示は護衛長という立場にある人としてしてどうなの!? そんなことを言っていたら、現場の声が上に届かなくなってしまうじゃない。極端な話、陛下が間違った判断をした時に止められる人が誰もいなくなってしまうわ。それじゃ、前の政権と何も変わらなくなってしまうじゃない!

 わたしは不満を丁寧な言い方に変換しながら護衛長に訴えたけれど、いつもの通り沼に杭を打つような手応えで終わってしまった。

 ああ……組織というものはこうして風が通らなくなって、淀んで腐敗していくものなのね……その一端を見てしまった気がして、スゴく嫌な気分……。

「―――リーフィア、何だか顔が怖いけれど大丈夫?」

 鬱々とした気分になっていたわたしを暗い底なし沼から現実に引き戻したのは、隣から響いた可憐な声だった。

 つばの広い帽子を目深にかぶって街娘の格好をしたシルフィール様が、気遣わしげな色を湛えてわたしの顔を覗き込んでいる。

「あ……すみません、怖い顔になっていましたか」

 いつの間にか力の入ってしまっていた眉間を緩めながら謝罪すると、シルフィール様は砂糖菓子のようにふわりと笑んだ。

「出掛けにスラフィにお小言を言われていたみたいだったけど、そのせい?」

 スラフィというのは護衛長の名前だ。

「ええ、まあ……そんなところです。申し訳ありません、職務中に」

 いけないいけない、わたしとしたことが。今はシルフィール様の身の安全を最大限に確保することに気を払わなければならないのに。

 ―――あれから支度を整え街へと繰り出したわたし達は、たくさんの人が行き交う大通りを歩いているところだった。

 わたしは平服に着替え、街娘に扮したシルフィール様は腰から下がふんわりと広がった紺色のロングワンピースを着用している。

 わたしは枯草色の短衣チュニックに細身の黒いパンツ、こげ茶色のブーツという格好で背中に弓矢、腰には短剣を装備していたけれど、このご時世武器を身に着けている人は珍しくなく、往来には人間に混じって様々な亜人も行き交っており、クォルフのわたしが特別目を引くということもなかった。

 街の往来を並んで歩くわたし達の関係は、裕福な家庭の子女とその従者といった間柄に見えるだろう。

「職務中っていう言葉、わたくし的には寂しいわ。リーフィアは年も近いし、一緒に社会見学を出来ることになって私はとても嬉しいの。今この時だけでもお友達のように接してくれると嬉しいのだけれど」

 職務という言葉を用いたわたしに対し、シルフィール様は少しすねた顔になってそう言った。

 それを聞いて、ふと思う。

 王妹という立場にあるシルフィール様は城の者達から好かれていて華やかな立場にいらっしゃるけれど、それは実は寂しいことでもあったりするのかな。

 数年前までは地方の小さなお屋敷で暮らしていたという彼女。

 気兼ねなく接することが出来るご友人は城内にいらっしゃらないのかな。だから陛下が毎日のように部屋を訪れて声掛けをなさっているんだろうか―――。

「……紛うことなき職務中ではありますが、あまりかしこまり過ぎるのも人目を引いてしまいますから、お言葉に甘えて、いつもよりくだけた調子で接させていただきますね」

 そう応じるとシルフィール様の顔が分かりやすく華やいだ。

 表情の変化が劇的。本当に素直で可愛いなぁ、この方は。

「ありがとう。大好きよ、リーフィア」
「わたしもです、シルフィール様」
「ふふ、嬉しい」

 わたし達はどちらからともなく距離を縮めて肩を並べた。そうしてお互いの顔を見合わせ、どことなくほのぼのとした気持ちになりながら微笑み合う。

「御用があるのは獣肉亭じゅうにくていでしたね? 詳しく窺っていませんでしたが、お兄様からのお使いの内容というのは―――」
「今回の私の使命は『今、街で噂になっていること』を調査してくることよ」

 シルフィール様はどことなく気合のこもった口調で言いながら預かった真っ白い封書を開いてみせた。陛下の直筆だろうか、几帳面で綺麗な字面がそこから覗く。

「国民達が今何を求めているのか、関心を持っている事柄が何なのか、それを調査してくるのが今回私に課せられた使命なの」

 つまりは緩い世論調査のようなもの、といったところなんだろうか。

 わたしはてっきり預かった封書を獣肉亭にいる誰かのところへ届けることが今回のミッションなのだと思っていたんだけど、あの封書はシルフィール様への指示書だったのね。

 だから獣肉亭―――なるほどね、納得がいった。

 獣肉亭というのはこの王都で一番大きな食堂兼酒場だ。街の住人はもちろん、近隣からの出稼ぎ労働者や余所からの旅人までが集う、まさに情報収集にはうってつけの場所。かくいうわたしも村から街へ買い出しに来た時に何度か立ち寄ったことがある。

 しばらく歩き進めるとほどなくして、わたし達の前に二階建ての大きな建物が見えてきた。
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