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SS 影王と専属人の日常
甘いものは、好きですか?
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その日の業務を早めに終えた後、シルフィール様のお茶会に参加して楽しいひと時を過ごし、影王の執務室へと戻ってきたわたしは、無人の室内を見て、ヴァルターがいないことを思い出した。
そういえば陛下に頼まれたとかで、今日は業務を終えたら街へ情報収集に行ってくるって言ってたっけ。
遅くなるから、ここへは顔を出さずに直帰していいって言われていたんだった。すっかり忘れてた。
ヴァルターの専属人になってからというもの、業務後にここで雑談をしてから自分の部屋へ帰るクセがついていて、今日もうっかりここへ戻ってきちゃうとか、いつの間にか仕事上がりのひと時を彼と過ごす習慣がしっかり根付いちゃってるなぁ……。
「お土産持ってきちゃったわよ……」
ぽつりと呟いて、わたしは誰もいない執務室の黒い革張りのソファーに腰を下ろした。
シルフィール様のお茶会で出された、綺麗な包みに入った焼き菓子。たくさんあるから持って帰っていいわよ、というお言葉に甘えてもらってきた。
昨日何となく気まずい雰囲気になって、今日もどことなくその名残があったから、仲直りの賄賂、というわけじゃないけれど、これでいつも通りの雰囲気に戻れたらいいなって思っていたのに。
「どうしよう……?」
独りごちて、溜め息をつく。
ヴァルターのデスクの上に置いておく? でも、あの人が甘いものを好きかどうか、わたし知らないのよね。
もしも甘いものが苦手だったら嫌がらせみたいになっちゃうし……部屋へ持って帰って、自分で食べちゃう?
これ、美味しかったのよね。色んな種類のナッツが入っていて、口当たりがサクッと軽くて、いい感じに香ばしくて。
「…………」
これを食べてるヴァルターに、今日のお茶会で楽しかったこと、話したかったなぁ……。
ぽふ、とソファーの背もたれに身体を預けて天井を仰ぎながら、これを彼のデスクに置いていくべきか否か、わたしは目を閉じてしばし思い悩んだ。
深夜、執務室へと戻ってきたオレは、ソファーの背にもたれるようにして目を閉じているリーフィアの姿を見つけて驚いた。
何でこんな時間にここにいるんだ? 何かあったのか?
あせりを覚えながら大股で彼女に歩み寄ると、そんな憂慮を吹き飛ばす、健やかな寝息と無防備な寝顔がオレを出迎える。近くのローテーブルには綺麗な包みに入った菓子らしきものが置かれていて、その状況からどうやら事件性はなさそうだと判断した。
シルフィールの茶会で出された菓子を土産に持ってきて、そのまま何故かここで寝入ってしまったというところか……?
オレはひとつ吐息をつき、すやすやと眠る人騒がせな猫耳娘を見やった。
不用心にもほどがある。基本的にオレしかいないとはいえ、ここには時々外部の人間だって来るんだぞ。
よく言って聞かせないといけないな―――。
そんなことを思いながら指を伸ばして額にかかる亜麻色の髪に触れると、萌黄色の獣耳がぴくっと動いた。
……おっと。
起きる前兆にオレが手を引くのと、彼女の瞼がぼんやりと開かれるのとが同時だった。
オレを捉えた気怠げな琥珀色の双眸が、ひとつ瞬きをして、柔らかな弧を描く。
「甘いものは、好き……?」
ふわりとこぼれた、どこか甘やかな表情とたおやかな声音に、一瞬息を飲む。
「……。少しなら、美味しくいただけるタイプだけど」
「そう。良かっ……」
寝ぼけていた彼女はそこで、ハッと肩を震わせ覚醒した。
「……! ヴァ、ヴァルター。わたし……!?」
現状を把握しようと挙動不審に辺りを見回す彼女へ、オレはいかめしい顔を作って苦言を呈した。
「コラ。こんなトコで寝てちゃダメだろ、発見したのがオレ以外の人間だったらどうすんの」
「ご、ごめんなさい。そんなつもりなかったんだけど、考え事していたら、いつの間にか……」
しどろもどろに言い訳していた彼女は、その時すん、と鼻を鳴らすと、一転して渋面になった。
「……情報収集って、そういうお店に行ってきたの?」
「ああ、香水の移り香がする? 一応言っとくけど娼館じゃないよ、女の子とお酒を飲める店ではあったけど」
「何人相手にしてきたらこうなるのよ、色んな香りが入り混じっていてキツいんだけど」
「ああいうお店で働いている娘達は、自己主張するみたいにこぞって強い香りをつけるからね。真面目に仕事してるとこうなっちゃうんだよ」
「ふーん」
胡乱な眼差しでこちらを見やった彼女は、定型文のような文句を並べて立ち去ろうとした。
「疲れているところ、余計な手間をかけさせて悪かったわね。お疲れ様、また明日」
「ちょっと待って」
ソファーから立ち上がりかけていたリーフィアの手を掴んで引っ張ると、タイミングが悪かったらしく、よろけた彼女は側面からぽすん、とオレの胸に転がり込んできた。
「はい、ゲット」
「ゲットじゃない! 離してよ!」
「よしよし、少し落ち着こうか」
毛を逆立ててオレから距離を取ろうとする彼女をこれ幸いと腕の中に閉じ込めて、にっこり微笑む。すると彼女はますますいきり立った。
「何するの! 匂いが移っちゃうじゃない!」
「はは、じゃあ一緒にシャワーでも浴びる? すぐそこだよ」
「はあ? 酔ってるの、ヴァルター?」
「うーん、程良く? 酔ってはいるけど、飲まれるほどには酔ってない」
「離しなさい、酔っ払い!」
「ちゃんと話をしてくれたら離すから」
実際のところ酔うようなレベルには至っていなかったのだが(何分仕事だったし)、酔っ払いを免罪符にリーフィアを腕の中に閉じ込めたまま琥珀色の瞳を覗き込むと、彼女は不承不承といった様子で聞く姿勢に転じた。
「……何よ、話って。妙な真似をしたら許さないから」
「しないよ、そんなこと。……リーフィがこんなところで寝ちゃうまで考えていたことって、何だったのかなと思って」
「えっ」
さっきまで勇ましくオレをにらみつけていた様子もどこへやら、彼女は途端に目を泳がせると、消え入るような声になった。
「別に、大したことじゃ……」
「―――オレの見解を言っていい?」
口ごもる彼女に被せるようにして、オレは切り出した。
「え?」
「この包み、あれでしょ。シルフィールのお茶会で出された菓子が入っているんじゃない?」
「そう、だけど」
「オレの見解はね、リーフィは多分、これをお土産に持ってきたはいいけど、オレがこういうの好きかどうか分からなくて、置いて帰ろうかどうしようか悩んでいたんじゃないかなって」
「……!」
獣耳をピンと立て、ぶわっ、とリーフィアの顔が赤く染まった。
当たりか。
そんな彼女の様子に、心の中でそっと笑みをこぼす。
耳も表情も、素直で可愛いな。
出会った頃に比べて、ずいぶんと色んな表情を見せてくれるようになったものだ。それだけ彼女が自分に心を開いてくれるようになったのだと、自惚れてもいいだろうか。
「ありがとう。さっきも言ったけど、甘いもの、少し食べるのは好きなんだ。たくさんは胸焼けしちゃうんだけど、このくらいなら丁度いいな」
「……っ、そう。なら、良かったわ」
「オレのこと考えて、眠りこけちゃうまで悩んでくれたなんて嬉しいな」
「違うっ! 疲れが、疲れが溜まっていたのっっ!」
いたたまれなさを爆発させて釈明する彼女からは、オレの衣服に染み付いたものとは対照的な、いつもの日なたの匂いがする。穏やかで優しい、包み込まれて眠りたくなるような自然の香り―――このままこの娘をぎゅっと抱き締めて眠れたら、きっと気持ちがいいだろうな。
魔が差すにも似た、そんな思いが胸をかすめる。
酔っ払いにどこまで許されるのか試したい気持ちと、彼女の心遣いを無下にしたくない気持ち―――相反する思いがせめぎ合う中、やがて折り合いをつけたオレは、こつんと自分の額を彼女の額に押し当てて、静かに腕を離した。
「おやすみ。もうこんなところで寝ないようにね。次は起こさないで耳をモフるよ?」
「……! 絶対に、もうしないわ。おやすみなさいっ」
オレの腕の中からようやく解放されたリーフィアは、真っ赤な顔でそう言い残すと脱兎のごとく執務室を出ていった。
独りになった室内で、オレはテーブルの上の綺麗な包みを開けて、彼女が届けてくれた焼き菓子を口に運ぶ。
普段酒を飲んだ後に甘いものは食べないのだが、サクッと口当たりの良いその焼き菓子は甘過ぎず、上品な風味が広がって、まるで彼女の香りのように、仕事上がりの疲れた身体に小さな癒しを与えてくれるようだった。
優しい余韻だけを残して泡沫のように消えていくその甘味は、何かのバランスが崩れれば成り立たなくなってしまう自分達の関係にも似ているような気がして―――オレはそっと瞳を伏せ、一時の感情に流されかけた自分自身を戒めたのだった。
<完>
そういえば陛下に頼まれたとかで、今日は業務を終えたら街へ情報収集に行ってくるって言ってたっけ。
遅くなるから、ここへは顔を出さずに直帰していいって言われていたんだった。すっかり忘れてた。
ヴァルターの専属人になってからというもの、業務後にここで雑談をしてから自分の部屋へ帰るクセがついていて、今日もうっかりここへ戻ってきちゃうとか、いつの間にか仕事上がりのひと時を彼と過ごす習慣がしっかり根付いちゃってるなぁ……。
「お土産持ってきちゃったわよ……」
ぽつりと呟いて、わたしは誰もいない執務室の黒い革張りのソファーに腰を下ろした。
シルフィール様のお茶会で出された、綺麗な包みに入った焼き菓子。たくさんあるから持って帰っていいわよ、というお言葉に甘えてもらってきた。
昨日何となく気まずい雰囲気になって、今日もどことなくその名残があったから、仲直りの賄賂、というわけじゃないけれど、これでいつも通りの雰囲気に戻れたらいいなって思っていたのに。
「どうしよう……?」
独りごちて、溜め息をつく。
ヴァルターのデスクの上に置いておく? でも、あの人が甘いものを好きかどうか、わたし知らないのよね。
もしも甘いものが苦手だったら嫌がらせみたいになっちゃうし……部屋へ持って帰って、自分で食べちゃう?
これ、美味しかったのよね。色んな種類のナッツが入っていて、口当たりがサクッと軽くて、いい感じに香ばしくて。
「…………」
これを食べてるヴァルターに、今日のお茶会で楽しかったこと、話したかったなぁ……。
ぽふ、とソファーの背もたれに身体を預けて天井を仰ぎながら、これを彼のデスクに置いていくべきか否か、わたしは目を閉じてしばし思い悩んだ。
深夜、執務室へと戻ってきたオレは、ソファーの背にもたれるようにして目を閉じているリーフィアの姿を見つけて驚いた。
何でこんな時間にここにいるんだ? 何かあったのか?
あせりを覚えながら大股で彼女に歩み寄ると、そんな憂慮を吹き飛ばす、健やかな寝息と無防備な寝顔がオレを出迎える。近くのローテーブルには綺麗な包みに入った菓子らしきものが置かれていて、その状況からどうやら事件性はなさそうだと判断した。
シルフィールの茶会で出された菓子を土産に持ってきて、そのまま何故かここで寝入ってしまったというところか……?
オレはひとつ吐息をつき、すやすやと眠る人騒がせな猫耳娘を見やった。
不用心にもほどがある。基本的にオレしかいないとはいえ、ここには時々外部の人間だって来るんだぞ。
よく言って聞かせないといけないな―――。
そんなことを思いながら指を伸ばして額にかかる亜麻色の髪に触れると、萌黄色の獣耳がぴくっと動いた。
……おっと。
起きる前兆にオレが手を引くのと、彼女の瞼がぼんやりと開かれるのとが同時だった。
オレを捉えた気怠げな琥珀色の双眸が、ひとつ瞬きをして、柔らかな弧を描く。
「甘いものは、好き……?」
ふわりとこぼれた、どこか甘やかな表情とたおやかな声音に、一瞬息を飲む。
「……。少しなら、美味しくいただけるタイプだけど」
「そう。良かっ……」
寝ぼけていた彼女はそこで、ハッと肩を震わせ覚醒した。
「……! ヴァ、ヴァルター。わたし……!?」
現状を把握しようと挙動不審に辺りを見回す彼女へ、オレはいかめしい顔を作って苦言を呈した。
「コラ。こんなトコで寝てちゃダメだろ、発見したのがオレ以外の人間だったらどうすんの」
「ご、ごめんなさい。そんなつもりなかったんだけど、考え事していたら、いつの間にか……」
しどろもどろに言い訳していた彼女は、その時すん、と鼻を鳴らすと、一転して渋面になった。
「……情報収集って、そういうお店に行ってきたの?」
「ああ、香水の移り香がする? 一応言っとくけど娼館じゃないよ、女の子とお酒を飲める店ではあったけど」
「何人相手にしてきたらこうなるのよ、色んな香りが入り混じっていてキツいんだけど」
「ああいうお店で働いている娘達は、自己主張するみたいにこぞって強い香りをつけるからね。真面目に仕事してるとこうなっちゃうんだよ」
「ふーん」
胡乱な眼差しでこちらを見やった彼女は、定型文のような文句を並べて立ち去ろうとした。
「疲れているところ、余計な手間をかけさせて悪かったわね。お疲れ様、また明日」
「ちょっと待って」
ソファーから立ち上がりかけていたリーフィアの手を掴んで引っ張ると、タイミングが悪かったらしく、よろけた彼女は側面からぽすん、とオレの胸に転がり込んできた。
「はい、ゲット」
「ゲットじゃない! 離してよ!」
「よしよし、少し落ち着こうか」
毛を逆立ててオレから距離を取ろうとする彼女をこれ幸いと腕の中に閉じ込めて、にっこり微笑む。すると彼女はますますいきり立った。
「何するの! 匂いが移っちゃうじゃない!」
「はは、じゃあ一緒にシャワーでも浴びる? すぐそこだよ」
「はあ? 酔ってるの、ヴァルター?」
「うーん、程良く? 酔ってはいるけど、飲まれるほどには酔ってない」
「離しなさい、酔っ払い!」
「ちゃんと話をしてくれたら離すから」
実際のところ酔うようなレベルには至っていなかったのだが(何分仕事だったし)、酔っ払いを免罪符にリーフィアを腕の中に閉じ込めたまま琥珀色の瞳を覗き込むと、彼女は不承不承といった様子で聞く姿勢に転じた。
「……何よ、話って。妙な真似をしたら許さないから」
「しないよ、そんなこと。……リーフィがこんなところで寝ちゃうまで考えていたことって、何だったのかなと思って」
「えっ」
さっきまで勇ましくオレをにらみつけていた様子もどこへやら、彼女は途端に目を泳がせると、消え入るような声になった。
「別に、大したことじゃ……」
「―――オレの見解を言っていい?」
口ごもる彼女に被せるようにして、オレは切り出した。
「え?」
「この包み、あれでしょ。シルフィールのお茶会で出された菓子が入っているんじゃない?」
「そう、だけど」
「オレの見解はね、リーフィは多分、これをお土産に持ってきたはいいけど、オレがこういうの好きかどうか分からなくて、置いて帰ろうかどうしようか悩んでいたんじゃないかなって」
「……!」
獣耳をピンと立て、ぶわっ、とリーフィアの顔が赤く染まった。
当たりか。
そんな彼女の様子に、心の中でそっと笑みをこぼす。
耳も表情も、素直で可愛いな。
出会った頃に比べて、ずいぶんと色んな表情を見せてくれるようになったものだ。それだけ彼女が自分に心を開いてくれるようになったのだと、自惚れてもいいだろうか。
「ありがとう。さっきも言ったけど、甘いもの、少し食べるのは好きなんだ。たくさんは胸焼けしちゃうんだけど、このくらいなら丁度いいな」
「……っ、そう。なら、良かったわ」
「オレのこと考えて、眠りこけちゃうまで悩んでくれたなんて嬉しいな」
「違うっ! 疲れが、疲れが溜まっていたのっっ!」
いたたまれなさを爆発させて釈明する彼女からは、オレの衣服に染み付いたものとは対照的な、いつもの日なたの匂いがする。穏やかで優しい、包み込まれて眠りたくなるような自然の香り―――このままこの娘をぎゅっと抱き締めて眠れたら、きっと気持ちがいいだろうな。
魔が差すにも似た、そんな思いが胸をかすめる。
酔っ払いにどこまで許されるのか試したい気持ちと、彼女の心遣いを無下にしたくない気持ち―――相反する思いがせめぎ合う中、やがて折り合いをつけたオレは、こつんと自分の額を彼女の額に押し当てて、静かに腕を離した。
「おやすみ。もうこんなところで寝ないようにね。次は起こさないで耳をモフるよ?」
「……! 絶対に、もうしないわ。おやすみなさいっ」
オレの腕の中からようやく解放されたリーフィアは、真っ赤な顔でそう言い残すと脱兎のごとく執務室を出ていった。
独りになった室内で、オレはテーブルの上の綺麗な包みを開けて、彼女が届けてくれた焼き菓子を口に運ぶ。
普段酒を飲んだ後に甘いものは食べないのだが、サクッと口当たりの良いその焼き菓子は甘過ぎず、上品な風味が広がって、まるで彼女の香りのように、仕事上がりの疲れた身体に小さな癒しを与えてくれるようだった。
優しい余韻だけを残して泡沫のように消えていくその甘味は、何かのバランスが崩れれば成り立たなくなってしまう自分達の関係にも似ているような気がして―――オレはそっと瞳を伏せ、一時の感情に流されかけた自分自身を戒めたのだった。
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