影王の専属人は、森のひと

藤原 秋

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SS 影王と専属人の日常

盛大な行き違い

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 それは王都で流行り病が発生し、その治療に用いられる薬の備蓄が充分でない、という話をヴァルターから聞いたわたしがこう答えたことに始まった。

「その原料になる薬草、クォルフの村になら少し提供出来るものがあるかも」
「本当?」
薬師くすしをしている幼なじみが管理している薬草園があるの。村の人達の分も必要だから、たくさんは無理だろうけど」
「へえ。多少でも、それを分けてもらえたらありがたいな。クリストハルトに話してみる」

 ヴァルターが陛下に確認を取ったところ、提供出来る分があればぜひ頼みたいという回答だったので、その命を受けたわたしは約半年ぶりにクォルフの村へ赴くことになった。

「何もあなたまで付いて来なくても……わたしだけで良かったのに」

 馬を駆り、並走するヴァルターを見やって言うと、赤銅色の肌に白金色の髪をした端整な顔立ちの青年は、屈託のない笑みを浮かべてこう答えた。

「一度行ってみたかったんだよね、クォルフの村。リーフィの故郷なんだし、同じ職場で働く者として、村の人達に挨拶しておかないと」
「行商人以外の人間が来ることなんてまずないから、珍しがられて囲まれるわよ。素顔のままで問題ないの?」
「国王の顔なんて、一般の人達は知らないから問題ないよ」
「名前は? ヴァルターのままでいいの?」
「そこは念の為ヴァルにでもしておこうか」

 ヴァルね……了解。

「リーフィの幼なじみって、どんな人?」
「寡黙だけど、天然が入っていて可愛いところもある人よ。イーファっていってわたしと同い年なの。昔から植物が好きで、それが高じて薬師になった感じかな」

 昔はよく一緒に森の中を散策して遊んだっけ。植物に詳しいイーファが、自分の知らない植物の神秘を分かりやすく解説してくれるのが好きだった。普段は寡黙なのに、植物のこととなると熱中していつまでも止むことのない、生き生きとした喋り。心から楽しそうな横顔が、今でも目に焼き付いている。

 会うのは久し振りね……それにみんな、元気にしているかしら。

 村へ着くと、入口で見張りをしていた筋骨隆々の村の番人バルトさんがわたしに気付いて野太い声を上げた。

「おおっ、リーフィアか!? 久し振りだな、元気だったか!?」
「おかげさまで。バルトさんも元気そうね。村のみんなも変わりない?」
「おおっ、変わらずみんな元気だ! 今日はどうした? お転婆が過ぎて城を追い出されたのか!?」
「違うわよ。イーファに用があってこの人と来たの」

 傍らのヴァルターを紹介すると、バルトさんは上から下まで無遠慮に彼を眺めた後、しっかりとした眉をひそめた。

「妙に整った男だなぁ~、城にいる人間の男ってのはみんなこんな感じなのか? だが、弱っちくはなさそうだな。服の上からでもちゃんと鍛えているのが見受けられる」
「それはどうも。強い男性にそう言ってもらえるのは光栄です」

 ヴァルターが余所行きの笑顔で応じると、強いと称えられることが何よりも嬉しいバルトさんは相好を崩した。

「はは、まあゆっくりしていけ。イーファなら薬草園にいるはずだ」
「ありがとうございます」
「リーフィア、後でちゃんと実家にも顔を出すんだぞ」
「分かってる。ちゃんと顔を出してから帰るから」

 バルトさんと別れて村の中を進んでいくと、ヴァルターがそっと耳打ちしてきた。

「今のって、親戚のおじさん?」
「違うけど……小さい頃から知っているし、まあ似たようなものかしら。この村の人はだいたいあんな感じよ」
「バルトさんゴツくてデカかったけど、獣耳は可愛かったね」
「何よそれ……」

 この人、獣耳が付いていれば誰でも可愛いのかしら。

 薬草園に向かう途中、何人もの村の人達に会ったけれど、その都度ヴァルターは恵まれた容姿と持ち前のコミュニケーション能力の高さを発揮し、老若男女問わず好印象を獲得することが出来たみたいだった。

 これはもう才能よね……どうしたらあんなふうにたやすく人の懐に入り込めるのかしら。

 そんな感じで道草を食いながら進むことしばし。村の奥にある薬草園にたどり着いたわたし達は、三角屋根のついた管理小屋のドアをノックした。

「イーファ、いる? リーフィアよ。あなたにお願いがあって来たんだけど……」
「リーフィア?」

 中から懐かしい声が聞こえて、木製のドアが開く。久々に見えた幼なじみの姿に、わたしの顔は自然とほころんだ。

 わたしより色素の薄い腰の辺りまである長い髪に、物憂げな切れ長の瞳。秀麗な顔立ちをした線の細い青年は、傍目には分かりにくい驚きと喜びの入り混じった顔でわたしを出迎えた。

「えっ? 幼なじみって、男?」

 背後でヴァルターがそう呟くのが聞こえて、そういえばイーファの性別を伝えていなかったことを思い出す。

「リーフィ……! いつ戻って来たんだ? 君は本当に、いつも唐突で……。僕に何の相談もせずいきなり王城へ行ってしまったり、後で知った僕がどれだけ驚いて寂しい気持ちになったか……」
「ごめんなさい、あの時はわたし自身思ってもみなかった展開で、本当に突然だったのよ。今回も急で、申し訳ないんだけど」
「言いたいことはたくさんあるんけど……」

 イーファはヴァルターにちらと目をやり、「この人は?」と無言でわたしに問いかけてきた。

「王城で一緒に働いているヴァルよ。今日は陛下からの要望をあなたに伝える為に一緒に来てもらったの」
「……国王直々の要望? 僕に?」

 いぶかしげなイーファの表情は、まあ無理もないわね。国王陛下なんてこの世で自分に一番縁遠い人物だって、つい半年前までわたし自身思っていたもの。突然その名を出されても、にわかには信じがたいわよね。

「……こんなところで立ち話も何だから、とりあえず中へ。用件を聞こうか」

 わたし達を室内へと招き入れたイーファは、事の顛末てんまつを聞き終えると納得した顔になり、鷹揚に頷いた。

「流行り病には迅速かつ確実に対処すべきだ。そういうことなら協力するよ。村に必要な分を除いた余剰分を君達に持たせよう」
「本当? ありがとう、スゴく助かるわ」
「薬師としての責務もある、当然だよ。さっそく説明するからちょっと来て」

 管理小屋から薬草園へと移動したわたし達は、整然と管理された園内の瑞々しい緑の景色に目を輝かせた。

 ここへは久し振りに来たけれど、何度来ても気持ちがいいな。生命力に溢れた緑と、爽やかなハーブの香りに癒される。肺いっぱいに澄んだ空気を吸い込むと、まるで身体が浄化されていくよう―――。

「君達に譲れるのはこのうねのここからあそこまでだな。この薬草の葉の摘み取り方は―――」

 イーファにレクチャーを受けたわたし達は、さっそく薬草の採取に取りかかった。

「いい薬草園だなぁ。オレ、こういうのはまるっきりの素人だけど、何となく分かるよ。植物の葉っぱが生き生きしているっていうか、のびのびしているのが見て取れるもんね。手入れの行き届いた環境で、太陽の光いっぱいに浴びて、大切に育てられているのが伝わってくる」
「イーファは本当に丁寧に愛情を込めて育てているのよ。ここの子達は幸せね」

 そんな会話を交わしながら、わたし達は教えられたとおりに薬草を摘み取っていった。作業を一緒に手伝ってくれたイーファは黙々と手を動かしながら、どこか嬉しそうな表情でわたし達の会話を聞いていた。

 夕刻前に薬草の摘み取り作業を終えることが出来たわたし達は、イーファにお礼を言い、陛下から預かってきた謝礼金を彼に手渡した。

「急なお願いだったから、謝礼を弾んで下さったみたい」

 それを無言で受け取り中を確認したイーファは、弾まれているはずの報酬を目にしても特に何の感動も見せず、しばらくの沈黙を置いて、それとはまったく関係のないことをわたしに尋ねてきた。

「……これで終わり? リーフィはもう行っちゃうの? せっかく……久し振りに、会えたのに―――」
「え? ええ……この薬草を王城に届けないといけないから」
「そこのヴァルに任せるわけにはいかないの?」
「そういうわけには……陛下への報告もあるし」

 ……イーファ? 何だからしくない。どうしたのかしら?

 頭ひとつ分高い位置にある幼なじみの顔を困って見上げると、秀麗な顔に寂しそうな影が落ちた。

「……リーフィは平気なの? 僕とまた、しばらく会えなくなっても」
「イーファ……」
「何か……僕だけ、寂しがっているみたい。……恋人なのに」

 ……え!? 恋人!?

 思わぬ発言がイーファの口から飛び出たことに、わたしは心の底から驚いた。

「えっ!? い……いつの話をしているの!?」

 ぎょっとして聞き返すと、きょとんとした面持ちで問い返された。

「? 現在進行形でしょ?」
「ええ!? わたし達が付き合っていたのは13歳の時じゃない、とっくに自然消滅で終わっているでしょう!?」
「え……」

 そう呟いたきり、イーファは目を見開いて絶句した。

 え……ええーッ!? えええええーッッ!?

 嘘でしょう!? こんなことってある!?

 言葉を失って見つめ合うわたし達の傍らで、何とも言えない表情をしたヴァルターが無言で事の成り行きを見守っている。

「―――ちょ、ちょっと待ってよ、イーファ……」

 わたしは眩暈を覚えながら口を開いた。

 確かにわたし達は、13歳の時に付き合っていた。イーファから告白されて、付き合うことになったのだ。

 当時のわたしは異性として彼のことが好きかどうかよく分かっていなかったし、そのことをあまり深く考えてもいなかった。単純に彼のことは幼なじみとして好きだったし、年齢的に恋人という関係に憧れと興味を持っていたこともあって、比較的簡単に差し出された手を取ったのだ。

 付き合って最初の頃の方は、二人きりになる度にドキドキした。恋人ってどんなことをするのかな、今までとはどう違うのかな、なんて、年頃の少女らしい夢見た気持ちになった。

 けれど、恋人という関係になったはずのわたし達の間には、何の変化も起こらなかった。

 二人きりになっても特別なことは何もなく、デートというデートに行ったこともない。外出するのは今まで通り森の中を散策する時だけで、会話の内容も幼なじみだった頃と変わらない。

 それが繰り返されるうちに、恋に夢見ていたわたしの気持ちはすっかりしぼんでいき、イーファのことを恋人という目では見れなくなっていった。あの告白だと思っていた彼の言葉自体が実は告白ではなくて、幼なじみとして大切に思っているという意味合いの表現でしかなかったんじゃないか、とさえ思った。

 イーファは、どういう意味でわたしに好きだと言ったんだろう?

 面と向かってちゃんとそれを聞ければ良かったのだと思う。けれど思春期だった当時のわたしにはそれを直接イーファに確かめる勇気もなくて、回りくどい言い方でしか、彼に確認を取れなかったのだ。

「イーファは、幼なじみとしてのわたしを大切に思ってくれているのよね? わたしが、その……幼なじみとしてのあなたを思っているように」
「? 幼なじみとしてのリーフィは大切だよ、当たり前じゃないか」
「……そう。イーファはわたしと一緒にいて、その……どんな感じ? 楽しい? ドキドキする?」
「リーフィの前ではありのままの僕でいられるから、緊張はしないよ。……スゴく呼吸がしやすい」
「そう。……。イーファ、わたし達、お互いを大切に思っている関係には変わりないわよね。ずっと、このままでいいのよね」
「? ……うん。そうだね」

 別れようとか、終わりにしようとか、具体的な言葉を交わしたわけじゃなかった。

 別に嫌いになったわけじゃなかったし、それは彼も同じだということは分かったから、えて気まずい雰囲気を作り出すこともないだろうと思った。

 ただ、この時点でわたしの中ではイーファとの恋人関係は終わり、彼は元の幼なじみに戻って、異性として意識する相手ではなくなったのだ。

 今にして思えば最初から、わたしはイーファを人として愛してはいるけれど、異性としては愛していなかったのだと思う。ただ、恋人という響きに憧れて、恋に恋をしていた。

 それからは幼なじみとしてしか彼に接してこなかったし、イーファの方も特別恋人に求めるような要求はしてこなかった。だから、わたしとしては自分の意思が彼にも伝わっていて、彼もそれに納得してくれたものという認識でいたのだ。

 ―――それなのに。

 別れてから早七年、けっこうな年月としつきを経ているのに、まさかここへ来て、彼の口から「恋人」というワードが出てくるとは思わなかった。

「……知らなかった。リーフィが、そんなふうに思っていたこと。あの時の言葉に、そんな意味があったこと」

 わたしの口から初めてそれを聞かされたイーファはかなりの衝撃を受け、ひどく落ち込んだようだった。

「僕は、君のことが大切だから、大事にしたくて。下手に触れて、傷つけたくなくて……」
「イーファ……」

 そうだったの……知らなかった。

「そうか……僕が、気が付かなかっただけで……僕達は、とっくにただの幼なじみに戻っていたんだね。だから……リーフィは僕に相談しないで、自分の進路を決めたのか。
は、納得……いくら何でもおかしいと思ったんだ、恋人に何も言わずにそんなことを決めて、一人で村を出て行ってしまうなんて。……。そうか……」

 イーファなりに違和感を感じてはいたのね。だから、今日は口数が多かったのかしら。

 あんなふうに感情を露わにしてごねるようなこと、普段の彼ならしないもの。

「……ごめんね。わたしもきちんと言葉にすれば良かったんだわ。あの頃は、それが出来なくて……あなたに長い間勘違いさせてしまったこと、気付かなくてごめんなさい」

 申し訳なく思いながら頭を下げると、イーファは力なく首を振り、「僕こそごめん」と、消え入りそうな声で呟いた。



<完>
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