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リュカ(本編補足)

14話 君に恋をする

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 どうにか謁見の間に着いて、リュミエールから少し離れた場所で父上から王命を受けたあとは、大臣達を含めて今後の話をした。それから荷物を確認しているうちに時間が経ち、夕方前には誕生日パーティー開始である。

 パーティーでは相変わらず、ノエルから話しかけてきた。誕生日祝いの言葉をもらい、そのまま王命の話になる。ただし以前とは違っていて。

「ご安心ください、リュカ殿下。私が兄様の代わりに、完璧に護衛を勤めますので。そして兄様の代わりに、国の脅威を退けてみせます!」

 とても明るく前向きな理由を告げられた。ザガンの影響ですごく変化している幼馴染に、いつものようにニコリと微笑んで了承する。

 準備を終えて、3日にはみんなに見送られてノエルと王都を出発。その数日後には、雪に覆われた山道を進んでいた。そろそろアイビィと遭遇する頃だろうか? ノエルに被害が及んだら面倒なことになるので、気配を探りながら馬を歩かせる。

 しばらくすると、前方にそれらしき気配を見つけた。あと少し近付けば、魔法射程範囲内になる。だから剣の柄を握り、鞘から抜こうとした、のだけど。

「リュカ! 前方にモンスターがいます! ――雪月花!」

 俺が剣を抜くより先に、後方から馬を走らせてきたノエルが横を通りすぎて、駆けるまま剣技を放った。斬、斬、斬、と細くも鋭い剣筋が触手や枝を切り落とし、アイビィ本体にも直撃する。そのまま魔素となり飛散。……えっ?

「あっちにも! 聖氷輪!」

 馬を止めたノエルがまた剣技を放つと、大きな斬撃が飛んで、横から近付いてきていた2体目も倒してしまった。……あれ?

「完了しましたよリュカ」
「あ、う、うん。ありがとうノエル」
「護衛として当然の勤めです。あの程度の相手に、わざわざリュカの手は煩わせませんよ」

 内心とても驚いたけど、ニコリと微笑んで頷いたので、気付かれはしなかっただろう。

 ノエルが以前と違うのはわかっていた。でもまさか、強さにまで変化があったなんて。憎悪ではなく、憧憬で鍛練し続けていたから? なにせノエルの中にいるザガンは、完璧超人である。……俺の中にいるザガンも似たようなものだけど。

 とにかくこんなにも変わったからか、それともここが現実である可能性が高くなったからか、ノエルに対する嫌悪感はすっかり消えていた。
 代わりに罪悪感が湧いてくる。彼女が人形ではなく人間だとしたら、かつて抱いていた嫌悪感は、彼女からしたらあまりにも理不尽なものだから。

「…………ごめんねノエル」
「ん? 何か言いましたか、リュカ」
「ううん、なんでもないよ」

 嫌悪して死なせてしまった過去がある。感情のままに、拒絶したことも。そして好きになったことも。どれも俺の中にしか存在していない過去であり、そのどれもが、罪悪感だけを募らせてくる。

 ごめんねノエル。俺が勝手に勘違いしたせいで、君への好意が嫌悪に変化してしまって。しかもずっとずっと大嫌いだった。
 ごめんね、かつて俺を好きになってくれたノエル。君に恋愛感情を抱くことはもう二度と無いし、正直今のノエルの方が、好ましいくらいなんだ。だってザガンのことが大好きなノエルは、たくさんザガンの話をしてくれるから。





 ノエルから兄様という言葉を聞くたびザガンのことを思い出しながら、9日には第1都市に到着した。
 領主にお世話になり、翌日には冒険者ギルドで登録する。気になっていたザガンのことも聞いてみたものの、守秘義務があるので答えられないと言われてしまった。この都市にいるかだけでも知りたかったな。けれど決まりなので仕方無い。

 11日からはダンジョン攻略である。以前よりノエルが頼りになるので、どんどん前に進めた。なのでミランダとは会わないかもしれないと思っていたけど、結局記憶と違う階層、違うモンスターと戦っている彼女に遭遇した。
 仲間になることが、アカシックレコードに記録されているから? だって世界が何度も俺をタイムリープさせてもほとんど変えられなかったくらい、アカシックレコードは強いものである。

 つまりザガンとも会えるかもしれないんだ。その可能性が高くなってきて、期待でドキドキしてしまう。モンスターに囲まれて死んだ記憶があるので攻略中はちゃんと注意したけど、休憩中はどうしてもザガンのことばかり考えてしまっていた。

 ちなみにミランダは、記憶にあるままだった。俺と接点が無いのは当然だけど、冒険者であるザガンとも、何も無かったみたいだ。どうしてか、そのことにホッとしている自分がいる。







 ボスフロアに着いたのは1月21日。以前よりも明らかに早くて、扉を開くのに躊躇してしまう。だってこのままボス戦に突入したら、ザガンと会えないかもしれないじゃない。扉前にあるセーフティ空間で、数日待機しても良いかな?

「リュカ、どうしたんですか?」
「……ううん、なんでもないよ。この先がボスみたいだし、気を引き締めて行こうか。体調は大丈夫だよね?」
「はい、万全です。さぁ行きましょう!」
「アンタ達は私が守ってやるから、大船に乗ったつもりでいな!」

 本当は嫌だったけれど、数日待機するような理由も浮かばず、2人の威勢に流されるまま扉を開く。
 だというのに、そこにいたのはボスではなかった。ボスはすでに討伐されていて、代わりに祭壇に人が立っている。星の欠片も、台座から無くなっていた。

「あれ、先を越されてしまっているね」
「私達よりも先に、来ている方がいるなんて。それも1人で? すごいです」

 誰かが先にいるという予想外の光景に、ポロッと言葉が出ていた。ノエルも感心している。
 こんなことは初めてで、とにかく誰か確認しようと祭壇に近付いていくと、相手はじっと俺達を見下ろしてきた。見られているという感覚は伝わってくるものの、その目元はフードの影で隠れていて、よくわからない。

 ただ、とても静かな雰囲気の人だった。それにすごく懐かしい。……えっ、まさか……ザガン?

「私達が最初だと思ってたんだけどね。アンタ、何者だい?」

 内心驚いている間にも、ミランダが彼に声をかけていた。そしてその答えは。

「……ザガンだ」

 ああ――ザガン。ようやくまた、君に会えた。すごく、すごく嬉しい!

「ザガンだって? 僅か数年でSランクになったっていう、深淵の闇ザガンかい。とんだ大物に出会えたもんだねぇ。リュカ、ノエル。コイツは闇属性だよ。星の欠片を奪わないと、厄介なことになる」
「えっ。でもこの方は、冒険者なのでしょう? それもSランクの」
「闇属性の連中がどれほど危険か、お嬢ちゃんは知らないのかい!?」
「それは、知っていますが」

 俺は20年も君に会えなくて、とても寂しかったよ。どうしているのか、すごく心配した。でもそんな君が、すぐそこにいる。それがとてつもなく嬉しくて、歓喜で胸がいっぱいになる。
 今すぐ君といろんな話をしたい。君にループ前の記憶が残っているか確認したいし、どうして冒険者になったのかも聞きたい。今までどんな生活を送ってきたかも。

 でも闇属性に対してミランダが憤ってしまっているので、まずは場を沈めようと、1歩前に出た。

「ザガンと言ったね。俺はリュカ・ソレイユ。君が悪いわけではないけど、闇属性の者達が危険視されているのも事実なんだ。だから君が入手した星の欠片を、王城まで預からせてもらえないかな。もちろん、君が入手したものとして王に報告する。どうだろう?」

 冒険者である今のザガンなら、星の欠片を必要としないはず。だから渡してくれると良いんだけど。それとも俺達のことは、信用出来無いかな?
 ループしているなら、俺のことはわかっているだろう。でもノエルが4歳の時に別れているので、大人になっている彼女を、妹とは気付いていない可能性がある。しかもミランダは、敵意を向けてしまっている。

 ザガンはちょっと首を傾げて逡巡する素振りを見せたあと、再び俺を見つめてきた。

「――貴様らは、闇属性の者達に対してなら、何をしても許されるのだろう? 迫害して殺しても、罪に問われないのだろう? ならば、俺を殺して奪えば良い。それでも貴様らは、悪にはならないのだから」

 うんうん、ザガンはこんな声だった。記憶にある口調よりもだいぶ丁寧だけど、その挑発してくるような内容はザガンそのもの。また君の声が聞けて……また君に会えて、本当に嬉しい。

 感激している間にも、激昂したミランダがザガンに攻撃していた。飛んでいく炎。それをザガンは、短剣を軽く払っただけで掻き消してしまう。相変わらず素晴らしい魔力操作だ。

 ミランダは舌打ちすると、身体強化して祭壇を駆け上がっていき、途中で跳躍した。

「火炎斬!」

 炎に包まれた斧が、ザガンに振り下ろされる。人間相手にあんな全力で攻撃するなんて、本気で殺すつもりとしか思えない。
 今のザガンは暗殺者じゃないのに。もし殺してしまったらミランダが犯罪者になってしまうのに、それに気付かず怒りに任せて攻撃するなんて、あまりにも愚かすぎる。

 でもザガンは、上から叩き付けてきた攻撃を短剣で軽々受け止めるし、それどころか斧を弾いた。相変わらずすさまじい身体強化である。さらには空いた胴体に、蹴りを入れた。

「ぐあ……ッ!」

 吹っ飛ばされたミランダが頭上を通過していき、後方からドシャと落ちる音が聞こえてきた。ザガンは彼女を追うように、ゆっくり階段を下りてくる。

「あ……、あっ……えっと」

 後方を驚きながら見ていたノエルが、ザガンが近付いてきたことに気付いて剣を抜こうとする。けれどそれは叶わなかった。

 ノエルに黒い触手が何本も伸びたから。剣が抜けないようにグルグル巻かれるし、足首まで拘束されて、倒れそうになったところを持ち上げられる。そのまま横に伸ばしてノエルを退かすと、触手を切り離した。

 あの触手、魔力操作によるものだよね? 切り離しても原型を留めているとなると、闇属性は、水属性や土属性に近いのだろうか。光属性が火や風に近いので、たぶんそうだと思う。

 ザガンは臨戦態勢を取らない俺には何もせず、傍を通り過ぎていった。腕を掴める距離だったものの、掴もうとした瞬間には俺にも触手が伸びてくる気がしたので、ただただ動向を見守る。

 ミランダは立ち上がっていたが、地面に叩き付けられたからか、すでに満身創痍だった。それでもザガンに向かって、斧を構える。

「こん、の……ぉ!」

 ザガンが間合いに入ってすぐに、ブオンッと斧を振った。それも短剣で防がれるが、ミランダは弾かれてしまう前に刃の軌道を変えながら、どんどん攻撃を繰り出していく。

 斧をあれだけ振り回せる腕力はさすがだ。でもザガンは短剣で全部防いでるし、それどころか圧倒的に速い。斧の振られる軌道先に、すでに短剣が待ち構えている状態である。まるで遊ばれているみたいだ。

「くっそ、は、……はぁぁ!」

 あまりにも防御され続けてイライラしたのか、ミランダは大きく振りかぶってしまった。下ろされる斧、防御せずに横に避けるザガン、ドンッと地面に突き刺さる刃。
 石礫が飛散するも魔法壁で完全に防がれており、しかも彼の短剣は的確にミランダの右手を捉えた。

「あぐぅ!? うああ、がっ!」

 右手の甲に短剣を刺されて、呻きながら斧から手を離したミランダ。そんな彼女の脇腹にまた蹴りを入れて、壁まで吹っ飛ばした。相変わらず蹴りが得意なザガンである。

 壁に激突したミランダは地面に落ちると、動かなくなった。血が流れているのは右手だけだし、気配は消えていないので気絶しただけ。

 ザガンは数秒経ってもミランダが動かないのを見届けると、こちらに顔を向けてきた。

 ああ、ザガンがすぐそこにいる。こうしてまた対峙していることが嬉しくて、嬉しすぎて、何から伝えればいいかわからなかった。
 君に会えて胸がいっぱいだ。でも、だからこそ残念なこともあって。今のザガンは暗殺者じゃないからか、いまだにフードを被り、黒髪を隠していた。目元さえもきちんと見えておらず、あれでよくミランダの攻撃を全部防いでいたと、感嘆するくらい。

 君の顔をきちんと見たい。そしていろんなことを話したい。君の話もたくさん聞きたい。君を、知りたい。

 だから剣を抜いた。これが今の君を知れる、もっとも早い手段だから。――『戦えば伝わってくるもんがあるだろ。剣を交わすことで、わかるものがある』。そう言っていたのは、他でもない君である。

 身体強化して剣先を向けると、ザガンも短剣を構えてきた。それに魔法杖も。どちらも使わないといけないと判断されただけで嬉しくなる。

「いくよ、ザガン」

 宣言すると、律儀にコクリと頷かれた。なのですぐに地面を蹴り、間合いを詰めて剣を振り下ろす。ガツンッと魔法杖で防御され、間髪入れず短剣による突きが来た。それを小盾で受け止めたら横に弾きながら反動で後方に飛んで、直後に繰り出された蹴りを避ける。

「ライトニング!」

 魔法を放つも瞬時に張られた魔法壁で防御され、無傷に終わる。そして斬りかかってくる短剣。でも反応出来る速度だったので、また盾で防いだ。

 それから続けざまに攻撃されて、どれも剣や盾で防いだけど、反撃出来る隙がまったく見当たらなかった。

 やっぱりザガンは強いな。そしてその剣筋も、鋭いのに優しくて……こちらの技量を測り、合わせてくるのも変わらなくて、懐かしさを覚える。

 変わらない君に心があったかくなるけど、それでも物足りないのは、未だに顔をきちんと見れていないから。

 フードを脱いでほしいと言葉で頼んでみたとこらで、ザガンのことだから、見たけりゃ脱がせてみせろよと挑発してくるだろう。そして完璧に防御されて脱がせられなくて、バカにされてしまうと。

 もちろんザガンが楽しんでくれるならそれでも良いけど、結局きちんと顔を見られないかもしれない。それよりは伝えずにどうにか脱がせた方が、ザガンを驚かせられるし、認められるんじゃないかな。

 だから頑張った。どうにかフードを脱がそうと。そしてまた、君に認められる為に。

 ザガンからの刃を全部防御しながら、攻撃に転じられる瞬間を図る。1撃1撃が重くてこのままでは弾けないけど、タイミングを合わせて一瞬だけ身体強化を強めれば――……今!

「はぁ! 迅雷斬!」

 盾で短剣を弾きながら右手にも魔力を込めて、空いた懐へと剣技で攻撃する。バリバリと光を纏った剣は、もちろん彼の杖で防がれてしまった。しかし受け止めたところから雷が伝達してある程度ダメージが入るのが、この剣技である。

「ッ……」

 身体強化されて大きく払われたけど、痛みや痺れで左腕がきちんと動かないらしく、構えるのが明らかに遅かった。その空いた左側に。

「サンダーアロー!」

 顔や頭を怪我しないように、でもフードが脱げるようなギリギリを狙い、魔法を放つ。至近距離を光が通過していくその速さと、長く経験を積んできた魔力操作による威力とで、ぶわりとフードが脱げた。それからターバンも落ちていく。きっと黒髪をより完璧に隠す為に、巻いていたのだろう。

 そしてようやく見えた、君の瞳は……。


 なんて、綺麗で鮮やかな、そして力強い、赤。


 射抜かれる。身体を、心臓を。呼吸を忘れるほどの衝撃が、全身を駆け巡っていく。

 俺はこの感覚を知っている。その目で見られるだけで、自分さえも現実になれるような、強烈な感覚。たとえこの世界が偽物だとしても、それでも君だけは、現実なのだと。

 ああ、色褪せていたはずの世界が、鮮やかに色付いていく。君を起点にして、全てが現実に変わっていく。

 君は、君はもしかして――……。





 気付いたら、仰向けに倒れていた。全身が痛い。たぶん至近距離で魔法を使われたんだと思う。そのあと蹴り飛ばされたか。

 あちこち痛くて動けそうにないのに、まだ夢心地で頭がフワフワしていた。ずっと世界が輝いている。ボスフロアの無骨な天井さえも、キラキラしていた。

 眩しさにぼんやり見つめていると、視界にザガンの顔が入ってくる。そのせいでさらに眩しくなるし、しかも綺麗な赤目でじっと見つめられるから、息が詰まりそうになった。

「見事な黄金の髪だからどれほど強いかと思えば、期待ハズレだな。もう少し鍛錬した方が良いのではないか?」

 ――『そんなすげぇ金髪なのに、こんなに弱いってあるか? 期待ハズレすぎんだろ。あまりにも弱すぎて、殺る気が失せちまったぜ』。

 かつてザガンに言われた言葉……ゲーム情報を確認するたび思い出していたセリフと、同じようなことを言われてしまった。

 今までのループ開始時よりは確実に強いのに、それでもザガンからすれば弱いなんて。こんなことならもっと、王都の外でモンスターを狩るべきだった。先生達との遠征を、もっと増やしてもらうべきだった。
 でも立場上それもなかなか難しかったし、家族に頼んで王都を出られた時には、各地にいる領主達との交流を優先した。ただ1人で強くなるよりも、より多くの味方を獲得しておいた方が、タイムリープを止められる確率が上がると思ったから。
 個よりも全を優先した結果なので仕方無いけど、それでもザガンの期待を裏切ってしまい、情けなさが込み上げてくる。

 落ち込んで返答出来無いでいると、ザガンは顔を上げて、俺から離れていった。そのままノエルの方へ。彼女は未だに触手の拘束を解けていなくて、必死にもがいている。

「ッ……その子に手を出すな!」

 咄嗟に叫んでいた。かつてのザガンのように、ノエルに触れるかもしれない。君があんなふうに誰かに触るなんて、どうしても嫌で。

 ザガンは俺の言葉に反応せず、彼女の前で片膝を付くと、怯えているその頭に手を乗せた。そしてそっと撫でる。
 驚いてザガンを見つめるノエル。俺の位置からでは、ザガンがどんな表情をしているのか見えない。ただ。

「……周囲が迫害しなければ、闇属性の者達も、誰かを傷付けようとはしなかっただろうにな」

 とても静かな声で、そう呟いてきた。記憶にあるザガンからはかけ離れた、けれどとてもザガンらしいと感じる言葉。だってかつての君は、きっとそう思いながら、人を殺し続けていた。

 どうやらノエルの頭を撫でておきたかっただけらしく、ザガンは立ち上がると、床に落ちていたターバンを拾った。俺達が見つめている中、黙々とターバンを巻いてフードを被る。準備を終えると祭壇を上がっていき、こちらを見返してくることなく、転移していった。

 ザガンがいなくなり、はぁと息が零れる。彼の纏っている静寂な空気を壊したくなくて、つい息を潜めてしまっていた。

 上体を起こしてポーションを飲む。痛みが引いたら立ち上がり、まずはミランダを確認した。呼吸していることにホッとしつつ、血の流れている右手にポーションを掛けておく。打ち付けていそうな背中や肩、蹴られた腹にも。あとは起きてからポーションを飲んでもらえば、完治するだろう。

 彼女はそのまま寝かせておき、今度はノエルのところへ。ノエルはまだ座り込んだままだったけど、拘束している触手は魔素が崩れていて、そのうち消滅しそうである。

 ただしノエル自身は、拘束を解くどころではなくなっていた。

「リュカ、リュカ……どうしましょう! 先程の方、母様にソックリでした。それでいて闇属性だなんて、どう考えても兄様じゃないですか!」

 確かにザガンと伯爵夫人が似ているという感想は、以前より抱いていた。もしザガンが薄暗い目をしていなくて、嘲笑も浮かべていなければ、このように綺麗な人になるかもしれないと。

「そうだね……とても強くて、格好良くて、綺麗だった。本当に綺麗な人だった」

 あれは確かにザガンだった。鋭く洗練された剣筋も、さりげない優しさも、記憶にあるザガンのまま。けれどあの目は。あの綺麗で強烈な輝きをした赤い双眸は、かつてのザガンからあまりにもかけ離れていた。

 どうしよう。思い出すだけで視界がキラキラするし、心臓がドキドキする。

「私の頭を撫でてくださいましたし。兄様、私のことを覚えていてくれたんですね。すごく嬉しいですっ。ねぇリュカ、どうしたらもっと兄様とお話が……リュカ? 顔が真っ赤ですよ。……ハッ、もしかしてそういうことですか? まさかあのリュカが! あんなに人間嫌いなリュカが、誰かを好きになるなんて!」
「わざわざ声に出して言わないでほしいなぁ!」

 言葉にされたら、もっと自覚してしまうじゃないか。ううぅ、顔が熱いし、心臓がドクドクしすぎて痛くなってきた。

 どうすれば良いかわからなくて蹲っていると、ノエルからフンッと、気合いの入れる声が聞こえてきた。見れば身体強化して触手を千切ってるし、さらには勢いよく立ち上がる。

「わかります、わかりますよリュカ。あの方は本当に強くて格好良くて、魅力的な御仁でしたからね。さすが私の兄様です。障害は多いかもしれませんが、私は応援しますから頑張ってくださいね!」

 両拳を握って活を入れてくれたノエルは、上機嫌でミランダの方に向かった。そしてまだ横になっている彼女を起こそうとする。その様子を眺めつつ、溜息をついた。

 ねぇザガン。君のことを想うだけで、こんなにも世界が輝くんだ。全身が歓喜で満ちている。

 ねぇ、ザガン? 俺は君に――恋をしたよ。

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