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 長い夢から覚めて瞼を持ち上げると、見慣れた天井があった。

「おはよう、レイモンド」
「セナ……? なぜここに……」

 寝台の傍らでセナが本を読んでいた。確か、魔力の暴走を起こして気絶したのだった。意識を手放す直前、オリアーナが祝福魔法を唱えてくれたことを覚えている。そのおかげで身体がふっと楽になったのだ。

「昨夜は大変だったみたいだな。リアから聞いた。身体の調子は?」
「随分楽になりました」
「そう。ならよかった。今日は昼過ぎにエトヴィン先生が来られるから。それまでお前に付いているようにリアに頼まれたんだ」
「……そうですか」

 オリアーナは基本、誰かを頼ったりせずに自分一人で解決しようとする。そんな彼女だが、セナにだけは心を許していて、甘えたり頼ったりする。

「お前さ、隠してることあるなら全部吐けよ」
「……」
「お前もリアも、なんでも自分で抱え込みすぎ。お前が周りに気を遣って隠し事したって誰も喜ばないから。俺だって……お前がいなくなったら――困るし」

 レイモンドは天井を見上げながら、小さく息を吐いた。半身を起こして、サイドテーブルに置いた眼鏡に手を伸ばす。眼鏡をかけてから呟いた。

「恐らく、姉さんが本来持つはずだった魔力核が僕の中にあります。僕が天才と言われてきたのは、始祖五家二人分の魔力を行使できたからでしょう。魔力核は目に見える器官とは違いますから、治療不可能です」

 何度も医者に診てもらったことはあった。しかしまだ、魔力核の分野は研究が進んでおらず、診断を付けられる医者にも出会えなかった。病気の原因に関しても、あくまで自分の推測でしかない。すると、セナは飄々とした様子で言った。

「移植を成功させた前例があると言ったら?」
「え……」
「お前の症状の原因は薄々気づいてた。俺も色々調べたんだ」

 現代の魔法医学で、この病気を治療する方法は確立していないはず。レイモンドも可能な限り文献を読み尽くしたが、ただでさえ症例が少なく、そんなデータは一つも見なかった。ぐっと喉を鳴らし、彼の言葉の続きを待つ。

「俺が読んだのは、三代前の聖女の日誌だ」
「――聖女の日誌?」

 レイモンドが尋ねると、セナは神殿から持ち出してきた当時の日誌を手に取りながら、説明を始めた。

 人の意識の根源が魂であるように、魔力を生み出す源は魔力核と呼ばれる。魔力核も魂と同じで目で見ることはできないエネルギーの塊。

 人間がそれらを移動させることはできないが――精霊には可能だという。

 聖女の日誌にはこう書かれていた。あるとき、池で溺れて瀕死になった二人の子どもがいて、一人の魔力核がもう一人の体内に入り込んでしまった。魔力核を失った子どもは魔法が使えなくなった。一方、魔力核を体内に有した子どもは、本来の倍の魔力を行使できたが、『身体の内側で何かが暴れている』と言うようになり、苦しむようになった。

(僕の症状と同じ……)

 当時の聖女は、その子どもの体調不良の原因が魔力核によるものだと見抜き、精霊に元の子どもの体に核を戻すように依頼して成功させた。この国で、精霊を含めた人ならざる者と意思疎通し、従えることができるのは聖女たった一人である。

 セナから話を聞いたレイモンドの手は震えていた。  

「信じられません。過去にそのような事例があったなんて。よくその日誌を見つけましたね」
「これもまた導きだろうな。神殿に手がかりを探しに行ったら、棚からその日誌が落ちてきたんだ」

 そしてセナが、一呼吸置いてから言う。

「今日、エトヴィン先生の他に――現聖女様もお呼びしてるから」
「…………!」



 ◇◇◇



 アーネル公爵邸に先に到着したのは、エトヴィンだった。ちょうど昼頃に来訪し、オリアーナが出迎える。エトヴィンは、制服ではなく私服でも男のような格好をしているオリアーナを見て不思議そうにした。

「お前、家の中でも男装してるのか?」
「はい。スカートは子どものころから苦手で。こっちの方が動きやすくて楽なんです」
「まぁ、自分に合った格好が一番だな」

 懐疑的に見られるかと思いきや、意外とエトヴィンは寛容だった。私服でも無駄にキラキラとしたオーラを放っているオリアーナに、エトヴィンは太陽でも見たかのように目を眇める。
 オリアーナは踵を返した。

「弟の部屋にご案内いたします。こちらへどうぞ」
「ああ」

 エントランスから螺旋階段を上り、二階のレイモンドの部屋に行った。室内から、レイモンドとセナの話し声がかすかに漏れ聞こえる。

 コンコン。

「失礼するよ。エトヴィン先生をお連れした」

 部屋に入ると、セナが持ってきた古い本を熱心に二人で眺めていて。セナはエトヴィンの姿を見ると、本を閉じてテーブルに置いた。レイモンドは寝台に座ったままでは客人に対して失礼だと思ったらしく、立ち上がろうとした。それをエトヴィンが制する。

「いい。お前は楽な体勢でいろ」
「お気遣い痛み入ります。本日はどうぞよろしくお願いします。エトヴィン先生」
「ああ。さっそく身体の方を診せてもらうぞ。いいな?」
「はい」

 エトヴィンは一通り問診したあと、レイモンドの胸に直接触れた。

「セナは何か見える?」
「いや。でもエトヴィン先生には見えてるんだろうね」
「そう……だね」

 セナに冷静な口調で返されるが、オリアーナは内心でどきどきしていた。診断がつくまでの時間ほど怖くて憂鬱なものはない。エトヴィンはしばらくしたあとで、重々しく言った。

「真実をはっきり伝える。やはりお前の体には、二つの魔力核が内在している。それがお前を苦しめる根本原因だろう。そして――」
「現在の医学でなす術はない……ということですね」
「……ああ。若いお前にとっては、酷な話だがな。俺では力不足だ。……悪いな」
「いいえ。診断がついただけで、僕にとってはありがたいことです」

 オリアーナは傍らでその話を聞いて、唇を固く引き結んだ。やるせない思いが、ふつふつと湧き上がってくる。
 するとセナが、オリアーナの背にそっと触れて「大丈夫だから」と囁いた。はっとして顔を上げれば、彼が先程レイモンドと見ていた本をエトヴィンに見せた。

「――これは?」
「三代前の聖女様が遺された日誌です。ここには、精霊の力を借りて魔力核の移植を成功させた前例が記録されています」
「精霊の力……。つまり、聖女にのみ実現可能な方法、か」

 エトヴィンはオリアーナの方を見据えた。

(聖女になら……レイモンドを助けられるということ? ――私になら)

 そのとき、扉がノックされる音が響く。中へと促すと、執事が新たな客を連れて来た。

 白銀に輝く長い髪に、紫の瞳。
 乳白色の肌と、扇の弧を描く薄い唇。

 神々しい雰囲気をただよわせる白いローブを着た彼女は、現聖女のユフィーリア・シュペルニーだ。彼女の後ろには二人の護衛騎士が控えていて。そのうちの一人は、風魔法を得意とする始祖五家の当主だった。

 オリアーナ、セナ、エトヴィンはその場で深々と一礼した。聖女は王族や始祖五家の中でも別格の存在。彼女を目の前にすれば皆が頭を垂れる。オリアーナは彼女に最大限の敬意を抱きながら挨拶した。

「お久しぶりです。聖女様。本日はわざわざこちらまで足をお運びくださり、心から感謝申し上げます」
「ご丁寧にありがとうございます、オリアーナさん。さぁ皆様、顔をお上げになって?」

 鳥が歌うような、柔らかで優美な声だ。ユフィーリアに許可を貰い、一同は姿勢を直した。年齢は三十代後半だが、実年齢よりずっと若々しく神秘的な姿をしている。彼女は風魔法を得意とする始祖五家出身。その実力は折り紙付きだ。

 ユフィーリアの妖艶な美貌に魅入っていると、彼女は優しく目を細めた。

「事情は坊やから聞きましたわ。レイモンドさんの魔力が異常に増大しており、魔力核に障りがあるのだと……」

 彼女が『坊や』と呼ぶのはセナだ。ティレスタム家とシュベルニー家は縁が深く、彼女はセナが幼いときから可愛がってきた。

 レイモンドが魔力核を二つ体内に持っている件と聖女の日誌に書かれていたことをユフィーリアに打ち明けると、彼女もまたレイモンドの胸を観察した。

(聖女様にも、魔力核が見えておられるのかな?)

 オリアーナも今一度目を凝らしてみるが、やっぱり何も見えない。レイモンドを観察したあとで、ユフィーリアは眉尻を下げた。

「――確かに皆様がおっしゃるように、精霊を頼れば解決できるやもしれません。ですが、今の私では……お力になれないでしょう」
「どうしてです? あなたは精霊との意思疎通が得意だったでしょう」

 セナが尋ねる。

「それはもう過去となりつつあります。近ごろ、ますます聖女の力は衰え、精霊の姿さえ霞むようになりました。まして、コミュニケーションを取ることはもう随分と前からできていないのです」
「…………」

 ユフィーリアはそう言って表情に失意を滲ませた。聖女の力が衰えているというのは、周知の事実。彼女の切々とした様子を見るに、余程深刻な具合なのだろう。しかし、力が低下するということは、新たな聖女との代替わりの時期が来た証でもある。

 数拍置いて、オリアーナはそっと唇を開いた。

「私がやります。私が精霊に依頼して、魔力核の移植を行います。――次期聖女として」

 オリアーナに聖女の力が目覚めていることを知るのは、極小数のみ。知らないはずのユフィーリアだが、オリアーナの申し出に特に驚くようなことはなく、むしろ全て見透かしていたかのように穏やかな微笑みのまま玲瓏と言った。

「そうですか……。新たな聖女の誕生を喜ばしく思います。私たち神殿側も全力でサポートいたしましょう。聖女としての――初仕事ですね。弟さんをきっと救って差し上げなさい」
「……はい」
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