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しおりを挟む鏡に吸い込まれたらんかと孫雁は、真っ暗闇の中にいた。何も見えず、互いの存在だけが頼りだった。
自分たちの存在以外には茫漠とした闇が広がるのみだと理解したふたりは、体力を無駄に消耗するべきではないと判断し、背中合わせで腰を下ろしていた。
「どうして邪魔をした。せっかく元の世界に帰れる機会だったんだぞ」
文英の監視の目をかいくぐって操魂の術を強行したのに、と彼が不満げに零す。そこにらんかも負けじと反発した。
「陛下の寿命を削ってまで帰っても、ちっとも喜べませんよ。そっちこそ、どうしてそんな肝心なことを言ってくれなかったんですか」
「知ればお前は遠慮しただろう」
「当たり前です」
孫雁はそこで、操魂の術の概要を説明した。四代名家と皇家には、それぞれひとつ、秘術が伝わっている。家の外部にはその詳細が公表されていないが、それぞれの家は術を駆使して今の地位まで成り上がった。
そして、李家に受け継がれている秘術は、死者の魂を呼び戻すというもの。
李家の血を引く者しか行使できないが、この術を使うことで戦乱の時代、勇猛果敢な戦士たちよ蘇らせ、数多の武勲を上げた。
ただし、一度術を使うと、術者は鏡に少しずつ、少しずつ命を吸い取られ続ける。生きている間ずっと。
術を使った回数ごとに、吸い取られる寿命は倍増していく仕組みになっている。
孫雁は少なくとも樹蘭を蘇らそうとした一度、操魂の術を使ったため、この後の人生であの鏡に命を蝕まれ続けるという訳である。
「そんな……では、術を使った一回分は確実に吸い取られ続けるってことですか!?」
「そうだ。だが、覚悟の上だった」
「どうにかして、寿命を減らなくさせる方法はないんですか?」
「あの鏡が存在する限り、私の寿命は減り続けるだろうな」
存在する限りは、ということは、存在しなければ孫雁の寿命は吸い取られずに済むということ。らんかははっと気づきを得て、強い語気で呟く。
「……あの鏡を、割っちゃえばいいんですね」
「あれは先祖たちが今の地位を築くために大切にしてきた家宝だ。私の命より遥かに価値がある。そして、李家の人間には壊せないようにまじないがかかっている」
「…………」
けれど孫雁は、自分の命を賭してまで、樹蘭に会いたかったのだと分かった。その切実な願いは叶うことがなかったのだが。
(どうして、操魂の術で呼ばれたのは……私だったのかな)
以前彼は、この術が失敗した前例はほとんどないと言っていた。そんな成功率が高い術で、今回に限ってなぜ失敗してしまったのかと疑問に思う。
夢の中で会った樹蘭は、自らの意思で呼び出しを拒んだと語っていたが。
らんかの背中から、服越しに孫雁の体温が伝わってくる。彼の背中はらんかよりもずっと広くて、逞しい。暗闇に閉じ込められた恐怖も、彼の熱で溶けて消えていくような感覚がする。
何の因果かかは分からないが、樹蘭の代わりに自分が召喚されたことで、孫雁に会うことができた。彼に会うことができてよかったと、らんかは思っている。
孫雁の目には樹蘭しか映っていないと思っていたが、鏡に吸い込まれる前に、『愛している』と言ってくれた。樹蘭だけにではなく、彼は自分にも命を賭してくれたのだ。
あの言葉を思い出すと、胸が甘く締め付けられ、身体が熱くなる。
らんかは小さく唇を動かして、おもむろに、自分の想いを口にしかけた。
「……私も、陛下のことがす――」
好きだと言いかけた瞬間、ふたりの目の前に白い光が現れた。
白い光はやがて、視界全体に広がり、ある風景を作り出していく。
◇◇◇
そこは、らんかが寝泊まりしていた寝所だった。けれど調度品は、新調したばかひのように綺麗だった。
「樹蘭!」
そして、天蓋付きの大きな寝台に、樹蘭が腰を下ろしていた。寝着を身にまとい、笑顔はなく、冷たい表情で床の一点を見つめている。
(あの衣は、確か初夜の……)
孫雁は寝台に座る樹蘭の名前を呼びかけるが、彼女の耳には届かない。
「これは一体、どういうことだ?」
「恐らく、鏡の力で樹蘭様の記憶を見せられているんだと思います。以前鏡を陛下に見せていただいたときもそうでした」
あのときは、意識だけが鏡に吸い込まれたのだが、全く同じ状況を見せられたのを覚えている。
すると、まだ年若い孫雁が入室し、樹蘭に愛を囁きかける。
だが彼女は孫雁に対して、「妾はあなたを愛しておりません」とばっさり斬り捨て、孫雁が落胆した様子で部屋を出て行った。
(これも、前と同じだわ)
前回この記憶を見たとき、らんかは孫雁の背中を追いかけて行ったため、樹蘭のその後の様子は知らない。
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