16 / 52
16
しおりを挟むドンドン、ドンドン。
ウェンディは朝、若干強めなノックの音で目を覚ました。重い瞼を擦りながら、身体を起こす。書斎の机に突っ伏したまま眠っていたため、首と肩がひどく凝っていた。
「いたた……。朝?」
凝った筋肉を解すように首や腕を回しながら窓の外を見ると、眩しい光が入ってきて目を眇めた。そんなことをしている間も、ひっきりなしに扉が叩かれて、「ウェンディ様!」と呼ぶ声がする。どうぞ、と入室の許可をすれば、怒った様子のアーデルが入室した。
「ウェンディ様! また書斎でお眠りになったんですか!? 家庭教師の先生がとっくにいらしてます!」
「えっ嘘……もうそんな時間!?」
チェストの上の置時計を確認すると、10時を回っていた。王子妃教育のために、とある夫人を家庭教師として招いているのだが、予定まであと30分しかない。昨夜は、週末の朗読会のために原稿を書いていて夜更かししてしまったのだ。
(生活習慣の乱れは本気でなんとかしないと……)
……と、毎度毎度反省だけはするウェンディである。身支度をするために書斎を飛び出して廊下を走っていると、イーサンに遭遇した。
「イーサン様……! おはようございます!」
「おはよう。ウェンディ」
爽やかな笑顔を浮かべる彼に、アーデルが後方から苦言を呈す。
「イーサン様からもウェンディ様におっしゃってください! 寝るときは寝室にお戻りになり、規則正しい生活を心がけるようにと……!」
「はは、ウェンディ。また書斎に篭っていたのか?」
アーデルの話を聞き、こちらに尋ねてくる彼。
「つい……夢中になって」
「そう。夢中になれることがあるのは、とてもいいことだね」
にこにこと笑うだけのイーサンに、アーデルは「ウェンディ様を甘やかしすぎです」と叱るのだった。イーサンはとにかくウェンディに寛大というか――甘い。何をしてもいいよいいよと笑って許してくれる。彼は懐から本を取り出し、おもむろに差し出した。
「はい。――これ」
「えっ、もう読んでくだささったんですか!?」
「うん」
実は昨日、新刊を一冊イーサンに貸していた。上流貴族を主役にしているため、王族の生活に詳しい彼に感想を聞いてみたかったのだ。まだ1晩しか経っていないのにもう目を通してくれたらしい。かなりの速読だ。
「…………そ、それで、感想は……」
ごくりと息を飲むウェンディ。彼はにっこりと笑みを浮かべたまま言った。
「とても面白かったよ。心理描写が繊細で感動したし、脇役の侍女のキャラクターが良い味を出してたよ。でも、あなたが助言が欲しいと言ったから、気になったところにいくつか付箋を付けておいた」
返却された本には、いくつか印が付けられている。そこには、設定の矛盾点や違和感が指摘してあった。それは、普通の校正や校閲では分からない、上流階級だからこそ分かるものだった。
「わ……これ、とても参考になります!」
「よかった。作品作りに役に立つならいくらでも僕を使って」
「いいんですか!?」
「うん」
こんなに熱心に読み込んでくれて、アドバイスまでしてくれるとは思わなかった。
すると、彼の手が伸びてきて、そっと頬に指先が触れた。
「……な、なんですか?」
「髪、食べてるよ」
唇に入っていた髪の束を抜いてくれたのだ。寝起きのままで髪はボサボサ。みっともない姿を見せたことが恥ずかしくなって、頬が赤くなる。それに、彼に触れられたところがやけに熱い。俯きがちに立ち止まるウェンディ。
「ウェンディ様! お急ぎください!」
「あっ、は、はい!」
アーデルに急かされてようやく我に返り、自室に戻った。
◇◇◇
慌てて身支度を整えて、客室に行く。
「遅れて申し訳ありません! 寝坊しました!」
「遅刻ですわ。全く。礼儀のないレディーだこと」
家庭教師、リズベット・ビアラスはわざとらしく怒った表情を浮かべ、腕を組んで言った。
「う……ごめん、本当に」
「どうせまた、朝まで小説を書いていたのでしょう? わたくしじゃなかったら本当に怒って帰宅していたかもしれませんわよ」
「おっしゃる通りで……」
なぜ親友の彼女が王子妃教育を任されているかというと、彼女は幼いころから侯爵夫人になるべく厳しい教育を施されており、今では男の子の母親をしながら、若い令嬢のマナー講師をしている。家庭教師を選ぶなら、気の置けない相手がよいだろうというイーサンの提案の元、彼女に依頼したのだ。
(……私が本に夢中になっている間に、周りの人たちは普通に恋愛したり家庭に入ったりしたんだよね)
リズベットだけではない。ウェンディと歳の近い友人たちは皆結婚して子育てを始めていたが、ウェンディは好きなことがやれて満足していた。まぁ、おかげで恋愛経験0の痛い引きこもり女として振られたのだけれど。
ウェンディは社交の場に出た経験がろくになく、ダンスは下手、礼儀作法も身についていない状態。
姿勢矯正のために本の山を頭に乗せられて歩くウェンディに、リズベットが横から言った。
「年下の王子様とは案外よくやってるみたいじゃない?」
「……イーサン様って、すごく寛大なの。私に素敵な書斎や読み切れない本を与えて、好きに過ごしていいっておっしゃるのよ? それに……今まで経験したことがないくらいに甘やかされてて」
「何、もしかして惚れた?」
「そ、そんなんじゃ……」
かっと顔が赤くなるウェンディ。
今朝、唇に入っていた髪を取り除いてくれたことを思い出す。イーサンはいつも、そういう細やかな気遣いをしてくれる。
それにこれまでは、文書を書いていると家族や元婚約者が咎めてきたが、イーサンは「精が出るね」とむしろ褒めてくれた。
「へぇ……至れり尽くせりね。イーサン様、もしかしてあなたのファンだったりして」
「うーん……それはナイ」
なぜならウェンディは、著作『嫌われ者の王子様』で名誉毀損を訴えられ、その罰でイーサンの仮の妻になってしまったのだから。
むしろ彼は、ウェンディの本が好きではないはずだ。
「それで、最近第1王子殿下とはどうなの? あれから話はした?」
「ううん。特には」
エリファレットは、ウェンディにとって思い入れのあるたったひとりの男性ファン『ノーブルプリンスマン』だ。イーサンとの結婚が成立した直後に求婚され、それ以降話していないし会ってもいない。
休日の朗読会に以前はよく通ってくれていたけれど、今は全くで。
「……そう。まぁお互い、以前のように気軽に話せる立場ではありませんよね」
ウェンディもエリファレットのことが気がかりだったが、立場上会いたいとは言えなくなってしまったのだった。
頭の上に乗せていた本の山がずり落ちて床に落ちる。それを拾い上げて、小さく息を吐いた。
59
あなたにおすすめの小説
愛人の生活費も、お願いします 〜ATM様、本日もよろしくてよ〜【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
政略結婚で結ばれた王子ザコットと、氷のように美しい公爵令嬢ビアンカ。だが、ザコットにはすでに愛する男爵令嬢エイミーがいた。
結婚初夜、彼はビアンカに冷酷な宣言を突きつける。
「お前を愛することはない。俺には愛する人がいる。このエイミーだ」
だが、ビアンカは静かに微笑み、こう返す。
「では、私の愛人の生活費も、お願いします」
──始まったのは、王子と王子妃の熾烈な政略バトル。
愛人を連れて食卓に現れるビアンカ。次々と辞表を出す重臣たち、そしてエイミーの暴走と破滅……。
果たして、王子ザコットの運命やいかに!?
氷の王子妃と炎の愛人が織りなす、痛快逆転宮廷劇!
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。 コメディーです。
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。
だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。
失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。
どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。
「悪女に、遠慮はいらない」
そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。
「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。
王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」
愛も、誇りも奪われたなら──
今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。
裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス!
⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
白い結婚なので無効にします。持参金は全額回収いたします
鷹 綾
恋愛
「白い結婚」であることを理由に、夫から離縁を突きつけられた公爵夫人エリシア。
だが彼女は泣かなかった。
なぜなら――その結婚は、最初から“成立していなかった”から。
教会法に基づき婚姻無効を申請。持参金を全額回収し、彼女が選んだ新たな居場所は修道院だった。
それは逃避ではない。
男の支配から離れ、国家の外側に立つという戦略的選択。
やがて彼女は修道院長として、教育制度の整備、女性領主の育成、商業と医療の再編に関わり、王と王妃を外から支える存在となる。
王冠を欲さず、しかし王冠に影響を与える――白の領域。
一方、かつての夫は地位を失い、制度の中で静かに贖罪の道を歩む。
これは、愛を巡る物語ではない。
「選ばなかった未来」を守り続けた一人の女性の物語。
白は弱さではない。
白は、均衡を保つ力。
白い結婚から始まる、静かなリーガル・リベンジと国家再編の物語。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
婚約破棄されたので契約を終了しただけですが? ~王国が崩壊したのは私のせいではありません~
しおしお
恋愛
王立学園の卒業舞踏会。
王太子レオナードは突然、婚約者である公爵令嬢アデリーナとの婚約破棄を宣言する。
隣に立つのは、涙を流す義妹ミレイナ。
「お姉様に虐げられてきました」と訴える彼女の言葉を、貴族たちは信じてしまう。
悪女として断罪され、追放を宣告されるアデリーナ。
だが彼女は怒りも悲しみも見せず、ただ静かに微笑んだ。
「承知いたしました。では――契約を終了いたします」
その一言が、すべての始まりだった。
公爵家による融資、貿易、軍需支援。
王国を支えていたすべてが、静かに停止する。
財務は崩壊し、軍は止まり、商人は離反。
王都は混乱に包まれていく。
やがて明らかになる義妹の嘘。
そして王太子の責任。
すべてが暴かれたとき、二人を待っていたのは――
完全な破滅だった。
一方アデリーナは、隣国で静かな紅茶の時間を過ごしていた。
これは、
婚約破棄された公爵令嬢が“何もしなかった”ことで始まる、
王国崩壊と地獄のざまぁの物語。
――その報告書を、彼女が読むことは一度もなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる