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しおりを挟む「王太子の即位式まで1ヶ月。もう時間がない。すぐに書き始めろ」
「お断りします」
「…………は?」
要求をにべもなく断ると、彼は目を点にした。この状況でまだウェンディが歯向かうのは想定外だったらしい。
「命惜しさに、命令に従うと思いましたか? 私の大好きな小説で、私の大好きなファンを騙すくらいならいっそ死んだ方がマシです」
「~~~~!」
朗読会やサイン会に来てくれた読者の顔が脳裏をよぎる。『楽しかった』、『面白かった』と声をかけてくれた人たちの笑顔が。
ウェンディは誰かに楽しんでほしくて本を書いてきたのに、思想を統制しようとする政治の道具になんて絶対にしたくない。
エリファレットは眉間に縦じわを刻んでずかずかとこちらに歩み、ウェンディの襟を掴み上げて頬を殴った。
「生意気な奴め……! ロナウド、何としてもその女に本を書かせろ。……でないと……分かるな?」
「は、はい……! エリファレット殿下」
エリファレットは威圧的にロナウドに命じてから、部屋を出て行ったら、ウェンディはその場に座ったまま、殴られた頬を手で触れる。
(痛~~っ! ちょっとは手加減しなさいよ! 馬鹿王子!)
馬鹿王子ことエリファレットが出て行った扉を威嚇するように睨んでいると、ロナウドが怪我の具合を確かめるように手を伸ばしてきた。
「おい、口から血が――」
「触らないで!」
ぱしんとその手を振り払う。彼は気に入らなそうにため息を吐き、こちらに交渉してきた。
「どうしてお前はそう頑固なんだ? 命よりもいやしい趣味の方が大事な訳ないんだから。痛い目に遭いなくなければ大人しく言うことを聞くんだ。な?」
「……どの口がそれを言うのよ。ふざけないで。あなたが殿下の協力をしたのはお金のため? そっちこそ、お金のためなら犯罪にも手を染める人だったなんて、見損ないましたよぅ」
絶対に書くものかとべっと舌を出して、片目の下瞼を指で下げ、挑発する。
「お前、言わせておけば……っ!」
顔を真っ赤にして怒りをぶつけようとしたロナウドだが、はぁと息を吐いて、冷たい声音で言った。
「ああ、そうさ。金のために協力した。お前がくだらん意地を張れば、俺まで迷惑を被るんだ。お前だって、本当に殺されるかもしれないぞ。――ラティーシナ元第1王子妃みたいにな」
ロナウドは怖がらせるみたいにすぅと目を細め、そう吐き捨てたあと部屋を退出した。部屋の隅で控えていた下女に「さっさと手当してやれ」と命じて。
殴られた衝撃で口の中を切ったらしく、口内に鉄な味が広がる。唇から垂れた血を拭おうと袖を近づけると、下女に止められた。
無言でハンカチを差し出す彼女は、可憐な女性だった。長いまつ毛が影を落とす紫の瞳に、同色の髪を簡単に後ろで束ねている。
ウェンディがハンカチを受け取ると、彼女はペンと手帳を出して何かを書き出した。
『ご迷惑をおかけして申し訳ございません。でも、エリファレット様はあなたの命を奪ったりしないから、恨まないで差上げて』
困った顔をして、「ごめんなさい」の形で唇を動かした彼女を見て、尋ねる。
「あなた、声が出ないの……?」
彼女はこくんと小さく頷き、再び文字を書き始めた。ウェンディも手帳を覗き込み、彼女の文字を目で追う。
「……『私はラティーシナと申します。ここはエリファレット殿下が私を匿うために用意した郊外の隠れ家です』……って、ええっ!?」
声に出して読み、ウェンディは目を丸くした。ラティーシナは、死んだはずのエリファレットの元妃の名前だったから。
彼女は世間的には病死になっているが、エリファレットの横暴に耐えかねて自死したのではないかと一部では噂されていた。しかしそのどちらも事実ではなかったということだ。彼女は下女の格好をして自分の目の前にいるから。
「あなたは……数年前に亡くなったはずじゃ……」
ラティーシナは筆談でウェンディに真実を伝え始めた。
イーサンやエリファレットたち王子の出生の秘密を知ったせいで、王妃ルゼットの怒りを買い、殺されかけたのだと。
しかし、エリファレットがラティーシナの命を助け、世間で死んだことに見せかけて守ったというのだ。
「……あのひとを、たすけてください。ウェンディ先生」
彼女は舌を失っていた。そして、不明瞭な発音で、助けてとウェンディに訴えかけるのだった。
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