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しおりを挟むラティーシナは驚いて、自分のために懇願する彼を盗み見た。汗を滲ませ、眉間に皺を刻んでいる。
(エリファレット様……)
初夜に『お前のことを愛すつもりはない』と告げられ、ラティーシナを一方的に遠ざけてきた彼だが、今ではラティーシナに対する情が芽生えたらしい。
ルゼットは嘲笑するようにふっと鼻を鳴らした。
「そなた……その娘に惚れているのか」
「…………」
ぎりと歯ぎしりしたあと、エリファレットは唇を開いた。薄く形の良い唇が発したのは、「――はい」というラティーシナの予想外の言葉だった。
「そうか。私も我が子の愛する者を殺すほど冷酷ではない。そなたの気持ちに免じて助けてやろう」
「ありがとうございます……!」
エリファレットは乱暴で、自分勝手で、思いやりもないどうしようもない人。分かっているのに、嬉しくなって泣きそうになった。
(私も……お慕いしております)
喜びも束の間、ルゼットはチェストの上の花瓶の近くに置いてある花バサミを手に取り、こちらにらつかつかと歩いて来た。彼女はぐっとラティーシナの顎を掴む。
「母上っ!? 何をする気だ!?」
「――望み通り、命は助けてやろう。だが、害さないとは言っておらぬ。お前は二度とラティーシナという名を名乗ることもせず、王宮の外で死んだように生きるのだ。そして、この痛みを胸に刻んでおけ」
花バサミの刃先がシャンデリアの光を反射して、不気味にきらりと輝きを放つのを見て、恐怖に身が竦む。
「嫌……っ、何をなさるおつもりですか!? やめて、いやぁぁ……!」
ルゼットの言いつけを守れなければどうなるのか知らしめるかのように、彼女はラティーシナの舌を切り落とした。
強烈な痛みとともに、口から血が溢れ出て、ドレスやカーペット、手を汚していく。
その後のことはよく覚えていない。すぐに気絶してしまい、目が覚めたら王宮の外の小さな病院にいた。
ルゼットは、ラティーシナが病死したことにした。ラティーシナの実家は、結婚を命じられたときと同じようにルゼットの圧力に逆らえず、遺体も返ってこないのに娘の死を受け入れた。
ルゼットが勝手に葬儀を取り計らい、ラティーシナの死の真相を王家は追求することもできず、闇に葬られたのである。そして、彼女の死はエリファレットの家庭内暴力に耐えかねた自死だったのではないか、という噂が流れた。
一方のエリファレットだが、事件からしばらく、抜け殻のようになってしまい、遊び回るのを一切やめた。彼は度々王宮の外に出かけたが、夜会に出かけるのではなく、実際は死んだはずの妃に会いに通っていた。しかし、エリファレットが改心して献身的に想い人の世話をしていることなど、誰も知らなかったのである。
◇◇◇
ラティーシナから筆談で過去の真実を聞かされたウェンディは、あまりに悲惨な内容に戦慄した。
(なんて卑劣な……。同じ人間がすることとは思えないわ。まるで創作の中の悲劇みたい……)
ラティーシナがどれほど辛く、悲しい思いをしてきたか分からない。きっとそれは想像を絶するもので、今も彼女の心を苦しめているのではないか。
彼女やエリファレットのここまでの苦悩を思うと、胸が張り裂けそうだった。
「――それで、あなたはここで下女のフリをしてひっそりと暮らしてきたということですね。……息を潜め、死人のように……」
彼女はまた小さく頷き、筆談用の手帳に文字を書き始めた。
そこには、こんなことが書かれていた。
『王妃様にされたことは許せませんが、それでも今日まで幸せでした。エリファレット様に愛していただけて、誰かを愛することを知れたのですから。舌を失う前に戻ったとしても、エリファレット様に出逢えるのなら、喜んでもう一度同じ道を選ぶでしょう』
彼女は、男を想う女の表情をしていた。
エリファレットは、横暴で冷酷、危険な人だ。それでも、ひとりの妻を愛する男であり、悪人ではない一面も持っているということだろう。
彼に殴られた頬がずきずきと痛み、ウェンディは苦笑した。
(本当に……『愛』というのは困ったものね。理屈ではどうにもならないものだから。でも……だからこそ、たまらなく美しくて惹かれる。ずっと書き続けていたいと思う)
エリファレットに出会わなければ、舌を失うことも、名前を失うこともなかったはずなのに。その痛みさえ愛すというのだから、病気みたいなものだ。……愛というのは。
『あの人にも優しいところが沢山あるんですよ』となおも彼を庇おうとするラティーシナの腕を掴んで、首を横に振る。彼女が彼を思う気持ちは、もう十分すぎるくらい伝わったから。
「愛していらっしゃるんですね。……エリファレット殿下のことを。とても深く」
「…………」
彼女は優美な表情で、しっかりと頷いた。その頬はほんのりと色づいている。
ルゼットは、ラティーシナを殺さない代わりに、エリファレットに言うことを聞かせていた。目の前で非力な女の舌を切る残虐性を知ったエリファレットは、彼女の意に背いたら大切な人を殺されるかもしれないと思い、彼女に従っていたのだ。
ルゼットの目的は、イーサンではなく、自分と王弟の血を引く子を王に据えること。だからエリファレットは、イーサンを王位から引きずり下ろそうとウェンディに近づいたのだろう。
そこで、ウェンディは思案した。ルゼットに迎合し陰に隠れて苦しみ続ける以外に、2人を救う方法があるのではないかと。エリファレットが王位に興味がないなら尚更。
「では……こういうのはどうでしょうか。ラティーシナ妃殿下さえよろしければ、協力していただきたいのですが」
ウェンディはその日から、彼女の協力のもと、小説を書き始めた。
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