捨てられ(元)聖女は運命の騎士に溺愛される

曽根原ツタ

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1巻

1-2

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 まさか、なんとなくやっていた占いがそんな風に評価されていたとは。必要としてくれる人がいたから非営利目的で続けていた占いだが、そのおかげでどうにか食いぶちを稼ぐことができそうだ。勤め先と住居がさっそく決まり、ほっとする。
 やはり、透視で視た通りの現実が目の前に訪れようとしている。失明してから格段に能力の精度が上がっているが、透視で見た謎の男も、客として自分の前に現れるのだろうか。

「でも、貴族のお嬢様がどうして急に働く気になったんだい? どこぞの良家の坊ちゃんと結婚するって話だったじゃないか」

 メリアの言う通り、以前は結婚を理由に占い師の雇用の打診を断ったのだった。そもそも、貴族の令嬢が金稼ぎをするのは恥とされているので、仮に結婚の予定がなかったとしても断っていただろうが。

「お恥ずかしい話ですが、つい先ほど婚約を解消されて家を追われまして」
「ええっ!?」 

 隠す理由もないので、失明を理由に婚約者に別れを切り出されたことと、彼は妹と新たに婚約を結び直し、自分は追い出される形になったことを打ち明けた。

「全く……薄情な男だね。それを知るいい機会だったと思いな。いい男なんて他にごまんといるよ」

 メリアの慰めに苦笑する。彼女が今度は男の方を見て言った。

「それで、そっちの色男は誰なんだい?」
「ただの通りすがりです。道で彼女が困っているようでしたので、こちらまでお連れした次第です」
「へぇ。その隊服、王衛隊のもんだろ? 顔よし、スタイルよし、性格よし、職柄よしと来た。まだ相手がいないなら、うちの娘なんかどうだい? ちょうど年頃でねぇ」

 話を聞くと、どうやら彼は相当な美丈夫らしい。先ほどの女性従業員の媚びるような態度も腑に落ちる。
 王衛隊は、王都の治安維持と王族の身辺警護を担う組織で、国内に存在する警察組織の中のトップである。高貴な身分の出であること前提で、更に能力が優れた者が採用される。いわゆる超エリートだ。

「はは。お嬢様には俺なんかよりも素敵なお相手がいらっしゃいますよ」

 謙遜しながらさらりと誘いをかわす様は、どこか慣れている。きっとこういうことがよくあるのだろうと理解した。
 たわいないやり取りをした後、ネラはそっと立ち上がって言った。

「そろそろ失礼させていただきます。長居しても申し訳ないので」
「それじゃ、来週から頼むよ」
「はい。お世話になります」

 男も一緒に立ち上がり、店の外までごく自然にエスコートしてくれる。
 そして玄関の外で、「家はどちらですか?」と尋ねられた。

(やっぱり、送ってくれるつもりなのね)

 店内にいるときから、なかなか立ち去らない彼が帰り道のことも心配してくれているのではないかと思っていた。そして、予想通りの言葉。
 さすがにこれ以上は手間をかけさせる訳にいかないと思い、ネラは首を横に振った。

「自分ひとりで帰ります。今日は本当にありがとうございました」
「おひとりで本当に大丈夫ですか? 遠慮はなさらないでください。目が見えなくなって間もないということですから不安もおありでしょう」
「お気持ちだけで」
「そうですか。では、自分はこれで」

 愛想よく会釈をした後、彼がくるりと背を向ける。

「あの……! お待ちください」

 ネラは思わず引き留めていた。

「どうしましたか?」
「私……占いが得意なんです。何か悩みがあれば、いつでもご相談ください。もちろんお代は結構ですので」

 なんのお礼もせずに帰すのは申し訳ないと思い、ネラは提案した。今の自分に示せる誠意はこのくらいだ。
 実際に訪ねてくることはないかもしれないが、もし店を訪ねてきてくれたら、そのときは店のものを何かご馳走しよう。
 そんなことを考えていると、彼はしばらく間を置いて、悩ましげに言った。

「今、ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「ええ。もちろん大丈夫ですよ」
「ずっと、探している女性がいるんです。生きているのかどうかも分からなかったのですが、ようやくその女性らしき方を見つけまして。その方は……俺が探してきた女性で間違いないでしょうか」
「承りました。占ってみます。あなたのお名前と生年月日をお教えください」

 男はフレイダ・ラインと名乗った。年齢は二十五歳だそうだ。
 そっと目を閉じ、意識を集中させる。ネラの透視能力は、その人の必要な情報も視ることができる。そして瞼の裏に映った内容を告げた。

「ずばり、お探しの方で間違いないようです」
「…………」

 彼がぐっと息を飲む気配を感じる。生死も分からなかったとは、どんな相手なのだろう。家族や友人か。それとも――

「お相手は、昔の恋人ですか?」
「いいえ。……違います。恋い慕うことすら畏れ多い、雲の上の存在のような方でした」

 そう呟かれた声は切なげで、探していた相手が、とても大切な人だということは分かった。

「でも、慕っていらっしゃるんですね?」

 ネラの問いに、彼は力強く頷く。

「――はい。占ってくれてありがとうございました。あの、もうひとつ聞いても?」
「構いませんが」

 真剣な表情のフレイダから聞かれたのは、予想外の質問だった。

「ネラさんには、恋人はいらっしゃいますか?」
「は、はい?」
「今、恋人はいらっしゃるのかと……」

 一体全体、どうしてそんなことが知りたいのか。恋い慕うことすら畏れ多い、けれどとても大切な相手がいると話したばかりだから、まさか自分に気があるということはないだろう。
 自分は誰かにとって雲の上の存在にはなりえない平凡な娘だし、フレイダとは初対面なので、自分が彼の探し人という可能性もない。

「いえ。先ほどお話しした通り、婚約解消したばかりですので」
「そ、そうですか。では……元婚約者のことは、愛しておいでで?」

 意図が読めない追加の質問に、頭が混乱する。

「いえ。……未練はありません」
「そうなんですね……」

 フレイダはネラの答えになぜかほっと安堵している。
 いやいや、彼にはずっと探していた想い人がいる訳で、ネラに恋人がいなくて安心するというのはおかしなことだ。

「では次に……」
「ま、まだあるのですか?」
「これで最後です。好きな男性のタイプを教えていただけますか?」
「好きな男性のタイプ」

 もうさっぱり訳が分からない。こういうのは好意がある相手に聞くことだろう。その意図は全く分からないが、助けてくれた恩人を無下にできず、ありきたりなことを適当に答えておくことにした。

「一緒にいて楽しい人……でしょうか」
「……実は俺、こう見えて知識や経験が豊富でして。面白いと言っていただくことも多くて、一緒にいて飽きさせない自信があります。あとは、こう見えて相手の気持ちを察するのは得意な方で……」
「は、はぁ……」

 突如自分の長所を語り出すフレイダに、ネラの頭に疑問符が複数浮かんだ。
「こう見えて」と言われても、盲目のネラに彼の姿は全く見えていないのだが。それに、本当に面白い人は自分から面白いなんて言わない気がする。とにかくもう――胡散臭さ全開である。
 ネラが困惑して怪しげに眉を寄せていたら、フレイダははっと我に返った。

「す、すみません。突然おかしなことを言いました。忘れてください。質問に答えてくださりありがとうございました。参考にします」
「お役に立てたようで幸いです……? では、これで失礼します」

 結局最後まで質問の意図は分からず、別れの挨拶をして彼に背を向けた後、おかしな人だったとネラは首を傾げた。
 機会があれば店に来るように誘ったものの、次に会う約束を交わした訳ではない。もう二度と彼に会うことはないかもしれないと思うと、また胸が鈍く痛んだ。フレイダに会って、今日は何度か不可解な感情に苛まれている。

(また……お会いできたらいいのに)

 一度親切にしてもらっただけで、果たしてこうも情が芽生えるものだろうか。
 目が見えなくなり、婚約解消までされて傷心しているから、きっと人の優しさに弱くなっているのだろう、とネラはひとまず結論付けた。


   ◇◇◇


 家に帰り、だだっ広く長い廊下を歩いていると声を掛けられた。

「あ、お姉様。お帰りなさい」
「……ただいま」

 鈴を転がすような甘い声の主は、妹のリリアナだ。亜麻色の髪に同色のくりっとした瞳をしていて、愛嬌がある。しかし、わがままで傲慢な性格をしている。
 彼女はつかつかとこちらに歩み寄ってきた。

「ねぇ、悪足掻わるあがきは止めてさっさと諦めたら? お姉様なんてどこも雇ってくれないよ」
「……」
「邪魔だから修道院に入れって言ってるの。分からない?」

 気遣いもなしにはっきりと告げられる。昼間はクリストハルトの前だったから猫を被っていたが、彼女は元来こういう性格だ。思い遣りも配慮もなく、人を傷つけることでも平気で口にする。
 ネラは彼女にこういうことを言われるのに慣れており、もう怒りが沸き立つことすらなかった。

「働き先は見つかったわ。ちゃんと出ていくから」
「へぇ。お姉様を雇ってくれるなんて、世間には物好きもいるのねぇ。ま、それならいいけど」

 リリアナは無断でネラの鞄を漁り、財布を引っ張り出して中身を確認した。

「ふうん。結構あるのね。ねぇ、ちょっとちょうだいよ。明日友だちと遊ぶ約束なの」

 ネラが許可を出す前に、リリアナはすでにお金を抜き取っている。

(……友だち、ね)

 刹那、ネラは片眉をぴくりと動かし、その後で口を開いた。

「……その相手、深く関わらない方がいいわ。後ろ暗い仕事をしている」
「……! また勝手に私のこと占ったわね……!」

 たまに、意思に反して透視能力が発動してしまうことがある。今さっきも、その友だちがリリアナにとって将来不利益な存在になることを予知したのだ。黙っていたら怒らせずに済むのに、心配の言葉が口をついて出た。

「本当に気をつけた方がいいわ。危ない目に遭うかもしれないから」

 リリアナは友だちと浮気をしていた。元々移り気な性格でころころと恋人を替えていた彼女が、ひとりの元に収まるなんて無理だろうとは思っていたが。浮気相手は犯罪まがいなことをして金を稼いでいる。リリアナはその男に心酔してかなり金銭を貢いでいるようだが、そのうち何か――恐ろしい目に遭う。
 だが、彼女は聞く耳を持たず、ネラのことを突き飛ばした。

「うるさいわね、余計なお世話よ。お姉様が男に相手にされないからって、あたしのこと妬んでるんでしょ?」
「違う、私はただ心配で――」
「お姉様には関係ないから。ほっといて」

 そう吐き捨てて、彼女は去っていった。
 ネラは反省した。誰だって心の奥に土足で踏み入られるのは嫌なものだ。他人に踏み入られたくない領域を勝手に覗き見た上に、つい心配して口を挟んでしまった。散々酷い仕打ちをされても放っておけないのは、彼女が一応は腹違いの妹であり、ネラがとことんお人好しで実直だからだ。

「……ごめんなさい、リリアナ」

 怒らせてしまったことを反省し、ぽつりと漏らした呟きは静寂に溶けた。


 私室に戻り、ソファに腰を沈めて思いにふけった。
 ネラは、もともと静かであまり笑わない娘だったので、父にも母にも可愛がられなかった。また、生まれたときから備わっていた透視能力と光る瞳のせいで、気味が悪いと疎まれてきた。

(私は何をしても無価値な存在なのかしら……)

 目を開けても閉じても真っ暗なので、気持ちも暗くなっていく。嫌な考えばかりが浮かび上がって、ネラの心を囚えていく。
 今までずっと苦労してきたのに、遂には視力を失っただけでなく、家まで追い出されることになってしまった。何をやっても空回るばかり。これからも惨めな日々が続くのだろうか。
 不安で頭の中がぐちゃぐちゃになって疲れたのか、ネラはいつの間にか睡魔に襲われていた。


 浅い眠りの中で、夢を見た。
 荘厳な白いローブを身にまとい、頭にサークレットをつけた女の夢を。
 ぜいを尽くした豪奢ごうしゃな聖堂のバルコニーに彼女はひとりの騎士を付き従えて立っており、民衆が彼女を見上げていた。時おり風が吹いて、女のたおやかな銀髪を揺らす。そして彼女は――ネラと瓜二つの容姿をしていた。

「預言の聖女様!」
「我が教皇領の誇りだ、アストレア様に祝福を!」

 聖女の前で人々が頭を垂れ、憧憬を口にする。彼女は無表情で人々を見下ろしており、どこか人間離れした神々しさを放っていた。
 しかし、場面が変わった直後。
 アストレアを賞賛していた民衆が消え、血の海と化した教会の中、彼女は腹部を剣で貫かれて流血し、白い騎士服を着た男に抱き起こされていた。彼の全身は、アストレアのものなのか、それ以外の者のものか分からない血で汚れている。顔はよく見えないが、その男は泣いていた。

「あなたが眠るまで、お傍にいます。だから安心して、ゆっくりお休みください」
「必ずまた会えるわ。……ごめんね」

 アストレアはそう呟き、男の腕の中で息絶えた。


   ◇◇◇


「また、アストレアの夢……」

 ネラは夢から覚め、ソファの上で寝ていたことに気づいた。そっと半身を起こして、額を手で押さえる。
 たまに、四代聖女アストレアだった前世の夢を見る。ネラに記憶はないが、夢の中でアストレアの経験を覗き見るのだ。
 この辺りは昔、ヴェルシア教皇国という中央集権国家だった。
 歴史ある教皇国を治めていたのは、神の啓示によって選ばれる教皇と四人の聖女たちだ。彼らは神に選ばれた証として瞳孔に光の輪が刻まれ、不思議な力を授かる。その中でも聖女は、『守護』『治癒』『浄化』『預言』それぞれの力を賜る。
 アストレアは――預言の聖女だった。彼女は過去から未来までどんなことも見透かして、神の言葉を代弁し、民に叡智えいちを授けることが役目だった。
 しかし、彼女は金銭を受け取って機密情報を他国に漏らし、教皇国への侵攻をそそのかした。だから、『裏切りの聖女』として今も忌み嫌われている。
 ネラに透視能力があるのは、前世の力を引き継いだから。預言の聖女は透視能力を得る代わりに、視力を失う。ネラは今世でもその特性を引き継いでしまったのだろう。それならば、能力の覚醒と失明の時期が重なったことにも合点がいく。
 何度も何度も、裏切りの聖女アストレアの夢を見る。それは決まって、騎士風のいでたちの男に抱かれて死ぬシーンだった。裏切りの聖女と言われる割に、彼にはとても慕われているようだった。
 聖女を含む聖職者たちは、生涯独身でなければならない。恋愛をすることも禁じられていたが、ふたりはどのような関係だったのだろう。あの男の涙は、忠誠心によるものだけなのか、あるいはもっと別な感情からなのか……ネラには分からない。
 ソファから起き上がり、家具の場所を手で探りながら寝台に移動する。重い身体を引きずって寝台に滑り込み、枕に顔を埋めて再び目を閉じた。

(……あの男の人は、一体誰なのかしら)


 三日後、ネラは家を出ることになった。
 荷物はあとで馬車で運んでもらうことになっているので、杖を片手にほぼ身一つで家を出た。
 ボワサル子爵家が商機を求めてこの商都リデューエルに移住してきたのは、ネラが生まれて間もないときだった。長いこと暮らしてきた家だが、いい思い出がないためか、寂しさは感じない。
 玄関に行くと、リリアナも出かける前だった。

「あれ? お姉様、今日が出ていく日だったの?」
「ええ」
「ようやくこの家も邪魔者がいなくなって過ごしやすくなるわ。そこ退いて。あたしも出かけるんだから」
「きゃっ――」

 リリアナに手で雑に壁側に追いやられる。
 彼女はそのまま、つかつかとヒールの靴音を鳴らして去っていった。すれ違いざまに強い香水の匂いが漂ってきた。クリストハルトは香水の匂いが大の苦手だったので、もしかしたら例の浮気相手の男に会いに行くのかもしれない。派手に遊んでいるようで、人から婚約者を奪っておいてどうしようもない人だと、ネラはため息を零した。


   ◇◇◇


 リリアナ・ボワサルは、ボワサル子爵の愛人の子だった。毎月相当な額の生活費と養育費が送られてきていたため、金銭的に困るようなことは一度もなかった。路地裏などにいる私生児の多くはその日食べるものに困ったりすることもあるらしいが、リリアナは毎日美味しいものを食べてすくすくと育った。
 愛らしい容姿にも恵まれ、小さなころから会う人会う人に「かわいいね」と褒められた。母からは目に入れても痛くないほど可愛がられ、叱られるようなこともなかった。

「これは娘のネラだ。今日からお前の姉になる」

 姉のネラは、神秘的と言えば聞こえはいいが、光る輪が浮かぶ奇妙な瞳をしていた。ボワサル家に引っ越し、父に彼女を紹介されたときのリリアナの第一声はこれだった。

「……変な目。気持ち悪い」

 愛らしいと褒められるリリアナに対して、不思議な瞳を持つネラは、奇異の目で見られることも多い。普通とは違う特徴を持っている姉を、リリアナは見下していた。
 おまけに彼女は愛想がなく、口数も少ない。可愛げがないのは昔かららしく、父はネラのことを愛おしく思っていないようだった。リリアナは母と仲良しだったので、母が再婚してボワサル家に訪れたときには、父とネラの関係の希薄さに驚いたものだった。それだけではなく、父は彼女の瞳を――恐れていた。


 リリアナがネラのなんでも見透かす能力に気づいたのは、ボワサル家に住むようになって、半年ほど経ったころだろうか。

「お姉様って、本当に奇妙な目をしてるよね。その目の光、呪いの力でもあるんじゃない? ああ、怖い怖い」
「呪いの力はないわ」

 呪いの力は、というのは、まるで他の力ならあるかのような言い方で。

「この街の人とかに、絶対にあたしの姉だってことを言わないでね。不気味な瞳を持つ姉がいるって知られたら、あたしまで恥ずかしい思いをしなきゃいけなくなるから」
「…………」

 ネラは大人しくて無抵抗なので、度々意地悪を言っては鬱憤うっぷんぐちにしている。まあ、もう少ししおらしい態度を見せてくれた方がいじめがいがあるのだが。
 すると彼女は、サファイアの瞳に浮かぶ金色の輪を――物理的に光らせながらこちらを見据えた。

(は……? 目が光って――)

 神秘的な輝きに圧倒されたリリアナは、背筋が粟立つような感覚に襲われる。ネラは冷たい表情のまま、形のいい唇をそっと開いて告げた。

「そうやってこの家のメイドたちにも――ひどいことを言ったの?」
「え……」

 実は数日前に、ボワサル子爵邸のメイドたちが何人も辞表を出してきた。その原因は、リリアナと母の嫌がらせだった。気に入らないことがあると恫喝し、同じ場所を何回も掃除し直しさせたり、物を投げつけたり、ひどいときは髪を引っ張ったりしたのだ。ネラや父には気づかれないようにしていたのに、どうして知っているのだろう。

「彼女たちは昔から真面目に働いてくれていた人たちよ。それなのに、物を投げつけたり髪を引っ張るなんてあんまりだわ。心を病むまで追い詰めるなんて……。次に来るメイドたちには決して今回のような仕打ちをしないで」
「どうして……」
「メイドたちには私から謝罪して、慰謝料を支払っておいたわ。こういうことが起これば家の醜聞しゅうぶんにも繋がるから、くれぐれも気をつけなさい」
「どうして……知ってるの? 見ても、ないのに」
「……私にはえるのよ」

 そのときは彼女の言葉の意味が分からなかったが、父に聞いたら教えてくれた。ネラは生まれつき透視能力があり、過去や未来まで見透かすことができるのだと。そしてその能力は年々強くなっているらしい。あの瞳は、ただ見た目が不気味なだけではなく、本当に気味の悪い力を持っていたのだ。
 更にタチが悪いのは、ネラの実直さだ。人に知られたくないことを見透かされているというだけでも不愉快なのに、彼女はいちいち口出ししてきた。

「あのルビーの指輪は、伯爵夫人が亡くなったご主人に最後に贈ってもらった大切な指輪よ。失くしたことでたいそう心を痛めて寝込んでいらっしゃるわ。だからお願い、匿名で送る形でもいいから、返してあげて」

 ネラにあるとき廊下で呼び止められたかと思えば、やぶから棒にそんな哀願をしてきた。
 リリアナの背中に冷たいものが流れる。ネラが言った『あのルビーの指輪』に心当たりがあるからだ。友人の伯爵令嬢にお茶会に招かれ、棚に飾られている美しい指輪に一目惚れしたのだ。どうしても欲しくなり、友人に気づかれないようにそっと手を伸ばして懐にしまった。

(どうして、そんなことまで勝手に視てるのよ……!)

 ろくに誰かに叱られたことがないまま生きてきたリリアナにとって、こうして行いをとがめてくるネラは、嫌悪の対象でしかなかった。

「そんなのっ、お姉様には関係ないでしょ!? ほっといてよ!」

 怒りに任せたまま、どんっと突き飛ばす。ネラは「きゃっ」と小さく悲鳴を上げながら床に倒れ込んだ。それでも怒りは収まらず、今度はネラの長い銀色の髪を引っ張って金切り声で怒鳴りつける。


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