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しおりを挟むああ、あの側溝。
夏には草がにょきにょき生えてたなあ。
その日、そこそこ長く務めた会社を退職した凛は、虚ろな目で、今は草も無くひんやりとしているだろう側溝を見た。
季節は秋の終わり。
だから、ということも無いだろうが、凛は近頃婚約を破棄された。
そして元となった婚約者は、凛から彼を略奪した女とそのまま婚約し直した。
寝取られ女。
相手が二人とも同僚だったこともあり、凛は社内でそう囁かれ、嘲りの対象となってしまった。
そして、加害者二人が悪びれないどころか<障害を乗り越えました!>と、新たに結んだ婚約を堂々たる態度で大々的に発表したため、凛の立場は更に悪くなってしまった。
ああ、もうどうでもいい。
浮気したのは元婚約者で、横槍を入れたのは略奪女なのに、他の同僚達からもまるで凛が横恋慕していたかのような扱いをされ、凛は退社と同時に繋がりのあった他の同僚の連絡先も消し去った。
それでも請求した慰謝料については渋々ながら支払ってくれたし、退職金もあるので、当面の暮らしに不安は無い。
凛は、側溝にかつて生えていた草に自分を重ね、夏は隆盛する草の如く私も幸福に満ちていたなあ、と薄らぼんやり思い、そこに何かが光るのを見た。
何だろう?
陽の光に何か反射したようではあるが、側溝の蓋の金属に、ではなかったようだと近くに寄ってみた凛は、そこに数珠を見つけた。
「お数珠だ」
思わず呟き、惹かれるように数珠に手を伸ばした凛は、側溝内に落ち込んでいるそれを拾いあげようとして。
『ありがとう、助けてくれて』
胸元ははだけ、裾は大きく乱れた泥だらけの着物姿で、ほどけ放題の髪が顔中にかかっており、しかも極め付きに浮いている、という尋常ならざる女性が、数珠と共にずるずると側溝から出て来るのに腰を抜かした。
こんな狭い側溝の隙間から人が出て来るなど、絶対にあり得ない。
けれど、件の女性は数珠を手に笑っている。
「っっっっっ!」
どう考えても生きている尋常な人間ではない、見た目はまんま幽霊だ、と、凛は声にならない悲鳴をあげて腰を抜かし、その女性を見てぶるぶると震えあがった。
『ちょっと、そんなにされたら傷つくんだけど・・・まあ、この格好じゃ仕方ないか。あたし死んでるしね』
けらけらと笑いながら、自分が死んでいる、と言い切った女性は、立ち上がることも出来ずにわなわなと震え、しゃがみ込む凛に近づいた。
『にしても、このお数珠が見えたのってあんたが初めて。あのさ、あたしお湯を使いたいんだよね。これも何かの縁と思って、あたしのこと拾ってくんない?』
この世に彷徨う霊は、その望みが叶うと昇天できる、と何かで読んだのを思い出した凛は、ひたすらこくこく頷いて、幽霊女と共に自宅へと戻った。
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