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第一章
15話:パーティー②
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勤務が開始してからというもの、帰宅すれば疲弊であっという間に眠ってしまっていた久遠は、向こうが送ってくれていた近況を尋ねるLINEを溜めてしまっていた。しかも勤務開始日からとなると、5日は未読スルーしていることになる。
相手は転職活動も応援してくれていた友人で、勤務開始日も把握していた。そのために、その日から返信がないとなると久遠に何かあったのかと案じるのは当然だ。
けれど生憎、今はパーティーにいて通話ができる状況にない。宴会場を出て通話をしようにも、神永に一声かけないといけない。
ひとまずは電話に出て、あとでかけ直すということを短く伝えるのがベストだろう。そう思い、応答ボタンをスワイプした。
「ごめん!今電話できなくて。心配かけちゃったよね?私は大丈夫だからまた連絡するから、」
〈後ろ見てみ〉
電話が繋がるやいなや伝えるべき事項を伝えてしまおうと、久遠は一方的に言葉を連ねたが、それは相手によって遮られた。
いや、"後ろ" とはなんだ。
どういうことか尋ねようとスマホを耳に押し当てるが、相手は〈後ろ後ろ〉と繰り返すだけだ。
その声が、何やら二重に響いて聞こえたような気がして、久遠は後ろを振り向く。そして、目を見開いた。
「なんで?」
例の元同期が、久遠のすぐそばに立っていた。
相手は久遠を見下ろしてにやりと笑い、耳に当てていたスマホを下ろす。
「びびった?」
そこにいるはずのない元同期――岡島凌也がこのパーティー会場にいることを脳が処理しきれず、なにかのバグかと思う。
黒髪をラフに整えた凌也が、人懐っこい笑みを浮かべながらそのまま近づいてくる。愛嬌のある八重歯が覗き、いたずらっぽい目尻も、出会った頃と変わらない。
「つっても俺もびっくりしたけど。ずっと未読スルーされてる相手がパーティーにいんだもん」
わざとらしく痛いところを突かれ、久遠は丸くしていた目を細める。
「そ、それはごめん!バタバタしてて、あんまSNSとか見れてなくて」
「わーってるよ。本気で怒ってないわ」
申し訳なさそうな声色になった久遠の言葉に、凌也がカラッとした声色を被せてくる。
凌也との出会いは、前の会社の入社よりも前に遡る。インターンで同じグループになり、その時から話す機会が多かった。だから、お互い内定がもらえた時は喜びあったものだ。
入社後は異なる部署の配属にはなったものの、その後も関わりは保ち続けていて、同期飲みはよくしたものだ。
そもそも前の会社は年度の採用人数が少なかったため、空気感の合う人と合わない人で分けてしまえばあっという間に交流する人の範囲は狭まり、凌也はそんな中で繋がりが残った数少ない人だった。久遠がセクハラ被害に遭ったことをやっとのことで開示した相手も凌也で、被害の訴えを手助けしてくれたのも、セクハラを有耶無耶にしようとする会社側に久遠以上に憤ってくれたのも、『ここに無理に残ることない』と転職のサポートをしてくれたのも凌也だ。
彼は下にきょうだいがいるためか面倒見がよく、困っている人がいれば放っておけない人柄のようだった。当時弱っていた久遠はついその性質に甘えて支えてもらってしまっていたのに、ここ数日未読スルーをしていたというのは、大変な恩知らずである。
「こんなとこで会うなんてびっくりした……怖い」
「人を化け物みたいに言うな。奇跡の再会に喜べよ」
嬉しいことは、嬉しい。
気のおける相手とこうして話せるのも嬉しい。
ただ、そう、私は上司を見失ってはいけないんだ。
「転職早々パーティー参加者にされてんの?大変だな。慣れそうか?仕事」
久遠のワンピースを一瞥して尋ねてくる。
凌也のその軽やかな導入は、明らかに長話になる方針へと舵を切りはじめている気がして、少し焦る。
「うん。慣れないけど頑張るよ。凌也にたくさん手伝ってもらったし、何とかやる予定」
慣れないというのは、業務内容のせいというより因縁の相手との再会のせいなのだが。しかし、そこを話している時間はない。
神永がどこへ行ったか視線で追うために、食事が並んだ方向を見ようとした。
――と、驚いて危うくスマホを落としてしまうところだった。
てっきり離れたところへ行ってしまったと思っていた神永はこちらを向いていて、ばっちり目が合ったのだ。距離は3mもない。
神永は久遠と凌也の間を窺うように、一歩、二歩とこちらへ踏み出し、久遠のそばに立った。
神永は、凌也を見てはいるものの、佐伯の時と違って『お知り合い?』と口に出して聞いてくることはなかった。
久遠は、おずおずと凌也を手で差す。
「あ、彼は前の会社の同期です。すみません、なんか……。」
なにがすみませんなのか、自分でも不明瞭だなと思いつつそう言う。
神永の反応も見ないまま、今度は凌也を見る。
「こちら、今の会社でお世話になってる神永、さん。チーム長の」
社外の人に上司を紹介する時は名字呼び捨てという社会人マナーを、この状況にも適用すべきかどうか迷いが出た。今回の場合は友人に元恋人でもある人を紹介しているというプライベートとの重複もあるため、「神永」と呼び捨てにしてしまうのはさすがに違和感があり、さんを付ける。
神永の姿をとらえた凌也の目が、僅かだが見開かれたのが久遠には見えた。これは、彼を初めて目にした大抵の人がする表情として、懐かしくはあるが久遠としても見慣れている。
交際していた時、初めて家へ挨拶に来た彼を見た久遠の両親も同じく目を見開いていたのを思い出す。彼がわざわざ持ってきてくれた手土産のロールケーキを、神永の顔を呆然と見ていた両親はなかなか受け取っていなかった。
神永の外見は、見ていると、自分がいる現実世界に、突然3Dグラフィックの架空の人物が合成されたかのような錯覚に陥るのだ。神永が持つ、デザインに狂いのない美しい顔や絹肌は、生身の人間らしさを欠損しているまである。それほど神永という男は美しかった。
「あ、『北辰医薬』の岡島と申します。くお……小島がお世話になってます」
2秒間ほどのメデューサの石化から解放された凌也が、笑みを取り戻して神永に手を差し出した。神永も一歩踏み出して握手に応じる。
「神永と申します。こちらこそお世話になっています」
相手は転職活動も応援してくれていた友人で、勤務開始日も把握していた。そのために、その日から返信がないとなると久遠に何かあったのかと案じるのは当然だ。
けれど生憎、今はパーティーにいて通話ができる状況にない。宴会場を出て通話をしようにも、神永に一声かけないといけない。
ひとまずは電話に出て、あとでかけ直すということを短く伝えるのがベストだろう。そう思い、応答ボタンをスワイプした。
「ごめん!今電話できなくて。心配かけちゃったよね?私は大丈夫だからまた連絡するから、」
〈後ろ見てみ〉
電話が繋がるやいなや伝えるべき事項を伝えてしまおうと、久遠は一方的に言葉を連ねたが、それは相手によって遮られた。
いや、"後ろ" とはなんだ。
どういうことか尋ねようとスマホを耳に押し当てるが、相手は〈後ろ後ろ〉と繰り返すだけだ。
その声が、何やら二重に響いて聞こえたような気がして、久遠は後ろを振り向く。そして、目を見開いた。
「なんで?」
例の元同期が、久遠のすぐそばに立っていた。
相手は久遠を見下ろしてにやりと笑い、耳に当てていたスマホを下ろす。
「びびった?」
そこにいるはずのない元同期――岡島凌也がこのパーティー会場にいることを脳が処理しきれず、なにかのバグかと思う。
黒髪をラフに整えた凌也が、人懐っこい笑みを浮かべながらそのまま近づいてくる。愛嬌のある八重歯が覗き、いたずらっぽい目尻も、出会った頃と変わらない。
「つっても俺もびっくりしたけど。ずっと未読スルーされてる相手がパーティーにいんだもん」
わざとらしく痛いところを突かれ、久遠は丸くしていた目を細める。
「そ、それはごめん!バタバタしてて、あんまSNSとか見れてなくて」
「わーってるよ。本気で怒ってないわ」
申し訳なさそうな声色になった久遠の言葉に、凌也がカラッとした声色を被せてくる。
凌也との出会いは、前の会社の入社よりも前に遡る。インターンで同じグループになり、その時から話す機会が多かった。だから、お互い内定がもらえた時は喜びあったものだ。
入社後は異なる部署の配属にはなったものの、その後も関わりは保ち続けていて、同期飲みはよくしたものだ。
そもそも前の会社は年度の採用人数が少なかったため、空気感の合う人と合わない人で分けてしまえばあっという間に交流する人の範囲は狭まり、凌也はそんな中で繋がりが残った数少ない人だった。久遠がセクハラ被害に遭ったことをやっとのことで開示した相手も凌也で、被害の訴えを手助けしてくれたのも、セクハラを有耶無耶にしようとする会社側に久遠以上に憤ってくれたのも、『ここに無理に残ることない』と転職のサポートをしてくれたのも凌也だ。
彼は下にきょうだいがいるためか面倒見がよく、困っている人がいれば放っておけない人柄のようだった。当時弱っていた久遠はついその性質に甘えて支えてもらってしまっていたのに、ここ数日未読スルーをしていたというのは、大変な恩知らずである。
「こんなとこで会うなんてびっくりした……怖い」
「人を化け物みたいに言うな。奇跡の再会に喜べよ」
嬉しいことは、嬉しい。
気のおける相手とこうして話せるのも嬉しい。
ただ、そう、私は上司を見失ってはいけないんだ。
「転職早々パーティー参加者にされてんの?大変だな。慣れそうか?仕事」
久遠のワンピースを一瞥して尋ねてくる。
凌也のその軽やかな導入は、明らかに長話になる方針へと舵を切りはじめている気がして、少し焦る。
「うん。慣れないけど頑張るよ。凌也にたくさん手伝ってもらったし、何とかやる予定」
慣れないというのは、業務内容のせいというより因縁の相手との再会のせいなのだが。しかし、そこを話している時間はない。
神永がどこへ行ったか視線で追うために、食事が並んだ方向を見ようとした。
――と、驚いて危うくスマホを落としてしまうところだった。
てっきり離れたところへ行ってしまったと思っていた神永はこちらを向いていて、ばっちり目が合ったのだ。距離は3mもない。
神永は久遠と凌也の間を窺うように、一歩、二歩とこちらへ踏み出し、久遠のそばに立った。
神永は、凌也を見てはいるものの、佐伯の時と違って『お知り合い?』と口に出して聞いてくることはなかった。
久遠は、おずおずと凌也を手で差す。
「あ、彼は前の会社の同期です。すみません、なんか……。」
なにがすみませんなのか、自分でも不明瞭だなと思いつつそう言う。
神永の反応も見ないまま、今度は凌也を見る。
「こちら、今の会社でお世話になってる神永、さん。チーム長の」
社外の人に上司を紹介する時は名字呼び捨てという社会人マナーを、この状況にも適用すべきかどうか迷いが出た。今回の場合は友人に元恋人でもある人を紹介しているというプライベートとの重複もあるため、「神永」と呼び捨てにしてしまうのはさすがに違和感があり、さんを付ける。
神永の姿をとらえた凌也の目が、僅かだが見開かれたのが久遠には見えた。これは、彼を初めて目にした大抵の人がする表情として、懐かしくはあるが久遠としても見慣れている。
交際していた時、初めて家へ挨拶に来た彼を見た久遠の両親も同じく目を見開いていたのを思い出す。彼がわざわざ持ってきてくれた手土産のロールケーキを、神永の顔を呆然と見ていた両親はなかなか受け取っていなかった。
神永の外見は、見ていると、自分がいる現実世界に、突然3Dグラフィックの架空の人物が合成されたかのような錯覚に陥るのだ。神永が持つ、デザインに狂いのない美しい顔や絹肌は、生身の人間らしさを欠損しているまである。それほど神永という男は美しかった。
「あ、『北辰医薬』の岡島と申します。くお……小島がお世話になってます」
2秒間ほどのメデューサの石化から解放された凌也が、笑みを取り戻して神永に手を差し出した。神永も一歩踏み出して握手に応じる。
「神永と申します。こちらこそお世話になっています」
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