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第一章
20話:10年前の出会い①
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┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
中学2年生の冬。
小島久遠はまた、入院をしていた。この時の入院は、これまで入退院を繰り返していた久遠にとっても特別なものだった。神永一織と出会えたから、という理由だけではない。0歳から繰り返していた入院生活に終止符を打つ、最終回だったからだ。
生まれた時に心雑音を指摘され、その後診断されたのは中等度の「心室中隔欠損症(VSD)」 。これに見られる心臓の穴は、自然に治ることも多い。けれど久遠の場合はやや大きく、手術することになった。
VSDの手術は1、2歳までに行うことが一般的だが、幼い頃の久遠は肺炎を何度か発症してしまったり、体重不足があったりして、成長が安定してからでないと手術は難しいとされた。
満を持して中学2年生で受けた手術は成功した。手術後は傷の痛みや倦怠感が続いたけれど、確実に心臓は軽くなっていく。あとは体力が戻るのを待つだけ。そんな時期の久遠は、学校に復帰したらやりたいことをリストアップすることにも飽きて、退屈だった。
「久遠ちゃーん。調子どう?」
明るい声とともに、看護師さんがカーテンを軽く揺らしながら入ってくる。
「あ、大丈夫です!」
敬語で返したけれど、相手は小さい頃からずっとお世話になっているお馴染みの看護師さんだ。
それだけ返事をしてまた窓の外を見下ろす久遠の様子に、看護師が「なにかおもしろいものでもあるの?」と近づいてくる。
「ねえね、あの人誰かわかる?」
指さした先は、病院の温室だ。
あの温室は、目立たないところにあるせいか、中の花はきちんと手入れされているのにも関わらず、自分以外の誰かが入っているところは見たことがない。
そこに珍しく人影が見えた。古いガラスを走っている細い骨組みが邪魔をしてよく見えないが、誰かがいる。
「ああ、久遠ちゃんのお庭?」
久遠は、調子のいい時は温室の花の水やりを手伝わせてもらうことがあったので、看護師や医師たちはあの温室を "久遠ちゃんのお庭" と呼んでくれていた。
「あ~、一織くんかな?」
一緒に窓の先を覗き込んでくれたその看護師が言う。
「イオリくん?」
「うん。久遠ちゃんの一個上のお兄ちゃんかな」
ということは中3か。
「花が好きって言ってたよ。久遠ちゃんとおんなじだね」
その日、初めて神永一織という存在を知った。
けれど、彼はその前から久遠に気づいていた。数日前、温室で花に水やりをしていた久遠を彼の方が先に見かけていたことを、この先も久遠は知らない。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
久遠が次に一織を見たのは、私がプレイルームで子どもたちに絵本を読み聞かせしていたときだった。
幼い頃から入院が多かったせいで退屈のやり過ごし方には少し詳しかったから、自分が小学校5,6年になってからは、よく年下の子を相手に本を読んだり、一緒に遊んだりしていた。
ページをめくっていたら、視界の端に気配を感じた。顔を上げると、廊下にあの温室の男の子が立って、こちらを見ていた。
入院着という病院ではありふれた姿のはずなのに、なんだかその存在が異質に見えた。
彼の整った顔立ちのせいかもしれないし、久遠にとって、病院で近い年齢の男の子を見る機会が少なかったことも関係しているのかもしれない。
少しの間見つめ合ってしまい、耐えきれなくなったのは久遠の方だった。先に視線を絵本へ戻し、もう一度外を見たときには彼はいなかった。
けれどその数日後に、温室で再び出会うことになる。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
とある日の、夕陽が差し込む温室。
久遠が先にそこにいて、ドアノブを回してあとから入ってきたのはあの"イオリくん"だった。
誰かと会ってしまうことを予測していなかった2人は、互いに目を見開いた。
久遠が逃げるように出口へ向かいかけたとき、「待って」と呼び止められた。
けれど彼も何も言葉が続かない。久遠を引き留めた理由が、追い出してしまうようになるのが悪いから咄嗟に口に出ただけだったとすぐに察した。
沈黙に耐えかねたのか、彼が少し迷いながら口を開いた。
「この間、読み聞かせしてた子だよね」
男の子からでもこんなに洗練された声が出ることを初めて知った。
久遠が久しぶりに学校へ行くと、男子たちのふざけた大声やからかう声に圧倒されてしまうことが常だった。一方で目の前の彼の声は、この美しい温室の一部としてふさわしい、静かで優しい声だった。
温室のガラスに透けた光が、彼の頬を照らしている。はっとするほど美しい顔が、よりフィクションじみて見える。
「上手だなと思って。少し聞いちゃった」
突然褒められ、どう返したらいいかわからない。目を泳がせながら「あ、ありがとう…ございます」と答えてしまったけれど、もっと愛想のいい返事があったはずだ。
ここのところの久遠が会話をした相手といえば、看護師さんやお医者さんや両親などの頼れる大人たちか、あとは幼い子どもたちくらいで、"対・同い年くらいの子との会話のモード"は長らくおやすみしているのだ。どう対応したらいいかわからず緊張してしまう。
「あの絵本、小さい頃に母さんに読んでもらってたなと思って。懐かしい気持ちになって」
久遠はまたなんと返したらいいか分からず、コクコクと頷いた。
そして、私も何か話さなきゃと焦り、看護師に聞いた話を思い出した。
「……花、好きなんですか?」
質問としては少しずれている気もしたけど、それしか浮かばなかった。彼は一瞬だけ気恥ずかしそうに、でも素直に「うん」と答えた。
それが、彼と初めて言葉を交わした日だった。
中学2年生の冬。
小島久遠はまた、入院をしていた。この時の入院は、これまで入退院を繰り返していた久遠にとっても特別なものだった。神永一織と出会えたから、という理由だけではない。0歳から繰り返していた入院生活に終止符を打つ、最終回だったからだ。
生まれた時に心雑音を指摘され、その後診断されたのは中等度の「心室中隔欠損症(VSD)」 。これに見られる心臓の穴は、自然に治ることも多い。けれど久遠の場合はやや大きく、手術することになった。
VSDの手術は1、2歳までに行うことが一般的だが、幼い頃の久遠は肺炎を何度か発症してしまったり、体重不足があったりして、成長が安定してからでないと手術は難しいとされた。
満を持して中学2年生で受けた手術は成功した。手術後は傷の痛みや倦怠感が続いたけれど、確実に心臓は軽くなっていく。あとは体力が戻るのを待つだけ。そんな時期の久遠は、学校に復帰したらやりたいことをリストアップすることにも飽きて、退屈だった。
「久遠ちゃーん。調子どう?」
明るい声とともに、看護師さんがカーテンを軽く揺らしながら入ってくる。
「あ、大丈夫です!」
敬語で返したけれど、相手は小さい頃からずっとお世話になっているお馴染みの看護師さんだ。
それだけ返事をしてまた窓の外を見下ろす久遠の様子に、看護師が「なにかおもしろいものでもあるの?」と近づいてくる。
「ねえね、あの人誰かわかる?」
指さした先は、病院の温室だ。
あの温室は、目立たないところにあるせいか、中の花はきちんと手入れされているのにも関わらず、自分以外の誰かが入っているところは見たことがない。
そこに珍しく人影が見えた。古いガラスを走っている細い骨組みが邪魔をしてよく見えないが、誰かがいる。
「ああ、久遠ちゃんのお庭?」
久遠は、調子のいい時は温室の花の水やりを手伝わせてもらうことがあったので、看護師や医師たちはあの温室を "久遠ちゃんのお庭" と呼んでくれていた。
「あ~、一織くんかな?」
一緒に窓の先を覗き込んでくれたその看護師が言う。
「イオリくん?」
「うん。久遠ちゃんの一個上のお兄ちゃんかな」
ということは中3か。
「花が好きって言ってたよ。久遠ちゃんとおんなじだね」
その日、初めて神永一織という存在を知った。
けれど、彼はその前から久遠に気づいていた。数日前、温室で花に水やりをしていた久遠を彼の方が先に見かけていたことを、この先も久遠は知らない。
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久遠が次に一織を見たのは、私がプレイルームで子どもたちに絵本を読み聞かせしていたときだった。
幼い頃から入院が多かったせいで退屈のやり過ごし方には少し詳しかったから、自分が小学校5,6年になってからは、よく年下の子を相手に本を読んだり、一緒に遊んだりしていた。
ページをめくっていたら、視界の端に気配を感じた。顔を上げると、廊下にあの温室の男の子が立って、こちらを見ていた。
入院着という病院ではありふれた姿のはずなのに、なんだかその存在が異質に見えた。
彼の整った顔立ちのせいかもしれないし、久遠にとって、病院で近い年齢の男の子を見る機会が少なかったことも関係しているのかもしれない。
少しの間見つめ合ってしまい、耐えきれなくなったのは久遠の方だった。先に視線を絵本へ戻し、もう一度外を見たときには彼はいなかった。
けれどその数日後に、温室で再び出会うことになる。
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とある日の、夕陽が差し込む温室。
久遠が先にそこにいて、ドアノブを回してあとから入ってきたのはあの"イオリくん"だった。
誰かと会ってしまうことを予測していなかった2人は、互いに目を見開いた。
久遠が逃げるように出口へ向かいかけたとき、「待って」と呼び止められた。
けれど彼も何も言葉が続かない。久遠を引き留めた理由が、追い出してしまうようになるのが悪いから咄嗟に口に出ただけだったとすぐに察した。
沈黙に耐えかねたのか、彼が少し迷いながら口を開いた。
「この間、読み聞かせしてた子だよね」
男の子からでもこんなに洗練された声が出ることを初めて知った。
久遠が久しぶりに学校へ行くと、男子たちのふざけた大声やからかう声に圧倒されてしまうことが常だった。一方で目の前の彼の声は、この美しい温室の一部としてふさわしい、静かで優しい声だった。
温室のガラスに透けた光が、彼の頬を照らしている。はっとするほど美しい顔が、よりフィクションじみて見える。
「上手だなと思って。少し聞いちゃった」
突然褒められ、どう返したらいいかわからない。目を泳がせながら「あ、ありがとう…ございます」と答えてしまったけれど、もっと愛想のいい返事があったはずだ。
ここのところの久遠が会話をした相手といえば、看護師さんやお医者さんや両親などの頼れる大人たちか、あとは幼い子どもたちくらいで、"対・同い年くらいの子との会話のモード"は長らくおやすみしているのだ。どう対応したらいいかわからず緊張してしまう。
「あの絵本、小さい頃に母さんに読んでもらってたなと思って。懐かしい気持ちになって」
久遠はまたなんと返したらいいか分からず、コクコクと頷いた。
そして、私も何か話さなきゃと焦り、看護師に聞いた話を思い出した。
「……花、好きなんですか?」
質問としては少しずれている気もしたけど、それしか浮かばなかった。彼は一瞬だけ気恥ずかしそうに、でも素直に「うん」と答えた。
それが、彼と初めて言葉を交わした日だった。
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