【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~

葉影

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第二章

86話:表参道デート②

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「酔って久遠にキスしそうになったことあるし」

 ……え?

 世界が一瞬止まったみたいだった。

 耳に入った言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかってしまう。

「え!?いつ!?いつですか!?」

 声がひっくり返った。周りの視線を気にして口を塞ぐが、もう遅い。自分でも驚くほど大きな声で尋ね返してしまった。

 久遠の食いつきの良さに神永は少し笑い、記憶を検索するように目線を上向きに彷徨わせる。

「うーんなんだっけあれ。……あ、翌日に久遠のこと叱った日だ。無断残業しないでくださいって」

「残業……」

 思い出した。

 胸の奥に、あの日の恥ずかしさと情けなさが一気に蘇る。静まり返ったフロアで、机に突っ伏して寝落ちしたあの日。翌朝、冷静に叱られた時のこと。

 たしかあの夜は、展示会に参加することが決まったことで、ブリッジノートについて慌てて勉強していたのだった。

 ――え、でも待って。

 彼はあの日、珍しくチームの誰よりも早く退勤したと記憶している。

「あの日飲みがあって、前の上司にサシでかなり飲まされてね。解散してから、忘れ物思い出したからオフィス寄ったんだけど」

 そこまで言われて、今の今まで忘れていたとある記憶が蘇る。

 ということは、あの時聞こえた気がした声は――彼のものだったんだ……!

『笑った顔が好きだったのに……』

 夢か現かわからない覚醒状態で耳を撫でたあの言葉は、オフィスに戻ってきていた、神永のものだったのだ。

「デスク行ったら久遠いるじゃん。びっくりした。ひざ掛け落ちてるし、よだれ垂れてるし」

「え!嘘ですよね?」

「ふふ、よだれは嘘だけど、とにかく可愛くて」

「え」

「もうアルコールで頭おかしくなってるからさ、あーもう寝顔にキスしちゃおっかなと思ったんだけど、犯罪じゃん。ギリギリでちゃんととどまったよ。自分で起こすわけにもいかないから、警備員さんに頼んで帰ったんだあの日は」

「そ、そんなことが…」

 淡々と語る神永とは対称的に、久遠の胸の奥はかき混ぜられる。

 あの時期のチーム長が、自分の寝顔を見て、そんなことを思っていただなんて。少し前の自分に教えてあげたい。

 あの頃の自分はただ、自分が情けなくて、存在が申し訳なくて、チーム長を煩わせてしまったと落ち込んでいた。それなのにまさか、知らない間にも2人の想いの矛先は互いを向いていただなんて、想像もしていなかった。

 罪悪感と片想いで占められた長い時間が、少しずつ、静かに書き換えられていく。

 隣の彼を見るだけで、胸がぎゅうっと締め付けられた。繋いだ手にぎゅっと力を込めてみる。「うん?」と笑顔で受け止めながら、同じだけ握り返してくれる彼が愛おしい。もう手の中にいるのに、もっと自分の近くに繋ぎたいと思う。

 8年間という歳月は、不要な決め付けで互いを避けるには長すぎた。もう、少しも離れてほしくなくて、目の前にいてくれているのに少し不安になる。満ち足りているはずのこの胸に、隙間風のようなものがひやりと吹き込むような感覚がした。

「久遠、そろそろお腹すいた?どこか入ろうか」

 少しだけセンチメンタルな気持ちになっていると、地図アプリを見ながら歩いていた神永が言った。

 軽めの朝食から5時間が経過しているお腹は、たしかに、きゅるきゅると音を鳴らし始めている。

「近くに久遠が好きそうなところあったよ、見て」

 神永が見せてくれるスマホの画面には、都会的な喧騒の中にパッと目を引く鮮やかな赤い壁が印象的なお店のテラスが映っていた。

「わぁ、可愛い」

 画面をスクロールすると、こんもりと盛られたブルーベリーがこぼれ落ちそうな、厚みのあるパンケーキの写真が飛び込んでくる。それから、カリカリに焼かれたベーコンが添えられた、いかにもアメリカの朝食といった食欲そそるプレート。

「有名なんだって。骨董通り沿いだから、ここからすぐだよ。土曜だし混んでるかもしれないけど」

 こんなに綺麗な格好をさせてもらって、こんなに素敵な場所にまで……。

 写真の中の料理の煌めきを見ていると、湧いてくるワクワクを追いかけるように、久遠の中にはまた、幸せすぎてまずいんじゃないかという不安が頭をもたげる。けれど、隣で画面を覗き込む神永の横顔があまりに優しくて、思いやりに応えたいという思いが引け目よりもわずかに上回った。

「行ってみたいです!すごく美味しそう」

 久遠が神永を見上げてそう言うと、彼は「よし、決まり」と嬉しそうに微笑んだ。そして、ポケットにスマホをしまいながら言う。

「もし久遠の方でもっと食べたいご飯があったらそれでもいいんだけど……夜は夜で行きたいとこあるから、軽めにしておこうかなと」

「行きたいとこ?」

「うん。久遠も行ったことあるところ」

 2人の思い出の場所ということだろうか。2人が付き合っていた頃のデートを思い出してみる。

 しばらく考えてみるけれど、デートはしても大抵夜ご飯は家で食べていた学生カップルに、思い出のディナーレストランなんてものは思い当たらなかった。

 きょとんとしている久遠の様子に気づいた神永が、片方の口角だけ上げる。

「霧島の店だよ」

「……え!」

「今日ちょうど土曜日でしょ?もう早速行って、報告してやろうかなって」

 たしかに今日は霧島がバーを間借りしている曜日のはずだ。

 気になるのは、神永の若干嘲るような語尾。彼は霧島のことになると、いつも以上に冷たくなるような気がする。元々彼は美しい顔で毒づく方ではあったけれど、霧島が相手だとそれが顕著だ。

「いいですね、夕飯も楽しみです」

 前回は凌也がたくさんオーダーしてくれたとはいえ、まだ他にも興味をそそられるメニューがあって、満腹なお腹を抱えて泣く泣く諦めたことを覚えている。それに、彼が出している料理のラインナップは流動的らしく、今日行けばまた新たに気になる料理名が黒板に書かれているのだろう。

「久遠嬉しそう。じゃあ夜は恵比寿行こうね。まずはこっち、おいで」

 神永は久遠の手を握り直して、カフェを目指して歩き出した。
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