僕がオメガじゃなかったら

ネギマ

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「あいつ、まさかオメガだったとは……。ただでさえ出来が悪いというのに、面倒なモノまで持ち込みおって」
「早々にどこかに嫁がせたほうがいいのでは?うちに置いといても厄介なだけですし」
「たしか美作のところが長男の『いい人』を探しているという話を聞いたことがありますよ」
「あぁ、美作か……。そうだな、いいかもしれない」

 リビングで父と二人の兄で繰り広げられているそんな会話を、まだ中学生にもなっていない僕は扉越しに聞いていた。
 自分が家族に受け入れられていないことは、わかっていた。僕は兄たちと違って全てにおいて出来が悪く、両親もそんな僕に手を焼いており、彼らが嫌うオメガだと発覚してからは本格的に匙を投げたようだった。
 暴言も、暴力も、家族は自分のためにしてくれているのだと思ったら耐えられた。でも見捨てられて、それでも暴力は止まなくて、ただただストレスのはけ口にされていたのだと知ってしまってからは、目に見えて心が摩耗していった。
 程なくして、オメガの人が必ずと言っていいほど経験する発情期が、通常だときていてもおかしくない年齢の自分にはまだ来ないこともわかった。原因は不明。医者曰く時々こんなことはあるので気長に待つのがいいとのことだったが、家族の風当たりは更に強くなった。嫁がせてもこのままでは番にもできないし子を成せる確率も低いからだ。
 オメガのお前が役立てることと言ったらそれくらいなのに。これで婚約の話がなくなったらどうしてくれる、また面倒をかけさせる気かと、両親は僕を罵った。しかし、いつの間にか婚約の話を進めていた相手方はそれでもいいと僕を受け入れ、僕が知らないうちに婚約者ができていた。
 婚約者と住み始めると決まったときは、漸く家族のもとから離れられるとほっとしたと同時に、痛いことはなくなるかもしれないと期待した。こんな僕でも受け入れてくれた人たちだったから、そこまでひどいことはされないだろうと思ったのだ。しかし、暴言や暴力をふるう人間が変わっただけで根本的なことはなにも変わらなかった。
 僕はきっとこのままこの男と結婚して、ずっと誰かに虐げられながら、人に愛されることなく一人ぼっちで死んでいくんだろう。
 男として、オメガとしての尊厳を踏みにじられる度、そんな絶望を感じていた。


―――


「西條?」

 落ち着いた低い声に名前を呼ばれ、僕ははっと我に返った。慌てて顔を上げれば目の前には、びかびかと光のオーラを放った美形――東雲陽くんの顔が。

「びゃっ!?」

 急な目の刺激に驚いて思わず変な声を出して身を引く。その衝撃で椅子がガタッと鳴って、周りの視線がこちらに集まった。

「どうかした、具合悪い?」
「だっ、大丈夫。ごめん、ぼーっとしちゃってた」

 顔を覗き込まれ、きれいな顔が更に近付いてきたことで心臓がどっと跳ねる。必死に顔を逸らして傍にあった資料で東雲くんが見えないようガードすれば、彼は「それならいいけど」と言って離れていった。
 び、びっくりした……やっぱり東雲くんの顔、心臓に悪いよ……。
 資料のガードを解除して、改めてページを捲りながらちらりと正面を見上げる。テーブルの向こうにいる東雲くんはアイスコーヒーをストローで吸いながら、僕と同じように資料を捲っていた。
 僕たちは今、大学構内にあるカフェに居る。昼食のついでにペアワークの相談をしようと、東雲くんに誘われたのだ。
 大学に通い始めてだいぶ経つが、このカフェに足を踏み入れるのは初めてだ。おしゃれな雰囲気で、利用している人たちもカフェに合ったおしゃれな人たちばかりなので少し近寄り難く感じていたからである。
 しかしさすがと言うべきか、東雲くんは物怖じもせず慣れた様子で店内に入りコーヒーとサンドイッチを注文していた(僕も頑張って同じのを注文してみた)。聞けば大学の学食よりも利用頻度は高いらしい。学食に行ったらあまりにも人に声をかけられるから食事に集中できないんだって。
 東雲くんが学食にいるところを何回か目撃したことがあるが、講義室内とは比べ物にならないくらいの人に囲まれていたのを覚えている。たしかにあれじゃあ落ち着いてごはんを食べられないよね。

「西條が持ってきてくれたこの資料、すごく使えると思う」

 資料を捲くる手を止めた東雲くんが、ふと顔を上げて言った。不躾にも東雲くんの顔を眺めてしまっていたのでばっちりと目が合い、僕は慌てて顔を俯かせる。まだ東雲くんと真正面から目を合わせるのは緊張してしまうな。

「よ、よかった。前に古本屋で見つけて、興味が惹かれて思わず買っちゃったんだ」
「古本屋とか行くんだ」
「うん。大学からの帰り道の本屋がその古本屋だけなんだけど、案外掘り出し物が多くて面白いんだ。ついつい時間を忘れて入り浸っちゃうくらい」
「へぇ、いいね。普段はどんな本読んでんの?」
「普段はやっぱり……小説が多いかな」

 拓真さんと住んでいるあの家には僕の私室なるものは存在しない。なので、拓真さんも近寄らない普段物置として使っている収納の隅を僕の私物置き場として使わせてもらっており、そこに古本屋で買った本を積み上げていっている。といってもスペース自体そんなに広くないし、最近はその本を置くスペースもなくなってきたから買うのを控えている状況だ。自由に使えるお金も少ないしね。

「俺も小説、よく読むよ。ジャンルはミステリーに偏ってるけど」
「ミステリー小説、読んでてすごくわくわくするよね。僕も好き」
「うん。自分で推理したりしながら読むの、楽しい。西條がよく読んでるジャンルはなに?」
「ジャンルは……そうだな、雑多に読んでるからほんとうにいろいろ……。でも、好きだなって思うのは、ファンタジーとか、主人公が異世界に転生する話かな」
「異世界転生系か……意外だな」

 東雲くんが目を丸くする。ミステリーに偏っているということは、東雲くんにとってはあまり馴染みがないものかも知れない。正直僕も、少し前まで異世界転生系は触れてこなかった。でも古本屋で異世界転生系の本を初めて読んだ時。前世では味気ない平凡な生活を送っていた主人公が転生し、異世界で紆余曲折ありながらも前世の知識を活かして活躍したり、たくさんの人に愛されながら暮らすその夢のような世界とストーリーに、とても魅力を感じた。
 自分も物語の主人公のように、こんな現実からはおさらばして生まれ変わった先の世界で誰かに必要とされながら暮らしてみたい。そんな叶うはずもない願望を持った。
 そうやって小説を呼んでいる間だけは、自分の願望が全て叶う夢のような世界に住んでいるような心地になれる。だから僕は、異世界転生系の小説を読むのが好きだ。
 新しい本が買えるようになるまで、しまっている本をまた読み直してみようかな。これで何周目になるかわからないけど。
 そんなことをぼんやりと思っていたら、前方から視線を感じたのでふと顔を上げる。すると東雲くんが頬杖をつきながら、感情の読めない表情で僕をじっと見つめていた。
 先程は東雲くんを見ないようにしていたからか、それとも単純に東雲くんが話しやすい人だからかわからないが、肩の力を抜いて自然と話が出来ていた気がする。でも目が合ったらどうしても緊張して、彼の顔を二秒と見ていられない。
 元々人と目を合わせるのは苦手だけれど、東雲くんに感じるのはまた違う。そわそわと落ち着かない、恥ずかしいような感覚になるのだ。
 やっぱり東雲くんが、他の誰よりも美しい顔をしているからかな。

「……あのさ、西條」
「ぁ……うん?」
「西條ってもしかして――」
「あっ、陽だー。今日もここでお昼?」

 東雲くんがもじもじしていた僕になにか言いかけたのを遮るよう、突然横から現れた見覚えのない女子が東雲くんに声をかけた。僕は驚いてびくっと体を震わせたが、東雲くんは相変わらずクールな表情で視線だけを女子に向ける。こうやって声かけられるの、慣れてるんだろうな。

「丁度陽のこと探してたんだよね。今日、うちらとあと何人かでカラオケ行こーって言ってるんだけど、陽も行かない?」

 声をかけてきた女子はそう言いながら背後に目配せする。女子の後ろにももう二人女子がいて、東雲くんを見てにこにことしていた。
 みんな見たことがないから、おそらく他学部の人たちなのだろう。ゼミや取ってる講義が被らない限り知り合うこと自体が難しい他学部にも知り合いがいるなんて、さすがは東雲くんだ。僕には他学部どころか同じ学部にも気軽に話せる人がいないから、尊敬する。
 女子は東雲くんしか見ておらず僕など目に入っていないようだったが、邪魔をしないよう存在感を消す。まぁ元々存在感などないから変わらないだろうけど。
 でも、僕に話しかけているわけではないとは言え、近くで騒がれたり、僕と話している人になんの遠慮もなく絡みにくるような人、というかこの空気感には若干苦手意識がある。
 昔、たしか小学生くらいのとき。僕をよく思っていない同級生が、僕と仲良くしてくれていた子と遊んでいたりしたらわざと相手を別の遊びに誘って、僕だけのけものにされた経験が何度かあったのがきっかけだったと思う。今はそこまでではないけど、当時は疎外感と寂しさを感じてよく泣いていた。
 でもそっか、東雲くんは人気者だし、モテるし。いくら僕と話しているとはいえ僕以外にも彼と話したい人はいるから、こういうことはあるよね。こんなのでいちいちもやもやしたり疎外感を感じてたら身が持たないよ。

「行かない」

 無関心でいよう、と存在感を消しながら小さくなっていたら、東雲くんは静かな声で言い放った。そして半分ほど残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干す。
 ほんとうになんとなく、彼女たちの誘いに乗るだろうと思っていたから、その冷たく感じる言い方に驚いて思わず彼を見た。
 東雲くんの表情は相変わらず感情は無いけれど、その目は異様に冷ややかで、僕に向けられているわけではないのに背筋がぞくりとした。

「えーっ、前回も来なかったじゃん。みんな陽が来るの待ってるよー?」
「行かない」

 表情の変化に気付いていない女子の説得にも彼はたったの一言で返し、僕が持ってきた資料と自身の荷物を持って立ち上がった。そして僕の腕を掴んで軽々立ち上がらせる。

「西條、行こう」
「え?」

 すると彼は僕の腕を掴んだままお店の出入り口の方に歩き出した。唐突な展開に驚きながらも、僕はなんとか自分の荷物を掴んで東雲くんに着いていく。後ろから女子の呼び止める声がしたけど、東雲くんが振り返ることはなかった。

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