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第一章 非公式お茶会
8 笑顔を取り戻したい(回想)②
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Side:アレリオン7歳 春
「あーもう。なんなの珍しく泣いてるけど。どっかで身体ぶつけたのかしら——動いてもないし、怪我してる風でもないし大丈夫ね。旦那様達はこんな愛想のない子供の、どこが可愛いのかしらね。いや、可愛くないから旦那様は会いに来ないのよね。奥様を殺した死神だもの。」
「ほんっと、泣かせようと思っても全然泣かないくせになんなの。つねってもなにしても泣かなかったのに。もうっ、さっさと泣き止みなさいよっ。」
二人の侍女がアシェルの様子を見に来たが、ベッド柵の近くで喚くだけで何もしようとはしない。
(こいつら何言ってるんだ。ぶちのめしてやろうか。)
怒りで頭が沸騰しそうになるが、どうにかしてその気持ちを宥める。
——とりあえず顔と言ったことは覚えたからな。
心無い言葉を投げ掛けられているアシェルは、先ほどと同じようにぐずぐずと泣き続けている。
愛想がない、泣き止みなさい、死神の言葉に反応して小さな手がギュッと握りこまれている。
(久しぶりに見たアシェルの感情のある表情が泣き顔なんて、最悪だ。)
見つからないようにぎゅっと身体を縮こまらせたまま。アレリオンが不用意に触ってしまった結果、アシェルを傷つけてしまったことに落ち込んでしまう。
「はぁ~なぁに、おじょーさまが泣き止まないの?旦那様との接点が増えるからって引き受けたけど、おびき出す餌にもならないんだから、大人しくしてなさいよね。」
最後までお茶を啜っていた侍女が立ち上がり、小馬鹿にしたような口調で喋っている。思わず見やったその顔に、その瞳にーー嫌悪、侮蔑、嘲笑——どれが正解かは分からないしそのどれもかもしれない。
それでも明らかに負の感情で仄暗く輝いている瞳が、やけに印象的だ。その顔も醜悪に歪んでいる。
よく見ると、近くまで来ていた二人の侍女も同じような瞳をしていた。
そしてわざわざ3人揃ってアシェルを見下ろすかのように睨みつけた。
するとぴたっとアシェルの泣き声が止んだ。
「あら~ちゃんと泣き止めるじゃないの、えらいえらい。——手間かけさせるんじゃないわよ。」
くすくすと馬鹿にしたような笑いをしながら、残りの二人の侍女に声をかける。
恐らくこの最後に立ち上がった女に従っているのが最初の二人なのだろう。
「お茶が不味くなったわ、今日はもうオシマイよ。戻りましょう。」
さっとお仕着せのスカートを翻し、侍女のリーダーは部屋を出て行った。
残りの二人も慌てて茶器を片付け、後を追うようにして部屋から出て行ったのだった。
女たちの片付けや立ち去る気配を探りつつ、アシェルを観察する。
涙は確かに止まったが、その顔には恐怖が張り付いている。まだ身体の筋肉はがちがちに固まっているみたいだ。
侍女が立ち去ったために部屋は暗くなり、カーテンを開けっ放しの窓から月明かりが差し込んで部屋を照らしていた。
(まさか侍女の控室には誰も残らずに、全員使用人室に戻ったのか?控室に寝台があるだろ。)
アレリオンが今からしたいことを考えると、扉一枚挟んだだけの控室に侍女がいては困る。
が、本来であれば物音や泣き声に反応してお世話できるように、控室に一人は待機するべきだ。
そうでなくても、赤ん坊は昼夜を問わず、時間ごとにお世話する必要があるのに。
誰も戻ってこないのを確認して、意を決して声を出す。
驚かせてしまうかもしれないが、まずはアシェルに僕がいることを教えないと何もできない。
「アシェル……聞こえる?僕はアレリオン。アシェルのお兄ちゃんだよ。」
なるべく怖がらせないように、できるだけ優しく声をかけた。
少しだけ瞳が揺れた気がしたが、自身の願望が見せた幻想かもしれない。
「今魔法で姿を消してるんだ……魔法を解いたら、目の前に現れるから。ビックリさせちゃうと思うけど、泣かないでね?」
果たして1歳の子供に僕の言葉は理解できているのだろうか?
予想した“記憶持ち”なら理解できているかもしれない。もしそうじゃなかったとしても、何も言わないよりましだろうと思い直す。
まずは気配遮断の魔法を解いた。
途端にアシェルの身体がビクンと跳ねた。
ほんの少しだけ、僕がいる方とは逆側へ身体を傾けている気がする。逃げようとしているのだろうか。
気配に気付いたなら見えないとより怖いだろうと思い、慌てて認識阻害の魔法も解いた。
これでアシェルにも見えるはずだ。
「僕だよ……アレリオン。お兄ちゃんだよ。」
身体に触れないようにアシェルの顔を覗き込む。
(多分だけど——アシェルは言葉だけじゃなくって人の気配とか、視線とかに敏感なんじゃないか?)
今まで侍女たちが丁寧な言葉をかけているところしか見たことがなかったので、何故彼女たちに世話をされているアシェルが懐かないのか、笑わないのか。——時折緊張したように身体を強張らせるのか。
理由は分かっていなかった。
もしそれが先ほど見た、心無い言葉の暴力が日常的に行われていたせいなら。一時期は体罰も行ったようなことを言っていた。
そして彼女達の感情を隠しきれていない視線が、常日頃からアシェルに注がれているとしたら?
ふと、勉強の一環で寄った孤児院の子供たちを思い出した。
王都では大聖堂の裏に大きな孤児院が建っているのだが、父上と一緒に寄付と慰問をしたことがある。
見知らぬ僕を警戒する子供、にこにこと笑顔な子供。反応は様々ながら、多様な年齢の子供達が、死別や虐待で両親と一緒に暮らせず、孤児院で生活していた。
可愛いなと小さな子供の頭に手を伸ばした時。先ほどのアシェルと同じような反応をされたのだ。
一斉に何人もの子供達に。自分より小さい子供達から、体格的にも年齢的にも大きな子供達まで。
頭を庇うように抱える者。手を近づけたタイミングで見えない腕を振り払うかのような動作をした者。緊張で身体を強張らせてしまう者。一瞬で感情の抜け落ちた表情で瞳から光が消え心を護ろうとする者。
そんな反応を示さなかった子供達は、一生懸命にパニックに陥った子供達を宥めていた。
(なんだ……僕は答えを知っているじゃないか……。)
孤児院の院長先生曰く。それは長い間、正当な愛情を与えられなかったり、暴力を受けた子供たちが自分を守るための行動だと言った。
そんな彼らの心を溶かすには、たっぷりの愛情をかけて接し。拒絶されても見捨てず。怖がられても優しくスキンシップを行い。怖くないよ、愛されているんだよと、ゆっくりゆっくり教えていくしかないそうだ。
そんな心が傷ついた子供達は視線や空気、相手の動きに敏感なのだそうだ。
手負いの魔獣のように。
恐らく、恐らくだが。アシェルは産まれてきた時から手負いの魔獣で、本邸に移ってくる前にようやく心を開きかけてくれてたんじゃなかろうか?
今思えば、さすがに弾き落されなかったが、はじめて頭を撫でた時にはビックリされていたように思う。
警戒を解いて、心を開き始めた矢先に嫌な思いをして、アシェルの心にどれだけ痛手を負わせてしまったのだろうか。
アシェルは"授け子”ではないが、“記憶持ち”の中に多分嫌な思いをした記憶があるのだろう。
勿論本当に記憶持ちかの判別はつかないが、アシェルに関してだけはこの考えがしっくりくる気がした。
授け子でなければ、大人になるにつれ記憶は薄れていくものだという。古い記憶が薄れていくように。
もし辛い記憶が残っているのなら——早く消えてほしいと思った。
少しだけ神様を恨めしく思いつつ。そんな記憶を思い出す暇もないくらい愛情を注げば、嫌な記憶も忘れ去ってくれるだろうかと思う。
恐らく、最初に笑顔を見せてくれた時より、もっと時間がかかってしまうだろう。
それでも可愛い妹が、孤独と疑心暗鬼の暗闇に沈んでいるのを見るのは嫌だ。
「アシェル、手に触るよ。」
しっかりアシェルの瞳を見て、大丈夫だよって念じながらアシェルの手に触る。
びくりと緊張したのは伝わってきたが、軽く触れているだけなのに振り解く気配はない。
(スキンシップは手から始めよう。もう一度孤児院に行って院長先生の話も聴いてこないと。あとはあの侍女達の処分だね。もしかしたら侍女長も処分が必要かもしれない。ウィルに調べてもらうことはできるだろうか……執事の管轄外だと怒られてしまうだろうか?ともかくまずは侍女だ。あんなのに任せるくらいなら僕がやったほうがましだ。……昔母上に付いていた侍女達はまだ働いているだろうか?あぁ、とりあえず今はアシェルを身綺麗にしてあげないと。)
今からやることを考えながら優しくアシェルの手を撫でると、びくびくと手は動いているが、抜け出そうとする気配はなかった。
なんとなくだが、ちゃんと誰なのかを認識してくれているような気がした。
アシェルを笑顔にするという目標に、希望の光が射した気がした。
言葉はどこまで通じているのかは分からないが、今から何をするのかを伝える。
「アシェル、今から寝台もお洋服も一旦全部綺麗にしよう。さすがに僕一人じゃ無理だから、アルを連れてくるけど。……大丈夫、アルもアシェルのお兄ちゃんだから。アシェルを傷つけたりしないから。僕達はアシェルのことが大好きだから。」
ね?と笑いかけると、ふっとアシェルの身体から力が抜けたのを感じた。
反応はないだろうと思っていただけに、そんな些細な変化さえも嬉しかった。
(絶対にアシェルの笑顔を取り戻してみせる。どれだけ時間がかかったとしても。)
すぐ戻るからとアシェルに告げ、本日二本目のマナポーションを飲み。『気配遮断』、『認識阻害』の順で魔法をかけた。
そしてするりとアシェルの部屋を抜け出して、アルフォードの部屋へ向かった。
邸全体の灯は落ち。かなりの間隔をあけてぽつぽつと灯された灯が、ほんのり暗闇を照らしていた。
もうアルフォードも寝ているだろう。
でもそんなことはお構いなくさっと部屋に忍び込んだ。
この時間には侍女も侍従もいないだろうから、中を伺う必要もない。
何度も通った勝手知ったる部屋である。
真っ直ぐ寝台に向かい、あどけない表情で眠る弟の姿を確認して——さっとアルフォードの口を手で塞いだ。
睡眠中にいきなり触れられたことで覚醒したアルフォードが、殺気を飛ばしながら跳ね起きようする耳元に唇を近付ける。
「——眠り姫、お迎えに上がりました——。」
声とセリフを聴いたアルフォードは起き上がろうとしていた力を抜き、胡散臭そうな目を、恐らくそこにいるであろう兄に向けた。
これは一時期二人で遊んでハマっていた遊びの、秘密の合言葉だ。
何のことはない。今日のように使用人たちにバレないように相手の部屋に忍び込んで、同じように寝ている兄弟にこのセリフを突きつけるだけという、スリルを楽しみながら魔法で遊んでいただけだ。
口を押えていた手を避け一応謝罪しておく。
「こんな夜中にごめんね。」
「……兄上……絶対悪いと思ってないだろ。……で、どうしたんですか、こんな夜中に。」
ひそひそと多分アレリオンがいると思う方向に声を出すアルフォードは、ベッドサイドに腰掛け居住まいを正した。
遊びでやってきたとは思われなかったようで、珍しく敬語だ。
真面目に話を聞こうとしてくれる弟に今日見たこと、自分の予想、今からアシェルの身の回りの世話をするには一人では難しいことをかいつまんで説明する。
詳しい話はアシェルのお世話が終わってからだ。
ちなみに魔法は解いてないので、全く視線は合わなかった。
「なるほど……アシェルのことは俺もやりたいです。でも、俺。今マナポーション一本しかストックしてませんよ。父上が作った部屋のやつを使うとバレますし。」
気配遮断と認識阻害の魔法は、誰にもバレずに邸をうろつくうえでは必須だ。それですら気配に敏感な守衛の居る付近は、避ける必要があるが。
自分のホルスターからマナポーションを3本取り出して、アルフォードの掌に押し付ける。
もしもの時にアルフォードに渡すために作っておいたやつだ。
「準備がいいですね……余ったらお駄賃としていただいておきますね。替えのシーツなんかを用意したら向かいますので、兄上はできることからアシェルのお世話を始めててください。リネン室で見つかったら、この歳でおねしょでもしたことにしておきますので。」
言い終わると同時にポーションを飲みだした弟に背を向けて、アシェルの部屋に急いだ。
敬語で話すアルフォード程気持ち悪いものもないが。弟なりの真面目に聞いてますよ、ちゃんとやりますよ、周りに言いふらしたりしませんよというアピールだ。
最後のやつとか弟なりに冗談のつもりなのだろうが、地味に笑えない。バレずにちゃんとアシェルの部屋に来てほしいものだ。
アシェルの部屋で落ち合ったアレリオンとアルフォードは。
・アシェルとは眼を合わせて喋る。
・触れるときは声をかけてから、現状は手まで。ゆくゆくは頭を撫でれるように。拒絶されても嫌な顔をしたり次のスキンシップを諦めない。
・愛情表現の言葉は出し惜しみせず伝える。
ことを取り決めて。
シーツを替えて、オムツを替えて、寝間着を替えて、食事は無理なので水を飲ませて。
マナポーションを飲みながら魔法も地味に駆使しつつ、部屋の掃除や換気まで済ませた。
仕上がりはというと。
アシェルの身の回りのことについては、サーニャに教わりながら手伝ったことがあるので何とかなった。
が、ベッドメイクや掃除は未知の領域であり、シーツはしわしわで寝間着はよれよれ。掃除は魔法で無理やりどうにかしたので、何もしないよりまし程度だろうか。
アシェルは身体を強張らせたり、咄嗟に跳ね除けるような動作を見せることはあったが、泣くことはなかった。
二人は一通りの作業を終えて。
途中から眠っていたアシェルを見ながら、今後のことを話し合った。アレリオンが見たことや聞いたことも交えながら。
慣れない作業に疲れ切って、うとうとしてしまう。
窓からは朝焼けの光が射しこみはじめていた。
(父上は僕達の言うことを信じてくれるだろうか?)
アシェルが視線に敏感だとかは言うつもりはない、証拠がないから。
それでも侍女達の言動と処罰については、進言してどうにかしてもらわなくてはいけない。
そんなことをつらつらと考えながら、ゆっくりひと時の安らぎに身を預けた。
「あーもう。なんなの珍しく泣いてるけど。どっかで身体ぶつけたのかしら——動いてもないし、怪我してる風でもないし大丈夫ね。旦那様達はこんな愛想のない子供の、どこが可愛いのかしらね。いや、可愛くないから旦那様は会いに来ないのよね。奥様を殺した死神だもの。」
「ほんっと、泣かせようと思っても全然泣かないくせになんなの。つねってもなにしても泣かなかったのに。もうっ、さっさと泣き止みなさいよっ。」
二人の侍女がアシェルの様子を見に来たが、ベッド柵の近くで喚くだけで何もしようとはしない。
(こいつら何言ってるんだ。ぶちのめしてやろうか。)
怒りで頭が沸騰しそうになるが、どうにかしてその気持ちを宥める。
——とりあえず顔と言ったことは覚えたからな。
心無い言葉を投げ掛けられているアシェルは、先ほどと同じようにぐずぐずと泣き続けている。
愛想がない、泣き止みなさい、死神の言葉に反応して小さな手がギュッと握りこまれている。
(久しぶりに見たアシェルの感情のある表情が泣き顔なんて、最悪だ。)
見つからないようにぎゅっと身体を縮こまらせたまま。アレリオンが不用意に触ってしまった結果、アシェルを傷つけてしまったことに落ち込んでしまう。
「はぁ~なぁに、おじょーさまが泣き止まないの?旦那様との接点が増えるからって引き受けたけど、おびき出す餌にもならないんだから、大人しくしてなさいよね。」
最後までお茶を啜っていた侍女が立ち上がり、小馬鹿にしたような口調で喋っている。思わず見やったその顔に、その瞳にーー嫌悪、侮蔑、嘲笑——どれが正解かは分からないしそのどれもかもしれない。
それでも明らかに負の感情で仄暗く輝いている瞳が、やけに印象的だ。その顔も醜悪に歪んでいる。
よく見ると、近くまで来ていた二人の侍女も同じような瞳をしていた。
そしてわざわざ3人揃ってアシェルを見下ろすかのように睨みつけた。
するとぴたっとアシェルの泣き声が止んだ。
「あら~ちゃんと泣き止めるじゃないの、えらいえらい。——手間かけさせるんじゃないわよ。」
くすくすと馬鹿にしたような笑いをしながら、残りの二人の侍女に声をかける。
恐らくこの最後に立ち上がった女に従っているのが最初の二人なのだろう。
「お茶が不味くなったわ、今日はもうオシマイよ。戻りましょう。」
さっとお仕着せのスカートを翻し、侍女のリーダーは部屋を出て行った。
残りの二人も慌てて茶器を片付け、後を追うようにして部屋から出て行ったのだった。
女たちの片付けや立ち去る気配を探りつつ、アシェルを観察する。
涙は確かに止まったが、その顔には恐怖が張り付いている。まだ身体の筋肉はがちがちに固まっているみたいだ。
侍女が立ち去ったために部屋は暗くなり、カーテンを開けっ放しの窓から月明かりが差し込んで部屋を照らしていた。
(まさか侍女の控室には誰も残らずに、全員使用人室に戻ったのか?控室に寝台があるだろ。)
アレリオンが今からしたいことを考えると、扉一枚挟んだだけの控室に侍女がいては困る。
が、本来であれば物音や泣き声に反応してお世話できるように、控室に一人は待機するべきだ。
そうでなくても、赤ん坊は昼夜を問わず、時間ごとにお世話する必要があるのに。
誰も戻ってこないのを確認して、意を決して声を出す。
驚かせてしまうかもしれないが、まずはアシェルに僕がいることを教えないと何もできない。
「アシェル……聞こえる?僕はアレリオン。アシェルのお兄ちゃんだよ。」
なるべく怖がらせないように、できるだけ優しく声をかけた。
少しだけ瞳が揺れた気がしたが、自身の願望が見せた幻想かもしれない。
「今魔法で姿を消してるんだ……魔法を解いたら、目の前に現れるから。ビックリさせちゃうと思うけど、泣かないでね?」
果たして1歳の子供に僕の言葉は理解できているのだろうか?
予想した“記憶持ち”なら理解できているかもしれない。もしそうじゃなかったとしても、何も言わないよりましだろうと思い直す。
まずは気配遮断の魔法を解いた。
途端にアシェルの身体がビクンと跳ねた。
ほんの少しだけ、僕がいる方とは逆側へ身体を傾けている気がする。逃げようとしているのだろうか。
気配に気付いたなら見えないとより怖いだろうと思い、慌てて認識阻害の魔法も解いた。
これでアシェルにも見えるはずだ。
「僕だよ……アレリオン。お兄ちゃんだよ。」
身体に触れないようにアシェルの顔を覗き込む。
(多分だけど——アシェルは言葉だけじゃなくって人の気配とか、視線とかに敏感なんじゃないか?)
今まで侍女たちが丁寧な言葉をかけているところしか見たことがなかったので、何故彼女たちに世話をされているアシェルが懐かないのか、笑わないのか。——時折緊張したように身体を強張らせるのか。
理由は分かっていなかった。
もしそれが先ほど見た、心無い言葉の暴力が日常的に行われていたせいなら。一時期は体罰も行ったようなことを言っていた。
そして彼女達の感情を隠しきれていない視線が、常日頃からアシェルに注がれているとしたら?
ふと、勉強の一環で寄った孤児院の子供たちを思い出した。
王都では大聖堂の裏に大きな孤児院が建っているのだが、父上と一緒に寄付と慰問をしたことがある。
見知らぬ僕を警戒する子供、にこにこと笑顔な子供。反応は様々ながら、多様な年齢の子供達が、死別や虐待で両親と一緒に暮らせず、孤児院で生活していた。
可愛いなと小さな子供の頭に手を伸ばした時。先ほどのアシェルと同じような反応をされたのだ。
一斉に何人もの子供達に。自分より小さい子供達から、体格的にも年齢的にも大きな子供達まで。
頭を庇うように抱える者。手を近づけたタイミングで見えない腕を振り払うかのような動作をした者。緊張で身体を強張らせてしまう者。一瞬で感情の抜け落ちた表情で瞳から光が消え心を護ろうとする者。
そんな反応を示さなかった子供達は、一生懸命にパニックに陥った子供達を宥めていた。
(なんだ……僕は答えを知っているじゃないか……。)
孤児院の院長先生曰く。それは長い間、正当な愛情を与えられなかったり、暴力を受けた子供たちが自分を守るための行動だと言った。
そんな彼らの心を溶かすには、たっぷりの愛情をかけて接し。拒絶されても見捨てず。怖がられても優しくスキンシップを行い。怖くないよ、愛されているんだよと、ゆっくりゆっくり教えていくしかないそうだ。
そんな心が傷ついた子供達は視線や空気、相手の動きに敏感なのだそうだ。
手負いの魔獣のように。
恐らく、恐らくだが。アシェルは産まれてきた時から手負いの魔獣で、本邸に移ってくる前にようやく心を開きかけてくれてたんじゃなかろうか?
今思えば、さすがに弾き落されなかったが、はじめて頭を撫でた時にはビックリされていたように思う。
警戒を解いて、心を開き始めた矢先に嫌な思いをして、アシェルの心にどれだけ痛手を負わせてしまったのだろうか。
アシェルは"授け子”ではないが、“記憶持ち”の中に多分嫌な思いをした記憶があるのだろう。
勿論本当に記憶持ちかの判別はつかないが、アシェルに関してだけはこの考えがしっくりくる気がした。
授け子でなければ、大人になるにつれ記憶は薄れていくものだという。古い記憶が薄れていくように。
もし辛い記憶が残っているのなら——早く消えてほしいと思った。
少しだけ神様を恨めしく思いつつ。そんな記憶を思い出す暇もないくらい愛情を注げば、嫌な記憶も忘れ去ってくれるだろうかと思う。
恐らく、最初に笑顔を見せてくれた時より、もっと時間がかかってしまうだろう。
それでも可愛い妹が、孤独と疑心暗鬼の暗闇に沈んでいるのを見るのは嫌だ。
「アシェル、手に触るよ。」
しっかりアシェルの瞳を見て、大丈夫だよって念じながらアシェルの手に触る。
びくりと緊張したのは伝わってきたが、軽く触れているだけなのに振り解く気配はない。
(スキンシップは手から始めよう。もう一度孤児院に行って院長先生の話も聴いてこないと。あとはあの侍女達の処分だね。もしかしたら侍女長も処分が必要かもしれない。ウィルに調べてもらうことはできるだろうか……執事の管轄外だと怒られてしまうだろうか?ともかくまずは侍女だ。あんなのに任せるくらいなら僕がやったほうがましだ。……昔母上に付いていた侍女達はまだ働いているだろうか?あぁ、とりあえず今はアシェルを身綺麗にしてあげないと。)
今からやることを考えながら優しくアシェルの手を撫でると、びくびくと手は動いているが、抜け出そうとする気配はなかった。
なんとなくだが、ちゃんと誰なのかを認識してくれているような気がした。
アシェルを笑顔にするという目標に、希望の光が射した気がした。
言葉はどこまで通じているのかは分からないが、今から何をするのかを伝える。
「アシェル、今から寝台もお洋服も一旦全部綺麗にしよう。さすがに僕一人じゃ無理だから、アルを連れてくるけど。……大丈夫、アルもアシェルのお兄ちゃんだから。アシェルを傷つけたりしないから。僕達はアシェルのことが大好きだから。」
ね?と笑いかけると、ふっとアシェルの身体から力が抜けたのを感じた。
反応はないだろうと思っていただけに、そんな些細な変化さえも嬉しかった。
(絶対にアシェルの笑顔を取り戻してみせる。どれだけ時間がかかったとしても。)
すぐ戻るからとアシェルに告げ、本日二本目のマナポーションを飲み。『気配遮断』、『認識阻害』の順で魔法をかけた。
そしてするりとアシェルの部屋を抜け出して、アルフォードの部屋へ向かった。
邸全体の灯は落ち。かなりの間隔をあけてぽつぽつと灯された灯が、ほんのり暗闇を照らしていた。
もうアルフォードも寝ているだろう。
でもそんなことはお構いなくさっと部屋に忍び込んだ。
この時間には侍女も侍従もいないだろうから、中を伺う必要もない。
何度も通った勝手知ったる部屋である。
真っ直ぐ寝台に向かい、あどけない表情で眠る弟の姿を確認して——さっとアルフォードの口を手で塞いだ。
睡眠中にいきなり触れられたことで覚醒したアルフォードが、殺気を飛ばしながら跳ね起きようする耳元に唇を近付ける。
「——眠り姫、お迎えに上がりました——。」
声とセリフを聴いたアルフォードは起き上がろうとしていた力を抜き、胡散臭そうな目を、恐らくそこにいるであろう兄に向けた。
これは一時期二人で遊んでハマっていた遊びの、秘密の合言葉だ。
何のことはない。今日のように使用人たちにバレないように相手の部屋に忍び込んで、同じように寝ている兄弟にこのセリフを突きつけるだけという、スリルを楽しみながら魔法で遊んでいただけだ。
口を押えていた手を避け一応謝罪しておく。
「こんな夜中にごめんね。」
「……兄上……絶対悪いと思ってないだろ。……で、どうしたんですか、こんな夜中に。」
ひそひそと多分アレリオンがいると思う方向に声を出すアルフォードは、ベッドサイドに腰掛け居住まいを正した。
遊びでやってきたとは思われなかったようで、珍しく敬語だ。
真面目に話を聞こうとしてくれる弟に今日見たこと、自分の予想、今からアシェルの身の回りの世話をするには一人では難しいことをかいつまんで説明する。
詳しい話はアシェルのお世話が終わってからだ。
ちなみに魔法は解いてないので、全く視線は合わなかった。
「なるほど……アシェルのことは俺もやりたいです。でも、俺。今マナポーション一本しかストックしてませんよ。父上が作った部屋のやつを使うとバレますし。」
気配遮断と認識阻害の魔法は、誰にもバレずに邸をうろつくうえでは必須だ。それですら気配に敏感な守衛の居る付近は、避ける必要があるが。
自分のホルスターからマナポーションを3本取り出して、アルフォードの掌に押し付ける。
もしもの時にアルフォードに渡すために作っておいたやつだ。
「準備がいいですね……余ったらお駄賃としていただいておきますね。替えのシーツなんかを用意したら向かいますので、兄上はできることからアシェルのお世話を始めててください。リネン室で見つかったら、この歳でおねしょでもしたことにしておきますので。」
言い終わると同時にポーションを飲みだした弟に背を向けて、アシェルの部屋に急いだ。
敬語で話すアルフォード程気持ち悪いものもないが。弟なりの真面目に聞いてますよ、ちゃんとやりますよ、周りに言いふらしたりしませんよというアピールだ。
最後のやつとか弟なりに冗談のつもりなのだろうが、地味に笑えない。バレずにちゃんとアシェルの部屋に来てほしいものだ。
アシェルの部屋で落ち合ったアレリオンとアルフォードは。
・アシェルとは眼を合わせて喋る。
・触れるときは声をかけてから、現状は手まで。ゆくゆくは頭を撫でれるように。拒絶されても嫌な顔をしたり次のスキンシップを諦めない。
・愛情表現の言葉は出し惜しみせず伝える。
ことを取り決めて。
シーツを替えて、オムツを替えて、寝間着を替えて、食事は無理なので水を飲ませて。
マナポーションを飲みながら魔法も地味に駆使しつつ、部屋の掃除や換気まで済ませた。
仕上がりはというと。
アシェルの身の回りのことについては、サーニャに教わりながら手伝ったことがあるので何とかなった。
が、ベッドメイクや掃除は未知の領域であり、シーツはしわしわで寝間着はよれよれ。掃除は魔法で無理やりどうにかしたので、何もしないよりまし程度だろうか。
アシェルは身体を強張らせたり、咄嗟に跳ね除けるような動作を見せることはあったが、泣くことはなかった。
二人は一通りの作業を終えて。
途中から眠っていたアシェルを見ながら、今後のことを話し合った。アレリオンが見たことや聞いたことも交えながら。
慣れない作業に疲れ切って、うとうとしてしまう。
窓からは朝焼けの光が射しこみはじめていた。
(父上は僕達の言うことを信じてくれるだろうか?)
アシェルが視線に敏感だとかは言うつもりはない、証拠がないから。
それでも侍女達の言動と処罰については、進言してどうにかしてもらわなくてはいけない。
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