氷の王子様と微笑みの男装令嬢

芯夜

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第三章 王立学院中等部二年生

192 後期は申し込みの季節⑤

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Side:アシェル13歳 秋



翌朝。

いつもの時間に意識が浮上する。

今日はアークエイドを起こしてしまわないように、なるべく動かないようにそっと瞼だけを上げたのだが、間近にあるサファイアブルーの瞳と眼が合う。

「おはよう、アシェ。」

「おはよう、アーク。もう起きてたの?ちゃんと寝た??」

少なくともアシェルより後に寝たはずなのに、いつもこうやってアシェルが眼が覚めるころにアークエイドは起きている。

最近は忙しかったらしいので今日こそはアシェルの方が早いのではないのかと思ったが、いつもより薄暗いだけでいつもと変わらない光景だ。

「あぁ。しっかり寝たし、ようやく疲れが取れた。アシェが俺の魔石というのも、あながち間違ってないかもしれないな。疲れの取れ具合が段違いだ。」

どことなく嬉しそうに微笑んだアークエイドから、額に頬に首筋に。
沢山のキスが注がれる。

「疲れが取れて嬉しいのは分かったからっ。っん。もうっ。朝からはシないからねっ。週末は実験するって決めてたんだから。」

そのままネグリジェの薄布の下までやってきそうなアークエイドの顔をグイっと押しのけて、身体を起こしてうーんと伸びをする。

そして名残惜しそうな視線にも気付かずに、さっさとクローゼットというよりも小さな部屋である衣装部屋の扉を開けて、スラックスにシャツという楽な格好に着替えてしまう。

今日取り扱う予定の素材は色素が濃くて誤って服についてしまうと染みになる恐れがあるので、上下真っ黒の生地だ。
こちらでYシャツと言えば基本的に白シャツなので、真っ黒のシャツは珍しい。

それでもアシェルのクローゼットに数枚取りそろえられているのは、実験で色々な素材を扱うメイディーには必須の装備だからだ。
いわゆる汚れそうな時用の作業着である。

時間が経ってしまうと、色染みはクリーンではどうにもならなくなるらしい。
どうやら、布地への染色だと判断されてしまうようだ。

因みに何度か白シャツに汚れを付けてしまった事があるのだが、その時は直ぐにクリーンを使うことで事なきを得た。
あれがワンピースと言いながら、とてもお高そうな服では無くて良かったと思う。少なくともシャツの方が、ワンピースよりも安いはずだ。

「着替えるのは良いが、もう少し隠れて着替えるとかしてくれ。なんでそんな堂々と目の前で着替えるんだっ。」

さっさとネグリジェを脱いでパンティ一枚の姿になったアシェルは、起き上がってきたアークエイドから小言を言われる。

「別に見て減るようなものじゃないし、むしろ減るなら減って欲しいくらいなんだけど。それに今まで散々エッチなことしておいて、裸なんて今更でしょ?僕の性別だって知ってるんだし、隠れる必要なくない?」

「それとこれとは違うだろ。お願いだから恥じらいを持ってくれ。それと、他のヤツの前で同じようなことはしないでくれよ?」

「別にいいじゃん。見たところででしょ。あーでも。マリクは気にしないだろうけど、エトはすっごく恥ずかしがりそうだよね。アークは居なかったから知らないと思うけど、エトってばすっごく初心なんだよ。夜這いって単語を口に出来なかったくらいなんだから。」

クスクスと笑いながらさっさと着替えるアシェルの言葉に、アークエイドが眉根を寄せた。

「なんでエトと話していて、夜這いがどうのという話になるんだ?それに俺が知らない時っていつだ?」

「魔道コンロの登録に行った時だよ。あの時アークは別行動になったでしょ?アークが僕の部屋に来るって言うから、表向き男だとしても女の子が部屋の鍵開けっ放しは危ないから応接間に居ようか、って提案してくれたの。エトらしいでしょ?その時にベルが合鍵渡してるって教えたら、アークが夜這いに来るんじゃないかって心配してくれたみたいだね。夜這いも何も、同意の上で致してることは流石に言ってないからね。」

「あの時か。そしてそんなこと言わなくて良い。エトのことだから、順序が違うだろって怒られそうだ。」

「ふふっ、確かに。エトはその辺りキッチリしてそうだもんね。」

「念のため言っておくが、ヒューナイトではソレが普通だからな?順番をすっ飛ばした俺が言うことじゃないが。」

「分かってるって。朝ご飯はパンと、昨日の残りのスープで良いかな?」

「あぁ。」

アークエイドも寝間着から部屋着に着替えたのを見届けて、キッチンへと向かった。

こうやって時々前日の残り物を出しているが、文句も言わずに普通に食べてくれるのはありがたい。
初めて聞いてみた時は偉い人なので残り物を嫌がるかなと思っていたのだが、アークエイドはあまり気にしないようだ。



簡単な朝食を終え、ソファでゆっくりと食後の紅茶を飲んでいると、リーンリーンと呼び出し音が鳴り響いた。

今日は来客の予定は無いし、一体誰だろうと思いながらインターホンのモニターを見ると、そこにはノアールが立っていた。

「おはよう、ノア。どうしたの?」

『おはよう、アシェ。休みの日なのに、朝早くからごめんね。少し相談したい事があって……起こしちゃわなかったかな?』

「起きてたから大丈夫だよ。鍵開けるからどうぞ。」

オートロックの鍵を開け、ソファに戻るとアークエイドが首を傾げている。

「ノアか?どうしたんだろうな。」

「なんか相談があるらしいんだよね。」

「俺は居ない方が良いか?」

「さぁ……昨日アークが帰ってないことは知ってるし、ノアに聞いてみてで良いんじゃないかな?」

アークエイドと言葉を交わしていると、コンコンと扉が叩かれた。

「いらっしゃい、ノア。アークも居るけど大丈夫?居ない方が良いなら、奥に行っててもらうけど。」

「お邪魔します。ううん、居て貰った方が良いかな。」

ノアールをソファへと促し、ノアールの分の紅茶とアークエイドの珈琲のお替りを手に戻る。

「二人でゆっくりしてるところにごめんね。」

「別に構わないよ。それで、相談って?」

アシェルの問いかけに、少しだけノアールが逡巡し、意を決したように口を開いた。

「アビー様に、返事しようと思って。プロポーズしたいんだ。……ただ、どうやってプロポーズしたら良いかなって。」

顔を真っ赤に染めながら話すノアールに、どう言葉を返して良いのか分からない。
他人にアドバイスできるような恋愛経験は、前世も含め持ち合わせていないのだ。

「ノアが了承の返事をくれるなら、どんなプロポーズでもアビー様は喜んでくれると思うんだけど……。ねぇ、アーク?」

「そうだな。ようやくノアから返事が貰えるんだ。それもOKの。どんな形であれ、姉上は大喜びだろうな。」

「それは、分かってるんだけど。でも男として、女性にプロポーズされて、はいお願いします、じゃ恰好つかないでしょ? 僕は非公式お茶会で、皆の前でアビー様からプロポーズされたけど……アシェ達の場合ってどうだったのかなって。それに、アシェなら書物も沢山呼んでるし、前世の記憶もあるなら、何か良い案が無いかなって。」

ノアールの言葉に、アシェルがアークエイドから特別な好きを伝えられた時のことを思い返す。

服を着たままシャワーでびしょびしょにされ、キスをされ。
とてもじゃないがロマンチックとは程遠いものだ。
だが、そうでもされなければアシェルは、一生アークエイドの好きに気付かなかっただろう。

「えっと……僕がアークからの特別な好きに気付いたというか、言われたのは、僕があまりにも好きって言われても気付かなかったから……。多分ノアが望むような状態じゃないんだよね。簡単に言うと依頼を受けたからマリクの発情期前に慌てて、僕に特別な好きを理解させるために頑張ったって感じ。多分あの時好きって言葉だけじゃアークの気持ちは分からなかったと思うし、ムードの欠片もなくキスして……なんて、ノアは嫌でしょ?というよりも、アビー様とは両思いなわけだし。」

「え、キス……?アーク、それって順番が……。」

咎めるようなノアールの声に、勝手に告白の状況を暴露されたアークエイドは頭を抱えたくなる。

「仕方ないだろ。俺が今まで散々好きだと伝えても、アシェは僕も好きだよって友人としての好きを返してきてたんだ。女であることを知っていることも含めて、そうでもしないと理解してもらえなかった。」

「あー……そうか。アシェの場合、状況がちょっと特殊だもんね。でも、キスか……。その……それってどういう感じ?やっぱりドキドキするよね?」

少し気恥しそうにノアールに問われ、アシェルは頭を悩ませる。

「ドキドキ……するの?」

「そこでなんで俺に聞くんだ。……するに決まってるだろ。特に好きな人とのキスならな。しかし、ようやく決心がついたのは良いが、何かあったのか?」

話題を反らすようにアークエイドは尋ねる。

「あー……昨日帰る時にね。廊下を出たところで会った男子生徒が、アビー様にラストダンスの申し込みをしたんだ。アルフォード様はラストダンスを踊れないのなら、一緒に踊ってくださいって。……それを見てたら、アビー様が僕のことを好きって言ってくれていても、他から見たらアビー様は求婚できる状態なんだなって。それが嫌だなって思って。」

「なるほどな。それなら早めにプロポーズして、婚約式を挙げたほうが良いな。」

「うん。そうしたいなって。その……婚約式前に、アビー様にキスしたら……流石にダメかな?」

顔を真っ赤にしたノアールに問われ、アークエイドは少し逡巡する。
相談とはいえ、友人と姉のそんなことを聞いて良いのだろうかと。

「別に同意の上なら、父上たちや俺は気にしないぞ。それよりも、ノアがどう思ったとしても、プロポーズした時点で姉上から唇を奪われる恐れすらある。」

「あはは、やっぱり?どうしよ。僕初めてなんだけど、下手とかって思われて幻滅されないかな?でも練習することもできないし、書物にも載ってないし……そんなこと閨教育では聞いてないし。」

どうやら既にノアールは閨教育を受けているらしい。

そして確かに小説で恋愛シーンがあっても、キスの仕方なんて載っていない。

「相手が上手すぎても、それはそれで気になるけどな。どれだけ経験があるのかって。」

「アーク。それ僕のこと言ってる?」

「俺はアシェとしかしたことがないからな。」

「僕のファーストキスの相手はリリィで、次はアークだって言ってるでしょ。」

「それは今世での話しだろ。」

ちょっぴり言い合いになりそうな二人の姿に、ノアールは苦笑する。

「ってことは、アシェはキス上手なんだね。こうしたらいいとか、これに気を付けたほうが良いって言うのはあったりする?」

「うーん……唇を重ねるだけのキスなら、匂いが強いものを直前に食べないとかかな。歯磨きは普段からしっかりしてれば良いし、こっちにはタバコが無いからタバコの匂いを気にしなくて良いし。」

タバコ?と首を傾げる二人を置き去りにして、アシェルは話を続ける。

「フレンチキスもディープキスも、歯が当たらないようには気を付けたほうが良いと思う。それだけですっごく下手くそに感じるし。あと、ディープキスの時は唇を開きすぎないように、かな。鼻の下とか顎まで口で覆われて唾液が付くと、すっごくげんなりするから。下手すると息できなくなるし。」

薫が嫌だと思ったキスを思い浮かべながらしみじみと話すと、ノアールはやっぱり赤面したまま口を開く。

「ディープキスって……舌を絡めるやつだよね?その、閨でするような。」

「こっちは閨でしかしないの?恋人同士でするキスとしては、割と普通のキスなのかなって思ってたんだけど。」

「基本は閨でだな。あくまでも基本というだけだから、恋人同士であればいつしてもおかしくない。それにようやく思いの通じた姉上が、ただの口付けだけで満足するとは思えない。なんなら押し倒される可能性も考えておいた方が良い。」

「うっ……。それってどうしたらいいとかコツってある?アビー様に嫌な思いはさせたくないんだ。」

恥ずかしい相談だが、アシェルに聞きに来て良かったと思いながらノアールは助力を乞う。

プロポーズでアビゲイルに押し倒される可能性は考えたくないが、男として押し倒されるくらいなら押し倒し返したい。
経験があるのなら、キスが上手らしいアシェルにコツを聞いておいた方が良いだろう。

「コツかぁ。そうだね。まずは普通に唇を重ねて、少しだけ舌を出して相手の唇を舐めるようにつついてみる。それで嫌なら、相手の唇に力が入ってぎゅって閉じられるし、受け容れて貰えるなら唇が緩むから、そこから舌だけ伸ばす感じかな。息は口でするんじゃなくて、鼻ですると良いよ。息を止めたり、鼻息荒くしすぎたりするのはダメだよ。本当は技術の習得には実演が一番なんだけど、さすがにファーストキスはアビー様とが良いでしょ?」

「実演って、あたりまえでしょっ!それにアークが嫌がるでしょ。」

「当たり前だ。」

アシェルとしては何もおかしいことは言っていないのだが、アークエイドとノアールに全力で止められる。

「うーん……でも、こっちって漫画は無いし、実際のディープキスって想像つきにくいでしょ?スマートに行うなら、一応どんなものか知っておくのは大事だと思うんだけど?」

「まんがが分からないけど……そうは言っても、オペラとかだってキスをしているように角度で見せてるだけでしょ?両親がしてるところも見たことないし。」

「んー……じゃあ、アークで実演して見せて、そのあとどんな感触かノアの指に実演してあげる。これでどう?唇の開き具合なんかはアークとしているところを見れば分かると思うし、見たり聞いただけじゃ分からない実際の舌の動きは、指で体感するだけでもかなり違うと思うよ?」

「えっ。それは、その。嬉しい申し出だけど、人前でキスして平気なの?」

言ったアシェルは平気だからこそ提案したのだろうと、ノアールはアークエイドを見る。

そのアークエイドは呆れ顔だ。

「アシェ……ノアと実際にキスすると言わなかったのは良いことだが、もう少し人前でキスしたりには抵抗感や恥じらいを持ってくれ。」

「アル兄様の前で僕にキスしてきたのはどこの誰だっけ?」

「あれは頬にだろ。唇にして良かったのならしていたが。」

「嫌に決まってるでしょ。で、するの?しないの?」

ノアールは会話の内容に、この二人は実はもうお付き合いしているのではと思ってしまう。

兄の前で頬にキスをするなど、一体どんな状況だったのだろうか。

「……する。ここで俺がしないと言ったら、マリク辺りでも連れてきて実演されそうだ。」

「よく分かってるじゃない。ノア、少し恥ずかしいかもだけど、ちゃんと見ててね?」

向かい側に座るノアールの返事を聞く前に、隣に座るアークエイドの腰と頭を引き寄せ唇を重ねる。

数度啄むようなキスを落とした後、舌でアークエイドの唇をなぞれば、すんなりと受け容れられる。

顔を真っ赤にして、それでも食い入るように見つめてくるノアールの前で、アークエイドも負けじと舌を絡め返してくるが、キスだけならばまだまだアシェルに軍配は上がる。

くちゅくちゅと淫靡な水音を響かせながら、たっぷりと舌を絡めた唇を離せば、二人の間に唾液が糸を引いた。

久しぶりにアシェル優位なキスが出来て、アシェルとしては大満足だ。

キスを終えたアークエイドは恥ずかしいのか顔を伏せてしまったが、今はどうでも良い。

「……っふ……こんな感じ。参考になった?」

「参考にって言うか……なんかすごい。」

真っ赤な顔のまま、ノアールは感想を口にする。

果たしてこんなエッチなキスが、ノアールに出来るのだろうか。
だが男として、アビゲイル優位でこんなキスをさせる訳にはいかない。

「じゃあ、次はノアの指ね。一本……じゃ細すぎるから、二本出して?」

「えっと……本当にするの?」

戸惑うようなノアールの言葉に、アシェルは首を傾げる。

「だって体感してみないと、見ただけじゃ分からないでしょ?本当はキスして覚えるのが一番だけど、さすがにファーストキスを奪うわけにはいかないから。」

何がダメなのかと首を傾げるアシェルに、ノアールは助けを求めるようにアークエイドを見る。

平常心を取り戻し顔を上げたアークエイドは、ノアールの隣へと移動するアシェルを見送りながら、小さなため息を吐いた。

「アシェは言いだしたら聞かない。それに指だけなら、良いんじゃないのか?」

アークエイドとしても、ノアールと目の前でキスされるよりマシだ。

一応アシェルに片思い中のアークエイドの許可を得て、ノアールはアシェルへおずおずと手を差し出した。

その手を取ったアシェルは小さく「いただきます。」と口にして、その男らしい指に舌を這わせ、口に含みやすいように唾液で濡らしていく。

それから指先にチュッと口付けをして、ノアールの指に舌を絡めていく。

指全体に絡むように舌を伸ばしたり、時折口に含むように吸い付いたりしながら、ぴちゃぴちゃと音を立てながらアシェルは舌を絡める。

その指先に伝う普通ではありえない感触に、赤かったノアールの顔はさらに赤みを増した。

「……っ……こんな感じ。経験上空気を含むより、なるべく相手の舌にぴったりくっつけるように舌を絡ませるのが良いよ。これでコツ、分かったかな?」

何事もなかったかのように問いかけるアシェルに、ノアールは縦にぶんぶんと首を振った。

元の席へと戻れば、心なしかアークエイドの頬も赤い気がする。

「ノア。手を洗ってきたらどうだ?トイレは応接間寄りを使えば良い。」

「っうん、アシェ。お手洗い借りるね。」

顔を真っ赤にしたまま、パタパタとノアールが応接間を出て行く。

「手を洗うならお風呂場の洗面台でも良かったのに。」

「……風呂場は色々置いてると不味いと思ったからな。」

「普段寝室寄りしか使ってないし、応接間寄りはお客様用……と言っても、普段使ってるのはアークだけだけど。だから気にしなくて良いのに。」

「そうか。今度からは洗面台を勧めるようにする。」

アークエイドは違う意味でノアールをトイレへ誘導したのだが、アシェルは気付かないままだった。

ようやくノアールが戻ってきたころに、コンコンと扉が叩かれる。

それからガチャリと鍵が開けられ、イザベルが入ってくる。

「アシェル様……それに、アークエイド様にノアール様。ご訪問中に失礼いたします。」

今日は実験をして過ごすと伝えていたので、応接間に誰かいるとは思っていなかったのだろう。

少し驚いたイザベルが、綺麗に腰を折って二人に挨拶をする。

「ベル、どうしたの?お仕着せ姿で……。」

「本日は実験室に籠られると聞いておりましたので、お部屋の掃除と簡単なお食事の作り置きでも思ってまいりました。」

そういいながらイザベルは、持ってきていた魔道ポットに魔力を通して、お湯を温めてくれる。

三人の前に並ぶ飲み物は、もうどれも冷め切っていた。

「アシェ、実験するつもりだったんだ。ごめんね、錬金の邪魔しちゃって。」

「ううん。ようやくノアが覚悟を決めたんだもん。その方が大事だよ。」

「プロポーズだけど、部屋に呼んだりしたらあからさますぎるかな?」

「良いんじゃない?アビー様が前に、レストランじゃなくてどちらかの部屋で二人っきりで夕食取りたいっていってたもん。多分部屋に誘ったら、大喜びで来てくれるよ。」

「アビー様が?……他に僕のこと何か言っていた?」

やっぱり好きな人が自分のことをどう言っているのかは、些細な事でも気になるものなのだろうか。

少し身を乗り出し気味に聞かれ、アシェルはアビゲイルの言葉を思い出す。

「大体はノアのことカッコイイとか可愛いとか、そういうのろけ話だったよ。その時に、まだ婚約して無いから夕食に誘ってもレストランだし、二人っきりになりたいって。出来るだけ一緒に居たい、とも言ってたし、夜這いしたいくらいだって。はしたないって思われたくないから出来ないけど、って。」

「夜這い……もしアビー様にされたら、それ僕の男としての面目が無いよね。」

「陛下は実際にアンジェラ様の部屋に何度も夜這いに行ってたらしいから。王族だし面目とか別に気にしないんじゃない?」

新しい紅茶と珈琲を淹れながら、二人の会話に耳を傾けているイザベルを見ていたアークエイドは、聞き捨てならないアシェルの言葉に反応する。

「……おい、俺のことまで一括りにするな。姉上の気持ちは分からないでもないが、実際にしたのは父上だけだからな。」

「アークもしたいって思ってたの?初耳。」

「……考えなかったわけじゃないが、アシェにしたら死ぬより酷い目に合いそうだ。」

「アークの意見に僕も同感かな。」

「まぁ、同意なしだったら保証はしないかな。」

ノアールが苦笑し、イザベルが新しく淹れてくれた紅茶に口をつけてから立ち上がる。

「朝からごめんね。決心が変わらないうちに、アビー様を夕食に誘ってみるよ。アーク。今夜って王宮で何かあったりするかな?」

「いや。何も無いから、ノアの誘いに喜んで来てくれると思うぞ。」

「そっか。また、どうなったかだけでも報告に来るね。」

「それはどっちでもいいよ。ノアとアビー様が上手く行くなら、それだけで嬉しいしね。」

「イザベルも紅茶を淹れてくれたのに飲めなくてごめんね。失礼します。」

ぺこりと頭を下げたノアールが部屋を出て行く。

その姿を見送って新しく淹れて貰った紅茶に口をつけていると、珍しくイザベルが自分の分の紅茶も淹れて、目の前のソファに腰掛けた。

アシェルが首を傾げていると、イザベルの真面目な顔と視線が交わる。

「アシェル様……先程のお話は、ノアール様がアビゲイル様の求婚を受け入れる……というお話でしょうか?」

「うん?そうだけど……ずっと両思いだったみたいだし、ようやくだよね。それがどうかしたの?」

アシェルの問いかけに、イザベルが迷うように視線を彷徨わせる。

何か言いたい事があるのだろうと黙って待っていると、イザベルの唇が動いた。

「アシェル様には先にお伝えしておこうと思います。わたくし……アルフォードお義兄様のことをお慕いしております。正式にアルフォードお義兄様がアビゲイル様の婚約者候補から外れるのであれば、アルフォードお義兄様に想いをお伝えしたいのです!」

顔を真っ赤にして打ち明けてくれたイザベルの言葉に、アシェルは衝撃を受ける。

お慕いしているというのは、“特別な好き”という意味だろう。

イザベルとは長く一緒の時間を過ごしてきたが、そんなことには全く気付かなかった。

どう返答して良いのか迷っているアシェルを置き去りに、イザベルは言葉を続ける。

「もちろん家格の違いは承知しておりますし、わたくしは使用人の子です。それでもせめて、お慕いしていることだけでもアルフォードお義兄様に知っていただきたいのです。……やはり、駄目でしょうか?」

不安げにアシェルを見てくるイザベルは、アビゲイルのような恋する乙女のそれだ。

「別にダメだなんて思わないし、家柄なんて気にしなくて良いんだよ。もしアル兄様がベルのことを好きって言ってくれるなら婚約だって問題ないと思うし、お父様だって反対しないと思う。……サーニャは怒るかもしれないけど。ただ……僕、ベルがそんな風に思ってるって知らなかった。ごめんね。」

何故かしょんぼりと肩を落としてしまったアシェルに、イザベルが慌てる。

「アシェル様っ、謝らないで下さいませ。わたくしだって、周りには分からないように隠していたんですから。むしろ知っていたと言われた方が気恥ずかしいですわ。それで……想いを伝えさせていただいても良いでしょうか?」

「それは僕の了承を取るようなことじゃないでしょ。アル兄様がどんな反応を示すかは分からないけど……好きって言われて悪い気はしないだろうし。ベルがそうしたいならしたらいいと思う。」

なんとも無責任な発言だとは思うが、アシェルに言えるのはこれだけだ。

人の恋路をとやかく言う趣味も、色々と言えるような経験も持ち合わせていないのだから。

「ありがとうございます、アシェル様。来ておいて申し訳ないのですが……今日はこのまま下がらせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「うん。元々週末はベルにお休みをあげてるでしょ。ゆっくりして。」

どこか安堵した様子のイザベルは「失礼します。」と頭を下げて退室する。

どれだけ記憶を思い返してみても、イザベルがアルフォードに恋しているような思い出はない。

ふとアークエイドが居たことを思い出して隣を見ると、アークエイドは驚いたりしていなかったように見える。

「……アークはびっくりしなかったの?」

「俺か?……誰が相手かを知ったのは今だが、イザベルはどちらかを好きなんじゃないかとは思っていたからな。本人の口から明確に聞いたわけでも、俺からも聞いたこともないが。」

どちらかというのは、アレリオンかアルフォードということだろう。

「……なんで教えてくれなかったの?」

「確定ではないし、本人が言ってないのに、俺が言ったらおかしいだろ。」

「それはそうなんだけどさ。……アル兄様とベルが結婚したら、ベルがお義姉さんか……。今までと変わらないかも?」

「くくっ、そうだな。それより、実験するんじゃなかったのか?」

「そうだ。もたもたしてると時間が無くなっちゃう。」

イザベルのことは気になるが、それはアシェルが口を出すことではないし、なるようになるだろう。

さっと意識を錬金のことに切り替えたアシェルは、バタバタと錬金部屋に籠り、休日をたっぷりと錬金につぎ込んだのだった。

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