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第四章 王立学院中等部三年生
245 アシェルの欲しいもの④
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Side:アシェル14歳 夏
揺れが止まって、エラートがソファに腰掛けたのを感じる。
それと同時に、少し重たく感じるくらいかけられていたバスタオルが剥ぎ取られる。
一枚だけ握りしめていたら、それは残しておいてくれた。
「アシェル様、お部屋に着きましたよ。」
「ありがとう。……ベルもエトもごめんなさい。二人とも、魔力酔いは大丈夫?」
エラートの顔色は変わりないが、やはりイザベルの顔色は悪く感じる。
魔力酔いなんて、そうそう起こることではない。
魔力のコントロールが下手な人間が、魔法を使おうとして失敗した魔力が形にならず漂うとか。
恐らくアシェルがそうだったように、感情の起伏で漏れ出すとか。
そういう形を得ることが出来なかった魔力が、濃密に溜まっている場所に居ることで魔力酔いを起こす。それも、体内魔力が少ないほど酔いやすい。
狭くて風通しの悪い場所で、魔力量の多い人間から漏れた多量の魔力が溜まったという。魔力酔いしてしまうほどの魔力が溜まる要因が、揃ってしまっていたせいだろう。
魔力酔いも魔力過多も特効薬は無く、原因を取り除いたうえで、時間の経過で症状が落ち着くのを待つしかない。
魔力過多の場合は魔力を使えば早く良くなるのだが、大体がぼぅっとのぼせたようになっていて、魔法を使うような状態ではないことが多い。
「私は少々……ですが、耐えられないようなものでもありませんし、部屋に戻るまでの間でもかなり楽になりました。症状が無くなるのも、時間の問題かと。」
「俺は大丈夫だぞ。一応、宝の持ち腐れな侯爵家出身だしな。」
イザベルはアシェルを安心させるように微笑んでくれ、エラートはいつもアシェルが言う言葉を使って茶化してくる。
「良かった……魔力酔いに特効薬は無いし。あったとしても、今の僕じゃ作れないから。運んでもらってごめんね、エト。重たかったでしょ。」
「軽すぎるくらいだから気にすんな。立てそうか?」
「うん。力はもう入ると思う。」
それでも恐る恐る床に足をつけ、確かめる様に降り立った。
立ったり歩いたりも問題なさそうだ。
「泣き顔なんて、情けないとこみせちゃったなぁ……。顔、洗って来るね。ベル、紅茶淹れてくれる?ベルの分もだからね。」
バスタオルを肩から掛けたまま、洗面台で顔を洗って応接間に戻る。
少しだけスッキリした気がする。
言いつけ通り、制服姿のままソファに座るイザベルの隣に腰を降ろす。
普通に座るのではなく、お行儀は悪いが体操座りだ。この方が安心する。
誰も言葉を発しない中、温かい紅茶に口をつけてちびちびと飲む。
さっき二人は、アークエイドから事情を聞いたのではないかと思う。
イザベルがアシェルが取り乱した原因を問い詰めない訳がない。相手がアークエイドでも、イザベルなら間違いなく聞き出すだろう。
そもそも、アークエイドがムーランとの婚約について話すことは、何一つおかしいことではないのだ。
それに過剰に反応してしまったアシェルがおかしいだけで。
でもアークエイドの真意は分からなくても、アークエイドの温もりはあの時間だけはアシェルだけのものだった。
それを幸せだと、嬉しいと感じてしまったのだ。例え僅かな時間だったとしても、心が満たされたのだ。
前世でよく、好きな人と一緒になれなくても、愛した人との子供だけでも欲しいと聞いたことがあったなと思いだした。
実際にそう言ってシングルマザーになった施設の子は、毎日大変だけど幸せだと言っていた。
——そもそも相手の男は話を聞く限り家庭持ちでDV気質だったので、今なら間違いなく結婚に至らなくて正解だったと思うことが出来る。
好きな人の代わりにはならなくても。
好きな人との僅かな繋がりに愛情を注いで生きていくことが出来たら、どんなに幸せだろうか。
アークエイドとの子供が出来れば、アークエイドがいなくても寂しくなんてないんじゃないだろうか。
誰の声も聞こえない間、考えていたのはこんなことばかりだ。
周囲に迷惑をかけて、一体何を考えているのだと思ってしまう。
「アークから何を聞いたのか分からないけど……アークは悪くないから。世間話に、僕が反応しすぎちゃっただけ。……僕の顔が見えないって言ってたから。多分いつもなら。僕が聞きたくないのに気付いて、話すの止めてくれてたと思うし。」
魔力が沢山漏れてしまうほど、そしてその自覚が無いほど情緒不安定になっていたはずなのに。
それでもアークエイドを庇うアシェルに、イザベルは溜息を吐く。
「アシェル様がどう思っていようと。原因がお二人についてのお話だったとしても。そもそもイベント以上のことをしようとしてきた時点で、アークエイド殿下が悪いのです。」
そう言い切ったイザベルの視線を感じて、そう言えば所有印を付けられたのだと思い出す。
思い出して頬が熱を持つ。
襲うフリは置いておいて、所有印がイザベルにバレないとは思っていないだろう。アシェルが真っ先に消してしまわない限り。
何故アークエイドは、わざわざイザベルに愚行がバレるリスクを犯したのだろうか。
こんな風に小さな情報を繋げていけば、あのちぐはぐの答えはいつか分かるのだろうか。
「……嫌じゃ、なかったから……。……“特別な好き”って厄介だね。別にアークがもう僕のことを好きじゃなくても良いから、このまま無理やり襲ってくれたらいいのにって思っちゃった。性欲処理でも何でもいいから、アークが欲しいって。……アークには、僕を襲う気なんてないって分かってたのに。」
「アシェ、お前……。アークのことが好きなのか?」
困惑したようなエラートの声に、アシェルは頷いた。
エラートを帰してから話せば良かったが、ここまで話してしまえば誤魔化すほうがおかしい。
それに、エラートもアークエイドに対して怒っていないとは限らない。
アシェルのせいでややこしくしてしまったので、アークエイドに対する誤解は解いておかなくてはいけない。アークエイドは悪くないのだと。
「気付いたのは最近だけど……僕の“特別な好き”はアークみたい。……でも、アークには言わないで、絶対。初めて肌を重ねた相手には、恋愛感情が残ってなくても情が残るって聞いたことあるし、困らせたくない。余計なこと言って、外交や公務の邪魔したくないから。」
「情って……どこ情報だよ。言わねぇから安心しろ。」
「前世情報。施設出身の子はどこか世間とはズレてて、性的なことも荒れてる子が多かったから。」
「わっかんねぇ世界だ……。」
純情で貴族的な貞操観念の持ち主のエラートには、きっと一生理解できない世界だと思う。
遊び人のエラートなんて、イメージになさすぎる。
「アシェル様、お言葉ですが……。刹那的な考えだとしても、私は殿下と身体を重ねなくて良かったと思っております。今はお薬を飲んでいらっしゃらないでしょう?もし子供が出来てしまったら、どうするおつもりだったのですか。可能性が無いとは言い切れないのですよ。未婚女性に子供が出来るのは醜聞にしかなりません。傷つくのはアシェル様ですよ。」
やっぱりこちらにはシングルマザーという概念はないらしい。
無くは無いのだろうが、貴族令嬢としてはあり得ないし、早くても子供は婚約してからだ。
未亡人であれば後ろ指を指されることはないだろうが、未婚の。それも相手を公表できない子供など、不特定多数と心当たりがあるのか、道ならぬ相手だということだ。
面白おかしく噂するにはもってこいの、そして相手を叩き落すためには十分すぎる話になるだろう。
「やっぱり、こっちじゃダメなんだね。……アークとの子供、出来たら良いのにって思ったの。アークとの赤ちゃんが欲しいなって……少しだけ。そしたらアークが居なくても、ずっと繋がっていられる気がして。でも、僕は貴族令嬢だから、そんな理由で赤ちゃんが欲しいって思っちゃダメだよね。コブ付きだと政略結婚の邪魔になっちゃうだろうし。お父様たちを困らせたくないし。自分の子供は絶対手放したくないから、それでも良いって言ってくれる人なんて居ないだろうし。万が一にも可能性が無くて、良かったのかもしれない。」
イザベルは頭を抱えたくなってしまう。
イベントの内容についてはリリアーデから、アシェルが寂しい心を埋めるための行動だろうと聞いた。
下手に誰彼構わず関係を持とうとするより、イベントという形の方が危険も減るからと。
だからイザベルは反対しなかった。
実際。イベントのお陰か、部屋に招いた子との情事のお陰かは分からないが、アシェルの調子は目に見えて良くなった。
この子供が欲しいという発想も、リリアーデには分かる感覚なのだろうか。
イザベルはアルフォードに夜這いして告白した時。確かに情けを求めはしたが、きっちり月の物のスケジュールを把握していたし、できやすいと言われている日は避けていた。
万が一にも子供が出来てしまわないように。
こんな時、やはりアシェルは記憶持ちで、言動に大きな影響を与えているんだなと思ってしまう。
もう少し、色事でない方向に予想が付かないのであれば、どんなに良かったかと思うが。
それにどう聞いても、アシェルは自分に言い聞かせているだけで、アークエイドとの子供を望んでいる。
そもそもアシェルが自分からしたいことや欲しいものを口にすること自体、錬金や術式などの知識関連以外では稀なのだ。
メイディーの料理長が作るチョコレートケーキのように、よっぽど気に入ったものでない限り。アシェルが誰かへ、何かが欲しいと口にすることはほとんどない。
このままイザベルが気付かないふりをすれば、きっともう二度とアシェルはその望みを口にしなくなるだろう。
ただ、イザベルにはアシェルの考えが上手く理解できない。
どうしてあげればアシェルの為になるのかと考えたら、結論はリリアーデに聞くしかないというところに落ち着く。
「アシェル様がどういうお気持ちで、アークエイド殿下との子供が欲しいとおっしゃっているのか。正直なところ、私には分かりません。こちらでは……少なくともヒューナイトの貴族には、あまり理解できない感覚かと……。ですので、リリアーデ様に意見を伺ってみてはいかがでしょうか?リリアーデ様でしたら、アシェル様のお気持ちも理解していただいた上で、どうすれば良いのか教えて頂けるかもしれません。」
「ううん、大丈夫。だって、ベルの感覚が貴族の普通なんでしょ?」
「あくまでも一般論でございます。そもそも。貴族を全て普通の枠に納めようとするならば、アシェル様のやっているイベントも普通ではありませんし。アシェル様が火遊びなさっているご令嬢達も、普通ではございません。ですが、それは個性ですので。他人に迷惑をかけないことであれば、周囲の押し付ける普通に拘る必要はないと思います。」
「でも、お父様たちに迷惑が……。」
「大丈夫です。間違いなくメイディーも、普通ではないですから。普通の人間は、毒草を口にしようとは思いません。つまるところ、メイディーの中では普通に見えるアシェル様も、世間的に見れば変人でございます。メイディーだからこそ許されているだけで。普通に見える振舞いを心がけていただけるのは嬉しいですが、今気にすることではございません。気になさるのであれば、もっと周囲の目がある時にお気をつけくださいませ。とりあえず、リリアーデ様を呼んでまいりますので、少々お待ちください。」
なんだか、イザベルにボロクソに言われた気がする。
というよりもメイディーと一括りにして、仕えているアベルたちのことまで変人と言ってしまって良かったのだろうか。
しかもイザベルと婚約したアルフォードは、その変人の括りに入ってしまうのだが。
普通であることに拘り過ぎるなという意味なのだとは思うが、変なことをして大切な人たちに嫌われたくない。
「……エトにも、子供が欲しいって言うのは分かんないよね?」
「そこで俺に聞くのか?そもそも女じゃねぇし、分かんねぇよ。うちは男所帯だしよ。好きな女が自分の子供を身籠れば、嬉しいだろうなとは思うけど……。」
「好きでも何でもない女の人が、エトとの子供が欲しいって言ったら……やっぱり気持ち悪い?」
アシェルの質問に、エラートは腕を組んで悩みだした。
かなり真剣に答えを考えてくれているようで、イザベルが戻ってきたことにも気付いていないようだ。
軽い気持ちで聞いてしまったのが、少し申し訳なくなる。
話の邪魔にならないようにか、リリアーデとデュークまで扉の前で待機してしまった。
「……それって、相手との関係によらないか?そりゃあ、見ず知らずの名前も知らない女から言われたら、ちょっと気持ちわりぃなとは思うけど……。言われたところで、どうせ知らない人間だしな。例えばだぞ?パーティーの日、ミラを連れてただろ?家同士の付き合いがある幼馴染で、小さい頃から俺の嫁になるんだって言い続けてるんだけど……。ミラに俺との子供が欲しいと言われても、今度は過激なこと言ってんなぁとしか思わねぇと思う。っていうか、ミラなら言ってもおかしくねぇし、実力行使してきそうな方がこえぇってなる。って考えると、仮にアークがアシェから子供が欲しいって言われたら喜びこそすれ、嫌がることは無いと思うぞ。なんつーか、王族の気質を考えると……本当に子供が出来たら出来たで、すげぇ過保護になりそうな気がする。陛下がそうだったらしいしな。」
ミラとは、エラートのパートナーだったミランダという可愛い少女のことだろう。
グリモニアがアンジェラの妊娠中、過保護だったというのは初耳だ。
でも王族ならおかしくないかもと思ってしまうのは分かる。
ただ、アークエイドが喜ぶというのは分からない。
去年までなら喜んでくれたとは思うが。
「アークは僕のこともう好きじゃないだろうし、喜んではくれないんじゃない?それより……エト。せっかく真剣に答えてくれたのに、ごめんね。聞くタイミング、間違えたかもしれない。」
「何がだ?」
首を傾げるエラートの為に、入口を指さす。
バッチリ今の会話を聞いて、にまにましているリリアーデが立っているのを見て、エラートは心底嫌そうな顔をした。
これは間違いなく、エラートとミランダの関係を根ほり葉ほり聞かれるやつだろう。
基本的に女性は恋バナが好きだし、リリアーデも例に漏れない。
「アシェの話を聞きに来たのに、面白い話を聞いちゃったわ。あ、お邪魔してるわよ。アシェは気付いてたみたいだけど。隣良いかしら?」
「今すぐ忘れろっ。嫌な予感しかしねぇ。」
アシェルの隣にリリアーデが座り、その向かい側にデュークが座った。
女性と男性で分かれて座っている形になる。
「嫌よ。こんな楽しそうなこと忘れろなんて。まぁでも、その話はまた今度ね。で、イザベルからアシェの話を聞いてあげて欲しいって言われたんだけど。今日イベントにアークが参加したんでしょ?何があったのか、聞いても良いかしら?現場に居なかったから、何が起きたのかよく分かっていないのよね。」
そう言いながらも、リリアーデはアシェルのブラウスのボタンを留めてくれる。
所有印が見えたから、何かあったんでしょう?と無言で聞かれているようだ。
「アークがイベントに来て、ルールを知らなかったから説明してあげて、少しだけ雑談して。それからイベントのキスをしたんだ。イベントのキスが終わったらいきなり所有印付けられて、襲うフリされてまたキスされたの。眼鏡のせいで表情が見えないから、詳しくは分からないけど……でも、アークは本気で僕を襲う気が無かったことだけは断言できる。そのあとアークの言葉でパニック起こしちゃって、連れて帰ってきてもらったんだけど……。その時に本当に襲ってくれたら良かったと思ったし、アークとの子供が欲しいって思ったって話をさっきしたから。それでリリィが呼ばれたみたい。ベルには分からないからって。……説明になった?」
「なるほどね。確かに、こっちの貴族女性には分からない感覚かもしれないわ。こっちってお付き合いに結婚までセットだから、シングルって考えがそもそも無さそうなのよね。まぁ、女性だと身を立てる職業が限られているからかもしれないけれど。それにしても……いつアークを好きだって自覚したの?眠りにくいのもご飯食べれないのも、気を張りすぎてるからだと思うって、ずっと言ってたでしょ?」
「……6月入ってすぐ。襲撃者の対応をした後、少しだけ、アークと話した時に。でも、もうアークは僕に興味無さそうだったから。それに、アークには婚約の話があるでしょ。下手なこと言って、他国との関係にヒビ入れられないよ。……自覚ってことは、リリィから見たら、僕はアークのこと好きだったって事?何で分かったの?自分でも分からなかったのに。」
首を傾げたアシェルに、リリアーデはイザベルを見た。
そのイザベルが首を振ったのを見て苦笑する。
リリアーデはイザベルの反応を見て、アシェルは自分の体調不良の原因が何なのか理解していないことを知る。
「何でも何も……アシェが寝れないのも食欲が無いのも、緊張状態にあるせいじゃないからよ。世間じゃソレを、恋煩いって言うのよ。状況的に勘違いしても、おかしくないと言えばおかしくないけど。まぁ、イベントに関する噂が流れ始めた時点で、気付いたんだろうなとは思ってたんだけれどね。」
「……エスパー?」
「違うわよ?わたくしの方が、アシェより人生経験豊富ってだけよ。アシェの性格的に無理だと思ってても、二人のこと見たくないなら近くに居なければ良いのにって思ってただけ。嫌な気分になってたでしょ?」
「……やっぱりエスパー……。皆に嫌われたくないから、隠してたのに。」
「その程度で嫌いになるわけなんて無いでしょ?人間なんてそんなものよ。むしろ隠して押し込めようとするから、症状が酷くなるのよ。少なくともわたくしは、嫉妬や羨んだりするくらいの方が人間らしくて良いと思うわよ。その気持ちで誰かを傷つけてしまうのは、いけないことだけれどね。」
「嫉妬……?この嫌なのが?」
また首を傾げてしまったアシェルに、リリアーデはどう説明したものかと悩む。
アシェル自身は、嫉妬や妬みとは無縁の世界で生きていたのだろう。咲と健斗に依存していたらしい薫は、二人から与えられるものが、二人の望むものが世界の全てだったはずだ。
きっとそれは他者から向けられるもので、自身が抱くものではなかったのではないかと思う。
「うーん。そこからなのね。例えば咲さんが、薫以外のお友達とお喋りしていて。嫌な気持ちになる?」
「ううん。私は咲と健斗が居れば良かったけど……。二人は友達が多かったから。別に嫌な気持ちになったことは無いわ。」
「じゃあもし、咲さんが薫とお友達を止めるって言って、他のお友達と仲良くしているのを見たら?」
絶対に咲は薫のことを見捨てたりしないと思うのに、その状況を想像するだけで悲しくなる。
「それは……。悲しくて寂しい。私のせいだったとしても、出来れば見たくない。多分嫌な気持ちになるかもしれないから。それより咲に、私の何がダメだったのか聞きたい。それを直せばまた一緒に居られるのなら、頑張って直すから。」
「あぁ、大丈夫よ。咲さんは薫のこと突き放したりしないわ。ごめんなさい、例えが悪かったわね。」
しゅんと落ち込んだアシェルは、ふんわりと甘い香りのするリリアーデに抱きしめられる。
そして、そのまま宥める様に優しく背中を撫でてくれる。
「そんな風に自分にとって大切な人が離れて行っちゃったり、自分以外の人と仲良くしているのが嫌だって思うのは、別におかしいことじゃないわ。確かに限度って言うのはあるけど。前にアークが、わたくしとアシェが方言で話していたのに嫉妬していたでしょう?あれだってアークからしたら、大好きなアシェをわたくしに盗られてしまった気がしてたんだと思うわ。今はアシェの方が、アークを皇女に盗られちゃった気がして、嫌な気持ちになっちゃってるのよ。こう考えると、特別おかしなことじゃないって分かるでしょ?」
リリアーデの説明はとても分かりやすい。
ちゃんとアシェルが分かるように、例えを出したり噛み砕いて説明してくれる。
「分かる。……リリィも。デュークが他の女の子と仲良くしてたら、嫌な気持ちになる?」
「わたくし?そうね……。普通にお友達として仲が良い分には、なんとも思わないわ。ただ、友人を越えて婚約者にしたいって言われたら……嫌な気持ちにはなるわね。デュークがその子が良いって言うなら身を引くけど、わたくしだってデュークのことが好きなんだもの。きっと寂しいし、悲しいし。相手の女の子に嫉妬して、凄く嫌な気持ちになると思うわ。もしそれが家の方針で仕方のないことだったとしても、わたくしがデュークを好きって気持ちは変わらないもの。理解するのと、受け入れられるかどうかは別よ。相手の子やデュークに、すっごく意地悪しちゃうかもしれないわ。そこはわたくしの居場所だったのにって。逆に二人のことを見たくなくて、凄く離れた場所に逃げ出したくなっちゃうかもしれない。寂しいのを誤魔化すために、誰彼構わず遊んでくれる人を探すかもしれないわ。どれだけ仕方ないことだと理解していても、自分の心に付いた傷は時間が解決してくれるのを待つしかないのだもの。きっと好きな人を盗られても何も思わないのだとしたら、それは本当に好きだったわけじゃないのよ。」
リリアーデもそうやって感じるのだとしたら。
アシェルが今まで見ないふりをしていた醜い感情は、おかしくないことなのだろうか。
揺れが止まって、エラートがソファに腰掛けたのを感じる。
それと同時に、少し重たく感じるくらいかけられていたバスタオルが剥ぎ取られる。
一枚だけ握りしめていたら、それは残しておいてくれた。
「アシェル様、お部屋に着きましたよ。」
「ありがとう。……ベルもエトもごめんなさい。二人とも、魔力酔いは大丈夫?」
エラートの顔色は変わりないが、やはりイザベルの顔色は悪く感じる。
魔力酔いなんて、そうそう起こることではない。
魔力のコントロールが下手な人間が、魔法を使おうとして失敗した魔力が形にならず漂うとか。
恐らくアシェルがそうだったように、感情の起伏で漏れ出すとか。
そういう形を得ることが出来なかった魔力が、濃密に溜まっている場所に居ることで魔力酔いを起こす。それも、体内魔力が少ないほど酔いやすい。
狭くて風通しの悪い場所で、魔力量の多い人間から漏れた多量の魔力が溜まったという。魔力酔いしてしまうほどの魔力が溜まる要因が、揃ってしまっていたせいだろう。
魔力酔いも魔力過多も特効薬は無く、原因を取り除いたうえで、時間の経過で症状が落ち着くのを待つしかない。
魔力過多の場合は魔力を使えば早く良くなるのだが、大体がぼぅっとのぼせたようになっていて、魔法を使うような状態ではないことが多い。
「私は少々……ですが、耐えられないようなものでもありませんし、部屋に戻るまでの間でもかなり楽になりました。症状が無くなるのも、時間の問題かと。」
「俺は大丈夫だぞ。一応、宝の持ち腐れな侯爵家出身だしな。」
イザベルはアシェルを安心させるように微笑んでくれ、エラートはいつもアシェルが言う言葉を使って茶化してくる。
「良かった……魔力酔いに特効薬は無いし。あったとしても、今の僕じゃ作れないから。運んでもらってごめんね、エト。重たかったでしょ。」
「軽すぎるくらいだから気にすんな。立てそうか?」
「うん。力はもう入ると思う。」
それでも恐る恐る床に足をつけ、確かめる様に降り立った。
立ったり歩いたりも問題なさそうだ。
「泣き顔なんて、情けないとこみせちゃったなぁ……。顔、洗って来るね。ベル、紅茶淹れてくれる?ベルの分もだからね。」
バスタオルを肩から掛けたまま、洗面台で顔を洗って応接間に戻る。
少しだけスッキリした気がする。
言いつけ通り、制服姿のままソファに座るイザベルの隣に腰を降ろす。
普通に座るのではなく、お行儀は悪いが体操座りだ。この方が安心する。
誰も言葉を発しない中、温かい紅茶に口をつけてちびちびと飲む。
さっき二人は、アークエイドから事情を聞いたのではないかと思う。
イザベルがアシェルが取り乱した原因を問い詰めない訳がない。相手がアークエイドでも、イザベルなら間違いなく聞き出すだろう。
そもそも、アークエイドがムーランとの婚約について話すことは、何一つおかしいことではないのだ。
それに過剰に反応してしまったアシェルがおかしいだけで。
でもアークエイドの真意は分からなくても、アークエイドの温もりはあの時間だけはアシェルだけのものだった。
それを幸せだと、嬉しいと感じてしまったのだ。例え僅かな時間だったとしても、心が満たされたのだ。
前世でよく、好きな人と一緒になれなくても、愛した人との子供だけでも欲しいと聞いたことがあったなと思いだした。
実際にそう言ってシングルマザーになった施設の子は、毎日大変だけど幸せだと言っていた。
——そもそも相手の男は話を聞く限り家庭持ちでDV気質だったので、今なら間違いなく結婚に至らなくて正解だったと思うことが出来る。
好きな人の代わりにはならなくても。
好きな人との僅かな繋がりに愛情を注いで生きていくことが出来たら、どんなに幸せだろうか。
アークエイドとの子供が出来れば、アークエイドがいなくても寂しくなんてないんじゃないだろうか。
誰の声も聞こえない間、考えていたのはこんなことばかりだ。
周囲に迷惑をかけて、一体何を考えているのだと思ってしまう。
「アークから何を聞いたのか分からないけど……アークは悪くないから。世間話に、僕が反応しすぎちゃっただけ。……僕の顔が見えないって言ってたから。多分いつもなら。僕が聞きたくないのに気付いて、話すの止めてくれてたと思うし。」
魔力が沢山漏れてしまうほど、そしてその自覚が無いほど情緒不安定になっていたはずなのに。
それでもアークエイドを庇うアシェルに、イザベルは溜息を吐く。
「アシェル様がどう思っていようと。原因がお二人についてのお話だったとしても。そもそもイベント以上のことをしようとしてきた時点で、アークエイド殿下が悪いのです。」
そう言い切ったイザベルの視線を感じて、そう言えば所有印を付けられたのだと思い出す。
思い出して頬が熱を持つ。
襲うフリは置いておいて、所有印がイザベルにバレないとは思っていないだろう。アシェルが真っ先に消してしまわない限り。
何故アークエイドは、わざわざイザベルに愚行がバレるリスクを犯したのだろうか。
こんな風に小さな情報を繋げていけば、あのちぐはぐの答えはいつか分かるのだろうか。
「……嫌じゃ、なかったから……。……“特別な好き”って厄介だね。別にアークがもう僕のことを好きじゃなくても良いから、このまま無理やり襲ってくれたらいいのにって思っちゃった。性欲処理でも何でもいいから、アークが欲しいって。……アークには、僕を襲う気なんてないって分かってたのに。」
「アシェ、お前……。アークのことが好きなのか?」
困惑したようなエラートの声に、アシェルは頷いた。
エラートを帰してから話せば良かったが、ここまで話してしまえば誤魔化すほうがおかしい。
それに、エラートもアークエイドに対して怒っていないとは限らない。
アシェルのせいでややこしくしてしまったので、アークエイドに対する誤解は解いておかなくてはいけない。アークエイドは悪くないのだと。
「気付いたのは最近だけど……僕の“特別な好き”はアークみたい。……でも、アークには言わないで、絶対。初めて肌を重ねた相手には、恋愛感情が残ってなくても情が残るって聞いたことあるし、困らせたくない。余計なこと言って、外交や公務の邪魔したくないから。」
「情って……どこ情報だよ。言わねぇから安心しろ。」
「前世情報。施設出身の子はどこか世間とはズレてて、性的なことも荒れてる子が多かったから。」
「わっかんねぇ世界だ……。」
純情で貴族的な貞操観念の持ち主のエラートには、きっと一生理解できない世界だと思う。
遊び人のエラートなんて、イメージになさすぎる。
「アシェル様、お言葉ですが……。刹那的な考えだとしても、私は殿下と身体を重ねなくて良かったと思っております。今はお薬を飲んでいらっしゃらないでしょう?もし子供が出来てしまったら、どうするおつもりだったのですか。可能性が無いとは言い切れないのですよ。未婚女性に子供が出来るのは醜聞にしかなりません。傷つくのはアシェル様ですよ。」
やっぱりこちらにはシングルマザーという概念はないらしい。
無くは無いのだろうが、貴族令嬢としてはあり得ないし、早くても子供は婚約してからだ。
未亡人であれば後ろ指を指されることはないだろうが、未婚の。それも相手を公表できない子供など、不特定多数と心当たりがあるのか、道ならぬ相手だということだ。
面白おかしく噂するにはもってこいの、そして相手を叩き落すためには十分すぎる話になるだろう。
「やっぱり、こっちじゃダメなんだね。……アークとの子供、出来たら良いのにって思ったの。アークとの赤ちゃんが欲しいなって……少しだけ。そしたらアークが居なくても、ずっと繋がっていられる気がして。でも、僕は貴族令嬢だから、そんな理由で赤ちゃんが欲しいって思っちゃダメだよね。コブ付きだと政略結婚の邪魔になっちゃうだろうし。お父様たちを困らせたくないし。自分の子供は絶対手放したくないから、それでも良いって言ってくれる人なんて居ないだろうし。万が一にも可能性が無くて、良かったのかもしれない。」
イザベルは頭を抱えたくなってしまう。
イベントの内容についてはリリアーデから、アシェルが寂しい心を埋めるための行動だろうと聞いた。
下手に誰彼構わず関係を持とうとするより、イベントという形の方が危険も減るからと。
だからイザベルは反対しなかった。
実際。イベントのお陰か、部屋に招いた子との情事のお陰かは分からないが、アシェルの調子は目に見えて良くなった。
この子供が欲しいという発想も、リリアーデには分かる感覚なのだろうか。
イザベルはアルフォードに夜這いして告白した時。確かに情けを求めはしたが、きっちり月の物のスケジュールを把握していたし、できやすいと言われている日は避けていた。
万が一にも子供が出来てしまわないように。
こんな時、やはりアシェルは記憶持ちで、言動に大きな影響を与えているんだなと思ってしまう。
もう少し、色事でない方向に予想が付かないのであれば、どんなに良かったかと思うが。
それにどう聞いても、アシェルは自分に言い聞かせているだけで、アークエイドとの子供を望んでいる。
そもそもアシェルが自分からしたいことや欲しいものを口にすること自体、錬金や術式などの知識関連以外では稀なのだ。
メイディーの料理長が作るチョコレートケーキのように、よっぽど気に入ったものでない限り。アシェルが誰かへ、何かが欲しいと口にすることはほとんどない。
このままイザベルが気付かないふりをすれば、きっともう二度とアシェルはその望みを口にしなくなるだろう。
ただ、イザベルにはアシェルの考えが上手く理解できない。
どうしてあげればアシェルの為になるのかと考えたら、結論はリリアーデに聞くしかないというところに落ち着く。
「アシェル様がどういうお気持ちで、アークエイド殿下との子供が欲しいとおっしゃっているのか。正直なところ、私には分かりません。こちらでは……少なくともヒューナイトの貴族には、あまり理解できない感覚かと……。ですので、リリアーデ様に意見を伺ってみてはいかがでしょうか?リリアーデ様でしたら、アシェル様のお気持ちも理解していただいた上で、どうすれば良いのか教えて頂けるかもしれません。」
「ううん、大丈夫。だって、ベルの感覚が貴族の普通なんでしょ?」
「あくまでも一般論でございます。そもそも。貴族を全て普通の枠に納めようとするならば、アシェル様のやっているイベントも普通ではありませんし。アシェル様が火遊びなさっているご令嬢達も、普通ではございません。ですが、それは個性ですので。他人に迷惑をかけないことであれば、周囲の押し付ける普通に拘る必要はないと思います。」
「でも、お父様たちに迷惑が……。」
「大丈夫です。間違いなくメイディーも、普通ではないですから。普通の人間は、毒草を口にしようとは思いません。つまるところ、メイディーの中では普通に見えるアシェル様も、世間的に見れば変人でございます。メイディーだからこそ許されているだけで。普通に見える振舞いを心がけていただけるのは嬉しいですが、今気にすることではございません。気になさるのであれば、もっと周囲の目がある時にお気をつけくださいませ。とりあえず、リリアーデ様を呼んでまいりますので、少々お待ちください。」
なんだか、イザベルにボロクソに言われた気がする。
というよりもメイディーと一括りにして、仕えているアベルたちのことまで変人と言ってしまって良かったのだろうか。
しかもイザベルと婚約したアルフォードは、その変人の括りに入ってしまうのだが。
普通であることに拘り過ぎるなという意味なのだとは思うが、変なことをして大切な人たちに嫌われたくない。
「……エトにも、子供が欲しいって言うのは分かんないよね?」
「そこで俺に聞くのか?そもそも女じゃねぇし、分かんねぇよ。うちは男所帯だしよ。好きな女が自分の子供を身籠れば、嬉しいだろうなとは思うけど……。」
「好きでも何でもない女の人が、エトとの子供が欲しいって言ったら……やっぱり気持ち悪い?」
アシェルの質問に、エラートは腕を組んで悩みだした。
かなり真剣に答えを考えてくれているようで、イザベルが戻ってきたことにも気付いていないようだ。
軽い気持ちで聞いてしまったのが、少し申し訳なくなる。
話の邪魔にならないようにか、リリアーデとデュークまで扉の前で待機してしまった。
「……それって、相手との関係によらないか?そりゃあ、見ず知らずの名前も知らない女から言われたら、ちょっと気持ちわりぃなとは思うけど……。言われたところで、どうせ知らない人間だしな。例えばだぞ?パーティーの日、ミラを連れてただろ?家同士の付き合いがある幼馴染で、小さい頃から俺の嫁になるんだって言い続けてるんだけど……。ミラに俺との子供が欲しいと言われても、今度は過激なこと言ってんなぁとしか思わねぇと思う。っていうか、ミラなら言ってもおかしくねぇし、実力行使してきそうな方がこえぇってなる。って考えると、仮にアークがアシェから子供が欲しいって言われたら喜びこそすれ、嫌がることは無いと思うぞ。なんつーか、王族の気質を考えると……本当に子供が出来たら出来たで、すげぇ過保護になりそうな気がする。陛下がそうだったらしいしな。」
ミラとは、エラートのパートナーだったミランダという可愛い少女のことだろう。
グリモニアがアンジェラの妊娠中、過保護だったというのは初耳だ。
でも王族ならおかしくないかもと思ってしまうのは分かる。
ただ、アークエイドが喜ぶというのは分からない。
去年までなら喜んでくれたとは思うが。
「アークは僕のこともう好きじゃないだろうし、喜んではくれないんじゃない?それより……エト。せっかく真剣に答えてくれたのに、ごめんね。聞くタイミング、間違えたかもしれない。」
「何がだ?」
首を傾げるエラートの為に、入口を指さす。
バッチリ今の会話を聞いて、にまにましているリリアーデが立っているのを見て、エラートは心底嫌そうな顔をした。
これは間違いなく、エラートとミランダの関係を根ほり葉ほり聞かれるやつだろう。
基本的に女性は恋バナが好きだし、リリアーデも例に漏れない。
「アシェの話を聞きに来たのに、面白い話を聞いちゃったわ。あ、お邪魔してるわよ。アシェは気付いてたみたいだけど。隣良いかしら?」
「今すぐ忘れろっ。嫌な予感しかしねぇ。」
アシェルの隣にリリアーデが座り、その向かい側にデュークが座った。
女性と男性で分かれて座っている形になる。
「嫌よ。こんな楽しそうなこと忘れろなんて。まぁでも、その話はまた今度ね。で、イザベルからアシェの話を聞いてあげて欲しいって言われたんだけど。今日イベントにアークが参加したんでしょ?何があったのか、聞いても良いかしら?現場に居なかったから、何が起きたのかよく分かっていないのよね。」
そう言いながらも、リリアーデはアシェルのブラウスのボタンを留めてくれる。
所有印が見えたから、何かあったんでしょう?と無言で聞かれているようだ。
「アークがイベントに来て、ルールを知らなかったから説明してあげて、少しだけ雑談して。それからイベントのキスをしたんだ。イベントのキスが終わったらいきなり所有印付けられて、襲うフリされてまたキスされたの。眼鏡のせいで表情が見えないから、詳しくは分からないけど……でも、アークは本気で僕を襲う気が無かったことだけは断言できる。そのあとアークの言葉でパニック起こしちゃって、連れて帰ってきてもらったんだけど……。その時に本当に襲ってくれたら良かったと思ったし、アークとの子供が欲しいって思ったって話をさっきしたから。それでリリィが呼ばれたみたい。ベルには分からないからって。……説明になった?」
「なるほどね。確かに、こっちの貴族女性には分からない感覚かもしれないわ。こっちってお付き合いに結婚までセットだから、シングルって考えがそもそも無さそうなのよね。まぁ、女性だと身を立てる職業が限られているからかもしれないけれど。それにしても……いつアークを好きだって自覚したの?眠りにくいのもご飯食べれないのも、気を張りすぎてるからだと思うって、ずっと言ってたでしょ?」
「……6月入ってすぐ。襲撃者の対応をした後、少しだけ、アークと話した時に。でも、もうアークは僕に興味無さそうだったから。それに、アークには婚約の話があるでしょ。下手なこと言って、他国との関係にヒビ入れられないよ。……自覚ってことは、リリィから見たら、僕はアークのこと好きだったって事?何で分かったの?自分でも分からなかったのに。」
首を傾げたアシェルに、リリアーデはイザベルを見た。
そのイザベルが首を振ったのを見て苦笑する。
リリアーデはイザベルの反応を見て、アシェルは自分の体調不良の原因が何なのか理解していないことを知る。
「何でも何も……アシェが寝れないのも食欲が無いのも、緊張状態にあるせいじゃないからよ。世間じゃソレを、恋煩いって言うのよ。状況的に勘違いしても、おかしくないと言えばおかしくないけど。まぁ、イベントに関する噂が流れ始めた時点で、気付いたんだろうなとは思ってたんだけれどね。」
「……エスパー?」
「違うわよ?わたくしの方が、アシェより人生経験豊富ってだけよ。アシェの性格的に無理だと思ってても、二人のこと見たくないなら近くに居なければ良いのにって思ってただけ。嫌な気分になってたでしょ?」
「……やっぱりエスパー……。皆に嫌われたくないから、隠してたのに。」
「その程度で嫌いになるわけなんて無いでしょ?人間なんてそんなものよ。むしろ隠して押し込めようとするから、症状が酷くなるのよ。少なくともわたくしは、嫉妬や羨んだりするくらいの方が人間らしくて良いと思うわよ。その気持ちで誰かを傷つけてしまうのは、いけないことだけれどね。」
「嫉妬……?この嫌なのが?」
また首を傾げてしまったアシェルに、リリアーデはどう説明したものかと悩む。
アシェル自身は、嫉妬や妬みとは無縁の世界で生きていたのだろう。咲と健斗に依存していたらしい薫は、二人から与えられるものが、二人の望むものが世界の全てだったはずだ。
きっとそれは他者から向けられるもので、自身が抱くものではなかったのではないかと思う。
「うーん。そこからなのね。例えば咲さんが、薫以外のお友達とお喋りしていて。嫌な気持ちになる?」
「ううん。私は咲と健斗が居れば良かったけど……。二人は友達が多かったから。別に嫌な気持ちになったことは無いわ。」
「じゃあもし、咲さんが薫とお友達を止めるって言って、他のお友達と仲良くしているのを見たら?」
絶対に咲は薫のことを見捨てたりしないと思うのに、その状況を想像するだけで悲しくなる。
「それは……。悲しくて寂しい。私のせいだったとしても、出来れば見たくない。多分嫌な気持ちになるかもしれないから。それより咲に、私の何がダメだったのか聞きたい。それを直せばまた一緒に居られるのなら、頑張って直すから。」
「あぁ、大丈夫よ。咲さんは薫のこと突き放したりしないわ。ごめんなさい、例えが悪かったわね。」
しゅんと落ち込んだアシェルは、ふんわりと甘い香りのするリリアーデに抱きしめられる。
そして、そのまま宥める様に優しく背中を撫でてくれる。
「そんな風に自分にとって大切な人が離れて行っちゃったり、自分以外の人と仲良くしているのが嫌だって思うのは、別におかしいことじゃないわ。確かに限度って言うのはあるけど。前にアークが、わたくしとアシェが方言で話していたのに嫉妬していたでしょう?あれだってアークからしたら、大好きなアシェをわたくしに盗られてしまった気がしてたんだと思うわ。今はアシェの方が、アークを皇女に盗られちゃった気がして、嫌な気持ちになっちゃってるのよ。こう考えると、特別おかしなことじゃないって分かるでしょ?」
リリアーデの説明はとても分かりやすい。
ちゃんとアシェルが分かるように、例えを出したり噛み砕いて説明してくれる。
「分かる。……リリィも。デュークが他の女の子と仲良くしてたら、嫌な気持ちになる?」
「わたくし?そうね……。普通にお友達として仲が良い分には、なんとも思わないわ。ただ、友人を越えて婚約者にしたいって言われたら……嫌な気持ちにはなるわね。デュークがその子が良いって言うなら身を引くけど、わたくしだってデュークのことが好きなんだもの。きっと寂しいし、悲しいし。相手の女の子に嫉妬して、凄く嫌な気持ちになると思うわ。もしそれが家の方針で仕方のないことだったとしても、わたくしがデュークを好きって気持ちは変わらないもの。理解するのと、受け入れられるかどうかは別よ。相手の子やデュークに、すっごく意地悪しちゃうかもしれないわ。そこはわたくしの居場所だったのにって。逆に二人のことを見たくなくて、凄く離れた場所に逃げ出したくなっちゃうかもしれない。寂しいのを誤魔化すために、誰彼構わず遊んでくれる人を探すかもしれないわ。どれだけ仕方ないことだと理解していても、自分の心に付いた傷は時間が解決してくれるのを待つしかないのだもの。きっと好きな人を盗られても何も思わないのだとしたら、それは本当に好きだったわけじゃないのよ。」
リリアーデもそうやって感じるのだとしたら。
アシェルが今まで見ないふりをしていた醜い感情は、おかしくないことなのだろうか。
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