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第四章 王立学院中等部三年生
290 エピローグ
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Side:アークエイド15歳 秋
生命の神がアシェルの魂を癒すと言ってから一週間が過ぎた。
メイディーの邸に戻ってすぐにリリアーデとパトリシアに連絡が行き、メイディー邸に招いた上で事情を説明。
神から指名があったことが伝えられたが、アシェルが学業を優先するように言っていたことも、無理強いしたくないと言っていたことも伝えられた。
アベルもリリアーデもアシェルの状態を診て、眠っているほかにおかしいところはなさそうだという。
一先ずリリアーデが連れてきていたデュークをこき使いながら、点滴を入れたり少しでも体力を落とさないための運動方法を教えてくれた。
パトリシアは寝たきりになった人間に対してどういうケアが必要か、そのコツを簡単にだが教えてくれた。
こちらでは介護と呼べるものは、ほとんど経験したことがない人間が多いだろう。
寿命で死ぬときは、本当に動けなくなるのは最後の数日だけなのだ。下手をすると直前まで動き回っている人間も居る。
回復の見込みのない重症の傷病人は、家族の希望で安楽死することも多い。
祖父母を王立病院で看取ったと言うパトリシア曰く、王立病院の対応も前世の介護経験者から見たら万全とは言えないのだそうだ。
魔法があるからどうにかなっているだけだと。
二人はアシェルの看病をしたいが、通いで勉強もとなると……というわけで、アシェルの療養はメイディー公爵邸からアシェルの寮室になった。
二人は手が空いたらアシェルの部屋に来てくれて、あれこれと世話を焼いてくれる。
アークエイドはいつも通りアシェルの隣で寝ている。
きちんとアベルから許可を貰ったし、さすがに今のアシェルに手を出すつもりはない。
寝ている姿はいつもと変わらないのに、情欲を感じることも無いのだ。
ただちゃんとアシェルの身体はここにあるのだと、抱きしめて眠ることで。その体温を感じることで生きているのだと安心したいだけだった。
そして王立学院の許可をもぎ取ったアベルたちメイディー一家は、メルティーまでもが普段閉じている応接間に間仕切りと寝台を用意して暮らし始めた。
使用人室にはサーニャとイザベル。
そして兄妹たち専属でアシェルが信用しているというエリック、アイザック、マルローネが寝泊まりしている。
アークエイドはアシェルの傍に居たいのに、イザベルから学業を優先しろと強制的にホームルームに連れていかれている。
その後は幼馴染達に連れ回され、授業が終わるまでアシェルの傍に戻れない。
仕方ないので今期の単位だけ先に納めてしまおうと、教師に休学届と単位試験を申請し、今日ようやく合格し休学が受け入れられたことが伝えられたのだ。
リリアーデとパトリシア、そしてリリアーデにくっついてくる形のデュークも、同じように単位試験を受けることにしたらしい。
二人が声を揃えて、日中は素人しかいないのが不安と言っていたので、アシェルのことが心配なのだと思う。
それはしょっちゅうお見舞いに来る幼馴染達もだ。
「あーもう勉強したくないわっ。」
「わたしもですぅ。歴史なんて全く萌えませんしぃ。久しぶりに徹夜しちゃいましたぁ。」
「リリィはしっかり寝てたけどな。っていうか、今回のテストは割と難易度高かっただろう?なんであれで合格したのに、普段の順位が低いんだ。」
「そりゃあ短期記憶が頑張ったからに決まってるじゃない。明日同じテストやれって言われても、もう無理よ?」
「それ、自慢することじゃないからな?」
相変わらず風の双子が揃うと賑やかだ。
コンコンと扉が叩かれ、ワゴンを押したイザベルが入ってくる。
「御用意出来ました。何かお手伝いできることはありますか?」
「ありがとう、イザベル。意識が無いって言うか、刺激への反応も無いから大丈夫だと思うけれど、もしものことがあったらいけないからいいわ。パティさん、やっちゃいましょう。」
「ですねぇ。長期戦になりそうなので、しっかり清潔は保たないとですぅ。」
身体や髪の毛であれば、クリーンを使って清潔を保つことはできる。なんならイザベルは、身体強化を使いながらアシェルをお風呂に入れることが出来るという。
なので隔日でクリーンの日と、お風呂の日になっていた。
じゃあリリアーデ達が何をするのかというと、歯磨きだった。
日中はサーニャ達がお世話をしてくれているので、唇は乾燥していないし、爪も綺麗に整えられているらしい。
のだが、口の中も乾燥しやすいし、飲食しない乾燥状態は口内環境が悪くなりやすいらしい。誤嚥したら肺炎が云々と説明されたが、理解することが出来なかった。
クリーンで綺麗にしても、見えないところは細かい部分の汚れが残りやすいので、歯磨きしたほうが良いんだとか。
その上、意識がないと不快感や口に物が入ってきた反射で噛みつくことがあるらしく、木の棒が折れるレベルで噛みしめる力が強いこともあるとかなんとか。
看護や介護に詳しくないアークエイドは、話を聞いてもイマイチ理解できないことも多く、技術もないので見守ることしかできない。
二人は連携してアシェルの歯磨きを終わらせ、やっぱり慣れてる人と組むと楽だわーなんて話しながら、身体の向きを変えたり点滴をチェックしている。
何もしてあげられないことに落ち込むアークエイドの肩を、デュークがポンポンと叩いて慰めてくれる。
この無力感はNMの毒に苦しむアシェルを見ていた時以来だ。
リリアーデとパトリシアがそろそろ部屋に戻らないとと言いつつ、吸引は要らなさそうだとか、普通ならもっと呼吸音がとかよく分からない会話をしているのを聞いていると、リーンリーンと来客を告げる音がする。
メアリーはずっと応接間にいて出掛けないし、メルティーは授業が終わったら真っ直ぐアシェルの部屋に帰ってくる。
アベルたち三人も定時でさくっと帰ってくるので、今の時間なら応接間に誰かしらいるはずだ。
コンコンと扉が叩かれ、アークエイドが代表で許可を出す。
サーニャが開けた扉から入ってきたのは、アベルと大司教だった。
「お邪魔しますね。生命の神からの預かり物を持ってきました。」
アシェルの魂は儀式の間に行かないと返してもらえないのでは?と思うが、大司教はアシェルに近づくことは無く、部屋の中をきょろきょろと見渡している。
どうやらアシェルの魂ではないらしい。
「“授け子”のお二人なら分かると思いますが、テレビは何処に置けば良いですか?」
聞き慣れない単語に首を傾げる面々を他所に、リリアーデとパトリシアは質問を飛ばす。
「テレビって、アンテナもないのに何が映るんです?一応ここは病室だし、退屈しそうな当の本人は意識がないから。テレビがあっても意味ないと思うんですけど?」
「それに電気もないですよぉー。テレビなんてこっちで見たことも聞いたこともないですしぃ。映らない塊があっても邪魔なんですがぁ?でも置くとしたら、リビングですよねぇ。」
「空気中の魔素で動くらしいので、動力源については気にしなくても良いみたいですよ。設置場所はメイディーのご息女様の近くにと。魂を預かったままでは不安でしょうから、魂を癒すためにご息女様が何を体験しているのか、見えるようにするとおっしゃっていました。“古都”から“アンブロシア”に一方的に繋いでいるだけなので、見聞きできるだけですし、中継ではないようです。」
「アシェの様子が分かるのね?じゃあそこに置いてちょうだい。デューク、うちの応接間からソファを持ってきてちょうだい。テレビが見える位置に!」
元々最低限の調度品しか置いていない部屋だ。
リリアーデの示した壁際に、真っ黒い塊が置かれた。
二人が懐かしいと言っているので、その四角くて薄っぺらい何かがテレビというものなのだろう。
「リリアーデ嬢、デューク君。ソファならここにあるものを使うから大丈夫だよ。サーニャ、皆にも伝えて貰えるかい?アン達に、ソファも持ってきてと。」
「かしこまりました。」
サーニャが残る家族を連れてくる間に、リリアーデとパトリシアはテレビの周囲をうろうろしている。
「うーん、電源はどこかしら?」
「配線のソケットが無いのは分かりますけどぉ、裏も横もツルツルですねぇ。普通は側面のどこかにありそうなものなのですけどぉ。」
「あぁ、魔素を十分に取り込んで、準備が出来たら勝手に付きますよ。」
「あ、そうなのね。ありがとうございます。」
「いえいえ。私はしっかりあちらが映っているか確認してから帰りますので。もう少しだけお邪魔させていただきますね。」
「分かりました。わざわざご足労頂き申し訳ありません。」
「メイディー卿はお気になさらないでください。それこそ、神の気まぐれ、ですので。」
大司教とアベルが言葉を交わし始めたからか、リリアーデとパトリシアは寝台の縁に軽く腰を降ろしてお喋りをはじめた。
それも方言というやつでだ。
「うちさぁ。神様に会って転生する時に、“古都にいる同郷の子をよろしくね”っち言われたんよ。やき薄々スターク子爵家の授け子は、日本出身なんやろうなっち思っとったんやけどさ。……どー考えてもアシェのことやと思わん?そもそも、あそこがどういう次元なんか知らんけど、パティさんの生まれ変わる前やったし。」
「それうちも言われたわ。リリィ先輩がサクラに来てくれた時に、あぁこの子かいなって思ってん。でもまぁ、うち下位貴族やし。よろしくできるかあほんだら!っち心ん中で怒鳴ったわ。まぁアシェ先輩やったとしても、ほんまならうちなんて一生言葉もかわせんような目上の人やねんけどな。」
「薫はいいなぁ。うちだって、せめて旦那には迷惑かけてごめんっち言いたいわ。生命保険の書類の場所、旦那知っとるんかなぁ。ってか、受取人旦那に変えたかすら覚えとらんわ。」
「薫はんがお気に入りらしいから、しゃーないんかもしれんけど。依怙贔屓すんなやっち思うわな。うちかて、残してきた娘たちがちゃんと成人できたかだけでも知りたいわ。色々事件があったさかい、長女にはもしもの時のこと教えといたけど。まだ小学生やで?喘息の発作も出とったし、ちゃんと妹に連絡とれとるとええんやけど……。」
「そういえば、桜花の旦那さんは死別してたんやっけ?」
「せや。癌が見つかった時には末期でな。義両親看取った半年後には旦那もぽっくりや。」
「普段は気にせんようにしちょるのに、やっぱ薫はいいなぁっち思ってしまうね。」
「もう過ぎたことやし、どうにもならんて思うてるから折り合い付けてるんにな。中途半端に可能性が見えたら、うちかてどんな対価をはろうてでも、娘たちのこと知りたいっち思うさかい。」
「うちらがアシェみたいに魂が傷ついたけっち、あの自分が喋りたいことだけ延々喋る神様が、気付いて助けてくれるっち思う?」
「一ミリたりとも思わんわ。神さんがうちらのこと認識しとるのは、あくまで“授け子”にする時に関わったからやからやろ。アシェ先輩への手厚い対応を見とると、絶対ないわって思うわ。そもそも。澄んでるとは言われたけど、形についてはなんも言われとらへん。」
「あ、うちも色は綺麗っち言われたわ。色が綺麗やないと“授け子”に出来んっちね。なんにせよアシェが。」
「「羨ましい。」」
何故方言で話し始めたのかと思ったら、アシェルとの対応の差に対する愚痴大会だった。
つまるところ神様への愚痴になるわけで、大司教が気にしていないかと様子を伺いみる。
そんなアークエイドの視線に気づいた大司教は、にこりと微笑んだ。
「気にしてませんので大丈夫ですよ。私としてもあのクソ神については思うところがありますので。……あ、今のはご内密にお願いします。神官たちはあんな神でも崇めていますので。」
思っていたよりも酷評が返ってきた。
不意にテレビの表面が明るく光った。
テレビの前の広々とした空間には、いつも応接間に置いてある大きなソファが二つと、メイディー一家の持ち込んだソファが二つ。計四つが綺麗に並べられている。
最前列をメイディー一家に譲り、アークエイドはリリアーデ達と共に後ろ側に置かれたソファに腰掛ける。
使用人達は壁際に控えるようだ。
一体何が映るのかと思っていると、寝台の天井のようだった。
人影はない。
「調整をかけるので少しお待ちくださいね。」
大司教がテレビに触れて何やらブツブツいうと、映像が切り替わった。
映っていたのは、小さな赤ちゃんだ。
眠っているようで瞳の色は分からない。
髪の毛は銀髪なのか、単純に毛が少ないのか。薄暗いせいで色の判断は出来なかった。濃い色でないことは確かだ。
それでもアークエイドは、それがアシェルだと断言することが出来た。
正直に言って、アシェルの抜け殻になってしまった身体よりも、テレビとやらに映っている赤ん坊の方がアシェルだと強く感じるくらいだ。
「アシェが、赤ん坊になってる……?」
左右からはアシェルだって分からないんですけど?という疑問をもった視線が飛んでくる。
根拠なんて説明できないが、それでも映っているのはアシェルなのだと思うのだ。
「殿下のおっしゃる通り。アシェル様の御幼少の頃にそっくりでございますね。産まれて直ぐといっても差支えのない大きさですが。私の知っているアシェル様がこれくらいの時は、大体生後半年といったところでしたよ。」
サーニャが助け舟を出してくれたおかげで、その場にいる全員が画面の中の赤ん坊がアシェルだと認識した。
更にそれを裏付けるように大司教も言葉を重ねる。
「お二方の言う通り、ご息女様は魂を癒すため。一度赤ん坊からやり直しています。これが一番早く、確実に癒せるそうです。信頼できる方たちに預けているので、安心していただいて良いですよ。それと時間の流れが違うので、飛び飛びになるかもしれません。それとカメラ……映像は自動で追尾するようにしてますが、角度が悪かったり、少しブレることもあるかもしれませんが、ご容赦ください。あちらで傷が癒え次第、神託が下る予定になっています。伝達が来ましたら儀式の間までお越しください。神から説明があったとおり、そこからは発熱と痛みによる苦痛を伴うでしょう。せん妄を伴う可能性もあります。魂と器が馴染めば、熱も痛みも落ち着きますので。目を覚ましたら私を呼んでください。きちんと馴染めたことを確認できれば、治療は完了となりますので。」
「何から何まで……娘の為に、ありがとうございます。」
「これが神のご意思ですから。それではお暇させていただきますね。失礼しました。」
アイザックが付き添って送り出し、大司教は帰って行った。
神様の介入という、常識では考え付かないような不可思議な状況の中。
アークエイド達の少し早すぎる春休みが始まった。
第四章 王立学院中等部三年生 完
生命の神がアシェルの魂を癒すと言ってから一週間が過ぎた。
メイディーの邸に戻ってすぐにリリアーデとパトリシアに連絡が行き、メイディー邸に招いた上で事情を説明。
神から指名があったことが伝えられたが、アシェルが学業を優先するように言っていたことも、無理強いしたくないと言っていたことも伝えられた。
アベルもリリアーデもアシェルの状態を診て、眠っているほかにおかしいところはなさそうだという。
一先ずリリアーデが連れてきていたデュークをこき使いながら、点滴を入れたり少しでも体力を落とさないための運動方法を教えてくれた。
パトリシアは寝たきりになった人間に対してどういうケアが必要か、そのコツを簡単にだが教えてくれた。
こちらでは介護と呼べるものは、ほとんど経験したことがない人間が多いだろう。
寿命で死ぬときは、本当に動けなくなるのは最後の数日だけなのだ。下手をすると直前まで動き回っている人間も居る。
回復の見込みのない重症の傷病人は、家族の希望で安楽死することも多い。
祖父母を王立病院で看取ったと言うパトリシア曰く、王立病院の対応も前世の介護経験者から見たら万全とは言えないのだそうだ。
魔法があるからどうにかなっているだけだと。
二人はアシェルの看病をしたいが、通いで勉強もとなると……というわけで、アシェルの療養はメイディー公爵邸からアシェルの寮室になった。
二人は手が空いたらアシェルの部屋に来てくれて、あれこれと世話を焼いてくれる。
アークエイドはいつも通りアシェルの隣で寝ている。
きちんとアベルから許可を貰ったし、さすがに今のアシェルに手を出すつもりはない。
寝ている姿はいつもと変わらないのに、情欲を感じることも無いのだ。
ただちゃんとアシェルの身体はここにあるのだと、抱きしめて眠ることで。その体温を感じることで生きているのだと安心したいだけだった。
そして王立学院の許可をもぎ取ったアベルたちメイディー一家は、メルティーまでもが普段閉じている応接間に間仕切りと寝台を用意して暮らし始めた。
使用人室にはサーニャとイザベル。
そして兄妹たち専属でアシェルが信用しているというエリック、アイザック、マルローネが寝泊まりしている。
アークエイドはアシェルの傍に居たいのに、イザベルから学業を優先しろと強制的にホームルームに連れていかれている。
その後は幼馴染達に連れ回され、授業が終わるまでアシェルの傍に戻れない。
仕方ないので今期の単位だけ先に納めてしまおうと、教師に休学届と単位試験を申請し、今日ようやく合格し休学が受け入れられたことが伝えられたのだ。
リリアーデとパトリシア、そしてリリアーデにくっついてくる形のデュークも、同じように単位試験を受けることにしたらしい。
二人が声を揃えて、日中は素人しかいないのが不安と言っていたので、アシェルのことが心配なのだと思う。
それはしょっちゅうお見舞いに来る幼馴染達もだ。
「あーもう勉強したくないわっ。」
「わたしもですぅ。歴史なんて全く萌えませんしぃ。久しぶりに徹夜しちゃいましたぁ。」
「リリィはしっかり寝てたけどな。っていうか、今回のテストは割と難易度高かっただろう?なんであれで合格したのに、普段の順位が低いんだ。」
「そりゃあ短期記憶が頑張ったからに決まってるじゃない。明日同じテストやれって言われても、もう無理よ?」
「それ、自慢することじゃないからな?」
相変わらず風の双子が揃うと賑やかだ。
コンコンと扉が叩かれ、ワゴンを押したイザベルが入ってくる。
「御用意出来ました。何かお手伝いできることはありますか?」
「ありがとう、イザベル。意識が無いって言うか、刺激への反応も無いから大丈夫だと思うけれど、もしものことがあったらいけないからいいわ。パティさん、やっちゃいましょう。」
「ですねぇ。長期戦になりそうなので、しっかり清潔は保たないとですぅ。」
身体や髪の毛であれば、クリーンを使って清潔を保つことはできる。なんならイザベルは、身体強化を使いながらアシェルをお風呂に入れることが出来るという。
なので隔日でクリーンの日と、お風呂の日になっていた。
じゃあリリアーデ達が何をするのかというと、歯磨きだった。
日中はサーニャ達がお世話をしてくれているので、唇は乾燥していないし、爪も綺麗に整えられているらしい。
のだが、口の中も乾燥しやすいし、飲食しない乾燥状態は口内環境が悪くなりやすいらしい。誤嚥したら肺炎が云々と説明されたが、理解することが出来なかった。
クリーンで綺麗にしても、見えないところは細かい部分の汚れが残りやすいので、歯磨きしたほうが良いんだとか。
その上、意識がないと不快感や口に物が入ってきた反射で噛みつくことがあるらしく、木の棒が折れるレベルで噛みしめる力が強いこともあるとかなんとか。
看護や介護に詳しくないアークエイドは、話を聞いてもイマイチ理解できないことも多く、技術もないので見守ることしかできない。
二人は連携してアシェルの歯磨きを終わらせ、やっぱり慣れてる人と組むと楽だわーなんて話しながら、身体の向きを変えたり点滴をチェックしている。
何もしてあげられないことに落ち込むアークエイドの肩を、デュークがポンポンと叩いて慰めてくれる。
この無力感はNMの毒に苦しむアシェルを見ていた時以来だ。
リリアーデとパトリシアがそろそろ部屋に戻らないとと言いつつ、吸引は要らなさそうだとか、普通ならもっと呼吸音がとかよく分からない会話をしているのを聞いていると、リーンリーンと来客を告げる音がする。
メアリーはずっと応接間にいて出掛けないし、メルティーは授業が終わったら真っ直ぐアシェルの部屋に帰ってくる。
アベルたち三人も定時でさくっと帰ってくるので、今の時間なら応接間に誰かしらいるはずだ。
コンコンと扉が叩かれ、アークエイドが代表で許可を出す。
サーニャが開けた扉から入ってきたのは、アベルと大司教だった。
「お邪魔しますね。生命の神からの預かり物を持ってきました。」
アシェルの魂は儀式の間に行かないと返してもらえないのでは?と思うが、大司教はアシェルに近づくことは無く、部屋の中をきょろきょろと見渡している。
どうやらアシェルの魂ではないらしい。
「“授け子”のお二人なら分かると思いますが、テレビは何処に置けば良いですか?」
聞き慣れない単語に首を傾げる面々を他所に、リリアーデとパトリシアは質問を飛ばす。
「テレビって、アンテナもないのに何が映るんです?一応ここは病室だし、退屈しそうな当の本人は意識がないから。テレビがあっても意味ないと思うんですけど?」
「それに電気もないですよぉー。テレビなんてこっちで見たことも聞いたこともないですしぃ。映らない塊があっても邪魔なんですがぁ?でも置くとしたら、リビングですよねぇ。」
「空気中の魔素で動くらしいので、動力源については気にしなくても良いみたいですよ。設置場所はメイディーのご息女様の近くにと。魂を預かったままでは不安でしょうから、魂を癒すためにご息女様が何を体験しているのか、見えるようにするとおっしゃっていました。“古都”から“アンブロシア”に一方的に繋いでいるだけなので、見聞きできるだけですし、中継ではないようです。」
「アシェの様子が分かるのね?じゃあそこに置いてちょうだい。デューク、うちの応接間からソファを持ってきてちょうだい。テレビが見える位置に!」
元々最低限の調度品しか置いていない部屋だ。
リリアーデの示した壁際に、真っ黒い塊が置かれた。
二人が懐かしいと言っているので、その四角くて薄っぺらい何かがテレビというものなのだろう。
「リリアーデ嬢、デューク君。ソファならここにあるものを使うから大丈夫だよ。サーニャ、皆にも伝えて貰えるかい?アン達に、ソファも持ってきてと。」
「かしこまりました。」
サーニャが残る家族を連れてくる間に、リリアーデとパトリシアはテレビの周囲をうろうろしている。
「うーん、電源はどこかしら?」
「配線のソケットが無いのは分かりますけどぉ、裏も横もツルツルですねぇ。普通は側面のどこかにありそうなものなのですけどぉ。」
「あぁ、魔素を十分に取り込んで、準備が出来たら勝手に付きますよ。」
「あ、そうなのね。ありがとうございます。」
「いえいえ。私はしっかりあちらが映っているか確認してから帰りますので。もう少しだけお邪魔させていただきますね。」
「分かりました。わざわざご足労頂き申し訳ありません。」
「メイディー卿はお気になさらないでください。それこそ、神の気まぐれ、ですので。」
大司教とアベルが言葉を交わし始めたからか、リリアーデとパトリシアは寝台の縁に軽く腰を降ろしてお喋りをはじめた。
それも方言というやつでだ。
「うちさぁ。神様に会って転生する時に、“古都にいる同郷の子をよろしくね”っち言われたんよ。やき薄々スターク子爵家の授け子は、日本出身なんやろうなっち思っとったんやけどさ。……どー考えてもアシェのことやと思わん?そもそも、あそこがどういう次元なんか知らんけど、パティさんの生まれ変わる前やったし。」
「それうちも言われたわ。リリィ先輩がサクラに来てくれた時に、あぁこの子かいなって思ってん。でもまぁ、うち下位貴族やし。よろしくできるかあほんだら!っち心ん中で怒鳴ったわ。まぁアシェ先輩やったとしても、ほんまならうちなんて一生言葉もかわせんような目上の人やねんけどな。」
「薫はいいなぁ。うちだって、せめて旦那には迷惑かけてごめんっち言いたいわ。生命保険の書類の場所、旦那知っとるんかなぁ。ってか、受取人旦那に変えたかすら覚えとらんわ。」
「薫はんがお気に入りらしいから、しゃーないんかもしれんけど。依怙贔屓すんなやっち思うわな。うちかて、残してきた娘たちがちゃんと成人できたかだけでも知りたいわ。色々事件があったさかい、長女にはもしもの時のこと教えといたけど。まだ小学生やで?喘息の発作も出とったし、ちゃんと妹に連絡とれとるとええんやけど……。」
「そういえば、桜花の旦那さんは死別してたんやっけ?」
「せや。癌が見つかった時には末期でな。義両親看取った半年後には旦那もぽっくりや。」
「普段は気にせんようにしちょるのに、やっぱ薫はいいなぁっち思ってしまうね。」
「もう過ぎたことやし、どうにもならんて思うてるから折り合い付けてるんにな。中途半端に可能性が見えたら、うちかてどんな対価をはろうてでも、娘たちのこと知りたいっち思うさかい。」
「うちらがアシェみたいに魂が傷ついたけっち、あの自分が喋りたいことだけ延々喋る神様が、気付いて助けてくれるっち思う?」
「一ミリたりとも思わんわ。神さんがうちらのこと認識しとるのは、あくまで“授け子”にする時に関わったからやからやろ。アシェ先輩への手厚い対応を見とると、絶対ないわって思うわ。そもそも。澄んでるとは言われたけど、形についてはなんも言われとらへん。」
「あ、うちも色は綺麗っち言われたわ。色が綺麗やないと“授け子”に出来んっちね。なんにせよアシェが。」
「「羨ましい。」」
何故方言で話し始めたのかと思ったら、アシェルとの対応の差に対する愚痴大会だった。
つまるところ神様への愚痴になるわけで、大司教が気にしていないかと様子を伺いみる。
そんなアークエイドの視線に気づいた大司教は、にこりと微笑んだ。
「気にしてませんので大丈夫ですよ。私としてもあのクソ神については思うところがありますので。……あ、今のはご内密にお願いします。神官たちはあんな神でも崇めていますので。」
思っていたよりも酷評が返ってきた。
不意にテレビの表面が明るく光った。
テレビの前の広々とした空間には、いつも応接間に置いてある大きなソファが二つと、メイディー一家の持ち込んだソファが二つ。計四つが綺麗に並べられている。
最前列をメイディー一家に譲り、アークエイドはリリアーデ達と共に後ろ側に置かれたソファに腰掛ける。
使用人達は壁際に控えるようだ。
一体何が映るのかと思っていると、寝台の天井のようだった。
人影はない。
「調整をかけるので少しお待ちくださいね。」
大司教がテレビに触れて何やらブツブツいうと、映像が切り替わった。
映っていたのは、小さな赤ちゃんだ。
眠っているようで瞳の色は分からない。
髪の毛は銀髪なのか、単純に毛が少ないのか。薄暗いせいで色の判断は出来なかった。濃い色でないことは確かだ。
それでもアークエイドは、それがアシェルだと断言することが出来た。
正直に言って、アシェルの抜け殻になってしまった身体よりも、テレビとやらに映っている赤ん坊の方がアシェルだと強く感じるくらいだ。
「アシェが、赤ん坊になってる……?」
左右からはアシェルだって分からないんですけど?という疑問をもった視線が飛んでくる。
根拠なんて説明できないが、それでも映っているのはアシェルなのだと思うのだ。
「殿下のおっしゃる通り。アシェル様の御幼少の頃にそっくりでございますね。産まれて直ぐといっても差支えのない大きさですが。私の知っているアシェル様がこれくらいの時は、大体生後半年といったところでしたよ。」
サーニャが助け舟を出してくれたおかげで、その場にいる全員が画面の中の赤ん坊がアシェルだと認識した。
更にそれを裏付けるように大司教も言葉を重ねる。
「お二方の言う通り、ご息女様は魂を癒すため。一度赤ん坊からやり直しています。これが一番早く、確実に癒せるそうです。信頼できる方たちに預けているので、安心していただいて良いですよ。それと時間の流れが違うので、飛び飛びになるかもしれません。それとカメラ……映像は自動で追尾するようにしてますが、角度が悪かったり、少しブレることもあるかもしれませんが、ご容赦ください。あちらで傷が癒え次第、神託が下る予定になっています。伝達が来ましたら儀式の間までお越しください。神から説明があったとおり、そこからは発熱と痛みによる苦痛を伴うでしょう。せん妄を伴う可能性もあります。魂と器が馴染めば、熱も痛みも落ち着きますので。目を覚ましたら私を呼んでください。きちんと馴染めたことを確認できれば、治療は完了となりますので。」
「何から何まで……娘の為に、ありがとうございます。」
「これが神のご意思ですから。それではお暇させていただきますね。失礼しました。」
アイザックが付き添って送り出し、大司教は帰って行った。
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