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第1部 エド・ホード
第3話 禁じられた森
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森のなかは薄暗くてひんやりとしていた。雪はたくさん残っていたが、ひねた大根のようにスカスカで、手ですくっても上手くまとまらなかった。さらに奥へと歩いていくと、濡れ落ち葉に埋もれたイタチの死骸に、大きな埋葬虫がたかっていた。
「やっぱり戻ろう」
僕は急に怖くなって立ち止まった。が、リテアは中空を指し示す石に夢中で、どんどん森の奥へと進んでいく。
「ねえ、リテア」
「早くこっち! 石がまた光りはじめてる」
「……もう」
僕は仕方なくあとを追った。ぬかるんだ地面。朽葉の香り。鳥のさえずりと不気味な羽音。……森の声が大きくなる。抑えようとすると、それは余計に大きくなった。
「エド? ねえ、大丈夫?」
「……何かが胸に集まってくるみたい」
「手を貸して」
「え?」
「いいから」
リテアは手袋をはずすと、僕の手を両手で握った。胸で渦巻いていた不快な何かが、リテアの冷たい手のひらに吸い込まれていくようだった。
「何これ? ねえ、リテアは平気なの?」
「何が?」
「……大丈夫?」
「それわたしのセリフだって」
リテアはおかしそうに笑った。
「何をしたの?」
「べつに特別なことじゃないよ。転んだときだってお母さんに抱きしめてもらうと、スーッと痛みが引いていくでしょう?」
「そんなもんかなあ」
「……あっ、ごめん」
ううん、と僕は首を振って、リテアの手をそっと離した。「気にしないで」
僕たちは並んで歩きはじめた。足を踏みだすたびにパキパキと、小枝の折れる音がする。そんなことさえ不気味に感じながら、ひたすら石の示すほうへ歩いていった。
「エド、あれ!」
リテアが急に大きな声を出した。森の少しだけひらけた場所に、大きなツリーハウスが建っていた。角材で組まれた、バンガローみたいな樹上の家。てらてらと光るこげ茶色で、宙に突き出したベランダには、ランタンがぶらさがっている。
「すごいや」
「行ってみよう!」
リテアは僕の手をつかんでひっぱった。
「……誰か住んでるかもしれないよ」
「そしたら紅茶を出してくれるかも」
リテアは僕の手を握ったまま、まっすぐにツリーハウスのほうへ歩いていった。
「わー、素敵」
「誰もいない?」
小屋の下には、木の板で組まれた螺旋階段があった。ここは僕が先頭になって、忍び足でのぼっていく。
「……ごめんください」
意を決して戸を叩いてみたが、誰も返事をしなかった。
「ねえ、エド、開いてるよ」
「うそ?」
リテアがドアノブを握って静かにひっぱる。するとあっさり開いてしまった。なかは子供部屋くらいの広さで、木の床にはペルシャ絨毯と、ふかふかの毛布が重ねて置いてあった。振り子時計に、窓台には青いバラ。壁際には見たこともない機械が二つもあった。
「なんだろう?」
リテアが二つある機械のうち、一つのほうに近づいて言った。大きなグリルを縦に置いたような見た目で、銀色の金網の奥には、二本の白い支柱のようなものがある。僕が側面についたつまみをガチャガチャと回すと、鉄の棒を熱したみたいに、二本の支柱が赤々と光った。
「すごい、エド! あったかい」
「暖炉かな? でも薪も油も使ってないのに」
「火も使ってないよ? きっと魔法の暖炉だよ!」
「こっちは?」
僕たちはもう一つの、黒い箱のような機械の前に座った。リテアが適当にボタンをいじると、シー、と箱のなかから、薬缶のお湯が沸く前のような音が聞こえてきた。
「なんだろう?」
「貸して」
僕がつまみを回してみると、またしても不思議なことが起こった。
「音楽だ!」
リテアが目をまんまるにしてこちらを見る。楽器も演奏する人もいないのに、部屋中にピアノの音が響いていた。
「……これも魔法の道具?」
「絶対にそうだよ! この石が案内してくれたんだ」
リテアは流れる音楽に合わせて小さく踊った。
「すごくいい曲だけど、なんだか眠たくなってくるよ」
「じゃあ寝る?」
「え?」
「ここはわたしたちのお家だよ? 布団も暖炉だってある」
「それはいいや」
じゃあお先に、と言って僕は毛布にもぐりこんだ。
「あー、ずるーい」
とリテアが大きな声をあげる。
「ねえ、エド、そのまま毛布で顔を覆っていてよ」
「どうして?」
「ズボンが雪で濡れてるから。毛布が汚れちゃ嫌でしょう?」
「ああ」
思わず間の抜けた声が出た。急に心臓の音が大きくなる。
「まだだからね?」
毛布越しに、衣擦れの音が聞こえてくる。リテアは笑いながら隣にもぐりこむと、
「もういいよ!」
僕に素足を絡めてきた。しっかり体を固定して、脇の下をこしょぐってくる。彼女の白いズボンは、魔法の暖炉の前に広げてあった。
「あははは、やめてよ」
「ねえ、エド、このことは二人だけの秘密だよ?」
「秘密って、この家のこと? それとも一緒の布団に入ってること?」
「りょーうーほーう!」
リテアはまた大きな声を出して、さらに勢いよくこしょぐってきた。
その日から、それが僕たちの秘密になった。
「やっぱり戻ろう」
僕は急に怖くなって立ち止まった。が、リテアは中空を指し示す石に夢中で、どんどん森の奥へと進んでいく。
「ねえ、リテア」
「早くこっち! 石がまた光りはじめてる」
「……もう」
僕は仕方なくあとを追った。ぬかるんだ地面。朽葉の香り。鳥のさえずりと不気味な羽音。……森の声が大きくなる。抑えようとすると、それは余計に大きくなった。
「エド? ねえ、大丈夫?」
「……何かが胸に集まってくるみたい」
「手を貸して」
「え?」
「いいから」
リテアは手袋をはずすと、僕の手を両手で握った。胸で渦巻いていた不快な何かが、リテアの冷たい手のひらに吸い込まれていくようだった。
「何これ? ねえ、リテアは平気なの?」
「何が?」
「……大丈夫?」
「それわたしのセリフだって」
リテアはおかしそうに笑った。
「何をしたの?」
「べつに特別なことじゃないよ。転んだときだってお母さんに抱きしめてもらうと、スーッと痛みが引いていくでしょう?」
「そんなもんかなあ」
「……あっ、ごめん」
ううん、と僕は首を振って、リテアの手をそっと離した。「気にしないで」
僕たちは並んで歩きはじめた。足を踏みだすたびにパキパキと、小枝の折れる音がする。そんなことさえ不気味に感じながら、ひたすら石の示すほうへ歩いていった。
「エド、あれ!」
リテアが急に大きな声を出した。森の少しだけひらけた場所に、大きなツリーハウスが建っていた。角材で組まれた、バンガローみたいな樹上の家。てらてらと光るこげ茶色で、宙に突き出したベランダには、ランタンがぶらさがっている。
「すごいや」
「行ってみよう!」
リテアは僕の手をつかんでひっぱった。
「……誰か住んでるかもしれないよ」
「そしたら紅茶を出してくれるかも」
リテアは僕の手を握ったまま、まっすぐにツリーハウスのほうへ歩いていった。
「わー、素敵」
「誰もいない?」
小屋の下には、木の板で組まれた螺旋階段があった。ここは僕が先頭になって、忍び足でのぼっていく。
「……ごめんください」
意を決して戸を叩いてみたが、誰も返事をしなかった。
「ねえ、エド、開いてるよ」
「うそ?」
リテアがドアノブを握って静かにひっぱる。するとあっさり開いてしまった。なかは子供部屋くらいの広さで、木の床にはペルシャ絨毯と、ふかふかの毛布が重ねて置いてあった。振り子時計に、窓台には青いバラ。壁際には見たこともない機械が二つもあった。
「なんだろう?」
リテアが二つある機械のうち、一つのほうに近づいて言った。大きなグリルを縦に置いたような見た目で、銀色の金網の奥には、二本の白い支柱のようなものがある。僕が側面についたつまみをガチャガチャと回すと、鉄の棒を熱したみたいに、二本の支柱が赤々と光った。
「すごい、エド! あったかい」
「暖炉かな? でも薪も油も使ってないのに」
「火も使ってないよ? きっと魔法の暖炉だよ!」
「こっちは?」
僕たちはもう一つの、黒い箱のような機械の前に座った。リテアが適当にボタンをいじると、シー、と箱のなかから、薬缶のお湯が沸く前のような音が聞こえてきた。
「なんだろう?」
「貸して」
僕がつまみを回してみると、またしても不思議なことが起こった。
「音楽だ!」
リテアが目をまんまるにしてこちらを見る。楽器も演奏する人もいないのに、部屋中にピアノの音が響いていた。
「……これも魔法の道具?」
「絶対にそうだよ! この石が案内してくれたんだ」
リテアは流れる音楽に合わせて小さく踊った。
「すごくいい曲だけど、なんだか眠たくなってくるよ」
「じゃあ寝る?」
「え?」
「ここはわたしたちのお家だよ? 布団も暖炉だってある」
「それはいいや」
じゃあお先に、と言って僕は毛布にもぐりこんだ。
「あー、ずるーい」
とリテアが大きな声をあげる。
「ねえ、エド、そのまま毛布で顔を覆っていてよ」
「どうして?」
「ズボンが雪で濡れてるから。毛布が汚れちゃ嫌でしょう?」
「ああ」
思わず間の抜けた声が出た。急に心臓の音が大きくなる。
「まだだからね?」
毛布越しに、衣擦れの音が聞こえてくる。リテアは笑いながら隣にもぐりこむと、
「もういいよ!」
僕に素足を絡めてきた。しっかり体を固定して、脇の下をこしょぐってくる。彼女の白いズボンは、魔法の暖炉の前に広げてあった。
「あははは、やめてよ」
「ねえ、エド、このことは二人だけの秘密だよ?」
「秘密って、この家のこと? それとも一緒の布団に入ってること?」
「りょーうーほーう!」
リテアはまた大きな声を出して、さらに勢いよくこしょぐってきた。
その日から、それが僕たちの秘密になった。
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