上 下
8 / 30
第1部 エド・ホード

第8話 月の実

しおりを挟む
 棺のふたは閉められて、リテアはあっという間に埋葬されてしまった。僕は泣きながら家に帰ると、シャワーも浴びずに布団にもぐった。
 
 森の声が聞こえていた。
 
 なんと言っているのかはわからない。ただ得体の知れない喧騒に、胸がざわざわして落ち着かなかった。体のなかに虫が入ったみたいにむずがゆくて、手足がひとりでにバタバタと動いた。僕はリテアを殺したのかもしれない。もうリテアには会えない。あの笑顔を見ることもできない……。僕は罪悪感と寂しさに押し潰されそうになった。胸が張り裂けて、魂ごと砕けてしまいそうだった。
 
 誰かに呼ばれているような気がした。僕は森へ行かなければいけない。根拠はないのに妙な確信があった。まるで悪い魔法にかけられたみたいに。僕は朝を待たずして、夜の森へ入ることに決めた。
 
 忍び足で家を抜け出し、誰もいない通りを進んでいく。ツリーハウスで寝過ごしたときを除いて、夜の森に入るのはこれがはじめてのことだった。どくだみの原っぱを踏みならして、真っ暗な森へと入っていく。とりあえずはツリーハウスを目指していたが、途中から何度も同じ場所を回っていることに気づいた。

 僕はその場に座って朝を待つことにした。どうせ目的があったわけではない。こういうときは、あわてるのが一番いけない。疲労でうとうとしかけたとき、僕はリテアの夢を見た。彼女の首飾りが光り輝き、森のある方向を示している。行ってみようよ、とリテアは言った。

 ふと気がつくと、僕はまた森にひとりだった。再び立ちあがり、何かに導かれるように歩きはじめた。もはや道に迷うことはなかった。が、自分がどこを目指しているのかもわからなかった。

 二十分ほど歩いたころだろうか、鬱蒼としげる森の奥に、ぼんやりとした黄色い光が見えた。草木をかきわけて近づいていくと、目の前に宇宙の植物のような、淡い光を放つ木が現れた。グレープフルーツに似た大きな実が、鈴なりにいくつもなっている。その一つ一つが小さな月のように、薄い光を帯びていた。
 
 思わず手を伸ばすと、風が吹きつけるような妙な耳鳴りがした。、と森の声が言った。目を凝らすと、その声は黄色い光と融け合って、やがてひとつのはっきりとした像を結んだ。なんだこれは、と心のなかで呟くと、

「……僕が見えるのかい?」

 とその像が首をかしげた。赤ちゃんよりもっと小さな人型で、体に薄い光を帯びている。耳のてっぺんは何かで引っ張られたように、つんと上にとんがっていた。

「君は誰?」と僕は尋ねた。
「まだ名前を言うわけにはいかないよ」
「声の主は君だったの?」
「そうとも言えるし違うとも言えるね。なにせ僕だけじゃないからさ」
「君は妖精なの?」
 像は光る木を振り返ると、
「この実の名前がわかるかい?」
 と指をさした。

 知らない、と首を横に振ると、

「よく見てみて」
 
 僕は言われた通りに目を凝らした。するとラジオの音が合うみたいに、森の声がクリアになって、はっきりとした音を紡ぎだした。

「……月の実?」
「やっぱり君は、特別な眼の持ち主なんだね」
 像は感心したように僕を見つめた。
「特別な眼って?」
「いいかい? 僕の真名マナはエルク・エクラン。君は幽霊図書館を探してるんだね。堕天使の召喚はおすすめできないけれど、必要なら力を貸すよ」
 エルクは月の実を一つ、手品みたいに浮かせると、僕の手に落としてくれた。

「すごい……」
「エド・ホードは月の実を手に入れた」
 エルクは冗談っぽく微笑むと、じわじわと闇に融けるみたいに、木の光ごと暗い森に消えてしまった。
しおりを挟む

処理中です...