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第1部 エド・ホード
第9話 幽霊屋敷
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朝、自分の部屋で目を覚ました。ぜんぶおかしな夢だったのか、と思ったけれど、枕元には月の実が転がっていた。ただ光は消えていて、こうして見ると本当に、ただのグレープフルーツと区別がつかない。
「エルク・エクラン」
試しに小さく呟いてみる。月の実は僕の呼びかけに応えるように、ぼやりと二回、点滅した。僕は息を呑んだ。
「エルク・エクラン」
やや大きく発音してみる。すると月の実も、少しだけ強い光を放った。僕は昨日のこともリテアの死も、実際に起きたことなのだと思い知った。不意にまぶたが重たくなる。眠りなさい、と森の声が言った。すぐに意識と夢が混ざりはじめる。歴史ある大学みたいな魔法学校、高級ホテルのような学生寮。エド、エド……
「エド」
はっとして目を覚ます。部屋は暗くなっていた。光のこぼれる部屋のドアから、エレンおばさんがこちらを見ている。
「もう夜よ。一度起きて、夕食を食べなさい」
僕は、うん、と返事をして体を起こした。枕元に月の実はなかった。
「おいしそうなグレープフルーツね」
エレンおばさんが部屋の奥を指さす。勉強机の上に、月の実が置いてあった。
「リテアのお母さんにもらったんだ」
僕はとっさに嘘をついた。エレンおばさんは、そう、と頷いた。
「今度お礼を言わないとね。どうする? 食後に切ってあげようか?」
僕は首を横に振った。
「まだ熟れてないんだ」
一階におりて食卓につく。ヒヨコ豆のシチューに、パンと白いチーズが置いてあった。身近な人が亡くなったときには、動物の肉は食べてはいけないらしい。こんなときでも、エレンおばさんは美味しいごはんを作ってくれる。
「リテアちゃんのことは悲しいけどね」
エレンおばさんは向かいに座ると、おもむろに話しはじめた。
「人は死んだからっていなくなるわけじゃないのよ。もしそうなら、どうしているなんて思ってたのかしらね」
僕には意味がわからなかった。
食事を終えるともうひと眠りして、また真夜中に起き出すと耳をすました。エレンおばさんはもう眠ったらしい。窓から外を覗くと、近所の明かりも消えていた。
僕は月の実を手に取って、「エルク・エクラン」と呟いてみた。月の実がぼやりと黄色い光を帯びる。小さな麻の袋に入れると、光がすけてランタンのようになった。
忍び足で急な階段をおりて、昨日と同じように家を抜け出す。月の実はピラミッドのような三角の光を結んで、その頂点で僕の行く手を指し示した。
どくだみの茂みを抜けて森に入る。ツリーハウスへ行くときとは、まるで違う方向へ進んでいった。細い川を跳び越えて、ツタを握って小高い崖をよじのぼる。そこからさらに歩いていくと、やがてモミの木に囲まれた古い屋敷に行きあたった。
荒れ果てた庭の大きな屋敷。雑草の生い茂る花壇の周りには、錆びついた白い椅子が並んでいる。さらに奥へ進むと、涸れはてた噴水のなかに、天使の像が立っていた。が、こちらも錆にまみれていて、まるで堕天使のように邪悪に見えた。
建物はさらにひどかった。大きなガラス窓はもれなく砕け散り、天井もはがれ落ちて骨組みがむき出しになっていた。赤い絨毯はがれきや砂に埋もれ、歩くたびに小さな土煙が立つほどだった。不気味には違いなかったが、幽霊がいる気配はしない。ここは幽霊屋敷ではないのだろうか……?
――ゴーストたちは、みんな隠れるのが上手いからね。
月の実を明滅させながら、頭のなかでエルクの声が言った。
「ゴーストたちは隠れてるの?」
――たぶんね。でもなかには下手なやつもいるはずだから、
「……から?」
僕の言う通りにしてみて、とエルクは言った。太陽のことを考えて。月のことを考えて。それらの親と子のことを思って。……どう? 思い浮かんだ言葉を叫んでみて。
「シャルヘレム!」
と僕は叫んだ。その瞬間、銀色の光が一閃、屋敷のなかを照らし出した。大量の風船の空気が一度に抜けたみたいに、丸い影が一斉に飛び交って、階段の上の絵のなかに吸い込まれていく。
ゴーストだ、とエルクが言った。ねえ、あそこ!
「どこ?」
とあたりを見回す。黒い風船のような影が一匹だけ、丸い鏡にゴツゴツと頭をぶつけていた。もう一度あの言葉を、とエルクが言う。
「シャルヘレム!」
銀色の光が、一匹のゴーストを照らし出す。そいつは振り返ると、短い手で眩しそうに顔を覆いながら、猛スピードでこちらに突っ込んできた。力を借りるよ、許可をちょうだい、とエルクが言う。僕が頷くと、
――妖精王の鎧!
エルクは瞬時にそう叫んだ。薄い銀色の幕がバリアみたいに周囲におりて、ゴーストはまるで虫のように、その見えない壁に頭をぶつけた。が、ぶち破るつもりなのか、こりない様子で何度も繰り返し突進してくる。
――さあ、今のうちに、やつの真名を見破って!
「マナって?」
――やつの本当の名前だよ。間抜けそうだから、そんなに急ぐこともないけど……。
僕は言われた通り、集中して相手を見た。両目がお湯につかったように、じんわりと温かくなっていく。森の声がざわざわと騒がしくなって、やがてラジオの音があったみたいに、ある言葉がはっきりと聞こえた。
「テリー・テレリス!」
ああ、とうめきながらゴーストは青く燃えて、次の瞬間、僕の目の前に現れた。
「テリー・テレリス。正解だ……。君があの眼の持ち主だったとはね」
「エルク・エクラン」
試しに小さく呟いてみる。月の実は僕の呼びかけに応えるように、ぼやりと二回、点滅した。僕は息を呑んだ。
「エルク・エクラン」
やや大きく発音してみる。すると月の実も、少しだけ強い光を放った。僕は昨日のこともリテアの死も、実際に起きたことなのだと思い知った。不意にまぶたが重たくなる。眠りなさい、と森の声が言った。すぐに意識と夢が混ざりはじめる。歴史ある大学みたいな魔法学校、高級ホテルのような学生寮。エド、エド……
「エド」
はっとして目を覚ます。部屋は暗くなっていた。光のこぼれる部屋のドアから、エレンおばさんがこちらを見ている。
「もう夜よ。一度起きて、夕食を食べなさい」
僕は、うん、と返事をして体を起こした。枕元に月の実はなかった。
「おいしそうなグレープフルーツね」
エレンおばさんが部屋の奥を指さす。勉強机の上に、月の実が置いてあった。
「リテアのお母さんにもらったんだ」
僕はとっさに嘘をついた。エレンおばさんは、そう、と頷いた。
「今度お礼を言わないとね。どうする? 食後に切ってあげようか?」
僕は首を横に振った。
「まだ熟れてないんだ」
一階におりて食卓につく。ヒヨコ豆のシチューに、パンと白いチーズが置いてあった。身近な人が亡くなったときには、動物の肉は食べてはいけないらしい。こんなときでも、エレンおばさんは美味しいごはんを作ってくれる。
「リテアちゃんのことは悲しいけどね」
エレンおばさんは向かいに座ると、おもむろに話しはじめた。
「人は死んだからっていなくなるわけじゃないのよ。もしそうなら、どうしているなんて思ってたのかしらね」
僕には意味がわからなかった。
食事を終えるともうひと眠りして、また真夜中に起き出すと耳をすました。エレンおばさんはもう眠ったらしい。窓から外を覗くと、近所の明かりも消えていた。
僕は月の実を手に取って、「エルク・エクラン」と呟いてみた。月の実がぼやりと黄色い光を帯びる。小さな麻の袋に入れると、光がすけてランタンのようになった。
忍び足で急な階段をおりて、昨日と同じように家を抜け出す。月の実はピラミッドのような三角の光を結んで、その頂点で僕の行く手を指し示した。
どくだみの茂みを抜けて森に入る。ツリーハウスへ行くときとは、まるで違う方向へ進んでいった。細い川を跳び越えて、ツタを握って小高い崖をよじのぼる。そこからさらに歩いていくと、やがてモミの木に囲まれた古い屋敷に行きあたった。
荒れ果てた庭の大きな屋敷。雑草の生い茂る花壇の周りには、錆びついた白い椅子が並んでいる。さらに奥へ進むと、涸れはてた噴水のなかに、天使の像が立っていた。が、こちらも錆にまみれていて、まるで堕天使のように邪悪に見えた。
建物はさらにひどかった。大きなガラス窓はもれなく砕け散り、天井もはがれ落ちて骨組みがむき出しになっていた。赤い絨毯はがれきや砂に埋もれ、歩くたびに小さな土煙が立つほどだった。不気味には違いなかったが、幽霊がいる気配はしない。ここは幽霊屋敷ではないのだろうか……?
――ゴーストたちは、みんな隠れるのが上手いからね。
月の実を明滅させながら、頭のなかでエルクの声が言った。
「ゴーストたちは隠れてるの?」
――たぶんね。でもなかには下手なやつもいるはずだから、
「……から?」
僕の言う通りにしてみて、とエルクは言った。太陽のことを考えて。月のことを考えて。それらの親と子のことを思って。……どう? 思い浮かんだ言葉を叫んでみて。
「シャルヘレム!」
と僕は叫んだ。その瞬間、銀色の光が一閃、屋敷のなかを照らし出した。大量の風船の空気が一度に抜けたみたいに、丸い影が一斉に飛び交って、階段の上の絵のなかに吸い込まれていく。
ゴーストだ、とエルクが言った。ねえ、あそこ!
「どこ?」
とあたりを見回す。黒い風船のような影が一匹だけ、丸い鏡にゴツゴツと頭をぶつけていた。もう一度あの言葉を、とエルクが言う。
「シャルヘレム!」
銀色の光が、一匹のゴーストを照らし出す。そいつは振り返ると、短い手で眩しそうに顔を覆いながら、猛スピードでこちらに突っ込んできた。力を借りるよ、許可をちょうだい、とエルクが言う。僕が頷くと、
――妖精王の鎧!
エルクは瞬時にそう叫んだ。薄い銀色の幕がバリアみたいに周囲におりて、ゴーストはまるで虫のように、その見えない壁に頭をぶつけた。が、ぶち破るつもりなのか、こりない様子で何度も繰り返し突進してくる。
――さあ、今のうちに、やつの真名を見破って!
「マナって?」
――やつの本当の名前だよ。間抜けそうだから、そんなに急ぐこともないけど……。
僕は言われた通り、集中して相手を見た。両目がお湯につかったように、じんわりと温かくなっていく。森の声がざわざわと騒がしくなって、やがてラジオの音があったみたいに、ある言葉がはっきりと聞こえた。
「テリー・テレリス!」
ああ、とうめきながらゴーストは青く燃えて、次の瞬間、僕の目の前に現れた。
「テリー・テレリス。正解だ……。君があの眼の持ち主だったとはね」
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