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第1部 エド・ホード
第11話 堕天使の召喚
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幽霊図書館から持ち帰った『堕天使の召喚』には、一柱の堕天使を召喚するための手順が、百近くも書かれてあった。召喚者の身だしなみや条件の項目にはじまり、儀式の前に済ませておく禊についてや、召喚に必要な供物の一覧、場所や暦や魔法円の書き方など、五百ページにもわたってびっしり書かれてあった。
読むだけでも大変だったけれど、僕はもう一度リテアと話せるならと、寝る間をおしんで四日間で読破した。体を清潔に保つことや、儀式に適した場所を探すこと、魔法円の書き方などは、それほど難しそうではなかった。いちばん苦労したのは、召喚に必要な供物を見つけることだった。純白のカエルに、甲羅の二つあるカメ、左右の目の色の違うネコに、角が四本ある羊の頭……。エルクとテリーの力を借りても、すべて見つけるのに一年近くかかってしまった。
すべての準備が整うと、僕は髪を短く切って、風呂に入って体の毛をそり、満月の浮かぶ小高い丘にやってきた。月の実をナイフで切って、きらきらと光る果汁を、森の泉で汲んできた水に搾り入れる。砂の地面に、その水で大小二つの魔法円を書き、自転車の車輪のように三角形で繋ぐ。最後に大きい魔法円に供物を置いたら、自分は小さいほうに立って本を開いた。
「天使が現れたら、僕らはもう手出しができないから」
エルクは真剣な顔で言った。
「天使は僕たち精霊より、何百倍も強力な権限を持っているから。いいかい? 絶対に小さな魔法円から出てはいけないよ。奴らはたしかに精霊より、自在に自然の法則を曲げられるけれど、自分の身体を持っていないのは同じなんだ」
「つまり?」
と首をかしげると、
「君の身体を奪おうとするってことさ」
テリーが不安げな顔で言った。「ねえ、エド、本当にやる気?」
「そのために準備してきたんじゃないか」
「やめるなら今だよ」
エルクまでもがそんなことを言う。
「はじめるよ」
僕は本に目を落とした。
エルクとテリーが闇に消え入る。
「私は歩む。主は泳ぐ。月が林檎と落ちてくる」
僕は意味のわからない呪文を、間違えないように読みあげていった。
「鏡は悪事を見逃さない。主を呼ぶのは誰だろう。そう訊く私は誰だろう」
魔法円が光を放ち、陽炎のように地上を波打つ。金星の明かりが、大きな魔法円に降り注ぎ、やがて完全に堕ちてきた。爆音がとどろき、あたりに砂煙が立ち込める。
「来たれ、デーモン」
最後にそう唱えて膝をついた。
砂煙に赤紫の光が映える。視界がはれると、一柱の堕天使が現れた。
――様子が変だ。
エルクの言いたいことは僕にもわかった。『堕天使の召喚』の挿絵には、牛のような顔をした、三対の翼を持つ堕天使の姿が描かれてあった。が、目の前に現れたその魔物は、赤い顔で角をはやしてはいるものの、それ以外はあまりに人間らしかった。
「久方ぶりの召喚だ。具象化の悦には慣れかけたものの、やはり大手を振って出られるのはいい。感謝するぞ、我が小さき召喚士よ。さあ、さっそく望みを聞こう」
赤い顔の魔物は流れるような口調で言った。
「あなたは四大天使の一柱ですか?」
「それが望みか?」
僕はあわてて首を横に振った。
「私が誰であろうと構わんだろう。そもそも魔物やら天使やらといったものは、お前ら人間どもの定めた分類に過ぎん」
「僕の望みは、リテアとまた話すことです」
「いかに天使といえども、死者を地上に蘇らせることはできない。お前はそれを理解したうえで、そいつとまた話したいと言っているんだな?」
そうです、と僕は頷いた。
「なら聞き入れよう。ではこちらに少しだけ、顔を近づけてくれるかな?」
言われるがまま、匂いを嗅ぐように鼻先を寄せると、
――ダメだエド!
頭のなかでエルクが叫んだ。僕はとっさに顔をひっこめた。もうすぐで小さな魔法円から、鼻を出すところだった。
「……ほう、奇特なガキだ、精霊の声が聞こえるのか」
赤い顔の魔物はそう言うと、おもむろに手のひらを上に向けた。
「これがなんだかわかるか?」
長い爪の赤い手から、何かがじわじわと浮かび出てくる。
柳の葉の形をした首飾り。緑の石のネックレス。
「それは……」
僕は言葉を失った。
「お前のおかげで手に入った。あの夜は世話になったな」
「……返せ」
僕は思わず手を伸ばした。
――やめろエド!
エルクの声にはっとする。が、遅かった。リテアの首飾りは、魔物の手のなかで形を変え、大きな槍の姿になった。鈍く光る一本槍。魔物の手から離れると、ものすごい速さで飛び込んできた。僕はとっさに手を引っ込めたが、指先が魔法円の内側に入る前に、槍に体もろとも押し出されてしまった。
「妖精王の鎧!」
僕はエルクの能力を使って、光のバリアを展開した。が、とても槍の勢いは殺せそうにない。魔法円から完全に引きずり出され、崖際へじりじりと追いつめられる。
――エド、もう限界だ。
エルクがそう呟いた刹那、光のバリアはガラスのように砕け散ってしまった。
「神の創りたもうた霊槍だぞ? 精霊ごときに止められるはずがない。さあ、グングニルの槍に続いて、その眼もこちらにいただこうか!」
槍が僕の胸に突き刺さる。途端に青白い火が噴きあげて、魂の割れる痛みがした。リテアを殺した。母親を殺した。父親はお前を憎んでいた。邪悪な声が頭を飛び交う。消えろ、消えろ、と念じるほど、青白い火は大きく燃えた。
――眼を使え。
消え入りそうな意識のなかで、森の声が聞こえた気がした。が、僕はすでに動けなかった。焼け切れそうなまぶたを開いて、誰かが僕の代わりに叫んだ。
「図に乗るなルキエル!」
その一瞬、槍はくるりとひるがえり、魔物のほうへ飛んでいった。魔物はすんでのところで避けようとしたが、それでも槍は、彼の脇腹に突き刺さった。
「馬鹿な……天使を規定しただと?」
赤紫の煙幕が、たちどころに丘を取り巻いていく。
「いたぞ! こっちだ!」
僕は駆けつけた誰かに担ぎあげられ、何かの乗り物にのせられた。
「……憶えていろ」
魔物が煙に呑まれていく。
僕の意識は急激に細くなっていった。
読むだけでも大変だったけれど、僕はもう一度リテアと話せるならと、寝る間をおしんで四日間で読破した。体を清潔に保つことや、儀式に適した場所を探すこと、魔法円の書き方などは、それほど難しそうではなかった。いちばん苦労したのは、召喚に必要な供物を見つけることだった。純白のカエルに、甲羅の二つあるカメ、左右の目の色の違うネコに、角が四本ある羊の頭……。エルクとテリーの力を借りても、すべて見つけるのに一年近くかかってしまった。
すべての準備が整うと、僕は髪を短く切って、風呂に入って体の毛をそり、満月の浮かぶ小高い丘にやってきた。月の実をナイフで切って、きらきらと光る果汁を、森の泉で汲んできた水に搾り入れる。砂の地面に、その水で大小二つの魔法円を書き、自転車の車輪のように三角形で繋ぐ。最後に大きい魔法円に供物を置いたら、自分は小さいほうに立って本を開いた。
「天使が現れたら、僕らはもう手出しができないから」
エルクは真剣な顔で言った。
「天使は僕たち精霊より、何百倍も強力な権限を持っているから。いいかい? 絶対に小さな魔法円から出てはいけないよ。奴らはたしかに精霊より、自在に自然の法則を曲げられるけれど、自分の身体を持っていないのは同じなんだ」
「つまり?」
と首をかしげると、
「君の身体を奪おうとするってことさ」
テリーが不安げな顔で言った。「ねえ、エド、本当にやる気?」
「そのために準備してきたんじゃないか」
「やめるなら今だよ」
エルクまでもがそんなことを言う。
「はじめるよ」
僕は本に目を落とした。
エルクとテリーが闇に消え入る。
「私は歩む。主は泳ぐ。月が林檎と落ちてくる」
僕は意味のわからない呪文を、間違えないように読みあげていった。
「鏡は悪事を見逃さない。主を呼ぶのは誰だろう。そう訊く私は誰だろう」
魔法円が光を放ち、陽炎のように地上を波打つ。金星の明かりが、大きな魔法円に降り注ぎ、やがて完全に堕ちてきた。爆音がとどろき、あたりに砂煙が立ち込める。
「来たれ、デーモン」
最後にそう唱えて膝をついた。
砂煙に赤紫の光が映える。視界がはれると、一柱の堕天使が現れた。
――様子が変だ。
エルクの言いたいことは僕にもわかった。『堕天使の召喚』の挿絵には、牛のような顔をした、三対の翼を持つ堕天使の姿が描かれてあった。が、目の前に現れたその魔物は、赤い顔で角をはやしてはいるものの、それ以外はあまりに人間らしかった。
「久方ぶりの召喚だ。具象化の悦には慣れかけたものの、やはり大手を振って出られるのはいい。感謝するぞ、我が小さき召喚士よ。さあ、さっそく望みを聞こう」
赤い顔の魔物は流れるような口調で言った。
「あなたは四大天使の一柱ですか?」
「それが望みか?」
僕はあわてて首を横に振った。
「私が誰であろうと構わんだろう。そもそも魔物やら天使やらといったものは、お前ら人間どもの定めた分類に過ぎん」
「僕の望みは、リテアとまた話すことです」
「いかに天使といえども、死者を地上に蘇らせることはできない。お前はそれを理解したうえで、そいつとまた話したいと言っているんだな?」
そうです、と僕は頷いた。
「なら聞き入れよう。ではこちらに少しだけ、顔を近づけてくれるかな?」
言われるがまま、匂いを嗅ぐように鼻先を寄せると、
――ダメだエド!
頭のなかでエルクが叫んだ。僕はとっさに顔をひっこめた。もうすぐで小さな魔法円から、鼻を出すところだった。
「……ほう、奇特なガキだ、精霊の声が聞こえるのか」
赤い顔の魔物はそう言うと、おもむろに手のひらを上に向けた。
「これがなんだかわかるか?」
長い爪の赤い手から、何かがじわじわと浮かび出てくる。
柳の葉の形をした首飾り。緑の石のネックレス。
「それは……」
僕は言葉を失った。
「お前のおかげで手に入った。あの夜は世話になったな」
「……返せ」
僕は思わず手を伸ばした。
――やめろエド!
エルクの声にはっとする。が、遅かった。リテアの首飾りは、魔物の手のなかで形を変え、大きな槍の姿になった。鈍く光る一本槍。魔物の手から離れると、ものすごい速さで飛び込んできた。僕はとっさに手を引っ込めたが、指先が魔法円の内側に入る前に、槍に体もろとも押し出されてしまった。
「妖精王の鎧!」
僕はエルクの能力を使って、光のバリアを展開した。が、とても槍の勢いは殺せそうにない。魔法円から完全に引きずり出され、崖際へじりじりと追いつめられる。
――エド、もう限界だ。
エルクがそう呟いた刹那、光のバリアはガラスのように砕け散ってしまった。
「神の創りたもうた霊槍だぞ? 精霊ごときに止められるはずがない。さあ、グングニルの槍に続いて、その眼もこちらにいただこうか!」
槍が僕の胸に突き刺さる。途端に青白い火が噴きあげて、魂の割れる痛みがした。リテアを殺した。母親を殺した。父親はお前を憎んでいた。邪悪な声が頭を飛び交う。消えろ、消えろ、と念じるほど、青白い火は大きく燃えた。
――眼を使え。
消え入りそうな意識のなかで、森の声が聞こえた気がした。が、僕はすでに動けなかった。焼け切れそうなまぶたを開いて、誰かが僕の代わりに叫んだ。
「図に乗るなルキエル!」
その一瞬、槍はくるりとひるがえり、魔物のほうへ飛んでいった。魔物はすんでのところで避けようとしたが、それでも槍は、彼の脇腹に突き刺さった。
「馬鹿な……天使を規定しただと?」
赤紫の煙幕が、たちどころに丘を取り巻いていく。
「いたぞ! こっちだ!」
僕は駆けつけた誰かに担ぎあげられ、何かの乗り物にのせられた。
「……憶えていろ」
魔物が煙に呑まれていく。
僕の意識は急激に細くなっていった。
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