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ねえ?
犬は好き?
俺は少しだけ苦手なんだ。
3歳の時。
俺は俺より大きな犬に襲われた。
らしい。
らしい、なのは襲われたのは覚えているけど、それがいくつの時か、なんて覚えていないからなんだ。
その日俺は来春から通う予定の幼稚園の体験入園に参加していた。
教室で折り紙したり、園庭で他の子と鬼ごっこをしたり…
正直俺は他人とつるむのが得意ではなかったので、黙々と園庭の隅にある砂場でお山を作っては壊していた。
ところで。
園庭ではもちろん保護者が俺達を暖かく見守っていたんだけど、一人、大型犬を連れている保護者がいた。
参加受付時に先生達は断ったんだけど、「子供の情操教育に役に立つ。うちの犬は大丈夫」と頑として受け入れずリードを絶対離さないという約束で連れていいと許可を得たらしい。
が。
そこんちの子供が悪ガキで、母親に園庭の花壇から掘り起こしたミミズをほおり投げた。
驚いた母親は悲鳴を上げ、リードを手放し、あろう事かその従順なワンコの尻尾だか脚だかをその場にそぐわないハイヒールの踵で踏んだから、大変。
ワンコは痛みで逃げ出し、砂場で山を壊していた俺に突進してきた。
騒ぐ周囲の声にビビった俺は顔を上げて突進してくるワンコに気づいたけど、身体は固まって動かない。
逃げている先にいる俺が邪魔だとばかりに歯をたてようとするワンコ。
ますます固まる俺。
絶体絶命のピンチ!って所に、俺を庇って覆い被さる小さな影。
その時なんだかふんわりと優しいいい匂いがしたけど…
それは全て次の瞬間に起こった事でかき消された。
ビュ!
俺の頬に生暖かい赤い液体が飛び散る。
体験入園に来ていた男の子が俺を庇って肩口を噛まれたんだ。
ちらりと見えた名札に書いてあった名前は「い××」
3歳児にひらがな読めないけど「い」だけは上の兄さんの名前に使われているから読めたわけで。
痛みで歪むその子の顔はでも俺が無事だと分かるとほっとした顔をしていた。
「よかっ…た…おれの…」
な、何?
その「い」君は俺に何か言いかけて気を失ってしまった。
男の子が俺を庇って怪我をしたことが急に怖くなり、
「う、う、うわ~ん」
俺は大声で泣き出し、駆け寄って来た大人達に世話をされるべく抱き上げられた。
俺を守ってくれたヒーローももちろん大人に連れていかれて…
なんだか彼のいい匂いが離れていくのが無性に寂しかった。
俺は高校生になった今でも助けてくれた「い」君の事は忘れる事は出来ない。
彼は今でも俺のヒーローだ。
ちなみに、その犬を連れてきた親子は翌年の入園式にはいなかった。
あの時泣きながら「ワンコは怖かったけど悪くないから~」と訴えた俺に免じてワンコは処分はされなかったみたいだけど。
「い」君もいなかった。
俺が親なら確かに子どもに怖い思いさせた幼稚園になんて通わせないよな。
☆☆☆
「今日の悪の組織の出没場所予測は次の通りです。内容は①…」
朝の情報番組のひとコーナー。
「今日の犬」ならぬ「今日の悪の組織」は可愛い顔したおっぱいのでかい女のアナウンサーが笑顔で紹介する人気コーナーの一つらしい。
「では皆様、悪の組織に嫌がらせされないよう気をつけて1日お過ごしください」
ぺこりとアナウンサーが頭を下げるとCMに切り替わった。
俺はそのタイミングでテレビを消す。
あと五分早く始めてくれないかなあ。
いつも遅刻ギリギリだよ。
「田中、①、⑤、⑦、実行。それ以外は却下。プラン184を」
少し残っていた紅茶を飲み干すと俺はさっきテレビで言っていた悪の組織の今日の予測のうち三つだけ選び田中に言った。
「かしこまりました。三葉様」
田中は俺の隣で深々と頭を下げると付けていたインカムで黒達に俺の指示を伝達し始めた。
「学校行ってくる」
「行ってらっしゃいませ。三葉様」
なんとなく身体がだるい気がするけれど、そんな事では学校は休めない。
ソファにほおり投げていたカバンを手に取り立ち上がった俺にまた田中は深々と頭を下げた。
田中は俺が小さい頃から仕えてくれている執事で、小さい頃からおじいさんで今もおじいさんだ。
年齢不詳過ぎる。
俺が玄関のポーチに出ると横付けされた黒塗りの車の後部座席のドアが開く。
乗り込むとドアは静かに閉まり車はゆっくり動き出す。
運転手の佐藤も俺が小さい頃からおじいさんで今もおじいさん。
俺はスマホを取り出しテレビアプリを立ち上げた。
さっき消した番組の次のコーナー「昨日のヒーロー」を見るために。
俺は高橋三葉(みつば)
野菜みたいな、女の子みたいな名前だけど、一応人間の男だ。
都立高校に通う一年生で、日本の「悪の組織」の総取り締まりである高橋家の三男。
ん?
「悪の組織」知らない?
さっき「今日の悪の組織」見たよね?
日本には…いや、世界には「悪の組織」という組織がある。
犯罪者組織じゃ無いよ。
あくまでも「悪の組織」
自動販売機の横のゴミ箱のゴミをぶちまけたり、先着100名しかもらえない新しくオープンしたお店のノベルティグッズを100人「黒」達を並ばせて一般人の手に渡らないようにしたり…
「黒」達は「悪の組織」の工作員のことね。
ほら、テレビのヒーロー物にも出てくるでしょ?
「キェー!」とか言う前衛部隊みたいなの。
まあそんな地味な嫌がらせをする組織だ。
なんでそんなことするのかって?
世界征服を企んでヒーローの活躍を阻止するんだ。
地味な嫌がらせをされたくなかったら、「悪の組織に跪け」ってね。
うちは日本地区の総取り締まりで、西日本を父さんが、東日本を兄さん達が管理してるんだけど、東日本を管理している兄さん達が大学の交換留学プログラムで現在オーストラリアにいるから、代わりに俺が毎朝指示を出している。
ちなみに、父さんは正体を隠すためのフロント企業も経営していて、割と金持ち。だから俺にもお付きの執事もお抱え運転手もいるようなお坊ちゃんなわけだ。
というか、悪の組織なんて辞めて会社経営一本で行った方が合理的な気もするけど、これは先祖代々の家業らしいから辞めるわけにはいかないらしい。
数年前から父さんの会社が朝の情報番組のスポンサーになり、「今日の悪の組織」のコーナーを作らせた。
近年の嫌がらせが地味すぎて誰がやっているかわからなくて「悪の組織」を誰も怖がらなくなったからだ。
なので、「今日の悪の組織」で今日の嫌がらせの予告をする。
全部テレビの言いなりになってもつまらないから、俺がそのうちの何個かを選んで実行して、他のプランを混ぜて…
で、番組内では「昨日のヒーロー」のコーナーで答え合わせをする。
ちなみに「昨日のヒーロー」コーナーは父さんの会社でスポンサードしているわけじゃない。
いつの間にか番組で勝手にコーナーを作ってたって父さんが言ってた。
こちらとしてはどれが「悪の組織」の嫌がらせだったか皆にわかってもらえるのはいいけど、ヒーローにやられているシーンが放送されるのでなんとなく「悪の組織」の面目が潰れるので父さんも兄さん達も苦々しく思っているみたいだけど。
さらに「昨日のヒーロー」コーナーの方が人気があるらしい。
「悪の組織」がなければヒーローの活躍もないだろうに。
解せん。
俺もこのコーナーは義務的に見ている。
気づかれなかった嫌がらせもあるから次はもう少し分かりやすくするか…とかチェックしなきゃいけないからだ。
実は今のヒーローは同じクラスの九条陸斗。
「悪の組織」は世襲制なんだけど、ヒーローは実力主義で、前任者からヒーローベルトを譲り受けることでヒーローになれる。
3年任期なんだ。
九条は、高校に入るときに前任者からベルトを渡された、ある意味成り立てのヒーロー。
彼は爽やかで、明るくて、優しくて、強くて、男前で…少し癖のある長めの栗色の髪の毛、薄い唇に、涼しげな目元は綺麗な二重。
見た目も性格も完璧なヒーロー。
そして、バース性はみんなに慕われるアルファ。
ヒーローがアルファじゃ無いとだめという決まりは無いけれど、歴代のヒーローはアルファが多い。
一方「悪の組織」もアルファが多い。父さんも兄さん達もアルファだ。
だから俺はできるだけ目立たないように、重苦しい黒髪で顔を隠し、黒縁のめがねを掛けて、地味に教室の端っこで過ごす。
だって俺のバース性はオメガ。
この見た目から皆にはベータだと思われているようだけど、俺はオメガだ。
発情期はまだ来ていないけれど。
父さんにも兄さん達にもできるだけ目立つなと言われている。
そうだよね、悪の組織の親玉が孕む性のオメガなんて恥ずかしいよね…
まあ今は兄さん達の代理だし、お正月明けには兄さん達も帰ってきて俺の役目も終わるから、それまでできるだけ目立たないようにしていれば。
ちなみにアルファだろうとオメガだろうと特に差別はないよ。
一昔前はオメガはアルファのペットだと言わんばかりの仕打ちが横行していたようだけど、近年そういうのは綺麗に消えている。
むしろオメガのアルファ出産率の高さなんかでめちゃくちゃ大事にされている感もある。
それに大抵のオメガは本当に可愛くて可憐で華奢で「守ってあげたい」オーラを出してるからさ。
案外世界はオメガの気持ち一つで言いなりなところもある。
まあ、そんななか俺は本当に地味なオメガだけどさ。
「昨日のヒーロー」コーナーが終わったところで、車は学校から少し離れた公園の横に止まった。
学校の前まで黒塗りの車で送って貰うと目立つのでいつもここで下ろして貰う。
『今日もヒーローはどんな活躍を見せてくれるんでしょうか?楽しみですね。さて次のニュースは千葉県の地層から珍しい恐竜の化石が発見されたニュースです…』
ぶるんと揺れるアナウンサーのおっぱいをぶちっと切って僕は胸元のポケットに入れていた眼鏡をかけると、車から降りた。
「いってらっしゃいませ。三葉様」
「ありがとう、佐藤」
また放課後ここに迎えに来てくれるんだ。
あ、眼鏡はだて眼鏡だよ?
暗躍するのに眼鏡は邪魔だから、視力はいいんだ。
あくまでも目立たなくする変装用。
教室にはあらかたの生徒が集まっていた。
当たり前、ホームルームが始まる3分程前だ。
ここでいないとほぼ遅刻だろう。
俺は後ろのドアから入ると、窓際一番後ろの席に座った。
そっと気づかれないように座ったつもりだったのに。
「おはよう、高橋君」
前の席の九条がくるりと振り向くと、クラス中の、いや、学校中の、いや、日本中の女子がときめくのでは無いかと思えるきらきらまぶしい朝日のような笑顔で俺に挨拶をした。
「おはよう、九条君」
俺はというと、これ以上無いんじゃないかと思えるほど冷たい声で返事をする。
「高橋君今日もいい匂いだね。シャンプー変えた?」
そんなこと気にする様子も無くニコニコと会話を続けてくる。
「…変えてないけど」
「そっか。ならいいけど」
さっき見た「昨日のヒーロー」を思い出す。
昨日お前がなおしていたファミレスの飲み放題のドリンクサーバーのボタンを押すと違う味の飲み物が出てくる嫌がらせ、あれ、結構考えたのに、あっさり解決しやがって。
それにさ、なんで、週に二回は俺に「シャンプー変えた?」ってきいてくる?
変えてもいないし、そんなわかるような匂いはしないと思うんだけどさ。
「あのさあ…」
「みんな、おはよう!」
九条が何か言いかけたところに担任がまたこれが爽やかな大きな声で教室に入ってきた。
「はい、号令。みんな前向けよ~」
ちっ。
気のせいか九条の口元から舌打ちが聞こえて、渋々という感じで前を向いた。
小さく「もう少し早く来ればいいのに」という呟きを残して。
今日も1日何事もなく過ぎた。
相変わらず身体はだるいけど。
さらに熱っぽくもなってきたけど。
帰ったら田中に風邪薬を貰おう。
休み時間の度に、九条は俺に話かけようとするけれど、そこはヒーローだから、他のクラスメイトも九条と話したくて、話かけてくるから結果俺とは話せない。
昼休みもそうだ。
なんだか九条がくるりと俺の方を向いた途端クラスメイトがわらわらと集まり一緒に弁当を食べ始める。
俺はそんなヒーローの邪魔にならないように中庭に移動して弁当を食べるんだ。
実はこれ昨日、今日の話ではなく毎日の恒例で、帰りは先生の挨拶が終わる瞬間俺は立ち上がりとっとと教室から出るから、九条が俺に話かけられるのは本当に朝のあの時間のみ、なんだな。
それに九条は悪の組織が出没したらヒーローサイレンが鳴って呼び出されるんだ。
もちろん公休扱いになるけど、黒達の嫌がらせが地味に細かかったりする時は本当に疲れた顔して戻ってくる事もある。
そのまま放課後まで戻れないことも。
こちらは工作員が多数いるけどヒーローは地区に一人だからなあ。
大変だ。
ヒーローサイレンが鳴ると九条は立ち上がり俺の方をちらりと見てから出動する。
他の皆は頑張って~なんて声援を送るが俺は気が向いた時だけ無表情で軽く頭を下げる程度。
それでも九条は嬉しそうな表情でたまに小さくガッツポーズなんてして出ていくんだ。
九条は俺が悪の組織の関東地区の親玉代理だなんて知らないけど、俺は九条がヒーローだって知ってるから必要以上に馴れ合う気はない。
それになんだかんだ言って俺にとってのヒーローは「い」君だしな。
☆☆☆
帰宅するとちょうど兄さん達からの定時連絡のズウム接続の依頼が来ていた。
オーストラリアとの時差は二時間。
俺の帰宅時間は兄さん達の夕食後の自由時間らしい。
俺の自慢の兄さん達は双子なんだ。
一路(いちろ)兄さんと次巳(つぐみ)兄さん。四つ違いの兄さん達も俺と同じ高校に通っていて、この都内でも1,2を争う偏差値の高さで有名な都立高校100年の歴史で一番の秀才だと言われていた。
(おかげで、入学したときは「あの、高橋兄弟の弟!」と先生には期待の目で見られたけど、俺はいたって普通だから、学年で10番以内を狙うくらいしか頑張らない。一番はもちろん九条だ)
大学も易々とこの国一番偏差値が高い都内の国立大学に進学して、さっきも言ったけど現在は所属するゼミの交換留学生プログラムに参加している。
期間は三ヶ月で、今年中には帰ってくる。
「今日の報告をミツ」
一路兄さんに促されて話始める。
今日の黒達への指示内容と、昨日の結果と。
「もう少しヒーローに対しても嫌がらせみたいな内容でもいいかもね」
「わかりました」
了承するけど、九条のちょっと疲れた表情を思い出して、手加減してあげてもいいかな、っとは思う。
「ミツ、手加減は無しで」
「……クラスメイトだからといって甘くなるんじゃ無い」
一路兄さんの銀縁の眼鏡がキラリと光る。
俺の黒縁眼鏡と違って兄さんの眼鏡は知的さが溢れまくる眼鏡なんだ。
「はい」
今期のヒーローが俺の同級生なのはもちろん兄さん達は知っていてことある毎に釘を刺す。
まあ、悪役に手かげんされるようじゃヒーローもおしまいか。三年任期だから、あいつの高校生活全部ヒーローで終わってしまうと言う事だけど。
大学にはヒーロー推薦もあるから今後安泰と言えば安泰だな。
「じゃあ、また、明日。ミツ」
「はい。おやすみなさい」
そう言って通信を切ろうとしたところ、次巳兄さんが言った。
「そうだ、一つ言っておくことが」
「何?」
「各国の組織支部から情報が来ている。まだ、不確定情報なんだが、ヒーローと共闘しなければいけない事態になるかもしれない」
「え?」
「あちこちでカイブツが復活している」
「カイブツ?」
「そう、悪役でも、ヒーローでも無い。気をつけるように」
カイブツ?
聞き返そうとしたら、通信は切れた。
仕方ない、自分で調べるか。
『カイブツ。
未知の生物。
理性を持たず、本能で生きる。
人々を無差別に襲う悪い奴』
ネットで調べてもこれくらいしか出てこない情報。
きっとどこかで情報操作が行われてるんだと思う。
いっそ学校で九条にきこうかと思ったけれどそういうわけにはいかないしなあ。
犬は好き?
俺は少しだけ苦手なんだ。
3歳の時。
俺は俺より大きな犬に襲われた。
らしい。
らしい、なのは襲われたのは覚えているけど、それがいくつの時か、なんて覚えていないからなんだ。
その日俺は来春から通う予定の幼稚園の体験入園に参加していた。
教室で折り紙したり、園庭で他の子と鬼ごっこをしたり…
正直俺は他人とつるむのが得意ではなかったので、黙々と園庭の隅にある砂場でお山を作っては壊していた。
ところで。
園庭ではもちろん保護者が俺達を暖かく見守っていたんだけど、一人、大型犬を連れている保護者がいた。
参加受付時に先生達は断ったんだけど、「子供の情操教育に役に立つ。うちの犬は大丈夫」と頑として受け入れずリードを絶対離さないという約束で連れていいと許可を得たらしい。
が。
そこんちの子供が悪ガキで、母親に園庭の花壇から掘り起こしたミミズをほおり投げた。
驚いた母親は悲鳴を上げ、リードを手放し、あろう事かその従順なワンコの尻尾だか脚だかをその場にそぐわないハイヒールの踵で踏んだから、大変。
ワンコは痛みで逃げ出し、砂場で山を壊していた俺に突進してきた。
騒ぐ周囲の声にビビった俺は顔を上げて突進してくるワンコに気づいたけど、身体は固まって動かない。
逃げている先にいる俺が邪魔だとばかりに歯をたてようとするワンコ。
ますます固まる俺。
絶体絶命のピンチ!って所に、俺を庇って覆い被さる小さな影。
その時なんだかふんわりと優しいいい匂いがしたけど…
それは全て次の瞬間に起こった事でかき消された。
ビュ!
俺の頬に生暖かい赤い液体が飛び散る。
体験入園に来ていた男の子が俺を庇って肩口を噛まれたんだ。
ちらりと見えた名札に書いてあった名前は「い××」
3歳児にひらがな読めないけど「い」だけは上の兄さんの名前に使われているから読めたわけで。
痛みで歪むその子の顔はでも俺が無事だと分かるとほっとした顔をしていた。
「よかっ…た…おれの…」
な、何?
その「い」君は俺に何か言いかけて気を失ってしまった。
男の子が俺を庇って怪我をしたことが急に怖くなり、
「う、う、うわ~ん」
俺は大声で泣き出し、駆け寄って来た大人達に世話をされるべく抱き上げられた。
俺を守ってくれたヒーローももちろん大人に連れていかれて…
なんだか彼のいい匂いが離れていくのが無性に寂しかった。
俺は高校生になった今でも助けてくれた「い」君の事は忘れる事は出来ない。
彼は今でも俺のヒーローだ。
ちなみに、その犬を連れてきた親子は翌年の入園式にはいなかった。
あの時泣きながら「ワンコは怖かったけど悪くないから~」と訴えた俺に免じてワンコは処分はされなかったみたいだけど。
「い」君もいなかった。
俺が親なら確かに子どもに怖い思いさせた幼稚園になんて通わせないよな。
☆☆☆
「今日の悪の組織の出没場所予測は次の通りです。内容は①…」
朝の情報番組のひとコーナー。
「今日の犬」ならぬ「今日の悪の組織」は可愛い顔したおっぱいのでかい女のアナウンサーが笑顔で紹介する人気コーナーの一つらしい。
「では皆様、悪の組織に嫌がらせされないよう気をつけて1日お過ごしください」
ぺこりとアナウンサーが頭を下げるとCMに切り替わった。
俺はそのタイミングでテレビを消す。
あと五分早く始めてくれないかなあ。
いつも遅刻ギリギリだよ。
「田中、①、⑤、⑦、実行。それ以外は却下。プラン184を」
少し残っていた紅茶を飲み干すと俺はさっきテレビで言っていた悪の組織の今日の予測のうち三つだけ選び田中に言った。
「かしこまりました。三葉様」
田中は俺の隣で深々と頭を下げると付けていたインカムで黒達に俺の指示を伝達し始めた。
「学校行ってくる」
「行ってらっしゃいませ。三葉様」
なんとなく身体がだるい気がするけれど、そんな事では学校は休めない。
ソファにほおり投げていたカバンを手に取り立ち上がった俺にまた田中は深々と頭を下げた。
田中は俺が小さい頃から仕えてくれている執事で、小さい頃からおじいさんで今もおじいさんだ。
年齢不詳過ぎる。
俺が玄関のポーチに出ると横付けされた黒塗りの車の後部座席のドアが開く。
乗り込むとドアは静かに閉まり車はゆっくり動き出す。
運転手の佐藤も俺が小さい頃からおじいさんで今もおじいさん。
俺はスマホを取り出しテレビアプリを立ち上げた。
さっき消した番組の次のコーナー「昨日のヒーロー」を見るために。
俺は高橋三葉(みつば)
野菜みたいな、女の子みたいな名前だけど、一応人間の男だ。
都立高校に通う一年生で、日本の「悪の組織」の総取り締まりである高橋家の三男。
ん?
「悪の組織」知らない?
さっき「今日の悪の組織」見たよね?
日本には…いや、世界には「悪の組織」という組織がある。
犯罪者組織じゃ無いよ。
あくまでも「悪の組織」
自動販売機の横のゴミ箱のゴミをぶちまけたり、先着100名しかもらえない新しくオープンしたお店のノベルティグッズを100人「黒」達を並ばせて一般人の手に渡らないようにしたり…
「黒」達は「悪の組織」の工作員のことね。
ほら、テレビのヒーロー物にも出てくるでしょ?
「キェー!」とか言う前衛部隊みたいなの。
まあそんな地味な嫌がらせをする組織だ。
なんでそんなことするのかって?
世界征服を企んでヒーローの活躍を阻止するんだ。
地味な嫌がらせをされたくなかったら、「悪の組織に跪け」ってね。
うちは日本地区の総取り締まりで、西日本を父さんが、東日本を兄さん達が管理してるんだけど、東日本を管理している兄さん達が大学の交換留学プログラムで現在オーストラリアにいるから、代わりに俺が毎朝指示を出している。
ちなみに、父さんは正体を隠すためのフロント企業も経営していて、割と金持ち。だから俺にもお付きの執事もお抱え運転手もいるようなお坊ちゃんなわけだ。
というか、悪の組織なんて辞めて会社経営一本で行った方が合理的な気もするけど、これは先祖代々の家業らしいから辞めるわけにはいかないらしい。
数年前から父さんの会社が朝の情報番組のスポンサーになり、「今日の悪の組織」のコーナーを作らせた。
近年の嫌がらせが地味すぎて誰がやっているかわからなくて「悪の組織」を誰も怖がらなくなったからだ。
なので、「今日の悪の組織」で今日の嫌がらせの予告をする。
全部テレビの言いなりになってもつまらないから、俺がそのうちの何個かを選んで実行して、他のプランを混ぜて…
で、番組内では「昨日のヒーロー」のコーナーで答え合わせをする。
ちなみに「昨日のヒーロー」コーナーは父さんの会社でスポンサードしているわけじゃない。
いつの間にか番組で勝手にコーナーを作ってたって父さんが言ってた。
こちらとしてはどれが「悪の組織」の嫌がらせだったか皆にわかってもらえるのはいいけど、ヒーローにやられているシーンが放送されるのでなんとなく「悪の組織」の面目が潰れるので父さんも兄さん達も苦々しく思っているみたいだけど。
さらに「昨日のヒーロー」コーナーの方が人気があるらしい。
「悪の組織」がなければヒーローの活躍もないだろうに。
解せん。
俺もこのコーナーは義務的に見ている。
気づかれなかった嫌がらせもあるから次はもう少し分かりやすくするか…とかチェックしなきゃいけないからだ。
実は今のヒーローは同じクラスの九条陸斗。
「悪の組織」は世襲制なんだけど、ヒーローは実力主義で、前任者からヒーローベルトを譲り受けることでヒーローになれる。
3年任期なんだ。
九条は、高校に入るときに前任者からベルトを渡された、ある意味成り立てのヒーロー。
彼は爽やかで、明るくて、優しくて、強くて、男前で…少し癖のある長めの栗色の髪の毛、薄い唇に、涼しげな目元は綺麗な二重。
見た目も性格も完璧なヒーロー。
そして、バース性はみんなに慕われるアルファ。
ヒーローがアルファじゃ無いとだめという決まりは無いけれど、歴代のヒーローはアルファが多い。
一方「悪の組織」もアルファが多い。父さんも兄さん達もアルファだ。
だから俺はできるだけ目立たないように、重苦しい黒髪で顔を隠し、黒縁のめがねを掛けて、地味に教室の端っこで過ごす。
だって俺のバース性はオメガ。
この見た目から皆にはベータだと思われているようだけど、俺はオメガだ。
発情期はまだ来ていないけれど。
父さんにも兄さん達にもできるだけ目立つなと言われている。
そうだよね、悪の組織の親玉が孕む性のオメガなんて恥ずかしいよね…
まあ今は兄さん達の代理だし、お正月明けには兄さん達も帰ってきて俺の役目も終わるから、それまでできるだけ目立たないようにしていれば。
ちなみにアルファだろうとオメガだろうと特に差別はないよ。
一昔前はオメガはアルファのペットだと言わんばかりの仕打ちが横行していたようだけど、近年そういうのは綺麗に消えている。
むしろオメガのアルファ出産率の高さなんかでめちゃくちゃ大事にされている感もある。
それに大抵のオメガは本当に可愛くて可憐で華奢で「守ってあげたい」オーラを出してるからさ。
案外世界はオメガの気持ち一つで言いなりなところもある。
まあ、そんななか俺は本当に地味なオメガだけどさ。
「昨日のヒーロー」コーナーが終わったところで、車は学校から少し離れた公園の横に止まった。
学校の前まで黒塗りの車で送って貰うと目立つのでいつもここで下ろして貰う。
『今日もヒーローはどんな活躍を見せてくれるんでしょうか?楽しみですね。さて次のニュースは千葉県の地層から珍しい恐竜の化石が発見されたニュースです…』
ぶるんと揺れるアナウンサーのおっぱいをぶちっと切って僕は胸元のポケットに入れていた眼鏡をかけると、車から降りた。
「いってらっしゃいませ。三葉様」
「ありがとう、佐藤」
また放課後ここに迎えに来てくれるんだ。
あ、眼鏡はだて眼鏡だよ?
暗躍するのに眼鏡は邪魔だから、視力はいいんだ。
あくまでも目立たなくする変装用。
教室にはあらかたの生徒が集まっていた。
当たり前、ホームルームが始まる3分程前だ。
ここでいないとほぼ遅刻だろう。
俺は後ろのドアから入ると、窓際一番後ろの席に座った。
そっと気づかれないように座ったつもりだったのに。
「おはよう、高橋君」
前の席の九条がくるりと振り向くと、クラス中の、いや、学校中の、いや、日本中の女子がときめくのでは無いかと思えるきらきらまぶしい朝日のような笑顔で俺に挨拶をした。
「おはよう、九条君」
俺はというと、これ以上無いんじゃないかと思えるほど冷たい声で返事をする。
「高橋君今日もいい匂いだね。シャンプー変えた?」
そんなこと気にする様子も無くニコニコと会話を続けてくる。
「…変えてないけど」
「そっか。ならいいけど」
さっき見た「昨日のヒーロー」を思い出す。
昨日お前がなおしていたファミレスの飲み放題のドリンクサーバーのボタンを押すと違う味の飲み物が出てくる嫌がらせ、あれ、結構考えたのに、あっさり解決しやがって。
それにさ、なんで、週に二回は俺に「シャンプー変えた?」ってきいてくる?
変えてもいないし、そんなわかるような匂いはしないと思うんだけどさ。
「あのさあ…」
「みんな、おはよう!」
九条が何か言いかけたところに担任がまたこれが爽やかな大きな声で教室に入ってきた。
「はい、号令。みんな前向けよ~」
ちっ。
気のせいか九条の口元から舌打ちが聞こえて、渋々という感じで前を向いた。
小さく「もう少し早く来ればいいのに」という呟きを残して。
今日も1日何事もなく過ぎた。
相変わらず身体はだるいけど。
さらに熱っぽくもなってきたけど。
帰ったら田中に風邪薬を貰おう。
休み時間の度に、九条は俺に話かけようとするけれど、そこはヒーローだから、他のクラスメイトも九条と話したくて、話かけてくるから結果俺とは話せない。
昼休みもそうだ。
なんだか九条がくるりと俺の方を向いた途端クラスメイトがわらわらと集まり一緒に弁当を食べ始める。
俺はそんなヒーローの邪魔にならないように中庭に移動して弁当を食べるんだ。
実はこれ昨日、今日の話ではなく毎日の恒例で、帰りは先生の挨拶が終わる瞬間俺は立ち上がりとっとと教室から出るから、九条が俺に話かけられるのは本当に朝のあの時間のみ、なんだな。
それに九条は悪の組織が出没したらヒーローサイレンが鳴って呼び出されるんだ。
もちろん公休扱いになるけど、黒達の嫌がらせが地味に細かかったりする時は本当に疲れた顔して戻ってくる事もある。
そのまま放課後まで戻れないことも。
こちらは工作員が多数いるけどヒーローは地区に一人だからなあ。
大変だ。
ヒーローサイレンが鳴ると九条は立ち上がり俺の方をちらりと見てから出動する。
他の皆は頑張って~なんて声援を送るが俺は気が向いた時だけ無表情で軽く頭を下げる程度。
それでも九条は嬉しそうな表情でたまに小さくガッツポーズなんてして出ていくんだ。
九条は俺が悪の組織の関東地区の親玉代理だなんて知らないけど、俺は九条がヒーローだって知ってるから必要以上に馴れ合う気はない。
それになんだかんだ言って俺にとってのヒーローは「い」君だしな。
☆☆☆
帰宅するとちょうど兄さん達からの定時連絡のズウム接続の依頼が来ていた。
オーストラリアとの時差は二時間。
俺の帰宅時間は兄さん達の夕食後の自由時間らしい。
俺の自慢の兄さん達は双子なんだ。
一路(いちろ)兄さんと次巳(つぐみ)兄さん。四つ違いの兄さん達も俺と同じ高校に通っていて、この都内でも1,2を争う偏差値の高さで有名な都立高校100年の歴史で一番の秀才だと言われていた。
(おかげで、入学したときは「あの、高橋兄弟の弟!」と先生には期待の目で見られたけど、俺はいたって普通だから、学年で10番以内を狙うくらいしか頑張らない。一番はもちろん九条だ)
大学も易々とこの国一番偏差値が高い都内の国立大学に進学して、さっきも言ったけど現在は所属するゼミの交換留学生プログラムに参加している。
期間は三ヶ月で、今年中には帰ってくる。
「今日の報告をミツ」
一路兄さんに促されて話始める。
今日の黒達への指示内容と、昨日の結果と。
「もう少しヒーローに対しても嫌がらせみたいな内容でもいいかもね」
「わかりました」
了承するけど、九条のちょっと疲れた表情を思い出して、手加減してあげてもいいかな、っとは思う。
「ミツ、手加減は無しで」
「……クラスメイトだからといって甘くなるんじゃ無い」
一路兄さんの銀縁の眼鏡がキラリと光る。
俺の黒縁眼鏡と違って兄さんの眼鏡は知的さが溢れまくる眼鏡なんだ。
「はい」
今期のヒーローが俺の同級生なのはもちろん兄さん達は知っていてことある毎に釘を刺す。
まあ、悪役に手かげんされるようじゃヒーローもおしまいか。三年任期だから、あいつの高校生活全部ヒーローで終わってしまうと言う事だけど。
大学にはヒーロー推薦もあるから今後安泰と言えば安泰だな。
「じゃあ、また、明日。ミツ」
「はい。おやすみなさい」
そう言って通信を切ろうとしたところ、次巳兄さんが言った。
「そうだ、一つ言っておくことが」
「何?」
「各国の組織支部から情報が来ている。まだ、不確定情報なんだが、ヒーローと共闘しなければいけない事態になるかもしれない」
「え?」
「あちこちでカイブツが復活している」
「カイブツ?」
「そう、悪役でも、ヒーローでも無い。気をつけるように」
カイブツ?
聞き返そうとしたら、通信は切れた。
仕方ない、自分で調べるか。
『カイブツ。
未知の生物。
理性を持たず、本能で生きる。
人々を無差別に襲う悪い奴』
ネットで調べてもこれくらいしか出てこない情報。
きっとどこかで情報操作が行われてるんだと思う。
いっそ学校で九条にきこうかと思ったけれどそういうわけにはいかないしなあ。
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