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第一章 俺と婚約者と従者

第5話 坊ちゃん、決意する

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「エウフェーミア!!」

 体勢を立て直した俺は、焦りのあまり腹の底から絶叫していた。
 菫色の魔力が渦巻く中心でエウフェーミアが蹲る。

 本来、人の体内を循環する魔力には実体がなく、目で見ることはできない。
 熟練の魔法使いになって初めて、魔力を可視化することができる域に達するのだ。
 子どものうちは魔力が不安定で暴走することもあるが、それでも火花が散る程度。少なくとも俺はそうだった。
 これは異常だ。

「……エウ! すぐ親父たちを呼んでくるから!!」

 邸に駆け戻ろうとしたが、異変を感じた親父殿とベックマン氏が駆けつけるほうが早かった。

「父上、小父さま!」
「ニコラ、怪我はないかい? すまなかったね、驚いただろう……!」

 弾かれた右腕はまだびりびりしているが支障はない。
 親父殿は黙りこくったまま険しい表情になり、エウに対抗するように自分の魔力を展開した。蒼い、炎にも似た親父殿の魔力がその身を守るように包み込む。
 そのまま薄紫の渦の中に立ち入り、中心で蹲って泣いていた少女を抱き上げた。

 途端、菫色の魔力が霧散する。
 意識を失ったらしかった。




「生まれつき魔力量の異常があるそうだ」

 邸に戻ってエウを客室に寝かせている間、俺と親父殿は応接間で額を突き合せた。

「制御が効かず、ああして時折暴走することがある。最近はかなりよくなっていたと聞くが、慣れない場所に来たせいで不安定になったのだろう」

「……小父さまはエウを引き取ったとおっしゃっていましたけど、家族は?」

「ゾラを治めるエルトン伯爵夫妻の次女だ。二年前、エウフェーミアどのの魔力を悪用しようとした連中が本邸を襲撃し夫妻と使用人が亡くなられた。ショックで魔力が不安定になり入院していたが、一年前にようやく退院し、ベックマンの邸に向かう道中今度は野盗に襲われた」

 彼女には姉がいて、そちらは一足先にベックマン家に引き取られていたそうだ。
 エウの退院を迎えに行った帰り道に襲撃を受け、念のためと依頼していた護衛の魔法騎士が迎え撃ったものの、野盗の攻撃を受けた姉が目の前で死亡。

 エウはまた入院した。
 そして先日、ようやく病院を出られることになったのだ。

「……何かあるんだなぁ、とは、思っていましたが」

 そこまで死人の出ている事情だったとは。

「エウフェーミアどのは、一度目の襲撃がご自分の魔力を狙われてのことであるとご存じない。おまえも、いま聞いたことは忘れて接するように」
「……はい」
「このまま魔力量が安定するのであれば、恐らくバルバディアに入学することになるだろう。そうなったときに事情を知る者が傍にいるべきだ。そういうわけでおまえに紹介した」

〈王立バルバディア魔法学院〉。
 親父殿とベックマン氏の母校だ。兄貴も俺も数年後、入学できるだろうと言われている。

 成る程、大人たちの思惑はわかった。
 没落する予定もないし勇者も魔王もいないからスローライフ寄りヌルゲーよっしゃぁ、と呑気に考えていものの、そううまいこといかないもんだな。


 魔力を狙われているエウとの婚約。
 まず何事もないわけがない。


 政宗がずらっと並べて色々説明してくれた異世界系の小説。
 どれもこれも、本当に何事もないストーリーなんて一つもなかった。主人公を気取るわけじゃないが、必要もないのに自我持ち越しの転生なんて、そりゃないよな。


 これが、俺が『ニコラ・ロウ』として生まれた理由なのか。


 色々と考え込んでいるうちに黙ってしまったが、親父殿は涼しい顔でお茶を飲んでいる。
 不遇な身の上であるエウに対する同情と気遣いは見えるが、そんな彼女と息子が婚約することに対しては特に何も感じていないらしい。

 俺が巻き込まれて怪我するかもとか、両親や姉のように死ぬかもとか、そういう心配はこれっぽっちもなかったんだろうか。
 う~~~ん、それもどうだかなぁ……。
 中身がコレだからこの程度のリアクションで済むけど、ニコラが普通の八歳だったらと思うとゾッとするわ。

 そうこうしているうちにエウを見守っていたベックマン氏が応接間に現れて、意識が戻ったと教えてくれた。
 原因が何にしろ、俺が涙を流すきっかけになったことは間違いない。ちょっと苦い気持ちで部屋を訪れると、ぐったりとベッドに横になったエウが首を動かしてこちらを見た。

「エウ……。具合はどう?」
「……、……」

 ぽろぽろと涙を流している。思わずうっと身構えた。女子の涙はいかん、いかんぞ。

 魔力の暴走というのが、先程の規模で済むなら俺は平気だ。
 怪我しようが吹っ飛ばされようが、前世のやんちゃ時代のおかげで多少の負傷には慣れているし、死んだときの自損事故に較べればどんな怪我も擦り傷と同じ。

 だけど、……エウがかわいそうだ。
 自分の魔力で他人が傷ついてもへっちゃらなお嬢さまだったらよかったんだろう。だが見るからにそういうタイプじゃないし。

「ごめ……なさい」

 ベッドのそばに寄ると、か細い謝罪が聞こえてきた。

 魔力は血液と同じように体内を循環している。
 その暴走現象ともなれば、彼女の体にも多大な負荷がかかる。事実ベックマン氏によると、今回は親父殿の介入のおかげですぐ治まったが、長引いた際には激しい嘔吐や発熱を繰り返すという。
 今も倦怠感はあるんだろう。
 エウは白い眉間にぎゅっと皺を寄せて、苦しげな息を洩らしながら、しゃくり上げるように泣いていた。


 ……たった九歳の、こんな小さな女の子が。


「ごめんなさい……けが……」
「僕なら平気だよ、いがいと打たれ強いんだ。騎士団長の息子たるもの、このくらいで怪我なんかしないさ」

 寝台の端に腰掛けて手を伸ばす。
 なんと声をかけていいかもわからなかったから、頭を撫でくり回して笑った。

「今度、うちに来たときは遠乗りでもしよう。頭のいい馬がいるんだ。黒いつやつやの毛並みの美人さんで、コクヨウっていうんだけど。エウは、馬に乗ったことはあるかい?」
「……、ううん」
「じゃあ僕の前に乗せてあげるよ。ナータにお願いして、お弁当でも作ってもらって、森のなかで日向ぼっこしながら今度こそ昼寝するんだ。きもちいいぞー?」

 エウは泣きながら、こくりとうなずいた。

 俺が死んだあの夏の日、会いに行った友人夫婦の第一子もこれくらい大きくなったことだろう。
 今でも覚えている。
 嬉しそうに赤ん坊を抱っこする友人たちの、だらしないデレッデレの笑顔。

 この世界に生まれたあとニコラを愛してくれた母の微笑み。
 俺の成長を見守っていた邸のみんなの温かい目つき。
 小さな子どもに目一杯愛情を注いで幸せを願う、大人たちの真摯な眼差し。


 エウフェーミアの家族たちだってそうだったはずだ。
 この子の笑顔を守りたくて命懸けで戦った。


 その遺志に殉ずるつもりはない。だけどせめて強くなろう。
 エウの魔力が暴走したって鎮めてあげられるくらいに。
 襲撃者が来たとしても、余裕で返り討ちにして高笑いできるほどに。


「次は僕が王都に遊びに行くから。エウ」
「……うん」

 だって、こんな小さな女の子が泣いているのはよくない。
 断固として、よくないからな。
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