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第二章 王立バルバディア魔法学院

第5話 噂の兄貴は学院のプリンス

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「ニコ、顔、真っ青よ」
「……エウほどじゃないよ」

 色々と衝撃を受けてメンタルべこべこになっているうちに、翼竜と駕篭はバルバディア魔法学院の敷地内に着陸した。

 ああクソ、こうなったからには小説の内容を思い出して悪役展開も石化エンドも回避しなきゃならんのに、落ち着いて考える暇もない。
 とにかく無事に入学式を終えるとこからだ。

 駕篭から下りると、先程窓越しにあいさつしたルウが笑顔で待っていた。

「ようニコ! 久しぶりだな。そっちの美少女が噂の婚約者か?」
「久しぶり、ルウ。……彼女はエウフェーミア」
「よろしくな美少女。俺はルーファス・チカ、ギルの元ルームメイトだ。なんだ二人とも顔色悪いな、酔ったのか?」
「まあそんなとこ……」

 ルウと兄貴は去年まで同室だったのだが、今年兄貴が三回生の監督生になって個室をもらったため別になったらしい。

「調子悪いならギルに言えよ、大聖堂の入口で花配ってるぜ。──何はともあれ二人とも、バルバディア魔法学院へようこそ」

 気障ったらしい仕草でルウが一礼するその先には、荘厳な尖塔群が青天を衝き聳え立っていた。

 一回生から四回生が学ぶ校舎、そして生徒たちが暮らす寮、教員の研究室に教職員寮、博士課程の研究棟に書庫。
 長年に渡り増築を繰り返してきたためか、建築様式の若干異なる石造りの尖塔がいくつも並び、それらは渡り廊下でつながっている。
 校舎の周辺には薬草園、いくつもの演習場、魔物の飼育エリア、武道場や運動場を有する広大な敷地。
 これらをさらに深奥の森が囲うかたちになる。

 外の空気を吸って気持ちを切り替えた俺は、キリッとお坊ちゃまモードの顔になった。

「行こうか、エウ」
「うん。……広すぎて迷子になりそう」

 エウも駕篭から下りたことでだいぶ気分がましになったらしい。
 自信なさげに眉を下げて、憂鬱な溜め息をついている。

 入学式が行われるのは尖塔群の中でもひと際歴史ある趣の大聖堂だ。

 そちらへ誘導される新入生の波に紛れながら周囲を窺うと、先程俺がもめた二人組──『主人公』である少女リディア、その幼なじみの少年アデル──は、乗り合わせていたそばかすの少年と談笑していた。
 といっても話しているのはリディアと少年で、アデルはぼけっと周りを見渡している。

「ニコ、ねえ、あとで彼女に謝ったほうが……」
「彼女?」
「さっきの……。心配してくれたのに、どうしてあんな言い方をしたの」

 エウは睫毛を伏せて、俺の肘のあたりを掴んだ。

 この様子だと、あの魔力に中てられたエウ自身も単なる駕篭酔いだと思っているようだ。
 気づいていないならそれでいい。エウフェーミアという名前の登場人物の記憶がひとまずないということは、この子はリディアと関わる必要がないのだ。

 あんな悍ましい魔力を垂れ流す指輪の持ち主に近づいていたら、エウの体は持たない。

「ああ、あとで謝っておくよ。……ただしあの二人にはあまり関わらないように」
「ニコ? なぜ」
「なぜって」

 ニコラ・ロウは、魔力を持たないリディアとアデルを莫迦にして見下すいけ好かない悪役坊ちゃんであるらしい。
 その設定に殉ずるわけではない、がしかし。


「──魔力もないのに、バルバディアに入学するなんて。どういう事情があるにせよ、得体の知れない連中には近づくな」


 エウは傷ついたような表情になった。

 確かに、彼女のよく知るニコらしくない物言いであることは認める。俺だってあんな台詞が自分から出てくるとは思っていなかった。
 でも他に言いようがない。少なくともリディアの指輪がおかしいことだけは、確かなのだから。

 彼女から目を逸らすように新入生の列へ顔を向ける。
 大聖堂の入口付近には在校生が待ち構えて、片手に提げたバスケットから花を取り出しては新入生に渡していた。

 その中にいた、ひと際見目麗しい金髪の美青年。
 俺の視線に気づいてぱあああっと眩しい笑顔になる。
 あれが兄貴である。

「ニコ、エウフェーミア!」

 ギルバート・ロウ、数日前に誕生日を迎えて十八歳。
 ロウ家の跡取り息子。バルバディア魔法学院入学後の定期考査で一度も首位を譲ったことのない秀才。三回生にしてすでに大人の魔法使いと同等の高位魔法をいくつも習得しており、将来を嘱望されるエリートだ。

 肩辺りまで伸ばした金糸のような髪をうなじで一まとめにし、隙なく制服を着こなした兄の姿に、周囲のご令嬢たちはほうっと感嘆の溜め息をつく。
 ちなみに学院の女生徒たちからは堂々とプリンスと呼ばれているらしい。

 顔がよくて頭もよくて性格もいい、ちょっと胡散臭いくらい完璧なこの兄貴が、俺はけっこう好きだ。

「兄上」
「道中、何事もなかったかい。エウフェーミアは少し顔色が悪いようだね」

 エウはスカートの裾を摘まんで上品にお辞儀して、「すこし酔ってしまいました」とはにかんだ。
 兄貴は片腕に提げたバスケットから一輪のバラを持ち上げ、優しく微笑みながら俺の胸元に挿す。エウフェーミアにも同じように。

「入学おめでとう。この日を心待ちにしていたよ」

 キャ───……と、背後の女子たちの声なき悲鳴が聞こえてきそうな笑顔を大盤振る舞いしている兄貴に頭を下げる。
 一体なにがどうやってあの親父殿からこんな息子が生まれるんだか。
 いや実際産んだのは金髪美女の母であって、俺と兄貴の容姿は八割がた母の遺伝子だけど。

「兄上に恥をかかせないよう努めます」
「何を言っているんだ、ニコはニコらしくやればいいんだよ」

 ああこの人畜無害な穏和っぷり。
 一緒にいるこっちまで精神が平和にるようだ。世界平和ラブアンドピース。全人類よ兄貴の顔を見よ。

 プリンスのにこやかな見送りを受けて、大聖堂の中に足を踏み入れる。
 玄関ホールの扉の先は三階まで吹き抜けの礼拝堂だ。正面の主祭壇の奥には、色とりどりのステンドグラスが高く聳えている。
 すでに夕刻に近いため、柔らかい橙色の陽射しが表情を変えながら新入生たちに降りそそいでいた。

 パリのノートルダム大聖堂みたいだ。
 ふと、大学の卒業旅行で、政宗も含めた面子でヨーロッパ旅行をしたことを思い出した。何年かあとに火事のニュース見てびっくりしたっけ……。

「ねえねえ、あなたたちプリンスと知り合いなの?」

 前から詰めて着席しているようだったので倣うと、俺たちの後ろからついてきていた女子生徒がエウの隣に腰掛けた。

「はい。彼のお兄さまなの」
「えーっ、弟いたんだ! あ、あたしロロフィリカ・クラメル、よろしく」

 アッシュグレイのおかっぱボブ少女。駕篭で一緒だった生徒だ。
 エウが自己紹介を返して握手している横から端的に名乗る。ロロフィリカは人懐っこく笑って「エウフェーミアと、ニコラね」と繰り返した。

「バルバディアのプリンスっていったら巷の学校じゃ有名なんだよー。初日から実物を見られるなんてラッキーでしかないわ。あー美しかった。プリンスの微笑み尊いわー」

 ロロフィリカはよく喋るやつだった。
 一般家庭出身であること、一家の魔法レベルは普通なこと、だから自分に入学許可証が届いたとき家族みんなで飛び上がって驚いたこと。ちなみに両親と、上に兄・姉、下に妹・弟と揃っている。ペットは灰色の猫二匹、うち一匹はクラメル家の使い魔でバルバディアにもついてきている、入学準備でバタバタ苦労したし今日もこれから何が起こるのかサッパリ分からないから不安やら楽しいやら──隣で聞いているエウが口を挟む暇もないほど立て板に水。

 まあ、初日からエウに友人ができたのはよかったけど。
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