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第二章 王立バルバディア魔法学院

第9話 魔法薬学基礎Ⅰについて

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 トラクは……どうだろうなぁ。
 見た目はどことなくエキゾチックで、謎めいた雰囲気を醸してはいるけど。作画に気合いが入っているといえば入っているかもしれないし、モブ顔といわれればそんな感じもするな。
 あんま値踏みするような視線を送るのも不自然なので、そっと肩を竦めた。

「彼女は、あまり体力のあるほうじゃないから。こうして大勢のなかで授業を受けるのも初めてだから、疲れたみたいでね」

 かくいうニコラも一応初めての体験なわけだが、俺のほうは懐かしくて楽しい。
 授業内容も国語数学理科社会とかじゃなくて、ほとんど魔法に関わる内容だからわくわくするし。
 いやまさか学校で魔法を勉強できる日がくるとは、十五年以上前は思ってなかったよな。

「今まで家庭教師だったわけか。慣れるまでが大変だろうなぁ」
「ああ。トラクは、時間割の見通しはもう立っているのか?」
「それなりに。面白そうな授業が色々かぶってて、どれから受けるか迷ってるところ」

 あー、わかるー。
 一年目だから基礎教養がどうしても多くなりがちなんだが、シラバス眺めてるだけでも楽しくて色々受けたくなるんだよな。
 思わずしみじみうなずいてしまった。

「わかるよ。僕も今日の四限は鉱物学と古ベルティーナ語とで迷ってる。一応鉱物学のガイダンスを受けたけど」

「その二つだと古ベルティーナ語だろー。鉱物学は魔法にとっては副次的なものだし、祈詞れいしや文献で必要になる古ベルティーナ語の発音や文法を整えるのが先だと思うよ」

 いやでも鉱物学、面白そうなんだよなー。
 こっちの世界には光る石とか形を変える石とかそういうのがゴロゴロしていて、実習の時間には実際に採掘に行ったりもできるみたいだし。

「っていうか、俺は四限に古ベルティーナ語とるから、一緒にとろ?」

 女子かよ。

「ほらほらぁ、鉱物学は鶏冠日けいかんびの六限にも開講してるじゃないか」
「六限なんて取ってたらあとがきつい」
「鶏冠の七限には天文学もあるんだよ! この日は午前ゆっくりして、午後から頑張る日にすればいいじゃないか。次の日は休息日だし」

 こいつ昨日初めましてしたばっかなのにめっちゃグイグイくる……。

「天文学を取るとは言ってないだろ」
「取りなよ。星空の下で彼女を口説けばいい」
「生憎もう俺の婚約者なので口説く必要もない」

 この押しの強い感じ、こいつやっぱ確実に登場人物だな。
 勝手な偏見を抱いているうちに担当教諭がやってきたので、熱烈スカウトをしてくるトラクを着席させた。

 ……しまった、さっき「俺」って言っちまったな。
 ベルティーナ語は一人称が豊富だ。英語なら「I」だけで済むのに変なところ日本語と似てやがる。

 教壇に用意されていた椅子に腰かけたその人は、魔王みたいな見た目をしていた。


「魔法薬学基礎Ⅰ担当のイルザークだ」


 夥しく長い黒髪。
 極端に白目の部分の少ない漆黒の双眸。
 膚の下の血管まで青く透けそうなほどの引きこもり美白。全身黒ずくめの服装のうえ、膝の上で組んだ手の指先はまるで壊死したかのように黒い。
 ……いや、あれは壊死じゃないか。幾千種もの薬草を長年調合し続けて、草の汁で染まってしまったのだ。

 この強烈なインパクト。このイルザーク先生も登場人物側だな、見るからに怪しい。
 そもそもこの世界では黒は冥界や魔王の色とされているためあまり好まれないのだ。

 つまり、見るからに魔王っぽすぎて、逆に味方。

「……一般に国民は魔法使いに対して魔法薬の恩恵を求める。それ以外の、例えば〈火〉〈水〉〈風〉などの単一要素魔法は、ある程度の魔力があれば労せず自分たちで魔法を使えるからだ。専門知識が必要で、かつ彼らの暮らしに密接に関わり合う第一の魔法が魔法薬。民に対して魔法使いを名乗る場合まず魔法薬の知識技量が求められるといっても過言ではない」

 そう、この世界の人たちにとって魔法は特別なものではない。
 みんな魔力を持っていて、みんな簡単な魔法なら使えるし、普通に生きていくうえではそれで充分だ。
 だからこそ、魔法教会に登録して〈魔法使い〉を名乗るということは、一般には及びもつかない隔絶された技能や知識があるということを意味する。

 それでまあ、普通の人々が生活するうえで求める上級魔法って何だ、っていう答えが魔法薬。あるいは医療魔法だ。

「はっきり言って魔法薬学には向き不向きが存在する」

 イルザーク先生は独白のように続けた。

「普通の薬とは違って魔力を含有する材料を使って薬を調合するほか、その過程において魔法を使うため魔法薬と呼ばれる。薬効を持つ植物は同時に毒ともなりうるため、極僅かな過失で容易に人を殺すことのできる技術だ。必履修科目であるし、実習も行い、伴って成績もつけるが、バルバディアの資格試験で魔法薬の調合許可を得られなかった者は個人的に魔法薬を販売してはならない。人殺しになりたくなければ、断じて」

 魔法薬は効果が高いぶん希少だし、病院での処方も難しい。
 ゆえに魔法薬を求める人々は、魔法薬学の権威である魔法使いのもとを自ら訪れて、自分に合った薬を調合してもらうそうだ。
 つまりそういう魔法使いになりたかったら、まずバルバディアの資格試験に通らないといけない。

「我々の魔法は容易に人を殺す。そのことをよく自覚し、弁えた者だけに単位を付与する。自信がなければ来年度以降の魔法薬学基礎の担当が私でないことを祈れ」

 イルザーク先生の声は低く、穏やかで、よく通る。
 恬淡として抑揚の薄い喋り方は昨日のアデルを彷彿とさせた。

「それから例年、材料となる虫や諸々の臓器等の取扱いで失神者が続出するそうだ。単位をやらんとは言わんが、苦手な者は平気な者とペアを組んでおくように」

 虫や、諸々の臓器。

 ……エウはだめだろうなぁ……。




 一日目のガイダンスを一通り受け終えてわかったことがある。
 俺は意外と『ギルバート・ロウの弟』ということで先生方から注目されているらしい。

 魔法薬学基礎以外の全ての授業で「それではロウくん」みたいに当てられた。そのうえ授業前後の休み時間には色んな同級生から話しかけられ、期待されてるんだね~だのさすがプリンスの弟~だのお褒めの言葉をいただき、自己紹介され握手を求められた。数が多すぎてほとんど憶えてないけど。
 坊ちゃんも楽じゃねぇな。

 五限目のあと、六限にも気になる授業があるとかでトラクは別の塔に向かった。
 パワフルだなぁとその後ろ姿を見送り、寮に戻る道すがら、ぽんっと肩を叩かれる。
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