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第三章 悪役と主人公は対峙する
第4話 いざ第一のイベントへ
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ルチルピオニーの効能はあくまで記憶の整理の手助け。知らないものを知ることはできない。
ただし、忘れてしまったと自分が諦めてしまっている記憶を、掘り起こすことができる。
あの日、甘く薫る香りのなか眠りについた俺は、夢の中で白い病室にいた。
もはや擦り切れた過去の記憶を呼び起こして、足りない情報は適当に補完しているのだ。白い壁、白いベッド、いかにも病室といった雰囲気だが、実際はテレビ台やカーテンがあってもっとこちゃこちゃしていた。
一巻を借りてきたら、あいつは喜んで読んでいた。
そのあと二巻から四巻を借りて、次に五・六巻。それ以降は新刊が図書室に入荷されるたびに七、八、九、と借りたのだ。
九巻を読み終えると、あいつは「完結する前にもう一回はじめからじっくり読み直したい」と言いだした。
だから一冊ずつ、一週おきに図書室から借りては、あいつに渡した。
「三巻から魔法学院編なんだよー。ここでニコラが登場しまーす」
挿絵をいちいち俺に見せながら、話の流れをざっくりと説明する。
教科書以外の活字はとんとダメな俺だったので、「読め!」「読まん」というやり取りを延々繰り返した結果、こういうかたちに落ち着いたのだった。
「前にも話したけど、第一印象最悪。リディアとアデルをなぜか目の敵にして、すんごい嫌味とか言ってくるの。魔法が使えない二人は苦労もするんだけど、それでもリディアには友だちもできて、一応順調に学生生活をスタートするのね」
「はぁ」
「しかぁぁし!」と、突如茶番がはじまる。
「履修登録から二週間が過ぎ、ベルティーナ王国に花が咲きはじめる頃。担当の先生の都合で初っ端から二回も休講になった魔術学、只人で魔術を使うリディアとアデルにとっては大事な大事なその最初の授業で、事件が起こるのよー!」
「ふーん」
「興味なさそうね。いいわ別に。その授業で、ニコラのリディアに対する嫌味が爆発、さすがに落ち込んだリディアは寮で友だちに悩みを相談するの。そしたら猫に大事なものを持っていかれちゃって、夜のバルバディアで追いかけっこスタート」
「へぇ」
「すると偶然、校舎の中を歩いてたニコラとぶつかっちゃって、二人は出口のない隠し部屋に閉じ込められちゃうの。さあどうなる!? 続きが気になるアナタにこの三巻!」
「あ、結構ッス」
「…………この話は、ニコラの悪役としての立場を明確にするエピソードなんだけどね。のちのちニコラのキャラを理解するうえでも、重要な場面になってくるわけ。なんたって大きな謎が一つあるの──」
───優秀な魔法使いの家庭に生まれ、自身も成績優秀なニコラが、なぜ魔術学の講義を受ける必要があったのか?
「ベルティーナ王国では、〈魔法〉と〈魔術〉が明確に区別されています。これらの違いを説明できる人はいますか?」
魔術学担当のイリーナ先生は、ふっくらした若い女性教師だ。いつも柔らかい笑みを浮かべていて、やさしい色合いのワンピースを身につけた、学生人気の高い先生である。
少人数用の教室の中に着席している十四名のうち、手を挙げたのはリディアだった。
「はい、リディアさん、どうぞ」
「魔法とは、自らの魔力を隣人たちに献上して助力を乞う力です。対して魔術は、魔力のない人々が、精霊や神々の好む鉱物や植物などを媒介にして、力を貸してもらうようお願いする力です」
「その通りです」
国民の魔力保有率が九割を超えるベルティーナ王国では、魔術を使用する人の率は低い。
魔術とは只人のために編み出された疑似魔法だ。使用されるようになってから二百年しか経っておらず、まだまだ発展途上。
魔術学ではその理論を学び、実践する。
もちろん、魔法を使えるバルバディアの学生がわざわざ魔術を使う必要はない。だから受講人数もそう多くないのだ。
ここにいる若干名も、単位が足りないからとか、なんとなく気になるから、というだけのやつが多いはずだった。
「理論としては難しくありませんから、今日から早速やってみましょう。魔術で杖は使いません。魔力の指向性を制御するほどの力が発揮されないからです」
そう言ってイリーナ先生は生徒たちの机を回り、触媒を包んだ薬包紙を手渡していく。
「基本的に魔術は、ごくごく弱い魔法と同程度のことしかできません」
薬包紙を開くと、微量の赤い砂が入っていた。
赤い色の鉱物を擂り潰したものだろう。窓から差し込む陽射しにきらきらと光る。
「いま配布したものは辰砂を砕いたもので、花の精霊が好むとされています。基本祈詞はこう、『いと慈悲深き花の精よ、一輪の恵みを与えたまえかし』。失敗することもあるし、そもそも魔術が使えない魔法使いもいます。あまり気にせずやってみてください」
俺はかつてシリウスに魔術を教わったことがある。
ロウ家の敷地の森に生息していた植物を媒介に用意して、シリウスに〈花〉と〈祈り〉の魔術を使って見せてもらったのだ。
隣人たちは常に俺たちの傍にいる。
目に見えなくとも、いつでも、どこにでも。
だから彼らと共通の古ベルティーナ語で語りかければ、献上する魔力に応じて彼らの力を貸してくれる。適当に魔法を使うのに特別な集中はいらない。
多分それと一緒だ。
目に見えないけど隣人たちは傍にいる。大切なのはそれを知っているということと、使いたい魔術のイメージ。
この場合、手の中の媒介が消えて、花を握っているという映像をしっかりと思い浮かべること。
さて、なんの花にするかな。
「“いと慈悲深き花の精よ、一輪の恵みを与えたまえかし”……」
窓も開いていないのに掌に風を感じたと思ったら、舐めるように辰砂の粒は消え、ぽんっと僅かな振動とともに青いバラが現れた。
おお。
意外といけるな、魔術。
せっかくだしエウにプレゼントしよっと。
と、俺が呑気に喜んだ次の瞬間、ぼぼんっ、と斜め前方で勢いよく火の手が上がった。
「リディア!?」
「なぜ火事!?」
「きゃー! 大変! 水の精ヴェルペイアよ!」
慌てたイリーナ先生が取り出した杖をリディアに向ける。
言葉尻が荒くなったためか、ぶすぶすと燻ぶる机に対して明らかに水量過多、ホースの口を指で押さえて潰したかのような勢いでどぱっと水が放出された。
リディアの斜め後ろ、イリーナ先生の杖の射線上にいた俺までずぶ濡れになる。
手の中にあった青いバラは水に流され教室の後方へ。
無残にも花びらを巻き散らしながら、くったりと床の上に横たわっていた。
ただし、忘れてしまったと自分が諦めてしまっている記憶を、掘り起こすことができる。
あの日、甘く薫る香りのなか眠りについた俺は、夢の中で白い病室にいた。
もはや擦り切れた過去の記憶を呼び起こして、足りない情報は適当に補完しているのだ。白い壁、白いベッド、いかにも病室といった雰囲気だが、実際はテレビ台やカーテンがあってもっとこちゃこちゃしていた。
一巻を借りてきたら、あいつは喜んで読んでいた。
そのあと二巻から四巻を借りて、次に五・六巻。それ以降は新刊が図書室に入荷されるたびに七、八、九、と借りたのだ。
九巻を読み終えると、あいつは「完結する前にもう一回はじめからじっくり読み直したい」と言いだした。
だから一冊ずつ、一週おきに図書室から借りては、あいつに渡した。
「三巻から魔法学院編なんだよー。ここでニコラが登場しまーす」
挿絵をいちいち俺に見せながら、話の流れをざっくりと説明する。
教科書以外の活字はとんとダメな俺だったので、「読め!」「読まん」というやり取りを延々繰り返した結果、こういうかたちに落ち着いたのだった。
「前にも話したけど、第一印象最悪。リディアとアデルをなぜか目の敵にして、すんごい嫌味とか言ってくるの。魔法が使えない二人は苦労もするんだけど、それでもリディアには友だちもできて、一応順調に学生生活をスタートするのね」
「はぁ」
「しかぁぁし!」と、突如茶番がはじまる。
「履修登録から二週間が過ぎ、ベルティーナ王国に花が咲きはじめる頃。担当の先生の都合で初っ端から二回も休講になった魔術学、只人で魔術を使うリディアとアデルにとっては大事な大事なその最初の授業で、事件が起こるのよー!」
「ふーん」
「興味なさそうね。いいわ別に。その授業で、ニコラのリディアに対する嫌味が爆発、さすがに落ち込んだリディアは寮で友だちに悩みを相談するの。そしたら猫に大事なものを持っていかれちゃって、夜のバルバディアで追いかけっこスタート」
「へぇ」
「すると偶然、校舎の中を歩いてたニコラとぶつかっちゃって、二人は出口のない隠し部屋に閉じ込められちゃうの。さあどうなる!? 続きが気になるアナタにこの三巻!」
「あ、結構ッス」
「…………この話は、ニコラの悪役としての立場を明確にするエピソードなんだけどね。のちのちニコラのキャラを理解するうえでも、重要な場面になってくるわけ。なんたって大きな謎が一つあるの──」
───優秀な魔法使いの家庭に生まれ、自身も成績優秀なニコラが、なぜ魔術学の講義を受ける必要があったのか?
「ベルティーナ王国では、〈魔法〉と〈魔術〉が明確に区別されています。これらの違いを説明できる人はいますか?」
魔術学担当のイリーナ先生は、ふっくらした若い女性教師だ。いつも柔らかい笑みを浮かべていて、やさしい色合いのワンピースを身につけた、学生人気の高い先生である。
少人数用の教室の中に着席している十四名のうち、手を挙げたのはリディアだった。
「はい、リディアさん、どうぞ」
「魔法とは、自らの魔力を隣人たちに献上して助力を乞う力です。対して魔術は、魔力のない人々が、精霊や神々の好む鉱物や植物などを媒介にして、力を貸してもらうようお願いする力です」
「その通りです」
国民の魔力保有率が九割を超えるベルティーナ王国では、魔術を使用する人の率は低い。
魔術とは只人のために編み出された疑似魔法だ。使用されるようになってから二百年しか経っておらず、まだまだ発展途上。
魔術学ではその理論を学び、実践する。
もちろん、魔法を使えるバルバディアの学生がわざわざ魔術を使う必要はない。だから受講人数もそう多くないのだ。
ここにいる若干名も、単位が足りないからとか、なんとなく気になるから、というだけのやつが多いはずだった。
「理論としては難しくありませんから、今日から早速やってみましょう。魔術で杖は使いません。魔力の指向性を制御するほどの力が発揮されないからです」
そう言ってイリーナ先生は生徒たちの机を回り、触媒を包んだ薬包紙を手渡していく。
「基本的に魔術は、ごくごく弱い魔法と同程度のことしかできません」
薬包紙を開くと、微量の赤い砂が入っていた。
赤い色の鉱物を擂り潰したものだろう。窓から差し込む陽射しにきらきらと光る。
「いま配布したものは辰砂を砕いたもので、花の精霊が好むとされています。基本祈詞はこう、『いと慈悲深き花の精よ、一輪の恵みを与えたまえかし』。失敗することもあるし、そもそも魔術が使えない魔法使いもいます。あまり気にせずやってみてください」
俺はかつてシリウスに魔術を教わったことがある。
ロウ家の敷地の森に生息していた植物を媒介に用意して、シリウスに〈花〉と〈祈り〉の魔術を使って見せてもらったのだ。
隣人たちは常に俺たちの傍にいる。
目に見えなくとも、いつでも、どこにでも。
だから彼らと共通の古ベルティーナ語で語りかければ、献上する魔力に応じて彼らの力を貸してくれる。適当に魔法を使うのに特別な集中はいらない。
多分それと一緒だ。
目に見えないけど隣人たちは傍にいる。大切なのはそれを知っているということと、使いたい魔術のイメージ。
この場合、手の中の媒介が消えて、花を握っているという映像をしっかりと思い浮かべること。
さて、なんの花にするかな。
「“いと慈悲深き花の精よ、一輪の恵みを与えたまえかし”……」
窓も開いていないのに掌に風を感じたと思ったら、舐めるように辰砂の粒は消え、ぽんっと僅かな振動とともに青いバラが現れた。
おお。
意外といけるな、魔術。
せっかくだしエウにプレゼントしよっと。
と、俺が呑気に喜んだ次の瞬間、ぼぼんっ、と斜め前方で勢いよく火の手が上がった。
「リディア!?」
「なぜ火事!?」
「きゃー! 大変! 水の精ヴェルペイアよ!」
慌てたイリーナ先生が取り出した杖をリディアに向ける。
言葉尻が荒くなったためか、ぶすぶすと燻ぶる机に対して明らかに水量過多、ホースの口を指で押さえて潰したかのような勢いでどぱっと水が放出された。
リディアの斜め後ろ、イリーナ先生の杖の射線上にいた俺までずぶ濡れになる。
手の中にあった青いバラは水に流され教室の後方へ。
無残にも花びらを巻き散らしながら、くったりと床の上に横たわっていた。
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