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第四章 アロイシウス棟の秘密部屋

第1話 だってトラクはナース服

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 病室の窓からは中庭が見えていた。
 完結する前に一巻から読み直したいのだ、とあいつが言いだしたのは中学三年の秋のこと。赤く染まった葉が、次々に落ちていく頃。

 掃除のおばちゃんがせっせと落葉を集めているのを、病室の窓から見下ろしながら、俺たちは話をしていた。

 相変わらず「読め!」「読まん」というお決まりの台詞を交わしたあと、

「しょぉぉぉがないなぁ」

 まことに遺憾です。というフリップが目に見えそうなくらい不満げな顔で、あいつは分厚い単行本を開く。

「さて三巻から始まった魔法学院編ですがー、とりあえずリディアの学校生活の滑りだしとして、前期のテストで一旦おしまい。ラストで学院側に内通者がまだいるってことを匂わせながら終わります」

「ふーん、裏切り者がいるわけか」

「そうね。この内通者が四巻で大騒動を巻き起こすわけですよ。リディアは命の危機に見舞われ、最後その手引きによって魔王が復活してしまうの」

「魔王復活かー、大変だな」

 この頃になると俺の生返事にもややバリエーションが生まれている。

「で五巻から悪役ニコラの本領発揮。すごいよー。言ってることは大正論なんだけど、ねちっこくて嫌味っぽい。ニコラに心酔する貴族の坊ちゃん嬢ちゃんたちを使ってイジメにくるの。リディアは悉く、師匠から学んだ魔術の理論を使ってやり返していくから、そこがまた痛快なんですけどね」

「主人公強かだな」

「今どきの女主人公はこれくらい強かじゃないとね。……でも九巻までいってみるとさ、このとき『こんちくしょう今に見てろニコラめ!!』って反発心から使えるようになった魔法が、リディアを魔王軍と戦えるようにしてくれるんだから。皮肉というか、必要悪というか、ねぇ」

「政宗が言ってたぞ。そういうあからさまに悪いキャラは、主人公の成長のための踏み台として出てくるかませ犬だからあまり嫌ってやるなって」

「うん、あたしニコラ大好きだよ。ここからだから!」

 そのとき、ニコラ、と囁くような声が聞こえてきた。
 ベッドの周りを囲っている白いカーテンの向こうから、聞き慣れたルームメイトの呼ぶ声がする。

「朝だよ、ニコラ」

 隣の彼女が首を傾げる。

「誰?」
「トラク。ルームメイト。そういえばおまえ、トラクの話ってしてたっけ?」
「トラク? だってトラクは───」

 しゃっ、と勢いよくカーテンが開いた。


◇  ◇  ◇


「ニコラ! 寝坊だよ!!」
「うわああああナース服のトラク!!」

 夢と現がごっちゃになった結果悲鳴を上げながら飛び起きると、白いナース服ではなく制服を着込んだトラクが、「はあ?」と盛大に眉を顰めた。

「なに? 夢の中の俺はナース服を着てた?」

「あああああ夢か、よかった……。いや別にトラク、おまえにコスプレの趣味があっても俺は一向に構わないんだが……」

「俺も別にニコラの夢の中で俺がナース服着ててもどぉぉでもいいけど、寝坊だよ。エウフェーミアさんには先に朝食とるように言っとくから早く来な」

 本当に心の底からどうでもよさそうなトラクは、とっとと部屋を出ていった。
 枕元に置いてある懐中時計を見ると、確かに寝坊だ。普段ならエウと談話室で合流して食堂に向かっている頃。

「まあ、トラクが一緒に食堂行ってくれてるならいいか……」

 のそのそとベッドから下りて、勉強机の抽斗から日記帳を取り出す。
 寝間着のボタンを外しながら鉛筆を握り、夢の内容を忘れないうちに書き留めておいた。

 ……学院側に内通者。
 四巻の最後に魔王が復活。
 五巻から悪役ニコラが本領発揮。
 そしてそれを糧に魔王軍と戦えるようになるリディア。

「……つまり四巻最後の魔王復活を阻止さえできれば、悪役の本分を全うしなくても済むかもしれん、てこと、か?」

 ニコラの背負う悪役としての役目にゾッとしたのも記憶に新しい。
 が、やっぱり俺は九巻で死にたくない。
 八巻で魔王軍として登場するのもできれば遠慮したい。

 世界の最適解から極端に逸れないように、細心の注意を払いながら途中式を組み替える必要がある。

「要は最終的に答えが合ってればいいんだよな、多分……。誰かそうだと言ってくれ。脳内政宗たすけて」

 脳内政宗は胸の前で両手を振りながら「手に負えない」と首を振った。薄情者ぉ。

 というか四巻で魔王復活って、早くないか。だっていま三巻だぞ。
 半年一巻ペースの仮説に基づくと……。


「今年の冬じゃねーか!!」




 思っていたよりも切羽詰まった状況にあることに気づいてパニックになったが、慌ててもしょうがないので着替えて、食堂に行ってみた。

 急がば回れ。
 死亡フラグ回避のための魔王復活阻止を、当面の目標に掲げるとして。
 そのためにはまず、魔王について知ることと、内通者が誰かを探ることと、あと普通に悪役坊ちゃん。

 大丈夫俺ならやればできる。
 中学時代など、真面目に勉強して学年トップ争いをする一方でやんちゃ坊主やりながらあいつの見舞いに行く、という三足の草鞋を履いていたのだから!

「おはよう、エウフェーミア」
「おはよ、ニコ。寝坊なんて珍しいね」

 どんな群衆の中にあってもひと際輝くシルバーブロンド。
 その頭にぽんと手を載せると、エウは食事の手を止めて振り返った。

「いやなに、ちょっと悪夢を見てね……」
「なんでもナース服を着た俺がニコラの周りでダンスしていたみたいで」
「トラァァァク話を盛るな」

 エウの隣に座っていたトラクの耳を掴んで引っ張り回す。おまえは。いつも。一言多いんだよ。

 ……こいつが内通者という可能性も、なくはないんだよな。
 だったら尚更いつも通りに振舞うだけだ。俺がこの先を知っていると、敵に悟られることだけは避けなければ。


 となると──


「あ、ごめんなさい」
「ああいやこちらこそ……」

 混み合う食堂内で、通りすがりの女子生徒と肩がぶつかった。
 その女子生徒の栗色の髪を見た俺は、ぃよっしゃあ、と内心気合いを入れる。

 一方、主人公は「げ」と眉を寄せた。

「……おはよう、ニコラ・ロウ……」
「やあ、おはよう。今日の授業ではうまく魔法が使えるといいね、リディアさん」
「ねえそれ嫌味? 嫌味よね?」
「嫌味だとも。こんなにわかりやすい嫌味が他にあるものか」

 またはじまった、とトラクが溜め息をつく。エウは眉をハの字にして困った顔になった。


 ──やっぱり俺が『悪役』の使命を全うするのが、世界の最適解から極力逸れないための第一歩。
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