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第三章 悪役と主人公は対峙する
第9話 うちの婚約者が再びかわいい
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リディアと二人、ほうっと安堵の息をつく。
「……先に行け」
「え、あ、うん」
戸惑ったようなリディアが廊下に戻り、イルザーク先生に駆け寄る。
重たい体を引きずってそれに続くと、兄貴は眉を下げて俺の額に手を当てた。
「ずいぶん疲れているみたいだ。調子が悪い?」
「すみません、お手間をかけて。天文学のあとだったので疲れただけです」
「七限をとっているのか。それはお疲れさま」
くしゃりと前髪を乱すように撫でられる。
優しく労わられる俺の横では、リディアがイルザーク先生にほっぺたを掴まれていた。痛そう。
「鳥に呼ばれてここへ来る途中、イルザーク先生と会ってね。消灯時間も近かったから一緒に来てもらったんだ。ちなみにこれ、先生が学生時代に作られた引きこもり部屋だそうだよ」
「作者はイルザーク先生でしたか……」
魔力のある者はこの部屋を見つけられず、部屋から出ようと思ったら高度な魔法の解除が必要。
あんなめんどくせえ隠し部屋を学生時に作るとか一体何者だよあの先生。
「先生、ご迷惑をおかけしました」
イルザーク先生は、リディアの蟀谷に拳を当てて、無言でギリギリ締め上げていた。スゲェあの叱り方この世界で初めて見た。
兄貴が向き直って頭を下げると、そっと首を横に振る。
「いや。そもそもこれが迂闊だったのが悪いのだ」
「先生痛い痛い痛い頭蓋骨が陥没するぅぅぅ」
「でも、リディアさんが持っていた伝書鳥のおかげでこうして二人を見つけられたのですから。程々にしてあげてはどうです」
「…………」
先生は嘆息してリディアの蟀谷を解放した。
うちの兄貴は優しくてよかった……。
「……寮に戻れ。消灯時間が近い」
「うわっ、本当だ! ニコラ行こう、走って!」
主人公らしく復活の早いリディアが、ぎょっとして俺のネクタイを掴む。
慌てて制止しようとしたが聞いちゃいねえ。
「何しれっと一緒に帰る気でいるんだ、おまえと一緒にいたなんて知られるの嫌に決まってるだろ時間をずらす……おいこら人の話を聞けネクタイを引っ張るな!」
「ニコ、リディアさん、おやすみ~」
「兄上、イルザーク先生すみませんでした! おやすみなさい!」
「せんせー、ギルバート先輩、おやすみなさい!」
廊下を照らす炎の灯りのなか、兄貴が微笑みながら手を振っているのが見えた。
寮へ戻る道中、人の話を全然聞いちゃいねえ主人公さんをどうにか振り払って先に行かせることに成功。
懐中時計を見て消灯時間を確認しつつ、ギリギリに寮塔へ滑り込んだ。
あー疲れた。とっとと風呂入って寝よう。そんで明日は朝寝坊してやる……。
この時間、ほとんどの寮生はすでに自室に引っ込んでいる。
リディアの主人公たるゆえんの一端、そしてニコラの悪役たる意味を朧気に悟ってヘロッヘロだった俺は、お坊ちゃまモードを取り繕うのも疎かに談話室の扉を開けた。
「ニコ」
「幻聴か?」
あー口が滑った。
男女共用スペースである二階談話室、寮生の憩いの場でもあるサロンにはソファやテーブル席が所々設えてある。
暖炉の前のソファから立ち上がったエウが、とことこと俺のそばにやってきた。
風呂も入ってあとは寝るだけなのだろう。ゆったりとしたワンピースに、薄手の上着を羽織っている。
「……こんな時間に何やってる」
「トラクが、ニコが帰ってこないって心配してたから……」
エウは眉を下げて、疲労困憊の俺の頬を両手でぺちっと挟んだ。
「さっき帰ってきたリディアさんに、お話、聞いちゃった。大変だったね」
「……リディアに近づくなって言ってんだろぉぉ、あいつ魔力ヘンなんだからさぁ」
あいつというより、あいつの指輪だけど。
エウの柔らかな声を聞いていたら、なんだか突っ張るのもバカらしく思えてきた。寮生の姿が見えないのをいいことに、俺はその不健康なまでに薄い肩に顔を預ける。
「平気だよ。だって、最後に魔力が暴走しちゃったの、もう二年も前だもの」
「二年前までしんどかったってことじゃねーか。毎度毎度ゲーゲーいってるエウの横で右往左往するしかない俺の身にもなれ」
「ふふ。気持ち悪いのもわたし、慣れちゃった」
こんなちっちゃなエウフェーミアが、嘔吐にも慣れるほどの苦痛を経て魔力の制御を身につけたというのに、あいつときたら!
……いや、違うな。
あの指輪がおかしいってことは本人も知ってるんだ。だから「呪い」だと称した。指輪をなんとかする方法をバルバディアに求めてやってきたのだ。
一巻の内容じゃ指輪の話なんて出てこなかった。何かあったのは二巻だ。昨年の第四の月から第十二の月の間に、あの指輪が出現した……。
ぴたりと動きを止めた俺の耳の辺りを、エウが「よしよし」と撫でている。
……兄貴はともかくエウに撫でられるのは、なんか悔しいなあ。
「とにかく。リディアとアデルには金輪際近づくなよ。リディアの魔術の暴走に巻き込まれてたら体がいくつあっても足りねえからな」
「そういえば、魔術学の時間に火を噴いたんでしょう? シリウスはそんなことなかったのにね。不思議ね」
エウの控えめな指先が、俺の肩を押した。
ついうっかり寄っかかってしまったせいで恥ずかしくて顔を上げられないのが、この婚約者どのにはお見通しらしい。
「あのね、ニコ、わたしも実はね、お恥ずかしながら」
「……んん」
「最近、ホームシックなのです」
めいっぱい背伸びして俺の耳もとでコソコソお喋りをする、菫色の双眸を覗き込む。
すると彼女は悪戯っ子みたいな笑みを浮かべた。
「バルバディアの食べ物は全部おいしいけど、シリウスの淹れてくれたお茶が世界で一番おいしいよね」
ああああなんだこいつ地球上の生き物か? シリウス聞こえてるか? 聞こえてないよなあかわいそうだなあ!
今日一日分の疲れは全部吹っ飛んだけど、代わりにうちの婚約者の健気なかわいさに心臓が止まるかと思ったわ。
「……先に行け」
「え、あ、うん」
戸惑ったようなリディアが廊下に戻り、イルザーク先生に駆け寄る。
重たい体を引きずってそれに続くと、兄貴は眉を下げて俺の額に手を当てた。
「ずいぶん疲れているみたいだ。調子が悪い?」
「すみません、お手間をかけて。天文学のあとだったので疲れただけです」
「七限をとっているのか。それはお疲れさま」
くしゃりと前髪を乱すように撫でられる。
優しく労わられる俺の横では、リディアがイルザーク先生にほっぺたを掴まれていた。痛そう。
「鳥に呼ばれてここへ来る途中、イルザーク先生と会ってね。消灯時間も近かったから一緒に来てもらったんだ。ちなみにこれ、先生が学生時代に作られた引きこもり部屋だそうだよ」
「作者はイルザーク先生でしたか……」
魔力のある者はこの部屋を見つけられず、部屋から出ようと思ったら高度な魔法の解除が必要。
あんなめんどくせえ隠し部屋を学生時に作るとか一体何者だよあの先生。
「先生、ご迷惑をおかけしました」
イルザーク先生は、リディアの蟀谷に拳を当てて、無言でギリギリ締め上げていた。スゲェあの叱り方この世界で初めて見た。
兄貴が向き直って頭を下げると、そっと首を横に振る。
「いや。そもそもこれが迂闊だったのが悪いのだ」
「先生痛い痛い痛い頭蓋骨が陥没するぅぅぅ」
「でも、リディアさんが持っていた伝書鳥のおかげでこうして二人を見つけられたのですから。程々にしてあげてはどうです」
「…………」
先生は嘆息してリディアの蟀谷を解放した。
うちの兄貴は優しくてよかった……。
「……寮に戻れ。消灯時間が近い」
「うわっ、本当だ! ニコラ行こう、走って!」
主人公らしく復活の早いリディアが、ぎょっとして俺のネクタイを掴む。
慌てて制止しようとしたが聞いちゃいねえ。
「何しれっと一緒に帰る気でいるんだ、おまえと一緒にいたなんて知られるの嫌に決まってるだろ時間をずらす……おいこら人の話を聞けネクタイを引っ張るな!」
「ニコ、リディアさん、おやすみ~」
「兄上、イルザーク先生すみませんでした! おやすみなさい!」
「せんせー、ギルバート先輩、おやすみなさい!」
廊下を照らす炎の灯りのなか、兄貴が微笑みながら手を振っているのが見えた。
寮へ戻る道中、人の話を全然聞いちゃいねえ主人公さんをどうにか振り払って先に行かせることに成功。
懐中時計を見て消灯時間を確認しつつ、ギリギリに寮塔へ滑り込んだ。
あー疲れた。とっとと風呂入って寝よう。そんで明日は朝寝坊してやる……。
この時間、ほとんどの寮生はすでに自室に引っ込んでいる。
リディアの主人公たるゆえんの一端、そしてニコラの悪役たる意味を朧気に悟ってヘロッヘロだった俺は、お坊ちゃまモードを取り繕うのも疎かに談話室の扉を開けた。
「ニコ」
「幻聴か?」
あー口が滑った。
男女共用スペースである二階談話室、寮生の憩いの場でもあるサロンにはソファやテーブル席が所々設えてある。
暖炉の前のソファから立ち上がったエウが、とことこと俺のそばにやってきた。
風呂も入ってあとは寝るだけなのだろう。ゆったりとしたワンピースに、薄手の上着を羽織っている。
「……こんな時間に何やってる」
「トラクが、ニコが帰ってこないって心配してたから……」
エウは眉を下げて、疲労困憊の俺の頬を両手でぺちっと挟んだ。
「さっき帰ってきたリディアさんに、お話、聞いちゃった。大変だったね」
「……リディアに近づくなって言ってんだろぉぉ、あいつ魔力ヘンなんだからさぁ」
あいつというより、あいつの指輪だけど。
エウの柔らかな声を聞いていたら、なんだか突っ張るのもバカらしく思えてきた。寮生の姿が見えないのをいいことに、俺はその不健康なまでに薄い肩に顔を預ける。
「平気だよ。だって、最後に魔力が暴走しちゃったの、もう二年も前だもの」
「二年前までしんどかったってことじゃねーか。毎度毎度ゲーゲーいってるエウの横で右往左往するしかない俺の身にもなれ」
「ふふ。気持ち悪いのもわたし、慣れちゃった」
こんなちっちゃなエウフェーミアが、嘔吐にも慣れるほどの苦痛を経て魔力の制御を身につけたというのに、あいつときたら!
……いや、違うな。
あの指輪がおかしいってことは本人も知ってるんだ。だから「呪い」だと称した。指輪をなんとかする方法をバルバディアに求めてやってきたのだ。
一巻の内容じゃ指輪の話なんて出てこなかった。何かあったのは二巻だ。昨年の第四の月から第十二の月の間に、あの指輪が出現した……。
ぴたりと動きを止めた俺の耳の辺りを、エウが「よしよし」と撫でている。
……兄貴はともかくエウに撫でられるのは、なんか悔しいなあ。
「とにかく。リディアとアデルには金輪際近づくなよ。リディアの魔術の暴走に巻き込まれてたら体がいくつあっても足りねえからな」
「そういえば、魔術学の時間に火を噴いたんでしょう? シリウスはそんなことなかったのにね。不思議ね」
エウの控えめな指先が、俺の肩を押した。
ついうっかり寄っかかってしまったせいで恥ずかしくて顔を上げられないのが、この婚約者どのにはお見通しらしい。
「あのね、ニコ、わたしも実はね、お恥ずかしながら」
「……んん」
「最近、ホームシックなのです」
めいっぱい背伸びして俺の耳もとでコソコソお喋りをする、菫色の双眸を覗き込む。
すると彼女は悪戯っ子みたいな笑みを浮かべた。
「バルバディアの食べ物は全部おいしいけど、シリウスの淹れてくれたお茶が世界で一番おいしいよね」
ああああなんだこいつ地球上の生き物か? シリウス聞こえてるか? 聞こえてないよなあかわいそうだなあ!
今日一日分の疲れは全部吹っ飛んだけど、代わりにうちの婚約者の健気なかわいさに心臓が止まるかと思ったわ。
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