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第四章 アロイシウス棟の秘密部屋
第3話 お坊ちゃまモード全開
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俺が心配していた通り、エウは一限目の魔法学Ⅰを受け終えたあと、絶妙に嫌そうかつ泣きそうな顔になった。
移動のために生徒たちが続々と席を立つ中、きゅっと唇を引き結んで椅子にへばりついている。
「エウフェーミア、ごめんって……。ね、大丈夫だから授業行こうよ」
「そうだよ。大体、ゴーストの目撃情報は全て夜遅くのものだ。今から行ったって何もないよ」
戦犯二人は俺の冷たい視線を受けて必死にエウを励ました。
しかし疑うことを覚えた純真なお嬢さんは、眉間に深い皺を刻んで、俺の右腕にべとりとひっつく。
ロロフィリカとトラクは肩を落とし、「ニコラ~……」と白旗を振った。
ほれ見ろ。相手を選びもせず脅かすからこうなるんだよ。
止めなかった俺にも責任はあるけど。
「……わかったよ、エウ」
小さく溜め息をつくと、エウは肩を震わせた。
昨日の怪談が怖くてアロイシウス棟に近づきたくないのは本当だけど、我が儘言ってロロフィリカたちを困らせている自覚もあるんだろう。ちょっとだけ申し訳なさそうな顔で俺を見上げる。
「一緒にサボろうか。きみがアロイシウス棟に行く気になる日まで、僕も魔法史Ⅰは欠席する。単位を落とすかもしれないが、また来年もあることだしね。ロロフィリカ、トラク、そういうことだからきみたちは先に教室へ向かってくれたまえ」
「だっ……!」
エウ反射的に噛みついてきた。
菫の双眸を見つめて「だ?」と聞き返すと、はくはくと空気を求めるお魚さんみたいな仕草ののち顔を伏せる。
「だめ……。ちゃんと、単位、とらなきゃ」
「いいよ、気にしなくて。僕はただ、怖がるエウを一人残していくことのほうが心配なだけだから」
キラキラお坊ちゃまモード全開フルスロットル、シリウス曰く『死ぬほど胡散臭い笑顔』を浮かべてやると、エウはひくりと口の端を引き攣らせた。
「ニコがいじわるだ……」
「意地悪? 心外だな」
ロウ家次男として、学院のプリンスの異名をとる兄貴に恥じない学院生活を送ること。
俺のその目標を知っているエウは、自分の道連れに俺をサボらせることができない。
俺自身は別にサボリに抵抗はないものの、魔法の勉強は今のところ純粋に楽しいから、積極的に自主休講する気もないのだが。
べそべそ泣きながら立ち上がったエウに手を差し出す。
「大丈夫。幽霊だろうとゴーストだろうと、エウフェーミアには指一本触れさせないよ」
キャーッ、と黄色い歓声が周囲で上がった。
エウは複雑そうな表情でこくりとうなずく──笑うの堪えてんだろバレてるぞ。余裕だな。
バルバディア魔法学院での学校生活も、早いものでもう二か月が過ぎた。
世界はすっかり温暖期。過ごしやすく麗らかな季節がここから半年弱続く。
積乱雲、かき氷、甲子園、風鈴、蚊取り線香、夏祭り……。日本の蒸し暑い夏の風情を脳裡に思い返して懐かしくなることもあるが、熱中症で死ぬ心配のないベルティーナ王国もまあまあ快適だ。
怪談の舞台となっているアロイシウス棟は、歴史あるバルバディアのなかでも比較的年季が入っている。
四階、廊下の奥。
魔法史Ⅰを受講する生徒たちもそわそわした空気の中、噂のある辺りをそっと窺っているようだ。
ロロフィリカと一緒にエウが教室に入っていく。
その一歩後ろをついて行っていた俺は、教室の出入り口を通り過ぎて、ずんずんと廊下の奥へと進んでいった。
昼間でもやや薄暗い。
木製の床は歩くたびにきぃきぃと軋る。
一通り歩いてみたが、壁に突き当たっても変な感じはしなかった。
隠し部屋や隠し通路というものは、『ある』という前提で探してみると意外と見つかるものだ。集中して観察すれば、誰かが魔法を使って空間を隠していることが解る。地面に掘ってカムフラージュされた落とし穴と同じ。
「ない……よな。これは」
……こういうとき、政宗がいれば便利なんだけどなぁ。
俺自身には霊感なんて一ミリもないのだが、政宗はそういう体質だった。視えるとか聞こえるとかではなく、漠然と『この場所が嫌だ』と訴える程度だったが。
新居探しの際はセンサー代わりに連れ回したもんだぜ。
そのとき、背後で床がきぃきぃと軋んだ。
……このレベルの音がする廊下で、足音を殺して秘密部屋に近づく、というのも難しそうだよな。
「ニコラくん? 何か探し物でも?」
「アキ先生。いえ、アロイシウス棟四階の秘密部屋の怪談というものを昨晩聞きまして、本当にそんなものがあるのかと見に来ただけです」
「ああ、最近大流行中のアレだね」
魔法史担当のアキ先生は、悪戯っぽく笑った。
王族の系譜という彼は、艶のある茶金髪をオールバックにして、スターみたいな豪華な顔立ちをしている。
涼やかに開いたシャツの胸元から滲む色気がやっべぇので、正直あんまり近寄りたくない。授業は面白いんだけどなぁ。
「先生たちもご存知なんですね」
「定期的にくるからね、オカルトブーム。四階の噂は僕が在籍していた頃にもあった話だよ」
何年前の話だろ……。
下手に訊ねて「アハハ、二百年前かな」とか言われたらうまく答えられる自信がないので、黙っておくことにした。
「ニコラくんの見立てでは如何かな?」
「幽霊やゴーストはサッパリ感知しない性質なのでわかりませんが、今のところ隠し部屋のありそうな感じはしないですね」
「ふむ、成る程」
美形がにんまりと笑う。
なにやら多分に含みのある表情だ。
「聡明なニコラくんに、僭越ながら教師として訓示をひとつ」
なんだなんだ。
「魔法を行使する際の第一要素は?」
「魔力です。それを隣人たちに献上することで彼らは力を貸してくれる」
「第二要素は?」
「祈詞です。隣人たちに語りかける、彼らとの共通言語である古ベルティーナ語」
「では隠された第三要素は?」
俺はぱちりと瞬いた。
家庭教師に叩き込まれた魔法の使い方。
献上する魔力を体内で精練し、古ベルティーナ語の祈詞で語りかけ、具体的な魔法行使の結果を思い浮かべて、それに向けて杖や掌で威力などを調整する。
普通はそれだけだ。
第三の要素、なんてあったっけか。
首を傾げた俺に謎めいた微笑みを残し、アキ先生は「授業を始めますよ」ときびすを返した。
移動のために生徒たちが続々と席を立つ中、きゅっと唇を引き結んで椅子にへばりついている。
「エウフェーミア、ごめんって……。ね、大丈夫だから授業行こうよ」
「そうだよ。大体、ゴーストの目撃情報は全て夜遅くのものだ。今から行ったって何もないよ」
戦犯二人は俺の冷たい視線を受けて必死にエウを励ました。
しかし疑うことを覚えた純真なお嬢さんは、眉間に深い皺を刻んで、俺の右腕にべとりとひっつく。
ロロフィリカとトラクは肩を落とし、「ニコラ~……」と白旗を振った。
ほれ見ろ。相手を選びもせず脅かすからこうなるんだよ。
止めなかった俺にも責任はあるけど。
「……わかったよ、エウ」
小さく溜め息をつくと、エウは肩を震わせた。
昨日の怪談が怖くてアロイシウス棟に近づきたくないのは本当だけど、我が儘言ってロロフィリカたちを困らせている自覚もあるんだろう。ちょっとだけ申し訳なさそうな顔で俺を見上げる。
「一緒にサボろうか。きみがアロイシウス棟に行く気になる日まで、僕も魔法史Ⅰは欠席する。単位を落とすかもしれないが、また来年もあることだしね。ロロフィリカ、トラク、そういうことだからきみたちは先に教室へ向かってくれたまえ」
「だっ……!」
エウ反射的に噛みついてきた。
菫の双眸を見つめて「だ?」と聞き返すと、はくはくと空気を求めるお魚さんみたいな仕草ののち顔を伏せる。
「だめ……。ちゃんと、単位、とらなきゃ」
「いいよ、気にしなくて。僕はただ、怖がるエウを一人残していくことのほうが心配なだけだから」
キラキラお坊ちゃまモード全開フルスロットル、シリウス曰く『死ぬほど胡散臭い笑顔』を浮かべてやると、エウはひくりと口の端を引き攣らせた。
「ニコがいじわるだ……」
「意地悪? 心外だな」
ロウ家次男として、学院のプリンスの異名をとる兄貴に恥じない学院生活を送ること。
俺のその目標を知っているエウは、自分の道連れに俺をサボらせることができない。
俺自身は別にサボリに抵抗はないものの、魔法の勉強は今のところ純粋に楽しいから、積極的に自主休講する気もないのだが。
べそべそ泣きながら立ち上がったエウに手を差し出す。
「大丈夫。幽霊だろうとゴーストだろうと、エウフェーミアには指一本触れさせないよ」
キャーッ、と黄色い歓声が周囲で上がった。
エウは複雑そうな表情でこくりとうなずく──笑うの堪えてんだろバレてるぞ。余裕だな。
バルバディア魔法学院での学校生活も、早いものでもう二か月が過ぎた。
世界はすっかり温暖期。過ごしやすく麗らかな季節がここから半年弱続く。
積乱雲、かき氷、甲子園、風鈴、蚊取り線香、夏祭り……。日本の蒸し暑い夏の風情を脳裡に思い返して懐かしくなることもあるが、熱中症で死ぬ心配のないベルティーナ王国もまあまあ快適だ。
怪談の舞台となっているアロイシウス棟は、歴史あるバルバディアのなかでも比較的年季が入っている。
四階、廊下の奥。
魔法史Ⅰを受講する生徒たちもそわそわした空気の中、噂のある辺りをそっと窺っているようだ。
ロロフィリカと一緒にエウが教室に入っていく。
その一歩後ろをついて行っていた俺は、教室の出入り口を通り過ぎて、ずんずんと廊下の奥へと進んでいった。
昼間でもやや薄暗い。
木製の床は歩くたびにきぃきぃと軋る。
一通り歩いてみたが、壁に突き当たっても変な感じはしなかった。
隠し部屋や隠し通路というものは、『ある』という前提で探してみると意外と見つかるものだ。集中して観察すれば、誰かが魔法を使って空間を隠していることが解る。地面に掘ってカムフラージュされた落とし穴と同じ。
「ない……よな。これは」
……こういうとき、政宗がいれば便利なんだけどなぁ。
俺自身には霊感なんて一ミリもないのだが、政宗はそういう体質だった。視えるとか聞こえるとかではなく、漠然と『この場所が嫌だ』と訴える程度だったが。
新居探しの際はセンサー代わりに連れ回したもんだぜ。
そのとき、背後で床がきぃきぃと軋んだ。
……このレベルの音がする廊下で、足音を殺して秘密部屋に近づく、というのも難しそうだよな。
「ニコラくん? 何か探し物でも?」
「アキ先生。いえ、アロイシウス棟四階の秘密部屋の怪談というものを昨晩聞きまして、本当にそんなものがあるのかと見に来ただけです」
「ああ、最近大流行中のアレだね」
魔法史担当のアキ先生は、悪戯っぽく笑った。
王族の系譜という彼は、艶のある茶金髪をオールバックにして、スターみたいな豪華な顔立ちをしている。
涼やかに開いたシャツの胸元から滲む色気がやっべぇので、正直あんまり近寄りたくない。授業は面白いんだけどなぁ。
「先生たちもご存知なんですね」
「定期的にくるからね、オカルトブーム。四階の噂は僕が在籍していた頃にもあった話だよ」
何年前の話だろ……。
下手に訊ねて「アハハ、二百年前かな」とか言われたらうまく答えられる自信がないので、黙っておくことにした。
「ニコラくんの見立てでは如何かな?」
「幽霊やゴーストはサッパリ感知しない性質なのでわかりませんが、今のところ隠し部屋のありそうな感じはしないですね」
「ふむ、成る程」
美形がにんまりと笑う。
なにやら多分に含みのある表情だ。
「聡明なニコラくんに、僭越ながら教師として訓示をひとつ」
なんだなんだ。
「魔法を行使する際の第一要素は?」
「魔力です。それを隣人たちに献上することで彼らは力を貸してくれる」
「第二要素は?」
「祈詞です。隣人たちに語りかける、彼らとの共通言語である古ベルティーナ語」
「では隠された第三要素は?」
俺はぱちりと瞬いた。
家庭教師に叩き込まれた魔法の使い方。
献上する魔力を体内で精練し、古ベルティーナ語の祈詞で語りかけ、具体的な魔法行使の結果を思い浮かべて、それに向けて杖や掌で威力などを調整する。
普通はそれだけだ。
第三の要素、なんてあったっけか。
首を傾げた俺に謎めいた微笑みを残し、アキ先生は「授業を始めますよ」ときびすを返した。
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