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第四章 アロイシウス棟の秘密部屋

第4話 コテコテの伯爵令嬢

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 アキ先生の提示した〈第三の要素〉という謎に頭を悩ませつつ、その日最後の授業である魔法薬学基礎を受講していたとき、事件は起きた。


 見た目ものすごく魔王っぽいイルザーク先生の授業は、講義と実験を一週おきに行う。
 前の週に習った魔法薬を、次週実際に製作する、といった具合だ。

 基礎の授業なので本格的な製薬は行わない。髪の毛を伸ばすオイルとか、気分をリラックスさせるフレグランスとか、その程度だ。
 魔法医師を養父にもつエウによると、こういう初歩的な調合の積み重ねが、例えば睡眠導入剤などの薬剤とつながっていくのだという。

 今週は、先週習った『ぐっすり眠れるアロマオイル』の調合。

「材料については先週講義した通り。香りについては数種類用意したので好きなものを選ぶとよい」

 黒板にざっと書かれたレシピや手順を眺めながら、エウと一緒に材料を取りに向かった。

 授業で作った薬は一旦提出し、イルザーク先生の評価を受けたあと、無害なものは次週に返却される。生徒たちは自分で作ったものの薬効を自分で確かめながら、魔法薬学とじっくり向き合うのだ。

 俺とエウは毎週返却してもらっている。
 で、毎週返却してもらえないのが、リディアとアデル。主人公コンビだ。

「今週こそは……!」

 と意気込んだリディアは、教室前方の机に用意された材料を手際よく選んでいく。
 フェイクの材料も混ざっているため、たまにアデルが「それ違う」と口を出すものの、頓珍漢なチョイスではない。

 だというのに毎度毎度、人体に有害そうな煙を発生させて教室を混沌の渦に叩き込んだり、鍋を爆発させて教室中緑の泡だらけにしたりと惨憺たる有様なのだ。
 正直引いた。
 劣等生にもほどがあるぞ、主人公。

「……今週こそは、何事もなく済むといいんだけどね」

 ぼそっと呟いたのが聞こえてしまったらしい。地獄耳ィ……。

「何か言った!?」
「気を悪くしたなら謝るよ。たださすがに、そろそろハラハラすることなく調合したいものだなぁと思って」

 ニコリと笑う俺の横で、エウがあわあわしている。
 すると「ニコラの言う通りですわ!」と、求めてもいない援護射撃がきた。

「毎回よくもまぁ、飽きもせず爆発させることができますこと」

 デイジー・ジェーペス。
 代々王宮に勤める伯爵家の長女で、主人公コンビを目の敵にしている『ニコラ派筆頭』だ。貴族の娘らしくくるくるに巻かれた赤い髪と、橙色の双眸と、コテコテのお嬢さま口調がトレードマーク。

 魔術学の授業で派手にリディアとやり合ってからというもの、ニコラ派VSリディア派の対立が、かなりはっきりと生まれてしまった。
 はた迷惑なことに彼らはニコラの代弁者を気取っているようで、最近じゃニコラを中心とする貴族連中VSリディア中心の一般家庭出身者という構図に変化してきたのだ。

「今日は何が起きるかと、気が気でないこちらの身にもなってほしいですわ。わたくしなら、恥ずかしいやら皆さんに申し訳ないやらで、大人しく来年の魔法薬学を取るように致しますけど」

「図太くて悪かったわね! 生憎これくらいしか取り柄がないのよ!」

 ……と言い返すリディアはリディアで強かだなと、感心もする。
 この負けん気の強さ、やっぱ主人公だな。

 デイジーは橙色の眸に侮蔑を浮かべて肩を竦めた。

「ああ、嫌ですわ……。これだから身の程を弁えない只人は困りますの」
「爆発に巻き込まれたくなかったらあんたが遠い席に座りなさいよ! 精々気をつけることね」

 いや、おまえは爆発させないように頑張ってくれよ。
 ついつい虚無の目になって口を挟んでしまった。

「安心して調合実験ができる日がくるのはいつになることやら……」
「ニコ……」

 エウが眉を顰めて引っ張ってきた。
 平和主義のエウは、俺とリディアの対立をよく思っていない。仲良くしているロロフィリカが一般家庭出身であることも関係しているだろう。

 リディアがふんと顔を背ける。
 俺のように転生したわけでもないのに、日本人離れした色の髪と目。調合の邪魔にならないよう三つ編みにした栗色の髪が、意図せずデイジーを攻撃した。

 不愉快そうに顔を歪めたデイジーが席に戻っていくのを眺めつつ、小さく息を吐く。

「ニコ……どうしてリディアさんに突っかかるの?」
「突っかかってるつもりはないけど」
「突っかかってるわ」

 材料を選び終えると、俺たちは席に戻って調合を開始した。

「シリウスのことを想ってるの?」
「…………」
「でも彼は、ニコがこうして誰かに攻撃的になることを、望んではいないと思うけど」
「……別にシリウスのためじゃない。僕が、彼女を気に入らないだけだよ」

 涼しい顔を保って材料を刻むためのナイフを握ると、エウはムムムと口を噤んで俺の腕を掴んだ。

「やる」
「……毎回言っているけど、エウフェーミア。無理しなくてもいいんだよ」
「いいの。やる」

 今日の調合の材料は香りの高いカドレアローズと精製水、そしてリラックス効果のもととなる蝶の、死骸。
 一羽丸ごとナイフで刻んで混ぜるのだ。

 魔法薬にはこういう工程がしょっちゅうある。
 初回のガイダンスでイルザーク先生が注意したように、内臓や虫が苦手な生徒にはかなりハードルの高い学問だ。

 エウも例に洩れずグロテスクなものは得意でない。
 だというのに、なぜか毎回、こうして俺からナイフを奪っていくのだった。

「苦手なものは克服しなきゃ」
「……別に虫の死骸や内臓が苦手でも、誰も怒りやしないよ」

 彼女は子どもの頃から、身の丈に合わない魔力を制御するため、文字通り血反吐を吐いてきた。
 その経験のせいだろうか。苦手は克服すべし、と自分を追い込むきらいがある。

 ナイフを置いて場所を譲り、強張った表情で蝶に手を伸ばすエウを見守った。

「…………」
「…………」
「……エウ、嫌なら無理しなくても」
「ニコはそこで黙って見守っていて……!」
「ハイ」

 長い長い葛藤の果てに、ようやくのろのろと作業を開始した彼女から顔を逸らして、こっそり溜め息をつく。
 頑張り屋さんなのはいいとこだけど、無理してストレス溜めるのもなぁ……。

 ふ、と視線を教室の前方に向けた。
 最前列窓際の席を陣取るリディアとアデルは、今のところ無事に作業を進めているようだ。エウが蒼白になりながら刻む材料も、リディアが顔色一つ変えずに摘まんでいるのが見える。すげーなあいつ。

 ナイフを手に取る前に、彼女は両手を合わせて目を閉じた。
 合掌か。
 ……懐かしい仕草だ。

「ふ、蓋をする前に、癒しの祈詞を、唱えるんだよね」

 気を逸らすために話しかけてくるエウの手元には、翅の部分だけなんとか刻まれた蝶が沈黙していた。
 気持ちはわかるけど胴体も入れなきゃなんねーんだぞ。
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