ニコラ・ロウの華麗なる悪役生活

天乃律

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第四章 アロイシウス棟の秘密部屋

第5話 エウフェーミアは虫も苦手

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 アロマオイルの蒸留自体はそこまで難しいものではない。
 鍋の中にボウルを入れ、それを避けるようにしてカドレアローズの花びらを敷き詰める。そこに刻んだ蝶を振り撒いたら、水魔法の精製水を流し込む。
 蓋を氷で冷やしつつ煮詰めていけば、水蒸気の冷えた液体がボウルの中に溜まっていくそうだ。

「そう。『いと慈悲深き癒しの乙女カシナ、安らぎの眠りを与えたまえかし』」
「それで、魔法で氷をつくって、蓋を冷やす」
「そうそう。……エウ、代わろうか?」
「ううん、がんばる」
「いやもう十分頑張ったかと……」

 ばごんっ。

 突如、教室の隅で爆発が起きた。白い煙がもくもくと上がる。
 控えていたイルザーク先生が即座に風を起こして、窓の外へ煙を逃がしてくれたので、周りには大した被害がなかった。

「なぜ!?」と嘆き悲しむリディアの声。またおまえか。もう想定内すぎて誰も驚かんわ。

「どの時点で何が起きて爆発になるのか、一度近くで観察してみたいくらいだね、エウ……」


 苦笑いで視線を彼女に戻した瞬間──息が止まった。


 多分、びくびくしながら蝶の体を刻もうとしていたのだろう。手元が狂わないようにと前屈みになったエウの白い額や青白い頬に、何かの汁が散っている。

 ナイフの下には真っ二つになった死骸。


 エウフェーミアはその体勢のまま凍りついていた。


「あ──……エウ。動かないで、そのまま……いま拭くからね、かわいそうに……」

 あまりにも不憫で顔が引き攣ってしまった。
 普段通り慎重に丁寧に刃を入れていれば問題なかったのに、爆発にびっくりして勢いよく振り下ろしてしまったのだろう。


 エウは静かにナイフを置いた。
 そして無言で気を失った。


「エウフェーミアぁぁぁっ!?」

 リディアの引き起こす爆発に慣れきって、もはや動揺すらしなかった生徒たち。
 その中に、ここ数年で最も情けない俺の悲鳴が響き渡ることとなった。




「お疲れ」

 風呂上がり、寝台の端に腰を下ろして敗戦後のボクサーみたいになっている俺に、トラクは苦笑いで声をかけてきた。

「ありがとう。……疲れたのは僕じゃないんだけどね」
「それでも心労はあっただろ? エウフェーミアさん、具合はどうなの」

 魔法薬学の授業中に倒れたエウは、すぐに医務室に運ばれた。
 しばらくうんうん魘されていたが、目を覚ましたあとは無事に自分で歩き、夕食も摂っている。女子寮の前まで送ったときにはだいぶ顔色も戻っていた。

「呻いてた。『おばけ……虫……』って交互に呟いて」
「魔法史と魔法薬学がトラウマになりそうな勢いだね」
「真剣に来週の授業が心配だ」

 トラクが杖を振りながら祈詞を唱えると、テーブルの上に置いてあるポットの中身がこぽこぽと沸騰しはじめた。茶葉をかなり適当にティーポットに入れて、時間を計りもせず茶漉しを構える。

 シリウスが見たら発狂しそうな大雑把加減だ。
 俺でももうちょっとまともに淹れるぞ。

「それにしても今日のデイジー嬢は露骨だったね。ニコラがエウフェーミアさんに付き添って退室したあとも、すごかったんだよ?」

 いまは派閥の話は聞きたくねぇ……。
 が、トラクはティーカップにお茶を注ぎながら続けた。

「『あなたのせいでエウフェーミア嬢が倒れてしまったわ』『人を救うための魔法薬を作る過程で、人を殺すおつもりかしら』だって。彼女、ずいぶんニコラ派として声が大きいみたいだけど」

 ぱち、と瞬くと同時にトラクへ視線をやる。
 伏せられた睫毛が、頬に濃い翳を落としていた。俺の視線に気づいた琥珀色の双眸は、何かを見透かすように薄く微笑み、挑発するように煌めく。

 謎めいたルームメイト。
 デイジーなんかよりよっぽど油断ならない。

「……僕が彼女を腹立たしく思っているのは本当のことだ。そんな張本人が、連中に向かって『やめたまえ』なんて言うのかい? どうせ、含んでもいない言葉の裏を有難くも勝手に感じ取って、『もっとバレないところでやれ』と解釈して陰湿になるだけさ」

 確かに、とトラクは脳裡にニコラ派の面々を思い浮かべたようだった。

 デイジーだけではない。貴族としての高いプライドを持ち合わせ、そして同時に、只人を見下す連中。バルバディアに通うことを栄誉と考える、優秀な魔法使いの子女たち。

 彼らにとっては自分たちが正義で、魔法も使えないのにここにいるリディアたちが不正義だ。

「放っておけばいいのさ。リディアもアデルもそこまで繊細なたちじゃない。適度に言い返しているみたいだし、度を越せば適度にやり返してくる」

「その仕返しはきみに向かうんじゃないの?」

「それなら退けるまで。正当防衛だ」

 トラクの差し出してきたカップを受け取ると、「変な人だなぁ」と笑われた。


「今のきみは、進んで悪役になろうとしているように見える」


 ぎく。
 なんかトラクって鋭くないか? 大丈夫かこれ?

「……別に。流れに身を任せてみるのも悪くないかと、思っただけだよ」

 そう、それだけだ。
 今の状態ではできることに限りがある。魔王復活の阻止を目論む一方で、それに失敗したときのことも考えて、俺は悪役としてリディアの踏み台になるべきだ。

 リディアが主人公であること同様に、ニコラが悪役であることにも意味があるのだから。

「大体、変な人とかトラクに言われたくないんだけどな」
「ええ、俺? どうして」

「僕の周りをちょろちょろしてニコラ派かと思わせつつ、アデルやリディアとも付き合いがあるんだろ。派閥に興味のない平和主義と言ってしまえばそれまでだけど、今や真っ二つに割れつつあるローズ寮ではちょっと変な人だよね」

「買い被りすぎだよ」と、トラクは口角を上げた。

 どーだかな。
 おまえみたいなやつが一番厄介なんだよ。表面上ニコニコして、顔が広くて情報通で頭がよくて、要領がよくて立ち回りがうまいやつ。
 味方に一人いれば心強いけど、敵に回すと手強い。

 トラクの淹れてくれたハーブティーは、あれだけ適当な手順だったにも拘わらず意外と美味かった。
 ……解せん。

「さて、お茶をありがとう、トラク」
「どう致しまして。……その澄まし顔、なんだい、怪しいなぁ」

 わざと大仰に目を丸くする。

 茶番の始まりだ。

「おやおや、しまった……。どうやら魔法史の教室に忘れ物をしたみたいだぞ。消灯時間ギリギリだが仕方ない、一っ走りして取ってくることにしよう」

 この上なく白々しいセリフを吐いた俺に、トラクはニヤリと笑った。

「俺も行くよ。ゴーストが出たりしたら危ないからね」
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